102. オーヴァーロード
ワシントンD.C.:ホワイトハウス
「大統領、大戦は終わりました。我々は勝利したのです」
歓喜に満ちた声が響いてきた。そう、戦争は終わったのだ。
言うまでもなく、完璧な勝利であった。精強なる陸軍や海兵隊の勇士達は沖縄に続いて関東地方へと侵攻、熾烈なる戦闘の末、東京に星条旗を翻えせしめたのだ。太平洋を暴風の如く荒らして回り、最後の一兵に至るまで武器を手放さなかった者達も、虜となったエンペラーのラジオ放送に従って降伏しつつある。
当然ながら、戦勝の報に触れた誰もが喜びを分かち合っていた。
感極まったあまり、見ず知らずの男女すらタイムズスクエアで抱き合う。『ライフ』誌を飾ったのはそんな写真だった。国中の街角という街角に同じような光景が広がっており、ホワイトハウスから望めるナショナル・モール地区もまた、何万という数の老若男女が、一介の労働者から高級官僚に至るまでの誰もが、等しく沸き返る場となっていた。
それから数か月ほどの後には、自由と民主主義のため銃を取り、出征先で決して挫けることのなかった最高の兵士達が凱旋してきもする。故郷に戻った彼等は、よき父や夫、恋人となるだろう。
「再びかような戦争が起きぬよう、恒久平和の秩序を築かねばばなりません」
「大統領、打ちひしがれた国際社会を主導するのは我々の役目です」
「ハル元国務長官にノーベル平和賞が授与される見込みであるとか」
閣僚達が満面の笑みを浮かべ、次々と報告する。
だがその表情はどうしてかぼけていて、トルーマン大統領がそれを意識した瞬間、全てが水泡に帰した。あるべき世界、本当に3月のある日までは概ねその通りに進むはずだった世界はガラガラと崩れ、全てが鏡像反転したような現実が眼に飛び込んでくる。
(はは、白昼夢か)
目の前に見えるはずだった白亜の記念塔は既になく、大理石や花崗岩の残骸が無惨にも転がっていた。
リンカーン記念館や実質的機能を失っている国会議事堂と一緒に、この間の爆撃で吹き飛ばされてしまったのだ。廃墟となり果てた官庁街の中心で、ホワイトハウスだけが辛うじてその威容を保っている。
何時でも爆殺可能だという意思表示に違いなく、何処かに政府を移転させたとしても、全くの徒労にしかならないのだろう。
「大統領閣下、そろそろお戻りいただかないと危険です」
「ん、ああ……」
補佐官の呼びかけに、トルーマンは力なく肯く。
少し前ならば「ワシントンD.C.がどうして危険なものか」と荒れたかもしれない。だが一向に好転しない、というより明白に勝負にすらなっていない戦況に神経を擦り減らされたのか、今日は無気力かつ弱気な調子で、本人もそれを強く実感していた。
既に死傷者数は500万人を突破したとみられ、更に多くの国内難民が生じつつある。しかもそれらは推計値でしかなく、情報がまるで得られぬから、被害集計もできないという状況が重くのしかかる。
「加えて日本軍の進軍速度は異常です」
補佐官もまた幾分やつれた口調で、
「パナマが陥落したとみられる以上、東海岸防衛について検討せねばなりません」
「神は我等を見捨てたもうたのか」
「大統領閣下……?」
「ああいや、何でもない。そうだな、間違いなくそれが必要だ」
トルーマンはどうにか正気を取り戻し、苦しげながらも微笑んだ。
神に見捨てられたとは思いたくはなかった。だが日本が味方につけたらしいアレクサンドロス人とやらは、全能の神をも平然と抹殺してしまったのかもしれない。
大連:周水子飛行場
外装を陸軍機に見せかけたC-1輸送機を操るのは、これまた陸軍コスプレの自衛官だ。
言うまでもなく、それは必要に駆られたためだった。時空間災害直後の接触から今に至るまで、事の詳細は一部将官や高級官僚を除いて伏せられている。故に満洲や朝鮮、その他旧軍支配地域において要人や物資の輸送を円滑に行うためには、周囲に怪しまれぬよう振る舞えなければならない。
結果として帝国軍人しぐさがかなり板についた岩根三佐は、何か勘付いた節のある基地司令との折衝を終えた。
実質的に停戦状態となった英国やソ連、フランスといった旧連合国、中立国として利益代表業務を行ってもらったスウェーデンやスイスの外交団に、日本本土を視察させることが少し前に決まった。戦争も終わりに近づいている以上、何らかの形で対外的な説明を行う必要があった。
岩根の役目は新京から特急『あじあ』でやってくる彼等を羽田まで運ぶことで、それに関する調整をやっていたという訳だ。
(まあ暫くは羽田大本営に軟禁とかなんだろうけど)
隊司令に聞いた話を思い出しつつ、岩根は愛機へと戻る。
防諜上の措置と称して窓をブラインドで覆ったコクピット。そこには副操縦士の三谷一尉の、ペーパーバックらしきものを熱心に読む姿があった。傍らには英和辞典も置かれている。
「うん、何を読んでいるのだ?」
会釈を終えるや、岩根は尋ねる。
「ああ、英語の勉強も兼ねてと思いまして」
三谷は少し得意げに微笑み、ペーパーバックの表紙を見せる。
クラークの『幼年期の終わり』の原書だった。しおりの位置からして、1章がようやく読み終わったくらいだろうか?
「パイロットは英語必須。それに我々はこの後、英国のお客さんを羽田までお連れする訳ですし」
「感心する話だ。といってもその本、この世界では未出版だし、クラークも爆撃に巻き込まれていなければ生きている」
「その辺、どうするんでしょう?」
「さあな……こうも世界が食い違ってしまった以上、全く同じ作品は書かれないかもしれないが、日本には海外の作家達がこの後書くはずのものがゴロゴロ転がっている。著作権の扱いも深刻だ」
「印税をドカッと渡して懐柔するとかかもしれませんね」
三谷はそんなことを言って笑い、
「好き好んでこの時代に来た訳でも、人類を超精神体にしようとも考えている訳でもありませんが、現在の我が国はカレルレン総督と微妙に似たような立場にあると言えそうです。とすれば想像力豊かなSF作家などは、案外それで靡いてくれるかも」
「言われてみれば、そんな面もあるか」
岩根は興味深げにフムンと鼻を鳴らす。
カレルレン総督の宇宙船団と比べればちょっと凶暴かもしれないが、東京が空襲されるわ資源がないわでは致し方ない。それにまるで勝負にならない絶対的存在と直面した人類の反応を、上手いことシミュレートしている内容でもあるかとも思った。情報を流すとしても、令和日本と外の世界が容易に交流する訳にはいかない点も似ていなくもない。
とすれば――結局のところこの世界をどうしたいかが、やはり重要ということなのだろうか。
「もっともその辺は、国の頭いい人達が何か考えるだろう。一介の自衛官には身に余る」
「全くです」
三谷はそう応じ、読書へと戻った。外交団が到着するまでまだ暫く時間があった。
東京都千代田区:首相官邸
「つまりアメリカ臨時政府の案は、我が国の長期的目標と合致し得るということか?」
卓上の和菓子でもってカロリー補給をしつつ、加藤総理が念を押すように尋ねる。
既に臨時政府軍の艦艇は米西海岸へと到達しつつあり、ロングビーチ港で人員や機材の調達を実施した後、パナマ運河経由でワシントンD.C.の制圧を行わんとしている。そうしてトルーマン大統領の身柄を確保し、時空間災害について説明を行いつつ降伏を勧告、もって終戦へと導くというプランだった。
大失敗に終わった『ピース・メイカー』作戦と似た気配がしないでもない。とはいえ今度は国の中枢を確保するのであるから、問題も発生しないとも考えられるだろう。
なおかの作戦を実施することの対価も、幾つか要求されてはいる。
例えば西海岸地域の全面占領が挙げられる。現在の自衛隊は脅威となるものの排除の他は、主要港湾と油田地帯、主要幹線道路の制圧と、時折カウボーイを射殺して放牧中の牛を接収することくらいしかしていない。お陰で西海岸の諸都市は軒並み飢餓状態に陥りつつあり、"国連軍"を占領軍とするのでもよいから、秩序と物流を回復してくれという泣きが入った形だ。
そしてもう1つ重要となるのが、ほぼ効率的殺傷のみを目的としたような市街地爆撃の一時中止だった。以前なら「全員民兵」という怒りに満ちた反応で拒絶していたかもしれないが、そこについても利害を提示されている。
「はい。総理も仰いました通り、我々は特異的時空間災害を究明せねばなりません」
国家安全保障会議の司会を務める大橋局長が、少々不可解な表情で明言する。
「これはある意味、何とも皮肉な話ではありますが、全世界的、全人類的な課題であるとも言えます。その意味では、米国のみならず英国、ソ連、フランス、ドイツなどの研究資源の活用は合理的であると考えられます」
「まあそこらの国々にしても、我々にはさっさと帰って欲しいだろうからな」
経産相の荻原悟がそんなことを言い、室内に幾らかの苦笑が響く。
なお彼は前任者が体調を崩してしまったこともあり、総選挙の後に入閣した人間だ。
「もっとも、元の世界への帰還は相当に難しいそうだが」
「覆水盆に返るを期待するようなもの、そう見られているのは事実です」
「まあ、そうなるか。で、研究資源を活用するために外貨を活用すればいいという話だったかな?」
「その通りです。先にお伝えしました通り、対外的な安全保障および時空間災害再発時の生産能力確保を目的として、完成品に限った大規模な工業製品輸出を実施することが検討されております。これを実施する場合、添付資料2の24ページの通り、膨大な外貨が蓄積されることが予想されます」
紙を捲る音が幾つも響く。指定されたページには、中学数学の教科書に出てきそうな単調なグラフが掲載されていた。
「かつこれら外貨は本質的価値を持ち得ません。時空間災害再発時に紙切れもしくは帳簿上の数値となるためです」
「というより、既になったよな」
誰かがそう漏らし、またも苦笑い。
実際、外貨や外国証券、その他金融商品の扱いは面倒だった。ただ放置では破産者や経営破綻する企業が続出しかねないため、時空間災害直前の時価を政府が保障する破目になっている。
「またそうした事情に加えて、各国からの輸入拡大は自給自足体制と矛盾いたします。そのため蓄積される外貨を各国研究資源への投資に振り向け、現代水準の研究能力を育成することで特異的時空間災害の早期究明を促進し、ひいては諸外国の研究資源を我が国の制御下に置くことが望ましいと判断いたしました」
「なるほど……確かにまあ、臨時政府の目論見と一致するか」
加藤はそれからううむと唸り、
「武藤君、君は確かハディントン中将と真っ先に面談を行っていたな? これで向こうも納得するかね?」
「恐らく、この程度のことは想定しているかと。赤坂に連なる者達を動かしたのも、国際的な時空間災害研究の実現可能性について探るためだったと判明しておりますし」
「そうか……ならまあ、やってみてもらうということでいいのかね」
「なお総理、臨時政府軍によるワシントンD.C.制圧が成功裏に終わったとしても、幾つかの州が連邦政府から分離し戦争を継続することも考えられます」
日下防衛相が可能性を示唆し、
「その場合、低出力核を利用した州政府の物理的抹殺が望ましいかと」
「うん、それはまあ……それがいいのだろう。ただ可能性としてはあまり高くない。大橋君、そうだな?」
「はい。既に米軍は壊滅状態であり、産業もほぼ稼働停止。市街も焼け野原。この状況で米国が降伏し、占領統治が始まった場合、市民の不満はまず間違いなく"愚かな連邦政府"に向かいます」
大橋はそう断言し、
「自衛隊や"国連軍"は非常に強力で、本当に愚かな者は無人兵器に射殺されたり失明させられたりするでしょうから、攻撃するにはあまりにもリスクが大きい。一方で連邦政府ですとか、それに連なる者達は、市民の批難や罵詈雑言に黙して耐える他ありません。つまり後者の方が圧倒的に容易であり、かつそれをもって個々人がローカルな生活空間において優位を得られる可能性が高いと判断するため、信条も正義も一切関係なく、水の流れのようにそちらに向かう。そのような状況で、しかも外部からの支援もなしに、州政府が戦争を継続というのも不可能でしょう」
「はぁ、何処かで聞いた覚えのある話だな」
加藤総理が眉を顰め、三津谷統幕長が露骨に嫌な顔をする。
国益という言葉すら批難したり、教員が自衛官や警察の子供を露骨に苛めたり、自衛官の入学を大学が拒否してしかもそれを誇ったりした時代。国家安全保障会議に出席した者は皆、その頃の狂気を大なり小なり記憶していた。
「だが、だからこそ大橋君の分析には説得力がある。では、閣議に移るとしよう」
クラーク御大の気配が多少する(と思う)第102話でした。アインズ様の方とは多分あまり関係ありません。
第103話は11月5日(木)~7日(土)辺りで更新の予定です。読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
書き始めた頃、何かの手違いでぶん殴られ、怒り狂ったオーヴァーロード集団というイメージがありました。
正直ファンの人に怒られそうですが、ある意味そんなものに近い存在になってるのでは? と改めて思い直し、登場させてみた形です。なおクラーク御大、作中世界では英本土でレーダー技師をやっているはずなので、全く対処不能の電子攻撃とほぼ予知不能の爆撃に目を白黒させ……案外何らかのステルス機構とか思い付いているのかもしれません。あと静止衛星による通信を思い付くような人なので、まさにそんなものが本当に登場して度肝を抜かれているかも?




