100. 捻じれた時空の中で
ニューメキシコ州:ヒラ国立森林公園上空
第3飛行隊所属のF-2Aが1個小隊、乱れのない編隊を組んで飛翔していく。
その長機を駆る久保田三佐は、漆黒の世界を宛てもなく眺めつつ、発端の日のことをぼんやりと思い出していた。常軌を逸脱したスクランブル、突如として現れた300ものB-29、阻止し切れなかった大空襲。それ以来、かつてと全く同じようにしか見えないが、その実何もかもが変わってしまった空を、臆することなく駆け抜けてきた。
結果、守るべき祖国は何とか窮状を脱し、人々も最低限の日常を取り戻しつつある。
(とはいえ――何なのだろうな、日本というのは)
航空ヘルメットに覆われた首を、久保田はほんの僅かに傾げる。
人によって回答は変動するかもしれないが、最大公約数的なそれは、辞書でもwikipediaでも引けば出てくるだろう。また自衛官として宣誓を行った自分にとっては、生命を賭してでもその平和と独立を守るべきものに違いない。
だが特異的時空間災害という不可解な現象は、そうした従来的観念の全てを、根本から変質させてしまった。
防大生だった頃、国家有機体説という単語を講義で聞いたことがあった。国家とは個にして全なる統一と調和を実現する高度な有機体、つまるところ生命体である。確かそんな内容だったかと思うが、日本はもはや精神的、仮想的な存在ではなく、物理学的な実体を持つ超越的生命体と考えるのが妥当なのだろう。
(空の上からは国境など見えないというが、もはや本当に見えないだけだ)
何処かの誰かの台詞を記憶に上らせつつ、久保田はそんなことを思った。
その明確な外側で軍事作戦を行っている自衛隊は、日本という生命体のどの器官に当たり、自分はどのような種類の細胞なのだろうか? 更にはあの日、何故ジブチの仲間や在外邦人が取り残され、この世界にはかつての日本人が生きているのだろうか?
疑問はとめどなく溢れ、解は一向に得られそうもない。
「ドラグーン各機、そろそろ交戦空域に到達する」
思考はライジン――長い付き合いとなっているE-767――の管制官によって中断された。
「移動中のコンボイがいるはずだ。見つけ次第叩いてくれ」
「ドラグーン01、了解」
久保田は命令を受領し、スナイパー照準装置を起動する。
「捕捉した」
索敵に要した時間はほんの僅か。米陸軍輸送科の大型トラックが結構な数、列をなして北上していた。
自衛隊は正規、臨時とも敵司令部や通信施設、兵站網を最優先で撃滅しているが、それでも時折、取りこぼしが出たりもする。機甲部隊がテキサス州まで突破するに当たって、それらを徹底して掃除する必要性が生じていた。
「攻撃を許可する。学習能力皆無な奴等を吹き飛ばしてやれ」
「了解。これより攻撃を開始する、各機続け」
発令と同時に三舵を操作し、愛機と列機を爆撃航程へと乗せていく。
恐らく敵車列の指揮官は、夜間移動であれば被害局限が可能だと信じているのだろう。それはこの時代の人間としては常識的な判断で、決して無能がためではない。情報をまともに持ち帰ることもままならず、集約されたそれを分析する者達も既に瓦礫の下とあっては、前動続行する他ないというだけだ。
「学習能力か」
LJDAM対応のMk.82航空爆弾をリリースする直前、久保田はふと呟いた。
ライジンの言葉とは裏腹に、敵は十分な学習能力を有しているに違いなかった。また自分達が最もそれを警戒しているからこそ、あらゆる手段を駆使して発揮できなくしているのだ。
そして車列中央で爆発が巻き起こった瞬間、久保田の脳裏に何かが引っ掛かった。
メリーランド州ロックヴィル:住宅街
「もしや、ハミルトン大先生ではありませんか?」
公園でサンドウィッチを食していたところ、唐突に声をかけられた。
これまで数多くのSF小説を執筆し、政府のアレクサンドロス人調査委員会の一員ともなっているエドモンド・ハミルトン。彼が声の方へと視線を向けると、そこには30歳手前ほどと思しき警官が立っていて、顏を無邪気に綻ばせていた。
「ハイスクールの頃からのファンなもので」
「おお、嬉しいじゃないか」
ハミルトンもまた相好を崩し、昼食を摂りながらあれこれと話していく。
とはいえどうしても、話題は戦争絡みに移ってしまう。未知の超兵器を得た日本との戦争という、"ウィアード・テイルズ"よりも奇怪な現実があるためだ。少し前にフィラデルフィアが焼け野原になった件や、ゴロツキ連中がスパイ狩りと称して起こしている無数の暴行・殺人事件等と、何かと陰惨な話ばかりが出てくる。
ついでに最近貧相なサンドウィッチしか売られなくなったことも、極端な戦局悪化と無関係ではない。
「ずばり、大先生はこの戦争をどう見ておりますか?」
「あまり大きな声では話せないが、見通しは相当に厳しい」
「……やはりそうなりますか」
「ああ。アレクサンドロス人というのが何者であれ、超兵器だけは疑いようもなく存在しているからな」
ハミルトンは苦しげに言い、警官もまた表情を暗くさせる。
アレクサンドロス人は全く出鱈目な欺瞞情報で、本当にやってきているのは未来人。そういう説も英国筋から出てきてもいて、そちらの方が個人的には妥当なのではないかと思えてきてもいる。とはいえそのどちらが正しかったとしても、祖国の窮状は変わりはしないだろう。
「ただ、最近本当に思うことがある」
ハミルトンは少し遠い目をし、
「もしかすると我々は、本当に実験室の宇宙にいるのではないかとね。実験室にいる超越的な何者かが、未来の日本を切り取って現在に貼り付けるような悪ふざけをした結果、世の中が狂い始めてしまったとかな」
「大先生の作品にありましたね」
「ああ。その本質的、根源的な恐ろしさに比べると……この無茶苦茶な戦争すら、児戯にも等しいものかもしれない」
東京都千代田区:首相官邸
「武藤さん、お疲れ様です」
「ああ、少しばかり疲労困憊だよ」
相変わらず総理補佐官と災害対策担当大臣を二足草鞋の武藤は、飯田経済班長の労いにそう応じた。
戦争も終盤に近いという雰囲気で、対策本部での議論も戦勝後を見越したものが多くなってきている。ただ微妙に頭痛の種となっているのが、ここへ来て対策本部メンバーたる教授や准教授、更には学術界全体が、凄まじい騒ぎになっていることだった。
端的に言うならば、来年度を待たずして急拡大しそうな予算とポストを巡っての乱闘が始まっているのだ。
「安全保障名目で予算を取って好き放題やる例は、古今東西数多あると聞くが……」
己がデスクへと戻った武藤は、置いてあった不気味な清涼飲料水を一口飲み、
「特異的時空間災害研究でもまあ、似たようなものだろうな」
「学者という生き物は、本来それくらいの勢いがある方が健全でしょう」
飯田はそう言って苦笑しつつ、少しばかり怪訝そうな顔を浮かべる。
「とはいえ実際には、より扱いが大変かもしれませんね。確かに国家物体説やその発展形たる国家超知性体説なんてものも出てきましたが、あくまで仮説でしかありませんし、それがどう作用して特異的時空間災害に繋がったのかは全く不明。となると少しでも原因の解明に寄与する可能性のあるなら、無視することはできない……そういった話にもなります」
「いや実際、その通りになりつつあるよ」
「やはりそうなりますか」
「しかも国家や国土の政治的状態が、一般物体にとっての密度や温度のようなパラメータに該当するともなると、哲学や言語学といった分野ですら特異的時空間災害と全く無関係とは言い切れない。とすると実質的には超広範な基礎研究投資とならざるを得ず、災害の性質からして短期的な成果を望むべくもないのは明白。底なし沼を札束で埋め立てる覚悟が必要になる」
「とはいえ特異的時空間災害研究を放棄するという選択肢はあり得ませんからね……そうした超広範な基礎研究投資を産業の国内完結・自給自足化と並行してやらなければならないとなると、経済的には今後も厳しい見通しとなりそうです」
「対外的には幾らでも稼ぐ方法はあるとしても、正直ソ連みたいになりそうだという気もしてくるよ。無論のこと、我々の元居た世界のソ連の話だが……」
そんなことを言い掛けていると、唐突にスマートフォンが唸った。
電子メールを受信したのだ。振動のパターンは特定人物に対応するものではなかったが、幾つかの重要な公的機関には対応したもので、すぐさま懐より取り出して差出人と件名を確認する。
その結果、武藤は相応の驚きに見舞われた。
「どうかなさいましたか?」
「ん、ああ……臨時アメリカ陸軍のハディントン中将が、面会希望とのことだ」
東京都福生市:横田基地
「大部分の日本人にとって、この戦争は巨大な祭と認識されていたのでしょう」
そうした内容の説明が、ビデオ通話装置越しになされていた。
臨時国防長官にして統合参謀本部議長たるファーゴ中将は、違和感と苛立ちを覚えて眉を顰める。現在進行形の慈悲も容赦も止めようもない戦争をして、祭と表現するとは何事か。
「無論、この言葉が様々な意味で適切でないのは言うまでもありません」
話者たる陸軍のハディントン中将は釈明し、
「しかし日本語の祭という言葉には、特定の方向性を有した病的熱狂に包まれた状態という意味がございます。一切の躊躇いもなく、ありとあらゆる手段を用い、国民全員で一心不乱に遂行する大戦争。それに邁進する日本世論を、これ以上的確に表現する言葉もないのもまた事実と考えられます。そして祭の最高潮は、同時に祭の終わりを印象付けます。各種世論調査結果や先般の総理大臣談話を鑑みますと、明確にここに達した、あるいは経過したと言えるでしょう」
「チャーリー、つまるところ何が言いたいのだ?」
海軍を代表するトロスト中将が、表情を曇らせながら尋ねる。
「どちらにしても、我々がホワイトハウスを急襲せねばならぬのは変わらんだろう? 確かに日本の世論がその通りであるならば、作戦に対する協力も多少期待できるかもしれないが……以前君が言っていたことと思うが、今の日本は騎馬民族さながらに、戦略資源や食糧の短期的収奪以外の一切を考慮しない戦争を行っている」
「世論的変動の結果、そこに修正の余地が生じました」
「どういうことだ?」
「結局のところ今後も、2つの時代が強引に接合された、不安定極まりない世界を生きていかねばならない。時空間災害の原因が究明されないことには、誰であれ根源的な安心を得ることはできない。至極当然の話ですが、"祭"が終わろうとする中、急速にそう認識され始めています」
その真剣な訴えに、ファーゴもまたある事実を思い出す。
日本の恐るべき総力戦体制は、災害対策の名の下に構築されたものに違いなかった。戦争もまた時空間災害の一環であり、戦争目的を完全に達成したとしても、直近の最重要課題が片付いたに過ぎないのだ。
「本件はそれを前提とした提案になります。ともかくもこちらをご覧ください」
ハディントンはそう言うや否や、画像ファイルを幾つか送って寄越した。
間を置かず展開。ずらりと賢者の顔が並び、ファーゴもすぐさま如何なるものか理解した。ハーバード大学やカリフォルニア大学バークレー校、シカゴ大学といった名門校出身の、ノーベル賞に輝いた科学者の一覧に違いなかった。
「なるほど……つまり解はここにあるという訳か」
ファーゴは右の人差し指で自分の頭を指し、ハディントンが物悲しそうに肯く。
「確かに我が国は、これまで多くの優秀な頭脳を輩出し、世界の科学をリードしてきた。そうした研究の成果を日本は得ているとしても、それら有為な人材を生み出すシステムは、時空間災害を究明する上で活用し得るか」
「その通りです。であれば戦後、合衆国の学術基盤を日本政府の求める研究へ全面的に協力させるという条件をもって、曾祖父達の完全な破局の回避を、降伏条件の緩和や市街地攻撃の停止等を提案することも可能となります。将来の頭脳の喪失、時空間災害究明の遅滞は、彼等にとっても大きな損失となり得る。そうした利害損得に活路を見出す他ありません。また恐らくは……純粋なる無条件降伏と比べれば、トルーマン政権としても受け入れ易いでしょう」
「自衛隊は政経中枢爆撃とやらで、大学や研究機関を集中攻撃していたと思うが……」
トロストが疑問を呈した。それは全くの事実に違いなかった。
だが彼もまた発言の直後に何か確信を得たようで、否定的な色が急速に薄れていく。
「ああ、価値を理解しているからこそ先手必勝で叩き潰したとも言えるか。本来の太平洋戦争において、我が軍は日本の戦争遂行能力を破壊せんとしたが、その能力を評価してもいたが故に戦後復興にも協力した。それと同じことだ」
「まさしく。かつ爆撃をもってしても、教授や学生を全滅させられる訳ではありません。再建は可能です」
「未来を対価に安寧を得ようとする。常識的に考えれば、最悪の選択肢だ」
ファーゴは画面上に並んだ賢者達の肖像を改めて眺め、大きく溜息をつく。
ファインマンやフェルミなど、この世界では既に死亡してしまった者もあった。永久に生まれてこない者、本来とは異なる運命を辿らざるを得ないであろう者も、相当な数になるだろうと思えた。それらが無言の抗議を、ファーゴは黙して受け止める。
「とはいえ常識など元の世界と一緒に消し飛んでしまったし、他に犠牲を低減させる方法も思い付かん。であればその案で行く他なかろうな。チャーリー、この件について日本政府との調整を頼む。大方既に連絡を取っているのだろう、どうにか説得してみてくれ」
「了解いたしました」
新章突入で、記念すべき第100話となりました。終局に向けて様々なものが動き出します。
第101話は10月22日(木)~24日(土)辺りで更新の予定です。読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
2度目(1度目は明確に名前を出しておりませんが)のハミルトン大先生登場です。
本作も国家規模のタイムスリップという題材を扱っており、大元の『タイムスリップ大戦争』は地学的なエネルギーによってタイムスリップが起こる形となっておりますが、同系統の幾つかの作品に、大威力兵器や小惑星衝突のエネルギーによってそれが起こるというパターンもあります。その源流は超原爆によって街が100万年後の地球にタイムスリップしてしまう『時果つるところ』なのかな? と思っていたり。
もっとも『時果つるところ』は1950年の作品ですので、作中の時間軸には影も形もありませんが、もしかするとその辺りのアイデアは1945年段階でも幾らかはあったかもしれません。
そして臨時アメリカ合衆国軍(在日米軍)の将官達もまた、最後の賭けに出ます。
とんでもないものを取引材料にしてしまってもいますが、一方で日本側も短期的目標を達成した後に残る長期的課題を認識し始めており、そこに賭ける形となります。その行く末にもご注目いただければ幸いです。




