7月(2)一目惚れ
お待たせしました。
新キャラです(´・ω・`)
「すみません。突然お邪魔してしまって……」
薦野柚は萎縮した様子で正座をしていた。
対面するのは伊沢穂奈美と大原慎治である。
二人は今、半同棲状態になっていた。
「えっと、柚? そんなに恐縮しないでいいから」
「ああああああ、でもでも、もうすぐ結婚する男女の家にお邪魔するとか、迷惑っち自覚しとっちゃ!」
両手で顔を覆う柚に、穂奈美は大原と顔を見合わせてため息をついた。
彼女は穂奈美の母方の従姉妹である。
実家は母屋こそ高台にあったので豪雨の被害に遭わなかったが、納屋や農地は軒並み水浸しで、甚大な被害を受けていた。
「柚も疲れたやろ? あげな大変な目に遭ったっちゃけん、しばらくはうちでゆっくりしとけばよかよ」
相手が方言なのもあって、穂奈美もついつい地元の言葉を話してしまう。
大原は少し新鮮に思ったがそれを指摘すると絶対にいつもの話し方に戻るので黙っていることにした。
ちなみに柚の実家がある朝倉方面と穂奈美の実家がある福岡市内とでは、言葉遣いが少し違う。穂奈美の方が純粋な博多弁に近いが、柚の方は筑後とも筑豊ともわからない混ざり合った方言だ。どこの都道府県であろうと、やはり地域差というものはあるものだ。
「おじさんとおばさんは元気?」
「うん……流されたとは畑だけやけんね。ねえ、ほな姉?」
「久しぶりに聞いたわ、その呼び方」
穂奈美はくすくす笑った。
柚は小さく息をついて尋ねる。
「うちもね、世話んなるとに遊んでられんち考えとる。なんでもよか。仕事ばせなっち」
「別にそれはいいけど……」
しかし、福岡のしかも田舎の方である朝倉出身の柚が果たして東京で仕事ができるものかどうか。穂奈美には疑わしく感じられた。尋ねてみると自分のスキルが活かせる場所がいいと言う。
「柚って確か去年まで高校生やったっけ?」
「うん。食農科」
朝倉から久留米にかけての一帯は福岡県内有数の水田地帯でもあり、同時に畑作も盛んである。土地柄、農業高校も統廃合をしてはいるがいくつかある。とくに柚は実家が農家ということもあってそちらの道に進んだ。
一応は普通科もある高校だが、食農科に在籍した。
「家のことはどげん考えとうと?」
「お父さんとお母さんは数年は畑もでけんち。でも、いつかはお婿さんもらわないけんやろ?」
「家ば継ぐとならそれでもよかばってん……」
柚の実家は畑作農家ではあるが、水田も多くある。大半が人に貸している農地で、実際にやっているのは畑作だけだ。単純に手が回らないからだ。
それに、畑作とはいっても、農協の委託で大豆の生産をしていた。今はそれも全て流されてしまった。
土地はあっても広すぎて手が足りないとは、莞爾が聞けば羨ましい状況だが、各農家の悩みも千差万別である。
「お父さんもね、うちが後継ぐなら他所で数年やってこいっち。家におったら甘えるとか言われたっちゃが!」
「まあ、意気込みはともかく、間違っとらんたい」
「ほな姉まで!」
穂奈美からすれば、叔母夫妻の気持ちがわからないでもなかった。
ただまあたった一人の愛娘をそんなに簡単に他所に預けてよいのかとも思うが、そこは親として涙を偲んで厳しくするつもりなのだろう。
確かに、農家といえども外の世界を知っているのと知らないのとでは全然違うだろう。
叔母夫妻はまだ四十代前半だし、柚に急いで後を継いで欲しいというわけでもないだろうとは思ったが、かといって穂奈美も愛娘を預かった手前どこそこに押しやっては信用問題にもなりかねない。責任がある。
大原がようやく口を挟んだ。
「佐伯のところが人手不足だって言ってただろう? 住み込みで雇ってもらうってのはどうかな?」
「莞爾くんのところ?」
「ああ。新婚だし、若くて可愛い女の子がいても手を出すなんてしないだろうし」
「いや、莞爾くんは仮に独身でもそんなことしないぐらいには堅物よ……」
クリスと結ばれるまでの長さを知っているからこそ、穂奈美は苦い顔で答えた。
思わず勘違いしてしまいそうになった大原だが、今更嫉妬するようなこともない。穂奈美から莞爾とクリスの経緯をある程度は聞いているから、なるほどと頷いた。それよりもすっかり大原との生活を楽しんでいる穂奈美を知っているから、というのもあるかもしれない。
いやはや、男とはかくも女々しいのが普通である。
***
『――というわけで、わたしの従姉妹なんだけど、雇用できる?』
次のクリスの検診という名目で電話をかけてきたくせに、話が終わって切ろうとした途端にそんなことを言われた。莞爾は首を傾げつつ穂奈美から聞いた話を考えた。
昼の素麺を伊東家で食べたあとだ。
クリスとスミ江は一緒に後片付けをしている。嗣郎は相変わらずで、平太は食べ終わると同時に仕事に戻ってしまった。
最近は平太も仕事をすっかり覚えて一人で任せられるようにもなってきたから一安心だ。
「住み込みって、うちにか?」
『まあ、信頼できる家庭に預けるのはわたしの責任でもあるし』
「そりゃあこっちとしては猫の手も借りたい状況だから助かるけど、他所のお嬢さんを預かるんだから、親御さんはどう考えてるんだ?」
『その子ね、柚って言うんだけど、本人は家を継ぐ気満々なのよ』
「それで?」
『でも、それなのに水害に遭ったからしばらく他所に行けってのもなんかおかしいなと思って』
穂奈美は薦野夫妻にこっそりと連絡をとって真意を問いただしたのだと言う。
非常に回りくどい話だったそうだが、要約すると無理に継いでもらうつもりはないらしい。
『他所のやり方を覚えて来いってのは本当みたい。でも、復興まではかなり時間がかかるって言ってたし、うちの父が今朝倉に出向してるんだけど、そっちの話でも当分は無理だろうって。それにね、叔母夫妻は柚を農業の道に進ませたことをちょっと後悔してるっていうか、それもまた違うらしいんだけど、ええっと、そう、不憫に思ってる節があるのよね。自分のしたいことも我慢して一生懸命勉強してたらしいし、高校卒業して家にいたけど、もう少し外の世界を知って遊んでもいいんじゃないかって。休日は家の手伝いで友達と遊びに行ったことなんて片手で足りるくらいらしいわよ』
そこまで言われると確かに不憫と思わなくもない。だが、言ってしまえば家族経営の農家にとっては普通でもある。莞爾も十代の頃はそういう生活をしていた。
「うちで働きたいなら別に構わないけど、問題は住み込みだな。女の子だし……」
いっそ四畳半ほどのプレハブでも設置しようか、と考えてみる。
設置するだけならそこまで高くもないが、安い金額でもない。新しく増築するよりも安いのは確かだが。
聞けば、薦野柚という女の子は働き者だそうだ。
熱意もある。ならば是非とも即戦力として雇いたいところだが、些か弊害がある。
しかし、部屋を用意するだけならば一年も働いてもらえば元は取れるとも思える。
「ひとまず相談してみるよ。俺だけで決められることでもないし」
『そうね。クリスちゃんにもよろしく伝えておいて』
「あ、親御さんの連絡先をメールしておいてくれ」
『りょーかいりょーかいっと』
電話を切ったあとで、莞爾は孝一の作成した会計資料をざっと見通して、雇用と資本のバランスとを吟味する。
現状から考えると、金食い虫である人件費が増えるのは頭が痛い。けれども、今の人手の数で全体の業務が滞りなく行えるかと言えばそれは難しい。
実際、莞爾と平太は日中のほとんどを農作業に従事しているし、嗣郎や孝介の年配者には監督的立場で時間を割いてもらっている。孝一も会計業務だけではなく農作業に駆り出されるのだから、すでに人的資本は限界を超えているとも言える。
おまけに莞爾は社長でもあるから、現場の仕事をこなしながら、今後の展望を含めた企業的決断を迫られることもあり、そういう意味では一番忙しい。
莞爾は皿洗いをしているクリスの後ろ姿に話しかける。スミ江はどこかへ行ってしまったようだった。
「なあ、クリス。穂奈美から住み込みで人を雇わないかって話があるんだけど、どう思う?」
するとクリスは手を動かしながら首を傾げる。
「ホナミ殿から?」
「ああ。まあ、実際人が足りないのは本当だからなあ。ただ、その子が今年十九歳の女の子ってのが問題なんだよ」
「ふむ。実際的にわたしと同じ年齢というわけか」
少し考え込んでいたクリスだったが、振り向いて言う。
「別にいいのではないか?」
「本当にいいのか? 家の中に赤の他人が来るんだぞ? どんな人間かもわからないし」
「ホナミ殿の推薦なのだろう? 世話になった人の顔を潰す真似などするものか」
それは常識人であれば確かにその通りだが、非常識な人間はいるものだ。その手の不安は莞爾の方が強い。
かつて留学生を雇ったこともあるから、余計にそう感じるのかもしれない。
「まあ、あいつの従姉妹らしいけど」
「ならば一層気にする必要もないではないか」
きょとんとしているクリスを見ていると、莞爾はやっぱり育った環境が違うんだなと思ってしまう。
結婚して、妊娠までさせておいて今更だが、やはりクリスの価値観の根底には確固たる「一族としての面子」というものがあるように思えてならない。
それは彼女の抱く誇りとしてもそうだし、彼女が他者を観るときにあって当然とする節からも明らかだ。
今のところ、そういった考え方が弊害をもたらしているわけではないが、莞爾としては自分たちが住まうような「田舎」にクリスが転移してきたことを、どこか天の配剤のように思ってしまう。
「どうしたのだ? 変な顔をして」
「いや、なんでもない。ちょっと孝一兄さんに相談してくる」
首を傾げるクリスをおいて、莞爾はつっかけをはいて孝一のいる由井家へと向かった。
***
平太は呆然としていた。
昨日のうちに莞爾から「明日から新入社員が来る」と聞いてはいたが、まさか同じ年齢の女の子が来るとは思ってもみなかった。
彼としても同期が出来ることは嬉しいことでもある。一応は二年の契約らしいが、平太にはよくわからないし気にもしていない。
だが、突然やってきた同期が自分よりもはるかに優秀で、かつ莞爾や嗣郎の細かい話も十全に理解し、納屋にある様々な器具を「このタイプは初めて見ました」などと独特の九州訛りで言っておきながら、平然と使いこなす様子を見ていると、明らかに「負けた」と思えた。
男だから、女だから。そんな考えを若い平太は持ち合わせていない。
純粋にライバルが出現したと思った。
しかし、難儀なものである。
突然現れた薦野柚という女の子は、垢抜けない顔つきでありながら、うっすらと化粧を施しており、少し日に灼けた肌が健康的で、利発そうな笑顔とあどけない瞳で平太の心を鷲づかみにしてしまった。
「えっと、薦野さん?」
「うちのことなら柚でよかよ。うちも平太くんって呼んでよか?」
「う、うん。わかった。そうする」
「平太くん」
「な、何!?」
「そこ、間違ってる」
「うわっ! マジだ! ごめん!」
「あはは、そそっかしいんやね」
平太は顔を真っ赤にしていた。
そんな新入社員二人を遠くから眺める莞爾と嗣郎はニヤニヤとしていた。
そこに菜摘が差し入れを持ってやってきた。
冷たい麦茶の入った水筒を受け取った莞爾だったが、菜摘の視線に気づいて問いかける。
「薦野柚さんって言うんだ。今日からうちに住み込みで働いてもらうことになったんだよ」
「ふーん。柚お姉ちゃんって呼んでもいいかな?」
「たぶんいいと思うけど」
菜摘と年が近い女の子がいたら彼女にとってもいいことなのだろうとは思うが、それは難しいなと莞爾は苦笑いを浮かべた。
ふいに、菜摘は平太と柚の方に駆け出した。
遠目から見ていると、どうやら柚に自己紹介をしているように見えた。
だが、平太は菜摘よりも柚の仕草に見入っていて明らかに動揺しているのがわかった。
次の瞬間。
平太は菜摘からパンチされていた。
「平太お兄ちゃんのバーカ!」
尻餅をつく平太は菜摘の言動に戸惑いながら走り去っていく彼女の後ろ姿を眺めていた。
莞爾と嗣郎は顔を見合わせてやれやれと肩を竦めた。
「先が思いやられるのう」
「まあ、菜摘ちゃんは小学生ですし、子どもらしいといえば、まあ」
仕事が終わったあとで、莞爾は平太を呼び出して薦野柚について説明した。
彼女が実家の農家を継ぐ一人娘だと教えると、平太は平静を装った顔で「へえ、そうなんだ」と答えていたが、莞爾が「変なこと考えるなよ」と釘を刺すと明らかに動揺した。
「なんだよ、変なことって!」
「いや、お前一目惚れしただろ」
「ばっ……してねえし! 普通だし! 同僚だし!」
「……クリスに握手を求めたときとは大違いだな」
平太は顔を真っ赤にして叫んだ。
***
「すみません。妊婦さんを働かせてしまって……」
柚は使い勝手のわからない佐伯家の土間で右往左往していた。
食事の準備に関しては手伝わなくていいとクリスが伝えたはずなのだが、柚がそれは悪いからと手伝おうとしてこのざまである。
柚としても、穂奈美たちがまもなく結婚だというのに、雇ってくれた場所が新婚家庭だとは色々と考えてしまう。
実家が農家であるから、規模と内容を見ればどれほどの粗利があるのかも想像がつく。
よくもまあ自分を雇ってくれたものだと柚は感謝していた。一方で、莞爾は別に義理や同情で雇ったわけではないというのだから、何かしら思い切った判断があったのだろうとも思う。
「住み込みって言っても、まあ社員寮みたいなものだと思ってくれればいいのに」
土間の冷蔵庫からビールを取り出した莞爾がそんなことを言った。
すると柚は首を横に振る。
「お世話になる以上はお手伝いできることはします」
「働き者だねえ」
莞爾は苦笑する。柚の口調が九州訛りなこともあって、どこか大学時代の穂奈美を彷彿とさせた。
「初日の感想はどう?」
柚はクリスから頼まれてネギを刻みながら答えた。
「多品目栽培は忙しいなって……えっと、仕事がじゃなくて、覚えるのが大変だなって思いました」
頷いて、莞爾はビールを飲む。
「明日の昼にはプレハブが届くから、申し訳ないけど今日までは座敷で寝てもらうから」
「プレハブ?」
「そう。四畳半しかないけど、ちゃんと配線繋げるから電気の心配はないかな。勝手口のところに置くから、トイレだけは母屋に移動しなきゃだけど」
「それは構いませんけど……えっと」
「環境はちゃんと準備するから、何か生活に必要なものがあったら遠慮せずに言ってくれよ?」
わざわざ自分用に部屋を用意してくれるのは嬉しいが、まさかそんなお金のかかる手段を用意されるとは柚も思わなかった。
莞爾からしてみれば、設置費用はそれほど高くないし、一年も働いてもらえば元はとれると踏んでいた。今日の彼女の働きぶりからしても、非常に満足していた。
慣れない部分はあったし、注意することもあったが、それでも即戦力になるという実感があったのだ。
柚としても、新婚夫婦のいる母屋から離れられるのであれば、それはそれでいい気がする。お互いのプライベートが守られるのだから、甘えてもいいかと思えた。
そも莞爾の対応自体がどこか農家離れしているようにも感じた柚である。
「頑張ります!」
「よろしく頼むよ」
黙々と料理をしていたクリスをちらりと見ると、それに気づいたクリスが顔をあげる。
「どうかしたか?」
「い、いえ……その、なんでもありません」
「ふむん?」
不思議そうに小首をかしげるクリスを見て、柚はその愛らしさに胸が高鳴った。
整った顔立ちもそうだが、くりっとした瞳に、鼻筋は通っており、なんというか全体的な造形が綺麗すぎる。
それに細い金髪は見るからにサラサラとしていて、肉付きも柔らかそうでいて健康的な活発さが見てとれる。まず間違いなく自分の実家がある地域にはいないだろう美人だ。いや、そもそも外国人そのものがほとんどいないのだが。
最初にクリスを見たときは驚いたものだ。
まさか社長夫人が外国人だとは予想外すぎた。
おまけに普通に意思疎通ができるとはいえ口調がおかしい。
だが、クリスの雰囲気から不自然ではなかった。
どこか堂々としている。見た目のかわいらしさや美しさとは正反対の、どこか慄然とさせる内面が隠れているような錯覚を抱いた。
「ユズ?」
「あっ、はい!」
あんまり見ていたからだろうか。クリスは怪訝な――むしろ恥ずかしそうな表情で尋ねる。
「その、そんなに見られると少し恥ずかしいぞ。何かわたしの顔についているか?」
「い、いえっ! そんなことは……その、クリスさんはお綺麗だなあと」
「むっ……あ、ありがとう」
薦野さんも結構かわいい部類だけどなあ、と莞爾は二人の様子を後ろから眺めている。
思い出すのは昼間の平太である。あれはもはや疑いようがない。
互いの事情を知っているせいで、なんとも残念な気持ちを抱いてしまう。
だが、最初から平太の嫁候補と思って雇ったわけでなし。いずれは世話を焼くのもやぶさかではないが、それは決して〝今〟ではない。
せめて柚が次女で跡継ぎでなければ希望があっただろうに、と思いつつ、それはそれでなんとも時代遅れな感覚に思えてしまう。
だが、それはサラリーマンをしていたから感じる一観点であって、言ってしまえば実情を知らない外野の戯言でしかない。
そう思う一方で「先祖代々の」という枕詞を守っていくために莞爾自身がどうしていくべきなのか、それもいまいち掴めないでいる。
特段「家」というものにこだわりがあるわけでもない。
あくまでも自分のルーツに対する観念的な価値に縛られているだけなのかもしれない。
けれど、それを無視して捨て去るのもなんだか違う。
あたふたとしながら料理を手伝っている柚を見ていると、十代の女の子が実家を継ぐためとはいえ、農業の世界に足を踏み入れたことに、莞爾は他人事ではない複雑な親近感を抱いてしまう。
「薦野さんはさ、どうして実家を継ごうと思ったんだ?」
ふと尋ねると、柚は不思議そうに首を傾げて、それから質問の意図を見つけたように口を開いた。
「理由はとくにないです。それが理由みたいなもんですかね」
「理由がないのが理由?」
「説明しにくいんですけど、うちって……あ、えっと、わたしは――」
「そこまで気にしなくていいよ」
「あ、すみません」と柚は苦笑いを浮かべて続けた。
「簡単に言うと一人娘の宿命かなあち思うとですよ」
「まあ、気持ちはわかるけどね」
今度は莞爾が苦笑いを浮かべた。
莞爾も十代の頃はそう思っていたし、父親から「農家を継ぐ必要はない」と言われたことがショックにさえ感じたものだ。
二人の料理の進み具合を見て、莞爾は立ち上がると棚から食器類を取り出し始めた。
すると柚は声にこそ出さなかったがかなり驚いていた。
実家の父親の亭主関白ぶりを知っているからこそ、莞爾の行動が意外だった。
こっそりとクリスに尋ねる。
「社長っていつもあんな風なんですか?」
「あんな風?」
首を傾げるクリスに柚は言葉を選びつつ言い直す。
「えっと、いつも家事のお手伝いを?」
「ふむ……わたしは手伝わなくていいと言っているのだがな。妊娠を機に一層ひどくなったぞ」
「ひどく?」
「うむ。何かにつけて心配ばかりされてしまって仕事にならんのだ」
どこか憤慨した様子のクリスを見て、柚はわけが分からなくなった。
普通そこは優しい夫だと自慢してもいいところでは、と思った。
ところがクリスは続けて言う。
「せめて薪割りぐらいは許してくれてもいいと思うのだ。身体が鈍ってしまってかなわぬ」
「えっと、クリスさんって妊婦ですよね?」
「うむ。もう安定期というやつらしいから、大丈夫なはずなのだ」
「えー……」
困惑する柚であった。
皿を並べたくらいで優しい夫扱いされる莞爾も、話を聞けば首を傾げるだろう。
***
なし崩し的に一番風呂をもらったあとで、柚は母屋の外に出て実家に電話をかけた。
出たのは母親だったが、口ぶりから柚のことを心配していた様子がわかった。
『そっちはどげんね?』
「やっぱり所変われば品変わるち思った」
『そりゃそうたい。佐伯さんって人はどげな?』
「社長はね、なんていうか……爪の垢を煎じてお父さんに飲ませたいぐらい優しかね」
母は電話口で笑い声をあげた。
今日一日の出来事を話していると、母は相槌を打ちながら楽しそうに聞いていたが、柚に注意をするように言った。
『佐伯さんね、お宅の娘さんを預かる以上は責任を持ちますからっち、あんたのことであれやらこれやら骨ば折ってくれとるみたいやし、一生懸命やらないけんよ? 奥さんにもよろしくねえ』
「わかっとう!」
『そう? お父さんは娘ば甘やかさんでくれっち言いよったけど』
「それは心配せんでよかっち。社長は優しいけど、仕事には厳しかもん」
『なら安心たい』
「なんがね! 家でも厳しいお父さんより百倍マシやが」
すると母は呆れた口調で言った。
『なんば言いよっとね。どこに出しても恥かかんようにやろ? お父さんね、あげんしとうけど、あんたのこと一番心配しとっちゃが。あんたば空港で送り出したあとやらもう泣きそうな顔しとったっちゃが』
「嘘やろ? お父さんが?」
『あんたのアルバム引っ張り出して眺めるぐらいには寂しかごたあ』
妙に気恥ずかしくなって、柚は沈黙した。
すると母はどこか優しい口調でつぶやくように言った。
『親っちゃそげなもんたい』
うん、と柚は聞こえるか聞こえないかの小さな声で頷いた。
『頑張りんしゃいよ』
「うん。ありがと」
電話を切る。
すっかり暗くなった夜空には田舎らしい満点の星空が広がっている。
しばらくぼうっとしていた柚だが、ふいに両手で自分の頬をぱちんと叩いた。
「よしっ!」
意気に満ちて、柚は新天地での覚悟を決めた。
朝倉方面の方言はいまいちわからない。久留米ともまたちょっと違うし、筑豊ともまた違う。
エセ筑後弁になってしまった感。
※復興も進んでおりますが、なおのこと応援する所存(´・ω・`)




