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俺んちに来た女騎士と田舎暮らしすることになった件  作者: 裂田(伊織)
第三章

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  閑話 天才魔導師の告白

お待たせしました。

二話連続で異世界編です。

「馭者の真似事をしたのは初めてだ」


 バルトロメウスは呆れた口調とは裏腹に、どこか楽しそうな声色で言った。


 馬車は揺れる。


 王都を出立してから早一週間。

 いくつかの町村を経由して、ようやくモザンゲート砦まであと一歩というところ。


 ルイーゼは初めてだという長旅で思いのほか疲れてしまったようで、三日目からはバルトロメウスの膝の上が定位置になってしまった。

 そして、馬車が走る間は彼の背中を枕に船を漕ぐ。


「まったく、嫁入り前だというのに、些か不用心にもほどがある」


 ぼやくバルトロメウスだが、安心しきった顔で眠るルイーゼを見ると、つい頬が緩む。

 憎めない奴だ――彼は小さく息をついた。


 だが、今はぐっすりと眠っているルイーゼも、敵が出てくれば飛び起きる。

 彼女はどれほど熟睡しているように見えても、魔物の気配に敏感だった。

 それはバルトロメウスよりも鋭く、そして正確だった。


 彼女は敵の存在に気づくと、むにゃむにゃと目元を擦りながら的確に敵の位置を彼に告げる。

 それにはさすがのバルトロメウスも舌を巻いた。


「右前方、六十秒ほどで接敵――ゴブリンですね」


 そんな風に言って大きなあくびを漏らす。

 暢気なものだと驚くばかりだが、「王国の英雄と一緒なのですよ? どこに心配があるんですか」と言われては、こそばゆいが「それもそうだな」と頷くしかない。


 それだけの自負は彼にもある。


 よもや婚約者の期待に応えないわけにもいかない。


 敵が見えれば、バルトロメウスは馬車に積んだナイフの束を持ち出して、座ったまま的確に魔物の額に投擲する。


 ルイーゼは感心したように褒めてくれたが、バルトロメウスからすれば「クリスの方が上手」といった程度の技術だ。


「もうじき最果ての町だが……」


 そろそろ魔物も出てこないだろう。

 魔物とて馬鹿ではない。


 人が多い町や村の近くでは人を襲わない。

 彼らは集団の力がどれほど恐ろしいかをよく知っている。


 それぐらいの知能はある。

 そして、強者と出会い、逃げられないとわかれば敵わないと知っていても向かってくる。


 数回はバルトロメウスが精霊を使役して威嚇することで追い払ったが、町村から離れると中々使えない。


 というのも、弱い魔物は総じて強い魔力反応を恐れて逃げ出すが、強い魔物は逆に寄ってくる。


「うにゃ……バルトロメウス様?」

「起きたか」


 ルイーゼはうんと両手を伸ばして小さく息をつく。


「ふわぁ。よく眠れました」

「……そうか」


 彼女の寝ている間ずっと馭者をしていたバルトロメウスは、彼女のつむじを少し睨んだが、別段怒るようなこともなかった。

 そもそも体力が違う。


「お任せしきりですみません」

「構わん。馬の扱い方も知らぬであろう?」

「えへへ……」


 笑ってごまかすルイーゼだったが、そんなことは彼もずっと前から知っている。

 何せ日頃から研究ばかりで外に出ないのだから。


「やっぱりバルトロメウス様に触れていると落ち着きますね」

「二人きりとはいえ、今だ婚約の仲なのだ。もう少し控えた方がよかろう」

「バルトロメウス様は、ボクと触れ合うのはお嫌いですか?」


 振り返ってつぶらな瞳を向けられて、バルトロメウスは珍しく顔を赤くした。


「そ、そういうわけではない。あまりお主の両親に心配させたくないのだ」

「えへへ、知ってますよ?」

「ならば――」

「だから、少しだけです」


 小さな体で大人ぶるルイーゼも、今ばかりはバルトロメウスに甘えていた。

 王都にいてはこんなに密着することもできない。今がチャンスだと思ったのだろう。

 案外乙女なところもあるのだ。


 バルトロメウスは黙り込んで、小さく息を吐いたかと思うと言った。


「もうすぐ街につく」

「わかってますよ……もうっ」


 ルイーゼはようやく彼の膝の上から降りた。少しだけ拗ねていたが。



 ***



 翌日。


 馬車を宿屋に預け、切り離した馬に騎乗して出立した。


 バルトロメウスは前にルイーゼを乗せて二人乗りで進む。

 ルイーゼは軽い。二人を乗せた馬は道なき道をずんずん進んでいく。


「ほへー、もう道なんてないじゃありませんか」

「この辺りからは里程標代わりの石塚が所々にあるぐらいだ。街道など作っては蛮族に利用される」

「なるほど」


 しかしながら、最近行軍もあったため、人の踏み荒らした跡が道に見えなくもない。

 モザンゲート砦まではもうしばらくかかる。


 日没までには街に戻れるように先を急ぐ。


「……やっぱり、バルトロメウス様と一緒だと精霊の数が全然違いますね。今更ですけど」


 街道を走っているときにも思ったことだが、森の中ともなればさらに実感する。

 ルイーゼが一人のときでは想像もつかないような精霊の数だ。


「お主には見えるのか?」

「うっすらと、ですが」

「そうか。己には気配しかわからぬ」


 精霊はわがままで自分勝手だ。

 魔力がある人間ならば大抵の場合、精霊を見ることができる。

 だが、それも精霊の気分次第だ。見せてもいいと思ったときだけその姿を見せてくれる。

 そして、その姿もただの発光体であったり、小動物のような姿であったり、あるいは近くにいる人間の姿を模していたりする。


「己には、何かを寄越せと叫んでいるように思えるが、違うか?」


 バルトロメウスの問いにルイーゼは首を横に振る。


「そういうわけでもないようですよ?」


 首を傾げるバルトロメウスを無視して、ルイーゼは虚空に言葉を投げかける。


「連れてけ……連れてけ――」


 合間に聞こえる言葉は聞いたこともない単語のようだ。

 おそらく魔術的な用語なのだろう。


「ルイーゼ?」


 尋ねるバルトロメウスだったが、ルイーゼが答えるよりも早く、目の前に小さく淡く光る何かが漂い始めた。


「精霊です。応えてくれました。彼についていきましょう」

「あ、ああ……」


 精霊の姿を見るのは、バルトロメウスにとってこれが初めてだった。

 驚いていたせいか、ようやく自分の中に魔力が流れ込んでくる感覚に気づく。


「ふふっ、それは精霊の魔力ではありませんよ。ボクの魔力です」

「――聞いたことがない。人が人に魔力を与えるなど……」

「与えたわけではありません。()げただけです」


 バルトロメウスは魔法にとんと疎かった。それも仕方がないことだ。

 彼には魔法の才能がなく、魔力もない。

 しかし、彼は精霊から与えられた魔力をその身に宿し、人ならざる強大な力を得る。


「ほら、見えませんか? ボクの見ている世界が」


 体に流れ込む魔力が次第に大きくなり、全身を包むように広がると、今度は瞳に魔力が集中する。

 そうして今度はひとつの発光体だけではなく、自分を包み込むように精霊が取り囲んでいる様子が見え始めた。


「……なっ、なんだ、これは!」

「それが精霊です。バルトロメウス様に集まる精霊たちです」


 十や二十ではない。百は下るまい。


「どうですか? ご自身がどれほど精霊に愛されているか、これでようやくわかったのでは?」


 ルイーゼは彼の視力への魔力連携を切って尋ねる。

 彼は複雑な顔をしたまま「ああ」と短く答えた。

 先ほどまでの目映さは消え去り、ひとつの淡い発光体が目の前に浮遊している。


「では、行きましょうか」


 ルイーゼがにっこりと笑う。

 バルトロメウスは無言で頷いた。


 しばらく険しい道のりを進む。

 利口な馬のおかげで、木々の隙間を抜けても枝葉が体に当たることはなかった。


 ふとルイーゼが口を開いた。


「バルトロメウス様は、王国神話を覚えてらっしゃいますか?」


 当然だ、と彼は言う。


「見習いの時分には教官から耳が痛くなるほど聞いたものだ。おかげで今でも暗唱できるほどだ」

「それはよかった」


 そう言って、ルイーゼは指を一本立てる。


「――かくして、迅雷は水面に並ぶ敵軍の舟を木端微塵に粉砕した。テーセウスは船上に現れた大精霊に傅き、王権を授かった……と、最終章ではありますが、こんな感じでしたかね」

「デペナ湖の戦いの一節だな」


 バルトロメウスは懐かしい、と呟いた。


「でも、知ってますか? 初代国王陛下の父であるテーセウスは神話の中で一度も魔法を使ったことがないのですよ」

「……そう、だったか?」


 思い出してみると、確かにそうだ。

 唸るバルトロメウスにルイーゼは言う。


「テーセウスが窮地に陥ると、必ず精霊が現れて助けてくれるのです」

「確かに、そのような記述があった」

「ついでに言うと、テーセウスの誕生がある序章で、彼は兄弟の中で誰よりも劣っていると書かれているんです。長子ガルメニウスは剣に長け、次子マギウスは魔法に長けていました。そして、末っ子のテーセウスは剣も弱く、魔法も使えません。でも、彼が危ないと必ず偶然に助けられる――そして大精霊と初めての邂逅がありますね」


 ルイーゼはふふんと笑って尋ねた。


「バルトロメウス様にも、何か変わるきっかけがあったのではありませんか?」

「……神話のようにはいかぬがな」


 ふう、と彼は大きなため息を漏らして言った。


「初陣は散々だった。剣だけは自信があったが、小さな油断が命取りとなって、仲間が窮地に立たされた。目覚めたのはその時だ」

「目覚めた、ですか。奇妙な言い回しですが、納得です」

「己が助けられるだろうかと問答する時間もなかったのだ。世話になった男が死にそうになっていて見殺しにすることもできなかった。いや、考えるよりも先に動き出していたのだ」

「そういうところ、ボクは大好きですよ」


 真面目な話の途中でも、ルイーゼはくすくす笑って言う。バルトロメウスは息を詰まらせたが咳払いをして続けた。


「――声が聞こえた」

「声、ですか」


 バルトロメウスは頷いて言う。


「ただ一言――懐かしい、と」


 ルイーゼは渋い顔をして尋ねた。


「それは、どこで聞いたのです?」

「……デペナ・ディグラ自治領だ」

「五年前のディグラ族の反乱ですか? デペナ湖のすぐ近くではないですか」


 思えば、なぜ自分でも気にならなかったのかわからない。あれほど覚えさせられた王国神話だったというのに、奇妙な整合性に気づかなかったとは。


「そう考えると、その声はテーセウスに王権を与えた大精霊だったのかもしれませんね」

「さすがに考えすぎだと思うが」

「そうとも言い切れませんよ?」


 ルイーゼは真面目な顔をして言う。


「デペナはディグラ族の言葉で『聖域』という意味なのですよ。ちなみにディグラというのは『守護者』というディゲルの複数形で『守護者たち』ですね」

「では、ディグラ族は『聖域』を『守護』する番人、ということか」

「だとすると、テーセウスがデペナ湖の湖上で王権を授かったことと、バルトロメウス様が『懐かしい』という声を聞いたことには、無視できない因果があるように感じられますね」


 考えるのは性に合わない――バルトロメウスは煩悶とする頭を振って小さく息をつく。

 利口な馬は二人の会話を邪魔することもなく、ひたすら発光体の後を付いていってくれている。


 小休止を挟み、一刻ほどで発光体はそれ以上先には進まなくなった。


「蛮族を追い返した後、クリスの捜索で一度来たことがある。もっとも、あの時はオークの掃討戦のようになっていたが」


 どこを見ても同じような森の中だが、この場所を忘れるはずがない。

 二人の目の前には断崖絶壁が立ちはだかっていた。


「さすがに月日が経ちすぎて、転移魔法の魔力残滓を追うのは無理がありますね」


 ルイーゼは苦笑し、バルトロメウスの手を借りて馬から降りた。


「オークは掃討したが、山向こうからこちらに来ている個体がいる可能性もある。注意はしておけ」

「そちらに注力できなくなるので、バルトロメウス様が注意しておいてください」


 どういう意味だ、と尋ねるよりも早く、ルイーゼは懐からナイフを取り出して彼が咎めるよりも先に自身の髪を一房切り取った。


「なっ、何をしている!」

「何って、餌ですよ」


 ルイーゼは切った一房の髪を、道案内してくれた精霊に向ける。


「代償ですよ――受け取りなさい」


 精霊は淡い光を明滅させ、やがて彼女の手に近寄って一際強い光を灯した。

 その光が収まると、彼女の切り取られた髪は燃えるように、光の粒となって虚空に消えた。


「食べられちゃいました」


 あはは、と笑うルイーゼだったが、バルトロメウスは驚いたまま何も言えずにいた。


「これが精霊と普通の魔導師がする契約です。何かを頼めば、必ず何かを代償とします。大抵は先払いですけどね。今回はバルトロメウス様がいらっしゃるので後払いで済みました。ひどい精霊は払ったら知らんぷりで消えちゃう子もいるので」


 バルトロメウスは渋い顔をしたままだった。


「嫁入り前のお主が髪を切る必要もなかっただろうに……」

「えへへ、精霊って結構女の子の髪が好きなんですよ?」


 ルイーゼはごまかすように笑う。

 バルトロメウスはどう言っていいのかわからず、結局「すまぬ」と謝った。

 しかし、彼女はむすっとして言い直しを要求する。


「そういうときは『ありがとう』と言ってください。そっちの方が嬉しいですよ、ボクは!」

「……ありがとう」


 ルイーゼは満足げに頷いた。

 そしてすぐに真面目な顔をした。


「ここ最近で大きな魔力反応があった場所に連れて行けとは頼みましたが、まさかこんなおあつらえ向きの場所に連れて来られるとは思いませんでしたよ」


 ルイーゼは馬にくくりつけた荷物をバルトロメウスに頼んで降ろしてもらい、そこから二つの道具を出した。


 ひとつは小さな革袋で、中には砕いた水晶が入っている。

 もう一つは、小さな杖だ。先端には紅玉がはめ込まれていた。


「さて、ここからが本番ですよ」


 ルイーゼは小さな体を動かして、地面に円形の魔法陣を描き始めた。

 そして、描いた線をなぞるように砕けた水晶を撒いていく。


「子どものころのボクに感謝ですね」


 ルイーゼが最後に取り出したのは、胸元のペンダントだった。

 銀のフレームに紋様の刻まれた魔晶石がはめ込まれている。


 ルイーゼはバルトロメウスの手を引いて魔法陣の中心に立つ。


「ところで、ボクの秘密をお教えしましょう」


 ルイーゼはバルトロメウスの目をまっすぐに見つめて言った。


「ボクは精霊とお話ができるのですよ」


 バルトロメウスは眉根を寄せるが、ルイーゼは続ける。


「苦労しましたよ。どこにいても精霊の声が聞こえて、下手をすれば人の心の声まで聞かされて……」


 ルイーゼは昔のことですけどね、と軽く笑って言った。


「精霊が勝手に人の心に入り込んで、ボクに直接心の声を届けてくるんです。ひどいでしょう? おかげでボクは外に長い間出られなかった。人と会うのが怖くて……」


 でも、と彼女は眼差しを鋭くして言う。


「クリスだけはずっとボクの味方だったんです。クリスだけは、口から出てくる言葉と、心の声が全く一緒だった。でも、そんなクリスもひとつだけ嘘をついたことがあります」


 自然とバルトロメウスの手を握る力が強くなった。


「戦うことは怖くないのか、とボクは聞いたんです。騎士となれば魔物や敵軍と戦わなければならない。もしかしなくても死ぬ可能性が高い戦場に行くことが怖くないのか、と。クリスは『怖くない』と笑顔で答えてくれました。でも、心の中では――」


 バルトロメウスはルイーゼの言葉を遮った。


「クリスの誇りだ。騎士の誇りはただの見栄ではない――命を(なげう)つ覚悟だ」


 するとルイーゼは苦笑して言った。


「存じています。だからこそ、ボクは――友を心から誇りに思うのです」


 ルイーゼは胸元のペンダントを外した。

2017/10/20 追記

読者の皆様のおかげをもちまして

拙作は初掲載より一周年を迎えることができました。

読者の皆様には改めて御礼申し上げます。

今後とも拙作をどうぞよろしくお願いいたします。

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