第十話
あれから一週間。私の生活は驚くほど元通りだ。けど裕章さんのほうは、公邸の修繕の打ち合わせなどで大忙しだ。朝から晩まで、大使館と公邸を行ったり来たり、せわしない毎日をすごしている。
「壊れちゃったんだもの。そこまで気にすることないんじゃないかしら?」
「とんでもないよ、雛子さん」
私がそう言うと、裕章さんはとんでもないと目をむいた。ちなみに私が「気にすることない」と言っているのは、厨房で見つかった巨大な壷のことだ。事件直前、せっかく私が花をたくさん活けて見えなくしたのに、なぜか厨房で粉々になっていたのだ。それをまた、どこかの国が寄贈したいと言っているらしい。
「どうして、壊れたことが相手国に伝わったの?」
「いただき物で破壊されたものは、もれなくリストにあげなくてはならないんだよ。もちろん、あの壷もね」
「せっかく壊れちゃったのに」
ブツブツともんくをいうと裕章さんが笑った。
「日本語がおかしいよ、雛子さん」
「だって」
そこで声をひそめる。
「だってあれ、どう考えても悪趣味なデザインなんだもの! 公邸の顔になるのよ? どうせいただくなら、もっと上品なデザインのほうが良くない?」
「それ、相手国の大使に言えるかい?」
「裕章さんが言わないなら私が言う」
「……ま、雛子さんなら本当に言いそうだねえ。そんなこと言ったらせっかくの友好にヒビが入るから、黙っていておくれよ?」
「はいはい」
ってことは、また同じような壷がくるわけねと、ため息をついた。相手国からの贈り物とは言え、気に入らないものは気に入らないのだ。断れないならしかたがない。
「しかたないわね。また、たくさんお花を活けなくちゃ」
「よろしく頼むね、大使夫人?」
裕章さんが笑いながらそう言った。二人で笑っていると、テーブルに置いてあったスマホが鳴る。なったのは私のスマホではなく、裕章さんのスマホだ。
「おや、こんな時間に珍しいね。観光客がトラブルに巻き込まれたかな?」
「それ、シャレにならないからやめて」
裕章さんは笑いながら立ち上がり、スマホを手にする。表示を見た表情が仕事モードに変わった。もしかして本当にトラブル?
「はい、南山です。いえ、今は自宅におりますので問題ありません」
相手と話をしながら、自分の書斎へと行ってしまった。どうやら本当に仕事の話らしい。
「あの壷、本当にしぶといわね……」
大きさ的には玄関向きでまったく問題ないのだ。問題なのはそのデザイン。どう考えても私の好みじゃない。次はもう少し落ち着いたデザインの壷がくると良いんだけど。
「ま、無理よね、きっと」
先代の壷も似たようなデザインだったし、きっと今度やってくる壷も似たようなものだろう。ため息をつきながらテレビをつけた。地球の裏側にいながら日本のニュースが見られるなんて、すごい時代になったものだ。衛星放送バンザイ。亜衣達によると、公邸が占拠されている間も、二十四時間ずっと、公邸の様子がテレビで流れていたらしい。
「雛子さん?」
裕章さんが書斎から出てきた。
「もしかして、本当にトラブル?」
「いや、そういうことじゃないんだけどね。実は防衛省から外務省に、山崎一尉達を迎えにきても大丈夫かって、問い合わせが来たらしいんだ。三人の主治医は雛子さんだからね。意見を聞かせてほしい」
あの事件からまだ一週間。言うまでもなく、軍病院に入院している三人の容体は安定しているものの、まだ退院できる状態ではない。
「普通の旅客機に乗せるのは論外よ? まだ意識もはっきりしてないんだから」
「それなりの設備がある航空機なら、問題ないということかな?」
「それなりの程度によるけど」
自衛隊の輸送機でも飛んでくるのかしら?と首をかしげる。その手のことには詳しくないけど、自衛隊の輸送機に「それなりの設備」ってあったかしら?
「政府専用機をちょっといじって、あれこれ積んで飛んでくるって言ってるよ。もちろん、あちらから医師も乗ってくるし、帰りは雛子さんも一緒に乗って行けばって話だ」
「私? 私も乗るの?」
「亜衣達のこともあるし、一度、日本に戻ったほうが良いんじゃないかな」
実のところ、今回の事件のこともあり、亜衣と麻衣はこちらには戻らず、日本に留まることになったのだ。学校への転入手続きは私と裕章さんの両親がやってくれるということだったけど、やはり親である私がいるといないとでは、娘達の気持ちも違うだろうというのが裕章さんの意見だった。
「僕も一緒に行ってあげたいけど、さすがに大使が仕事を放り出して帰国するのはまずいからね」
「わかった。裕章さんがそう言うなら、患者さん達と一緒に帰国する」
裕章さんは何か言いたげな顔をして私を見おろしている。しかもその顔が、笑いを含んでいるように見えるのは気のせい?
「なに? まだ何かあるの?」
「いや、そうじゃなくて。政府専用機に乗れること、ワクワクしてるだろ?」
さすが裕章さん、よく分かっていらっしゃる。けど今回は重傷患者さんと一緒なのだ。そこまで気楽な気持ちにはなれそうにない。
「ワクワクはするけど、そんなこと考えてるヒマなんてないんじゃないかしら。患者さんが三人もいるわけだし」
「あっちからも医師が乗ってくるから、そこまで雛子さんに負担はかからないと思うけどね」
「私の性格、わかってるでしょ? 三人の主治医になったからには、私がちゃんと退院するまで面倒みます」
「そうだった。じゃあ、主治医さんの許可はおりたということで、こっちで手配を進めるよ。軍病院へもこっちから話をするから」
「お願いします」
どこの病院も医者は患者さん第一の頑固者が多いから、今回のことでもきっと一悶着ありそうだ。だけどそのへんは裕章さんも分かっているだろうし、ここは黙って外交のプロにお任せしておこう。
―― テロリストですら丸め込んじゃうんですもの。医師の一人や二人、裕章さんならお茶の子さいさいよね、きっと ――
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そして一週間後。国際空港に日本から政府専用機が飛んできた。空港に向かう救急車には、私と一緒に彼らの担当をしてくれた軍医も同乗している。黙ってはいるが、若干、ご機嫌が斜めにかたむいているのが分かった。
「キャプテン・ヤマザキ以外の二人に対しても、日本政府が責任を感じるのは理解しますがね」
「申し訳ありませんね、中佐。これが政府の意向でして」
「ま、日本で最新の医療を受けられるなら、彼らの家族も安心でしょう」
軍医からすると、日本政府は彼らの病院に不安があって、三人の治療を任せられないと判断してのでは?と思っているらしかった。
「どこの国にも気が短いお役人がいるんですよ。早く事情を詳しく聞きたくてしかたがないようです。それもあって、私の妻も帰国することになったわけですから」
「わざわざ地球の裏側から飛んでいかなくても、インターネットで話もできるでしょうに」
「そのへんがアナログ的な役人が多い日本の困ったところでして」
一緒に乗っていた裕章さんが苦笑いしながら返事をする。さすが海千山千の裕章さん。私にはとてもマネできない。
「まったく信じられない話ですね。最先端の医療サービスが受けられる日本の役人が、そんなアナログ集団だなんて」
「まったくです。たまに私も苛立つことがありますよ。何のためにパソコンがあるんだってね」
私の視線を感じたのか、裕章さんがこっちを見てニッコリと笑った。
政府専用機の前には、作業着姿の自衛官と、明らかに民間人という雰囲気の男性が待っていた。車から降りると、作業着姿の集団は怪我人達の搬入作業にとりかかり、民間人らしい男性が足早に私と裕章さんのところにやってくる。
「光陵大学附属病院から派遣されました栗林と申します。日本までよろしくお願いします」
「南山です。よろしくお願いします。これまでの経過を軍医からお聞きになりますか?」
「ぜひ。ああ、ただ、自分はちょっと語学がそこまで堪能ではないので、通訳をお願いできたらと思います」
栗林先生はそう言いながら、恥ずかしそうに笑った。




