第9話:女子トイレの擬音装置
女子トイレの中で、竜二は連日のように混み合っていた女子トイレが空いていることに驚いていた。 工事は先週末で終わるスケジュールだった。今朝も朝礼で言われていたはずだが、当初はすっかり失念していた。
でも、これで長かった工事が、ようやく終わったのだ。
今、空いているのは1年生の一部がこっちのトイレを使わなくてすんだからだろう。学校の女子トイレはまだまだ不足しており、別に数が増えたわけではないので、そのうち混みあうだろうが、いつでもトイレに行けるという安心感から、「もしかしたらトイレ間に合わなくなっちゃうかも…」という不安感情がきえることで、利用回数そのものが減ったというのも、普通の人間心理としてありえることだった。
「じゃぁ、後で…」
竜二は一番手前の空いている個室に入った。ドアの鍵を閉めてから除菌シートで便座を拭く。それから制服のスカートをたくしあげて、下着をずらし、便座にこしかけてから、最後に擬音装置に手をかざした。
ざーー
今では流水音は必須である。いくら元男子同士、つまり同性と言えど、用を足すときの音など恥ずかしくて絶対に聞かれたくないからだ。
あっちでざーざー、こっちでざーざーいっているのが女子トイレなのだ。
すっきりした。
用を終えてから竜二はトイレットペーパーをデリケートゾーンにそっとあてた。女子になったばかりはなんとなくで、前から後ろに吹いていていたが、『女性でも間違っている人が多いですが、こすらず押しあてるのが正しいです』と小学生の時に受けた性別適応特別講習で習ってからは…可能な限り、こすらないようにしていた。
家に帰ってからトイレットペーパーの使い方を母親に話したら、「へぇ」と感心されたので、案外、大人の女性はいい加減なのかもしれない。
スカートが不自然でないか、流し忘れがないかもう一度確認してから竜二は個室を出た。1年生用トイレは治ったとはいえ、それでも女子はトイレで時間がかかる。以前のようなうんざりするような長蛇の列ではないが、竜二がでるころにはほんのわずかな行列ができていた。
そんな列を横目に竜二は洗面台に移動し、両手をしっかりと洗う。男子だったころはトイレ後に手を洗わない男も見かけた気もするが、今では一人もいない。女子は男子と違い不特定多数が触るトイレのドアを必ず触るので当然といえば当然で、「手を洗わない汚い子」とレッテルをはられる可能性もあった。
ハンカチで手をふいてから、竜二は洗面所に取り付けられている鏡を見ながら前髪を手持ちの携帯用の櫛でさっと整える。
元男子は元女子以上に常に身だしなみに気を付けなければいけない。
みんなに嫌われないよう、目立たないように髪を整えておかなければならないのだ。あまりにぼさぼさだと、すぐに美容警察がやってきて、「あの子、髪の手入れもできないんだー」とか「不細工がうつる」だとか…元男子とは思えない攻撃がとんでくる。
「はぁ、つかれる」
誰にも聞こえない小声で竜二はつぶやいた。もっと自由になりたい。そう思わずにはいられない竜二だった。
「お待たせー」
「ところで、昨日、TVでたまたまトイレの話やってて、その中で水が流れる音がするボタンが男子トイレにあまり設置されてないってのやってて、結構衝撃だったんだけどしってたか?」
竜二はふと昨日のTVのことを思い出して、みんなに聞いてみた。擬音装置が男子トイレにはあまり設置されていないことを知った時はかなり衝撃だった。
確かに男だった時は流水音など気にしなかった気がするが、それは自分が子供だったからであって、てっきりすべての公共トイレの個室についていると思っていた。8歳までの知識や記憶など所詮その程度ということなのかもしれない。
「へーそうなんだっ。なんかびっくりっ」
「まぁ、男子は小便器もあるしねー。あんま気にしないのかも」
その発想はなかった。
確かに小便器に、擬音装置。それって意味あるのか?と感じてしまい、全く想像ができない。
「でも、ぼくやっぱりなんか信じられないよっ」
「まぁ、そうだよねー。する音聞かれるの恥ずかしいもんねー」
「水流す音のボタンないトイレもまだまだあるけど、そうゆうときはうちも普通に水流しちゃうしなー」
信二が言うように、擬音装置がなかったら確かに水を流してしまうだろう。現に自宅では家族にきかれないよう竜二はよく水を流していた。
「そうだよねー。男子と女子の習性の違いなのかなー」
「男子と女子の習性の違いゆうと、T-VIDでだいぶ解明されたんやっけ?」
たとえば、「なぜ化粧をする女子が多いのか」とか、「なぜ理系は男子が多いのか」とかだ。T-VID直後はそういう学術的研究が進むだろうと、大人たちに期待されていたのを子どもながらに覚えていた。
「結局、ほとんどの国で性別適応特別講習やっちゃったから、バイアスなのか、T-VIDなのか、それとも本能なのか究明するの難しくなっちゃって今もよくわからないって話らしいだよっ。政治家が『前代未聞で想定外』とかまじめに言い訳したらしいけど、そんなのさすがにぼくでもわかるよっ」
「な、なんだ、その間抜けな話!?」
あまりに馬鹿らしい理由が、おかしくてしょうがなくて竜二は吹き出しそうになりなった。良太がいうように、性別適応特別講習を全員に実施したらどうなるかぐらいは、少し考えればわかることで、『前代未聞で想定外』という言葉にはちょっと無理がある。知識量も多く、完ぺきで、かなうはずがないと思っていた大人の政治家だって、馬鹿なこといって叩かれるんだ、と思うと、ちょっと気分がスーとする気がした。
「ほんとだよねー」
「ただ、わたしは女子がトイレで水流す音使うの本能っぽい気がしてるけどー」
「な、なんでだ?」
明人の言葉が理解できず、竜二は問い返した。
「り、竜ちゃんだって用足す時、水が流れる音がするボタン押しちゃうの恥ずかしいから当たり前って思ってるみたいだけど、男子はボタン押すほうが恥ずかしいらしいよー」
「は、恥ずいん?!」
信二が驚いていた。
なんで男子は擬音装置が恥ずかしいのだろうか?
使わない方が恥ずかしいと思っている竜二は、擬音装置を一度も恥ずかしいと思ったことはない。どこが恥ずかしいのか皆目見当もつかない。自分たちは思いのほか女子に染まっているのだろうか。
「T-VIDがなければ水が流れる音がするボタンを押す方が恥ずかしいって思ったかもしれないし、そうなると本能なんじゃないかなー」
明人が推理した。
「でもトイレのマナーも性別適応特別講習で習ったよねっ」
「そうだっけー?」
明人は意外そうに聞いた。
「トイレの使い方の時、ぼくのときはメーカーの人が動画で説明してたよっ」
確かに良太が言うとおりだ。その時のトイレの使い方説明は今でも覚えている。確か、擬音装置を作っているトイレメーカーの社員の人が、わかりやすく女子のトイレの使い方を教えてくれたのだ。確か、その時、擬音装置の話も動画でみた覚えがあった。
「じゃぁ、やっぱりバイアスかなー?」
明人は急に自信なさげな声を出した。
「でもそうやとすると男子はどうなん?性別適応特別講習で水流すボタン押すの恥ずいって習ったん?そもそもなんで恥ずいん?」
「男子って擬音装置使うの…その大きいとき…だけだからだと思う…」
小声で明人が説明した。仮にそうだとすれば…そもそも前提が自分たちとは違うことになる。男女ではやっぱりお互い理解できないことが多いというのが事実のようだった。




