第22話:8年前のパンデミック2
8年前。
冬季オリンピックが終わった時、まるで一斉情報解禁ように、世界中で小児科病棟が危機的な状態になっていることが報道された。
「原因不明の感染症で小児科は医療崩壊状態です!!」
「欧州含む世界中で子どもの発熱多数!!」
「オリンピックが感染拡大の原因か!?」
オリンピックに夢中になっていたその裏で子どもたちが発熱していた。大人たちはその事実に衝撃を受けた。報道されなかっただけで小児科というその場は…すでに戦場だった。
「もうこの子、熱がずっと下がらないんです」
熱にうなされる子どもの姿に多くの大人が心を痛めた。
「ロックダウンが必要ではないのか!」
ネット上ではそんな声があがった。
情報解禁からわずか1日。
大人たちに2回目の衝撃が走った。
「海外で子どもが性転換したとの報告あがる。各国政府が詳細調査中の模様」
「極めて深刻な後遺症」の話が日本にも飛び込んできたのだ。回復直前に子どもが性転換しているという信じられない事例が海外で確認されていることが、新聞の一面に掲載されていた。
「原因不明の感染症が各地で報告されていました。症状は発熱と激しい倦怠感もしくは関節痛…しかし食欲はあるという原因不明の感染症です。とにかく回復事例は確認されていません」
「今はとにかくうつらない、うつさせないことです。今は小児患者だけですが、今後はどうなるかもわかりません」
この報道が契機になり、日本でも医療従事者の不安の声が次々と掲載されるようになる。子どもたちの身体に異変が生じていることはみんな知っていたが、原因もわからず、不安を煽るからと、上からの圧力で誰もいえないでいたというのだ。
これは国内で子どもたちの性転換が明確に確認できるようになる概ね2週間前のことだった。
そして2月25日。
「もはやパンデミックである」
ついに世界保健機関が「性転換」という事例を「極めて深刻な後遺症」として表現し注意喚起を行った。「軽症」という言葉が独り歩きしていることを危惧しているとの声明も出されたが、時すでに遅しである。
この時点で最初の報告から約1ヵ月が経過しようとしていた。
「WHO『パンデミック』と表明」
誰もが知っているようでよく知らなかった言葉「パンデミック」という言葉が世界中を駆け巡った瞬間だった。
ところで8年前のこの2月25日は国内でもその後の国内状況を大きく変える重要な法案が施行された日でもあった。
性転換の事実がなくとも小児発熱者の爆発的増加だ。数週間前から関係省庁は、ハチの巣をつついたような騒ぎだった。諸外国が渡航制限を始めるという外交上の問題もあった。特措法改正をいち早く検討していた政府は、WHOのパンデミック宣言までただ指をくわえていたわけではなかったのである。
「欧州で小児発熱者が急増している。念には念を入れるべきではないか?」
「諸外国ではロックダウンが実施できてもわが国では実施できない」
最初はそんな意見が飛んだ。官邸ではとにかく感染者の隔離が大切だという話があがっていた。
「厳しい罰則も視野に入れ特措法改正を検討する?」
そんな意見には周囲からも慎重な意見が数多くあがった。
この時点では性転換という事実はまだ公にされていない。そもそも性転換など信じがたい話だ。性転換は欧州で数名確認されたというだけであり、情報源も「エゲリカ」という欧州の弱小国の研究機関だ。こんな非科学的で信憑性の低い情報を公開し、もし間違っていようものなら、政治家生命に止めをさすのは間違いなく、どの国も情報開示に慎重になっていたのである。
そして、国会では与野党が対立していた。いくら児童の発熱者が急増しているとはいえ、性転換という極めて深刻な後遺症が公になっていないこの時点では、短期間での特措法改正など不可能と思われ、政権運営に致命傷を与えかねない行為だった。
「万事休すか?」
ことの深刻さを人一倍知っていた外務省関係者はそう思った。
しかし、そんな外務省関係者の予想は外れた。与野党どちらにも顔が効く政界の重鎮「二階堂正一」が暗躍したという噂もあり、南条内閣は罰則付きの特措法改正案を突如、閣議決定したのだ。
そしてこの改正案は一両日中に衆議院本会議を多数で可決する。
さらに翌日には参議院本会議で、反対わずか20票弱という圧倒的多数で可決。
こうして「新型インフルエンザ等対策特別措置法等の一部を改正する法律案」は異例の速さで施行されたのだった。偶然にもこの改正法案の施行日は2月25日。
つまりWHOのパンデミック宣言と同日であった。日本の政治としては…異例の決断の速さといい、与野党の団結といい、マスコミの報道に対する消極さといい、何もかもが普通ではなかった。
まさに英断といえた。
だから…本来なら南条政権は安泰だったはずだ。パンデミック宣言より早く、危険性を認識し、特措法を準備した。それは賞賛に値するはずだった。
けれども皮肉なことにそうはならなかったのである。この時の南条内閣と世間では大きく認識がずれていた。いや、当時の重鎮、二階堂正一との認識がずれていたと言った方が正しいかもしれない。
「当時の南条内閣はあくまでパニックをさけるため、法案を密かに準備、情報統制をしていただけではないか」
これが8年後の現在の見方だ。「極めて深刻な後遺症」がどういうことを示すのか…性犯罪の増加、自殺率の増加含め、二階堂正一以外気づいていなかったのでは…と8年後のある政治学者は日記に記していた。
そして、この人々の『行動』に対する『罰則付き法案』がこの時点で可決されていたことが…その後の日本の、そしてそんな日本という国の変化を目の当たりにすることになった世界のあり方に大いなる影響を与えた…といっても過言ではなかった。




