第15話: スポーツをやめた理由~中学校の頃の竜二~
小学校6年生
運動会の帰り道、竜二は消沈していた。
「そ、その髪も可愛いぞ…いつから伸ばしてたんだ?」
父親は無理やり話題を変えようとしたのか竜二にそう問いかけた。
確かに、少し前から母親と美容師さんそして友達の勧めで髪を伸ばしていた。
本来、そこに深い意味はなかったはずだ。
ただ、勧められたから髪を伸ばした。同性のクラスメイトだって髪を伸ばしている子は日に日に増えている。仲間外れになっても困るし、せっかく勧められたのだから伸ばしておこう。竜二にとってはただそれだけだった。
「そんな髪型!子どもの発達によくないのではないか」
男性に対しては、そんなことを平気で言う大人も多く、以前より風当たりは厳しくなっているようだが、髪を伸ばした大人の男性だってまだまだいた。この頃は竜二は、どちらかといえばそういう髪を伸ばした大人をカッコいいと思っていたので、自分を可愛いくみせたいなど…そんなことは全く考えていなかった。
しかし父親から見ると…事情は大きく異なった。
「少し見ない間に…可愛くなったな」
この時の竜二は、平均的な小学生に比べたら発育がよく、T-VIDの事実を知らなければ生まれつきの女の子であると誤解してもおかしくないほどの美少女だった。
髪は女の命というぐらい見た目に影響する。
男子の事情に疎い竜二は、知らなかったが、この時、元女子である男子は性別適応特別講習を通じて髪型を厳しく指導されていた。
上の世代には自由に髪を伸ばしている男もいっぱいいて錯覚していたが、T-VIDで性転換した同世代の男子が髪を伸ばすのは容易なことではなかった。元女子が髪を伸ばしたまま学校に登校するためには「精神衛生上やむを得ないと医師に診断してもらう」もしくは「厳しいガイドラインを満たし学校の許可をもらう」のいずれかをクリアするほかなかったのである。
そのような背景があり、自分の意思で髪を伸ばすことができるのは…元男子の特権…すなわち女子であることの証のようなものだった。意図したことではなかったはずだが、この男女で異なる髪型に変えるというのは大昔の「元服」という発想に極めて近いのもまた事実だった。
「元服」とは数え年で12歳から16歳ぐらいになった者が、成人への通過儀礼として、服や髪型を改める儀式の一つである。髪型や服装を変えることで…成人を表していたのだ。
もちろん、元服とこの事例を同一視することはできないが、運動会のこの日、父親は、髪を伸ばして、女性として成長していく竜二を見て、竜二はもはや息子ではなく娘なのだと認識せえざるをえなかったのは紛れもない事実だった。
「お前のところの息子さんの戸籍もついに変更になったんだろ?…思春期の娘ってのはな。何を考えているかよくわからず一番扱いずらい年齢だぞー」
戸籍の変更は父親にとっても、竜二との接し方を変えざるを得ないきっかけになっていた。この時の竜二は、子育て経験者である同僚たちが扱いずらいと忠告している「思春期の娘」だったのである。
「(何か声を掛けねば…。娘が嫌がらないようなことを言わなければ…)」
こうした父親の焦りが不幸のはじまりだった。
これが父親が不必要に竜二を女の子扱いしてしまった真相である。
本来、そこに悪意はなかったはずだが、父親がかけたこの言葉で、父親と竜二の性別が違うことがはっきりとしてしまったのもまた事実である。自分はこの人の「息子」ではなく「娘」で、父親は決して理解し合えない「異性」であることが竜二にはっきりと伝わってしまったのだ。
一番、信じてほしかった人から女の子扱いされてしまい竜二は激しいショックを受けた。父親のことを頼れる同性の大人だと信じてやまなかった竜二は、父親のこの裏切りのような発言によって絶望の淵へと追い込まれてしまったのだった。
女の子扱いしてくる父親。
必死に話しかけてくる父親。
口をきかなくなったのはたぶんこれが最初だった気がする。
「どうせ…おれが頑張ったって…だれも褒めてくれない」
父親の変化も影響し、竜二は中学にあがるころには運動を完全にやめてしまい、完璧なインドア派になってしまっていた。ゲームにはまったのも、たぶん、この頃だ。こうして竜二は中学で部活を選ぶとき、運動部ではなく文科系である「放送部」に入学することにしたのである。
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それからはさらに悲惨だった。中学1年の時に行われた最初の体育祭では、男子の先輩たちとの体力差をまざまざと見せつけられた。
そんな中、ついに自分の番だ。ますます胸が大きくなり、運動不足から脚がまた一段と遅くなった竜二はリレーでクラスのみんなの脚をひっぱるお荷物になった。
「ごめん。みんな」
息を切らして…なんとかバトンをつないだ竜二は、クラスメイトに必死に謝った。クラスの元女子…が作ってくれた優位は…竜二が台無しにしてしまっていた。
「ドンマイドンマイ!よく頑張った!」
幸い、この事実に対してクラスメイトが怒ることはなかった。元男子も元女子も…竜二を…明るく迎えてくれた。
しかし、蛇足も多かった。
「それに吉田さんは胸、大きいし仕方ないよ」
「吉田さんは”女子”なんだし、しょうがないよ…」
「そうやって吉田さんが笑ってくれてるだけでみんな幸せだよ」
自分の身体をよく思わない竜二にとってそれは誉め言葉にはなりえない。女子も男子も必死に励まそうとしてくれているのがわかるだけに、「嫌だ」ともいえず、竜二は必死に作り笑顔をしながら心無い言葉に苦しむ羽目になった。
そして、竜二の苦しみは男女混合の場合だけではない。女子だけの体育。中学1年が終る頃には運動部の子と完全に離されていた。
「あの子、すごいねぇー」
小柄な身体で疾走していくその元男子を見てクラスメイトは歓声をあげた。
「あぁいう子…どんな体してるんだろ?」
竜二もそれは疑問だった。
「でもT-VIDにめげずに頑張る子ってなんかかっこよくない?同性なのに憧れちゃうなー。わたしも野球諦めたくなかったな」
「そんなことねぇと思うけど…それに田沼さんなら野球まだできると思う…おれなんか…胸だって大きくなるし…こんな身体だし…女の子の日ってのもあるし…もう無理だ」
竜二は深く考えず、そう言葉を返した。
「吉田さんそれ本気で言ってる!?」
「えっ?」
「吉田さんって自分だけが可哀そうって思ってる気がするけど、苦しいのはみんな同じなんだよ!…なんか、いまさら気づいたみたいな感じだけど、みんな小学校のころからずっとT-VIDのこと悩んでるんだよ?それに吉田さん、わたしのことしっかりとみて話してる!?わたし、吉田さんより脚遅いんだよ」
クラスメイトの田沼さんが怒っていた。
身長はちょっと低めで、脂肪が多く肥満体型…ちょっと身体が重そう…たしかに野球が得意なようには見えない。竜二は忘れていたが、竜二より脚が遅いというのも本当だった。
失言だった。
竜二は黙って話を聴くしかなかった。
「…わたし…みんなより早くに生理がきて…まだ9歳で生理って何なのかわからないのに…一人で悩んで…うち両親が離婚してて母親がいないし、どうすれば自分の居場所を作れるか考えて、女の子扱いしてもらわないと誰も助けてくれないってわかってからは、言葉づかいだって必死に変えて、今だってどうすれば少しでも可愛くなれるか必死になってるのに、『ブス』とかいわれちゃったり……たいして何も考えてなくて口調もそのままの吉田さんの方がスタイルよくて男子にちやほやされるって…ちょっとこの世界理不尽すぎると思わない?…吉田さん頭悪くないんでしょ?…お願いだからもっと考えてから喋ってよ!…わたしこのままだとちょっと吉田さんのこと好きになれないかも…」
泣きそうな声の田沼さん。
「…ごめん。そんなつもりじゃ…でも…」
それから竜二は少し考えた。
考えろといわれたばっかりだ。
話の内容から、失言は許されない。
「…でも、ひどいこというの…お互い様だけどね」
竜二が必死に考えていると、色々喋ってすっきりしたのか、先に田沼さんの方が笑顔をみせ、口をひらいた。
中学生というのは難しい年ごろだ。心無い言葉をかけられることが多い竜二だったが、竜二もまた心無い言葉をかけてしまっているというのが現実だった。
「でも、ほんとうに残念。わたし、入学したばっかりの時、男子に負けないで頑張ってた吉田さん…好きだったのに…」
田沼さんは最後に小さくそう呟いた。この彼女の言葉…スポーツをやめ男子に張り合うのをやめたという事実が…竜二の自尊感情をさらに低下させ…竜二自身を苦しめたのだった。
誤字修正しました。




