第22話「人形の戯れ」
肌寒い感覚を覚え、ユアンは目を覚ます。
眠気まなこで辺りを触れると、どうやら自分は硬い床の上で寝ていた事に気づく。
霞む目をこすり、視界が次第に明瞭になる。
知らない天井が最初に視界に映る。
「…………? …………ここどこ」
何故かふかふかのベッドではなく、古びた建物にいた事に疑問符を浮かべる。
眠る前に何していたかを思いだしてみる。
お昼の授業が中止になって……
ベッドに寝転んで本を読んでたら……
「そ、そうだ。わたし、誘拐されたんだ」
不安と緊張から心臓の鼓動が早くなる。とりあえず辺りを見回して、逃げる場所がないか探す。
ひび割れた鏡、埃をかぶったステンドグラス、今にも朽ち果てそうな木の椅子…………。
軟禁生活の長いユアンでも何とかここが教会であることが分かった。教会なら何処かに入り口が、見つからなければ適当な窓ガラスを割ってでもここから逃げ出そう。
「おや、お嬢様。思ったよりもお早いお目覚めでしたね。魔法適正の高さはそのまま魔法耐性に直結しますし、流石は四大貴族と言ったところでしょうか。素晴らしい才能ですね」
不意に頭上からかけられた声に、ユアンは振り返った。
自分を誘拐した男、十兵衛が大きな天使の像に腰を下ろし、パチパチと乾いた拍手をして眼鏡の奥からユアンを見下ろしていた。
その背中からはよく見る翼――カルミラと同じコウモリのような翼が生えていた。
吸血鬼⁉︎
「さて、時間もありませんし早く終わらせましょうか。大雨で匂いを辿れないとは言え、あまり時間をかけすぎると吸血姫辺りがここを探し当ててきそうですしね。サイファ、いい加減準備は終わりましたね。では、お願いします」
「……はい」
今度は真後ろから声がした。
振り返ろうと身体を動かすが、それよりも早くユアンは押し倒された。
それは美しい人形のような少女だった。
腰まで伸びる雪のように白い銀髪は、蝋燭程度の小さな灯りでも綺麗に輝いていた。
カルミラを初めて見た時も人形のような女の子だなぁ、と思ったユアンだが目の前の少女はワケが違う。
表情がない。まるで凍りついてるような表情。人形のように可愛らしい、ではなく本物の人形のように表情がない。
呼吸による微かな口元の動きがなければ、人形と間違えても不思議ではない。
ユアンは馬乗りになったその少女に手足を押さえつけられる。抵抗しようとするが、手足に力が入らない。それどころか、だんだんと全身から力が抜けて、まるで全身が痺れたかのように首すらまともに動かせなくなる。
まるで全身のの力が手足から少女に吸い取られるように。
「…………」
真紅の瞳がユアンの顔を見つめてくる。
血のように真っ赤なその瞳はモノクロチックな少女の中で異彩を放っている。ずっと見つめられていると、その瞳に飲み込ませそうな感覚に陥らされる。
ゆっくりとその瞳が――顔が近づいてくる。
ごくりと一度唾を飲み込む。
このままでは顔がぶつかると思い逸らそうとしたが、身体に力はまだ入らず動くとこができなかった。
少女の真っ白な髪と真っ白な肌がユアンの目と鼻の先まで近づいた。
そして――
「んんっ⁉︎」
唇を合わせられた。
キス? キス⁉︎ キス‼︎
今初めて会ったばかりの銀髪の少女にキスされた。
抵抗するため、手足を動かそうとするが、やはり身体に力は入らず、されるがままキスをされ続ける。
カルミラにキスされた時は驚きはすれど不快感はなかったユアンだが、見ず知らずの少女にキスされるのは強い拒否感を感じた。
「んぐっ……」
少女の舌により口をこじ開けられ、口内をいじくり回され犯される。
そして、吸われ始める。
なになになに⁉︎
なんで吸ってるの⁉︎
身体の中の空気を全て吸われるような気持ち悪さを感じる。
(いや、違う。これは……)
魔力を吸われてる?
姉と魔力操作を練習した時のように、自分の身体の中を流れる魔力が無理矢理動かされてるいるのだ。
そして、その魔力を唇から吸われている。
同じ吸われる事でも、カルミラに吸血されているような快感などない。ただただ気持ち悪い。まるで自分の魂を、エネルギーを、気力を、直接引き抜かれるような……。
誰かに助けを求めようにもここにはユアンと少女と男しかいない。
何一つ抵抗できず、身体の魔力を吸われ続ける。
唯一まともに動かせる舌で少女の舌を追い返そうと試みるが、上手く弄ばれるだけだった。
チュパっと音を奏でて唇が離れ、ねっとりとした唾液の橋ができる
やっと気持ち悪さから解放され、ユアンは一息つく。
「……あなたの魔力すごく濃厚。一度で吸えなかった」
銀髪の少女がユアンを見下ろして、そう抑揚なく呟く。
やはり、その瞳にも感情は感じられない。
「気に入ってくれましたか?」
「……うん。今日で最後なのが勿体無い」
男の問いに少女はそう答える。
なんだろう。男と喋る時だけ銀髪の少女の言葉に感情のようなものが微かだが感じられた。本当に人間だったんだ……。
銀髪の少女の濡れた紅い唇がまた、ユアンの唇に重ねられた。
再び、ユアンの魔力が吸われ始める。
不快不快不快不快不快。
やめてやめてやめてやめて。
ただただ機械的に吸われる。
体内の魔力が減り、意識が朦朧としていく。
眠気とはまた違う。全身の力が抜け、無理やり水中に顔を押し付けられ気絶するような苦しさ。
姉に魔法を教わっていた時の、とある言葉をユアンは思い出す。
魔法は体内の魔力を消費して発動する。
でも例え限界まで魔法を使ったとしても、魔力は完全にはゼロにならない。脳がリミットを掛けてある一定と値より下にならないようにしているのだ。
もし、それでも脳のリミットを外して無理して魔法を行使し続ければ、恒久的に魔力が回復しなくなるなどと障害を患ってしまうことがある。
そして、もし魔力の底――ゼロまで使い果たしたとしたら……
(――死ぬ‼︎)
このまま少女に魔力を吸われ続ければユアンは死ぬ。
魔力とは魂に直結している。魔力が枯渇してしまえば、その身体は命を維持できなくなる。ユアンは大きな恐怖に襲われる。
イヤだ、死にたくない!
銀髪の少女に乱され、吸われる自身の魔力にユアンは力ずくで干渉する。大きな川の奔流のような魔力を強引に、無理矢理。
「⁉︎」
少女が驚きで目を大きく開く……ような気がした。
他人に握られたユアン自身の魔力の主導権を取り返すため、自身の魔力を強引にかき回す。魔力の乱流により酔いに近い症状に見舞われるユアンだが、そんなものを気にしている場合じゃない。
少女もその抵抗をねじ伏せるために、さらに強く魔力に干渉してきた。
こうなると互いの魔力適正の高さによる綱引きだ。
予定調和にまさかの抵抗が入り、2人の少女がキスしながら魔力のイニシアチブの取り合う様子を男は驚いた様子で眺めた。
「ほお、まさかあの状態から抵抗してくるとは……。サイファに抵抗してくる人間は初めてですね。――――しかし」
最初は拮抗した魔力の綱引きは時代に銀髪の少女が優勢になっていった。
無抵抗の時に比べたらかなり緩やかだが、着実にユアンの魔力は吸われ始めていた。
「サイファの魔力操作に関しての才能は飛び抜けています。例え鹿島の血を引くあなたと言えどもサイファには勝てませんよ」
それでも。
それでもユアンは抵抗を諦めない。
勝てないなら、時間を稼ぐ。
ユアンの心に一人の親友の顔が浮かぶ。
(助けて! 助けてミラ‼︎)
願えば助けに来る。
あの夜にミラと約束した。
今もつけている右手の指輪に想いを込めて。
ずっと、ずっと一緒にいてくれる。
カルミラのあと言葉をユアンは信じ、願う。
そんなユアンの抵抗を物ともせず、少女は冷静にたんたんと魔力を吸い続ける。
何度も何度もこなしてきた作業。
少女にとっては他人の魔力を奪う事こそが、生まれ持った意味であり使命。
永遠とも思える時間。
カルミラと一緒にいるときは一晩ですら一瞬に感じられたのに。
ユアンは必死に抵抗し、助けを請い続ける。
助けを待ち続けるこの時間は――本当に長く感じられる。
一体どのくらいの時間が過ぎたのだろうか。
抵抗して待ち続けることしかできない自分の無力さに泣きたくなる。
「サイファ、流石に時間がかかりますね。手助けしましょう」
ユアンの抵抗により痺れを切らした男はそう言って天使の像から飛び降り、ユアンに近づく。
少女を相手にするだけでも必死であるのに男に触れられ加勢されれば、もう抵抗することなどできなくなるだろう。
イヤだ! 触るな!
(ミラ! ミラ! ――――――――――助けて‼︎ ミラ‼︎)
ユアンの助けてほしいという願いは。
弱き少女の助けてほしいという想いは。
まるでそうであるのが必然であるように。
物語は当たり前のように、吸血鬼に愛された少女の願いに応える。
英雄はいつだって遅れて来るのだから。
衝音が鳴り響いた。
天使と神を描いたステンドグラスが割れ、ガラスの破片と一緒に黒い影が教会の中へと入ってくる。
パリッ、と床に落ちたガラスの破片を踏みしめた彼女の姿が雷光に照らされる。
黒い皮膜の翼をはためかせ、雨で濡らした金髪からはポツポツと水が滴るその影は。
ユアンが待ちに待ち望んだ彼女。
教会の外で鳴り響く豪雷はまるで彼女の怒りを表してるかのようだ。
「ユアンを返してもらおうか! その子は妾のモノね!」
――『吸血姫』カルミラ・L・シェリダン。
吸血鬼の証の鋭利な牙とコウモリの翼。
真っ赤な眼で黒髪の男と銀髪の少女――十兵衛とサイファを睨みつけた。
少し文字数少なかったけど、切りが良いのでここで切らしていただきました。




