ジャンはけっこう悪辣
戦闘の後、実質的には何もしなかったのに、僕とルーミエとフランソワちゃんは疲れ切ってしまって、その後の移動を馬車の中で休んで過ごすことになった。
「もう襲撃はないだろうから、安心して馬車の中に居れ」
領主様の言葉に、僕たちは無言で従って、倒れ込むように馬車の中に入り、ぐったりと座席に身をもたれ掛けた。 僕ら3人はそんな調子だけど、シスターも僕ら程ではないけど、ちょっとだけ疲れた感じを見せていた。
馬車は、中は無言のまましばらく進んで行った。
僕らが襲われたのは、道が両側が小高い丘の間を通るようになるほんの手前の場所だった。 小高い丘からは完全に僕らの男爵領と区分けされるけど、その手前だと隣の領と区分けが曖昧だから、襲撃する場所として選ばれたのかもしれない、なんて少しだけ馬車の中で落ち着いた僕は考えていた。
「怖かったね」
フランソワちゃんも少し落ち着いたのか、ちょっとだけ震え声で言った。
「初めて魔物が自分に向かって突進してきた時も怖いと思ったけど、誰かに襲われるのは、それよりもずっと怖かった」
「うん、怖かった。 私、必死でシールドを張ったけど、矢を弾けるか自信が無くて、矢が逸れるのが判った時は安心して力が抜けて、馬から落ちちゃった」
「うん、私も。 私もルーミエほどじゃないけど少しは役に立つかもと思って、全力で結界を張って。 何だか一気に魔力をそれに使い果たしもした感じ」
やはり2人とも全力で魔法を使っていたんだな。 僕は少しだけ気になっていたことを口にした。
「領主様たちは、今になって考えると、余裕で襲撃者を撃退した感じだけど、どうして襲撃者全員を仕留めてしまったのだろう。 誰か生かしておけば、背後関係とかを探れたのかもしれないのに。 あれだけ余裕で討伐出来るなら、それくらい可能だっただろうに」
シスターが答えてくれた。
「襲撃があった場合、襲撃者を全滅させることは最初から決めてあったのよ。 領主様が言うに、こんなことに使われる襲撃者は金で雇われた単なる野盗で、どうせほとんど何も知らない。 生かして捉えようとするのは難しいから、そんなところでリスクを犯す必要はない、と。
それに、あの場所だと、襲って来た賊に対しての司法権が、こっちにあるのか、それとも隣の領にあるのか曖昧だから、こっちに完全に近い場所で私たちが襲われたのだとしても、捕縛した者を即座にこっちで自由に使って良いとはならない。 隣の領との話し合いが必要になる。 そしてそんなことの話し合いは、私たちが絡んでいることもあり、隣の領主は歓迎しないだろう、と。
そういう諸々を考えると、殲滅してしまった方が良いという判断になるのよ」
なるほど、諸々事前に考えた上での行動だったんだな。 なんだか現実の厳しさを突きつけられたような感じだ。
丘の間の道を通り、一番近くの村を抜けるとすぐに馬車は新しい道へと進んだ。 古くからある道は領主様の館がある町に向かうのだが、新しい道は直接城下村へと通じている。 城下村と王都の間での商取引が増えた為、商会が中心になって通した道だ。 道作りは草原だったり荒地だったりする所を、少し広めに草を払ったり、邪魔になる大きめの石をどかしたりがほとんどで、大きな作業は川に荷馬車が通れるだけの橋を架けたことくらいだ。
橋くらいだとはいっても、その材料の木をこの地方で入手するのは難しいので、木は他所からの持ち込みだ。 それもあって、僕たちの領では川を跨ぐ道は発達していない。 町に向かう道には橋が架かっているけど、他は今までは浅瀬を渡るしかなかったのだから、それを考えると大きなことだ。
馬車の中は、いくらか話をしたりはしたけど、僕たち3人は、そしてシスターも戦闘での緊張から解放されたら、疲れた言うより気が抜けた感じで、黙って休んでいる時間の方が長かった。 町を経由するのだと、人目があるから体裁を整える必要があるけど、新しい道は原野のような場所を通っている部分がほとんどだから、だらけていても問題ない。 馬に乗っている領主様や護衛の騎士の人たちは、もう賊の来襲はないだろうと思ってはいるけど、一応モンスターに気をつけているみたいだ。 一角兎なんかの弱いのはこれだけの集団を襲いはしないだろうけど、もっと上位のモンスターならあり得ないことではないからね。 一番あり得る可能性は、道の近くに蟻の巣が出来ていることだ。
僕は馬車の中でぼんやりと、「馬車とか荷車は道がないと困るけど、騎馬や歩きならどこでも進めるんだよな。 少し無理をすれば、馬車や荷車も進めるか」なんてことを考えていた。 つまり人はどこからでも入り込める。
城下村に戻ってから、それまでの王都で聞いた話だけでなく、領主様やその周りの人にも話をさりげなく聞いたりして、現在の僕たちが暮らしている男爵領というものの置かれている状況というものを考えてみた。 今までそんなことを考えたこともなかったのだけど、帰りに嫌がらせらしい襲撃を受けるなんて事態を目の当たりにすれば、そんなことも考えない訳にはいかなかった。
僕は領主様の息子になったのだから、今までよりも広く世の中を見て、この領やそこに住む人のことを考えないといけないということなのかな。
理解出来た範囲では、これは分かっていたことだけど、領主様には好意的な貴族は少なくて、逆の意識を持っている者の方が多いということだ。 最も一番多いのは日和見的な立場の貴族だ。
王様は好意的だ。 これははっきりしている。
反感を持つ貴族が多いのは当然のことで、領主様が貴族になる要因となった手柄をあげた相手に、繋がりがあった貴族も多い為だ。 犯罪組織に繋がりがあった訳で、直接に証拠が上がった貴族は責任を問われ潰れたが、繋がりを噂されても証拠の出なかった貴族はまだまだ居るし、そういう貴族が権力を持っていたりもするのだ。
一介の冒険者だった領主様たちが、犯罪者集団に対して直接対峙することはともかく、貴族社会の中に深く根差す病巣を抉り出すなんて立ち回りが出来る訳もない。 そんなことを望まれても困るし出来る訳もない。
そこで、犯罪組織を壊滅させた功績として男爵位を与えはしたが、発展の余地も無さそうな荒野ばかりの僻地に領地が与えられた。 一見冷遇の様だが、反意を持つ貴族の干渉を受けない様にという意味の方がきっと強かったのだろう。
まあ、そんな感じで領主様の統治が始まった男爵領だったのだけど、本人たちも予想外に発展度合いはまだまだだけど、領地が有名になってしまったのだ。 言うまでもないけど、女神印の薬と、糸クモさんの布のせいであるのは言うまでもない。
僕らの帰り道に、襲撃者を送り込んで来たのは、「『良い気になるなよ』と言う軽い脅しでしょうね。 送った方も、返り討ちされるのは分かっていてのことですよ。 まるっきり本気じゃない」ということらしい。
僕は帰りの馬車の中では、口や態度に出しはしなかったつもりだけど、これからもうすぐにでも僕らの男爵領を他の貴族が攻めて来るのではないかという気持ちに囚われてしまって、一体これからどうしたら良いのだろうか、なんて1人で考え込んでいた。 だけど、それはどうも杞憂というか、恐怖を感じた故の考え過ぎだったようだ。
「そうですねぇ、うちの男爵様を気に入らないという貴族様はたくさんいますからね。 かと言って、簡単に攻めてくるなんてのは考え難いですね。
ナリート君も感じたというか、気が付いたと思いますけど、王都でうちの男爵に嫌味を言ったり、意地悪な物言いをする貴族はたくさん居たでしょ。 でも実際に彼らが我々に対して直接的に取れる攻撃手段は、そうはないのですよ。
今までは、うちは海のない内陸地だから、塩の供給を止められたらどうにもならないとか、鉄の供給が儘ならないから、それを止められると困るとかあっただけど。 どっちもナリート君たちがどうにかしてくれたから、以前の様に、それを匂わされると手も足も出ないということは無くなりましたし。
逆に最近は、こちらから供給する薬やスパイダーシルクの布が止められると困ると考えている人が、たくさん居るんじゃないかと思うんですよ」
文官さんの話によると、ここ数年で領主様のというかこの領地の置かれている立場は随分と強化されているらしい。 塩泉の開発や、高炉による鉄作りに、領主様やその周りの人はとても積極的な感じがしていたけど、そういった理由があったのだな。 僕たちはそこまで考えていなかったけど、領主様たちはずっと前から、そういうことも考慮していたということだ。
今現在、領主様のことを快く思わない貴族たちが出来ることは、今回のような嫌がらせのようなことと、僕らが薬の販売とスパイダーシルクの販売が出来ている秘密を探ることだろうという。
領主様が一番心配しているのは、薬の製造・販売が上手くいっている理由を、彼らが聖女の存在だと思い込んで、その確保を無理矢理しようとするのではないかということだ。 つまりシスターとルーミエの誘拐だ。
だが、文官さんが言うには、男爵夫人と娘の誘拐は、その成功しなくてもその企てが発覚すれば貴族として終わりだし、成功しても表沙汰に出来ない事柄なので、自分のところで薬の製造がその事件後に急に上手くいき出したら、発覚の恐れが大きくて、それは出来ない。 だとしたらリスクばかりで、成功すればこの領に対して大きな痛手を加えることは出来るけど、自分には利がないので、そんな計画を立てる訳がない、とのことだ。
確かに絶対という訳ではないけど、シスターやルーミエを誘拐しようとすることはまずないだろう。 それにシスターやルーミエの周りには、領内にいる時は誰かしら周りに人はいるし、そもそも普段は城下村の中にいることがほとんどで、そんなに出歩かないから。
となると、問題になるのは、僕らの秘密を探ろうとする者たちだな。 そんな者たちを炙り出して、被害を未然に防ぐにはどうしたら良いのだろうか。 そんなことを1人考えていて難しい顔をしていたら、ジャンに「何を考えているの?」と聞かれて、それから何故かあっという間に、ウォルフとウィリーも加わって、洗いざらい話して相談することになってしまった。
で、色々と話は出たのだけど、いつもの通りどちらかというと聞き役になっているジャンが言った。
「結局、この村の秘密を守る為にどうしたら良いか、という話し合いなんだけどさ、そもそもこの村に、秘密にしなければならない秘密なんてあったっけ?」
言われてみれば、全くそのとおりだ。
この村の主要産業になっている薬作りは、作っているのはシスターの肩書を持つ人たちで、何人もが王都から修行にやって来ている。 そもそも薬の作り方は秘密でもなんでもない。 薬草の栽培は、フランソワちゃんが主導しての、この領内ではもう普通になっている畑の作物の栽培法の応用で、これも秘密でも何でもない。
スパイダーシルクの布に関しても、糸クモさんの飼育の仕方は秘密ではないし、僕らの飼育法が気に入らなくて出て行ってしまったけど、元からの関係者に教えたりもしているくらいで秘密なんてない。 機織り機は、僕の頭の中の知識から引き出して作った物で、作れた台数が少ないからまだ村の中でしか使っていないけど、別に見せていない訳でもないから欲しければ真似して作れば良いだけだ。 ま、そこはかなりジャンとロベルトが研究したり工夫したりしているから簡単じゃないだろうけどね。 布の織り方や模様なんかは、染色の段階からの工夫だったりだから、それはそれぞれが頑張るところだろう。
鉄作りも、そもそもがキイロさんの知識から始まっていることで、高炉の稼働では僕たちが魔力が豊富であることを利用しているけど、別にやり方が秘密という訳ではないし、魔力の利用も、燃やす炭の大幅な節約が元々の目的だ。 これも秘密じゃないし、この地方の鍛冶屋の人たちは木材の供給から協力してくれているので、秘密は何もない。 知ろうと思えば誰かしらから聞くことが出来るだろう。
塩作りも、塩泉を発見したの確かに僕とルーミエだけど、塩作り自体はもう村から離れていて、領政府主導で働き手も広く募集している。 文官さんは最初はなるべく秘密にしておきたそうだったけど、労働者を沢山集めて作業に従事させているのだから、もう秘密にするのは無理と諦めている。 だからこれも問題ない。
「確かに秘密なんてないかも知れない。
でもなぁ、だからと言って、領主様に嫌がらせするような奴らの手下を、普通にそのままにしておくっていうのもなぁ。 何か、俺は嫌だしな」
ジャンの言葉に、そうか別に秘密ということがないなら、今話し合っているのって無駄でしかないのか、と思いかけたのだけど、何となく釈然としない気持ちがあった僕は、ウィリーの言葉に大いに賛成した。
「そうだよ。 結局知られて困ることがなくてもさ、悪意を持って探りに来ている奴に勝手気儘放題をされるのは、何だか気分が悪いじゃないか」
「確かにそれはそうだな。 俺もそう思うぞ」
「うん、確かに、僕もそれは腹立たしいような気分になるな」
ウォルフと、そしてジャンも、ウィリーと僕の言葉に同調してくれた。
そしてあらためて、今の状況に対処する方策を4人で考えた。 頭の中の知識も、こんな時は意識して、しっかり使う。 要は、僕らの男爵領に出入りする人をしっかりと把握していれば良いのだ。
そのために僕らが一番最初に考えたのは、領境にしっかりとした関所を設けることだ。 隣の領地との完全に明白な境は二つの丘だった。 決められている境はもう少し先の平原なのだが、それだと明白な境が判らない。 二つの丘からは完全にこちらの男爵領だ。
実を言えば、関所はすでに存在していた。 丘のこちら側に、道に面して衛兵の詰所があった。 でも、それは関所というよりも、困った人がいた時の救護や、何かの時のための連絡施設のような物だった。 行き交う人も、せいぜい軽く挨拶をする程度のことだ。
それをきちんと、一人一人チェックする施設へと拡充するのだ。
別にそんなに珍しいことではない。 王都に入るには、外壁の門の所で必ずチェックされる。 王都は広いけど外壁にしっかりと囲まれているし、当然ながらとても厳しいけど、僕は良くは知らないけど、高位の貴族の領地では当然のように行われているらしい。
「関所を作り直しても、そこ以外の場所からこっちの領内に入ってくるんじゃないか」
関所を、もっときちんと機能する様に整備しても、ウォルフの言うとおり、そこを通らないで入り込まれてしまっては何の意味もない。 今の道、つまり丘の間の道が使われているのは、それが最短ルートであるだけでなく、丘に挟まれているので他よりも自然が少し優しいからだけのことである。 それと多くの人が使えば、当然だけど道がきちんとして、通りやすくなっているせいもある。 スライムや一角兎はともかく、多くの人が通れば平原狼なんかも警戒してあまり近づかない利点もある。
逆に言えば、少し遠回りをしたり、自然の荒々しさも我慢したり、モンスターとの遭遇も覚悟しておけば、それを迎え撃てるか回避出来る技能があれば、その決まった道を通らず、関所を避けて入り込むことも割と簡単に出来るということだ。
「それだけどよう、丘の両脇に木を植えて、森を作らないか。 植林計画の一つとして。
ただ森を作るだけじゃなくて、木を植えたこちら側には、溝を掘って水が溜まるようにするんだ。 当然掘った土はこちら側に積んで土塀を作る。 水が少しあれば、スライムが発生して、駆除しなければ単なる森より、ずっとそこに入って来るのは困難になるだろ」
「なるほど、溝と塀も作るんだね。 つまり城下村のナリートの言う『お堀』というのを作っちゃえ、ということだね。 どこからそんなこと考えたの」
ジャンの問いにウィリーが答えた。
「西の村で池を作る時に、掘った土を積む必要から、真ん中に山があってその周りを円状になった池を作ることになっただろ。 あれはなるべく掘った土が他の邪魔にならないようにする為だろ。 今回は逆にいつもとおりに塀を作れば、それでOKだと思ったんだよ」
「でも、水をどこから引いて来るのさ?」
僕は一番の疑問点を聞いた。
「いや、水を引く必要はない。
だって、今でも関所のある場所は井戸があるのだろ。 それもあって、今現在ほとんどの人があの道を使っているのだと思うのさ。
それって、俺が思うに、丘に降った雨が下に流れるからというのもあると思うんだ。
それなら溝があれば、雨が降るたびに、そこに水が溜まるかな、と思って。
それに常に水が沢山溜まっている必要もないんだ。 少しの水が溜まれば、すぐにスライムは発生するだろうし。 木が少し大きくなって木陰が出来る様になれば、もっと増えると思うな」
あ、なるほど、と僕は思った。
「あ、それならさ、塀を作ったこちら側にも木を植えない。 こちら側は糸クモさんの木を植えて、大きくなった糸クモさんの生活する場にしよう。
そうしたら余計に、こちらに潜り込むことがしにくくなるんじゃないかな。 何しろ僕らは忘れがちだけど、糸クモさんは別名デーモンスパイダーなんだから。 僕らが世話している糸クモさんは、冬越しで死んでしまう率が低いから、他所の場所にいる糸クモさんよりも大きい個体が多いから、余計に睨みが利くんじゃないかな」
ジャンが何だか悪辣なことを考えた。 ま、大きくなった糸クモさんの生活場所がもっと欲しいというのもあるのだけど。
「森はもっと作りたいから良いんじゃないか。 どっちにしろ関所の場所から、両側に向かって少しづつ伸ばしていく形だな」
ウォルフがまとめた。




