面倒事は嫌なんだけど
その日は鍛冶屋さんの家に泊めてもらい、翌日、今度は挨拶という訳でなく、きちんとしたこれからの仕事の打ち合わせに、村長さん宅を訪れた。
西の村の村長さんは、僕たちが来るのを仕方なく待っていたという感じだ。
「村長、前にも言ったとおり、これは領主様も注目している一大事業だ。 村長も積極的に協力してくれ」
西の村の鍛冶屋さんは、なんだか心配そうな、ちょっと必死さを感じるような調子で、西の村の村長さんに話の口火を切った。
その言葉を椅子にふんぞりかえるような態度で聞いていた西の村の村長さんは、少しだけ椅子の背から体を離して、でも鍛冶屋さんのことは全く無視して、ほんの一瞥しただけで僕とキイロさんの方に向かって話し掛けてきた。
「まことに申し訳ないとは思うが、この事業計画に西の村は一切協力は出来ません。 ここでの事業は諦めていただきたいと思います」
「それは一体どういうことなのでしょうか?」
キイロさんが、少しムッとした調子で訊ねた。
「そこの鍛冶屋から今回の事業の計画を相談された時に、即座に私は断ったのです。 どうして即座に断った話が、わざわざ領主様の息子さんまで伴って、実行計画の相談にこられたのか、私は首を捻るばかりです」
あれっ、何だか話が違うような。 僕は文官さんからは「しっかりと事業を進めてください。 ガンガン進めて良いですから」なんて言われたのだけど。
「ですから村長。 私は、『村長は、この事業を行うことを断ってきた』と報告したけど、領主様のところの文官さんに、『この事業は領としても推し進めていることだから、それを村長に伝えて協力を要請してください』と言われたと伝えたではないですか」
「なんで鍛冶屋たちが集まって始めた事業に、それ以外の者までが協力する必要があるのだ」
「ですから、もう鍛冶屋だけのことではなく、この領主様が治める男爵領全体での話になっていると何度も言っているじゃないですか」
鍛冶屋さんと西の村長は、もう何度も繰り返しているらしい言い合いを繰り広げているらしい。
「えーと、どうして村長さんは最初からこの事業に協力しないと決心されているのですか?」
「えーと、ナリート様でしたな、よくぞ聞いてくれました。
そもそもこの西の村では、もうこれ以上水を必要とする耕作地を増やすことは不可能なのです。 ですから私は最初から断っているのです」
「どういうことですか?」
キイロさんが、鍛冶屋さんに訊ねた。
「えーとですね。 この西の村では、村長さんがその運用を一括して管理している井戸だけが、唯一の水源なんです。
ですから、その井戸の水だけが、生活や畑の水やりに使える水なんです。 水量は豊富だと思うのですが、それでも一つの井戸の水ですから限りがあります。
それがこの西の村が、もうこれ以上大きくならない理由です」
「えーと、それは断る話を文官さんに持っていった時に説明したのですよね。 それで文官さんは、何て行ったのですか?」
「はい、私は村長に強い調子で『断って来い』と追い返されましたから、しっかりとその辺は説明して断ったのですが、文官さんは地図を持ち出して、それからこの辺の地理に詳しい人を呼んで来て検討すると、『何も問題にならないですね』と、そのままこの事業を進めることを要請することを私に求めました。
私は村長と文官さんの間で板挟みですよ」
僕はそれだけの話で事態を理解したのだが、キイロさんには解らなかったようだ。
「何で水不足を文官さんは問題ないと判断したんだ?」
「キイロ、この地図を見てくれ。
西の町は川の水を利用していないが、背後から小さな小川が流れ出している。 きっとそれから地中に染みた水が井戸の水になっているのだと思うんだが、文官さんは川の水を『簡単に引くことが出来るでしょうから、水は問題にならないでしょう』と言うんだ」
「それが現場を見ていない者の言うことなのだ。
川の水を簡単に引くことが出来るなら、この村はもうずっと昔にもっと発展していたわ。 それが出来ないから、この村は今の大きさなのだ」
西の村の村長さんは忌々しそうに、少し声を大きくして言った。
「この地図で見ると、川はそんなに遠くもないですし、川の水を引くことが出来ないのは、どういった理由からなのですか?」
僕は疑問に思って訊ねてみた。
「川の周辺はスライムの巣窟なのだ。 あんな危険な場所には誰も近付こうとはしない」
「スライムなら、罠を仕掛けて数を減らせば、どうということもなく問題にならなくなるんじゃないか」
キイロさんが、村長は何を言っているのだろう、という感じで言った。
「スライムの罠? あんな物は、1日に1匹か2匹しかスライムを退治できない物ではないか。 村に近付いて来る、数少ないスライムには有効かもしれないが、大量のスライムに何の効果があるのだ。
とにかく、この村ではその事業に関しては一切協力はしない」
西の村の村長さんとの話し合いは、完全に物別れに終わってしまった。
「参ったなぁ。 とりつく島もないという感じだったぞ」
キイロさんは、とても困ったという顔をしてそんなことを言った。 この事業の担当責任者に領主様から指名されているので、責任を感じているのだろう。
「ま、とりあえず、川を確認しに行ってみましょうよ。
本当に村長が言うように、とんでもなくスライムが沢山いて、水路が作れないほどなのか。 川からこの村に水路が引けそうなのかどうかも、実際に見てみないと判らないから」
僕たちは早めの昼食を鍛冶屋さんの家でとって、それから川へと向かった。
馬車でこの村に来るにも、一応はモンスターと戦うことを想定して装備は持って来ていたから何も問題はない。 と言っても、竹の盾とナイフ、それに僕は槍と弓を、キイロさんは投石器という装備だ。 スライムと一角兎程度なら、それで何の問題もない。 平原狼も弓で射れば大丈夫だろう。 僕も今ではそれなりの弓の腕だ。
「あ、水筒は鍛冶屋さんも持って行ってくださいね。 もしもの時には必要ですから」
僕とキイロさんは気楽な調子で歩を進めているのだが、道案内してくれている鍛冶屋さんは緊張してピリピリしている。
「大丈夫ですよ。 スライムや一角兎なら、俺たち2人でも十分に戦えますから。
それに俺はダメですけど、ナリートはヒールが使えますから、少しくらいの怪我でしたら問題ありません。 十分に安全ですから」
キイロさんは鍛冶屋さんにそう言って、緊張を解こうとしたのだが、僕らの実力が分かっていない鍛冶屋さんは、その言葉を軽く微笑んで聞き流しているだけだ。
そうこうしているうちに、いくらか川に近付いたからだろうか、草の陰にスライムがいるのに気がついた。
「キイロさん、あそこ」
「おっ、出たか。 俺がやる」
キイロさんが、投石器で石を投げ、見事に命中してスライムを退治した。
「どうだ、ナリート、俺も最近はなかなかだろう」
「はい、キイロさんも投石が上手くなりましたね。
今回僕は竹の槍は持ってないし、矢を使うのも勿体無いので、スライムはキイロさんに任せます」
キイロさんは西の村の村長さんとの交渉が上手くいかなくて、ちょっと鬱憤が溜まっていたのだろう、どんどんスライムを退治していく。 スライムだけしか居ないのか、と思っていたら一角兎もいた。
「キイロさん、あそこ、一角兎が都合良く1匹だけでいます。 せっかくだから、投石で退治しないで、盾を使って、鍛冶屋さんに退治してもらいましょう」
「私ですか? 私は冒険者の真似事はしたことがないのですが」
「そんな大したことではありません。 僕がこの盾で兎を押さえつけていますから、このナイフをお貸ししますので、ナイフでトドメをお願いします。 兎の首筋を切るだけですから簡単ですよ」
キイロさんがわざと外して石を投げ、それで向かって来た一角兎が僕の盾に突き刺さって動きが取れなくなり、押さえつけたところで、鍛冶屋さんがアタフタしながらもトドメを刺した。
「なるほど、危険を感じることなく、一角兎を退治することができました」
「ええ、一角兎はただ直線的に突っ込んで来るだけですから、この盾を持っているだけで危険は無くなるんです。 レベル2のモンスターですけど、レベル1のスライムよりも安全なくらいなんです。 それにスライムは退治しても何も採れないですけど、兎の肉は美味しいですからね。 今回のこれもお土産になります」
「はい、うちのカミさんも喜びますよ」
僕たちは川までそんな調子で何の問題もなく行くことが出来た。
確かに文官さんが想定したように、川から水を引くのに何の問題もないようだ。
帰りには、もう1匹一角兎を狩った。 今度は鍛冶屋さんが恐る恐るだが、自分から盾で兎の突進を受けた。
「なるほど確かに私でも誰かと組めば、兎を狩ることが出来そうです」
「ええ、一角兎を狩るのは難しくないのですけど、それはしっかりと居場所を発見出来ればという問題があるのです。 一度に数匹に襲われたら、盾で受け切れない可能性がありますからね」
「ええと、ナリートさんはこういったモンスターがどこに何匹居るのかが分かるのですか?」
「はい、その能力を冒険者として磨いて来ましたから。 冒険者の等級が高くなるには必須の能力なんですよ、これは。 僕、これでも銀級冒険者ですから」
「そうなんですか。 そうですよね、私にも一角兎は狩れるなんて過信してはいけないですよね」
「そうですね、油断する危ないですから。 でも、今、ご自分でもやってみて解ったと思いますが、きちんと対処すればスライムも一角兎も、そんなに怖がる必要はないモンスターです。 それ以上となると、やっぱり一部の冒険者たちなんかじゃないと対処出来ないと思いますけど。
つまり言いたいのは、川から水を引くことは、そんなに危険がある作業ではないということなんです。
ま、スライムへの対処は、これからもう少しきちんとしていけば大丈夫です。 キイロさんみたいに投石での対処も出来ない訳じゃないですけど、面倒ですし、慣れというかかなりの練習が必要ですから」
僕は川から西の村に帰る途中、村に近付いた時にちょっと気がついてしまった。
「あの、もしかして、西の村ではまだ村の周りは草を完全に抜いているのですか?」
「ああ、確かに村の周りの様子が、昔俺たちが居た時の村みたいな感じだな」
キイロさんも僕と同じ感じを受けたらしい。 よく見ると、スライム避けの灰も撒かれている気がする。 今の僕らの目から見ると、とても勿体ない行為だ。
「ええ、もちろんです。 この村の周りはスライム多いですから」
鍛冶屋さんは、「当然のことだ」と言わんばっかりに答えてくれた。
「あれっ、この西の町にもフランソワちゃん、えーと農業の女神様がやって来て、新農法を教えて行ったと思うのですけど」
「はい、確かに農業の女神様がやって来て、色々と教えてくれたのですけど、女神様が教え終わって戻られると、女神様がいる時には『はい、なるほど、そうすれば良いのですか』と、村長も愛想良くしていたのですけど、去られた途端に、『そんなことしたら、すぐにスライムが村に入り込んで来るに違いない。 今までと同じにするぞ』と、新農法は禁じてしまったのです」
「えっ、誰も村長さんに反対しなかったのですか?
新農法は他の村ではみんな成功して、収穫量が上がっていますよ」
「そうなんですか、私たちは他の村や集落の収穫量の変化なんて全く知りませんから、それは知りませんでした」
「少なくとも村長は、他の様子を知らされていただろうに。 何で昔のやり方にそんなにこだわるんだ。 それも水のせいなのか。
それにしても西の村に住んでいる者たちは、どうしてそんなに村長に対して従順なんだ? 村人の1人や2人、試してみようとしてもおかしくないと思うのだが」
「いえ、村長の言うことに逆らっていることがバレたら、水の使用を制限される可能性がありますからね。 そうしたら、生活さえ死活問題です。
ですから、この西の村では村長の言うことは絶対なんです。
畑を耕すことを生業にしていない私でも、水を制限されたら生きていけません。 ま、私は最終的には他の地に移っても生きていけるでしょうが、農業を生業にしている人はそうは行きませんから、村長には逆らえませんね」
うーん、何だかこの事業に僕を関わらせた文官さんや領主様の意図が見えてきた気がするぞ。




