院長先生がやって来て
私とフランソワちゃんはナリートとは違って、領主様と一緒に色々な所に出かけずに済んでいるので、王都の領主様の邸で結構楽しくやっている。
さすがに王都を全く知らないので、邸の中で世話役のおばさんたちと一緒に過ごすのがほとんどなのだが、しばらくすると近場なら外にも出ることが出来るようになった。 王都とはいっても、底辺貴族である領主様の邸はその中心からは離れた郊外にあるので、辺りの雰囲気は領主様の町と変わらない。
最初は同じ立場で領主様と一緒に来たはずなのに、ナリートだけ領主様に連れられて出歩いていたので少し羨ましく思っていたのだが、何をしているかを聞いたら、私はそれをするのは嫌だなと思って、まあナリートを労ってあげることにした。 うん、ご苦労様。
そんな訳で私とフランソワちゃんは、特に私はあまり経験したことのない年上の女性たちとのおしゃべりを楽しむ毎日を少しの間おくっていた。
だがそんな日々は簡単に終わりを迎えてしまったのだ。
「老シスター様がおいでになって、あなたたち2人を呼んでいるわ。
今していることはそのままで良いから、早くそっちに行って」
世話役のおばさんの1人が、とても慌てた調子で私たちが洗濯をしている場所に駆け込んで来た。
老シスターと言っていたから、きっと町の院長先生が私たちのことを見に来たのだろう。 そう言えば、領主様だけでなく、院長先生も王都にやって来るというような話だった気がする。
そっちは私たちには関係無いと思っていたから、気にしていなかった。
院長先生は、私たちが居るなら顔を見ておこうと思ったのだろう。
私とフランソワちゃんは、別に院長先生が来たからといって、慌てるようなことではないと思っていたのだが、どうやら世話役のおばさんたちにとっては違っていたようだ。
「あなたたち、何をしているの、のんびりしていないで大急ぎで動きなさい。
私たちが今までお目にかかったことが無い、高位のシスター様があなたたちを呼んでいらっしゃるのよ」
あ、そうだった、私たちは忘れていたけど、院長先生はとても高位なシスターだったんだった。
おばさんたちは、院長先生の胸に飾られている布を見て、凄く驚いたらしい。
まあ、王都の有名な商店の人でさえ見たことがなかったと言った、糸クモさんの糸で織られた最高級と評価される布だからね。 私とフランソワちゃんは、そのおばさんたちの様子を見て、自分たちのところで作られた布だから、ちょっと鼻が高くなった気がした。 ま、布自体よりも、そんな特別な布を胸に飾っていることで表されている、院長先生の地位の高さの方が、おばさんたちにとっては問題なんだろうけど。
急かされて私たちが邸の玄関脇の部屋に行くと、院長先生はお茶を片手に世話役のおばさん数人と軽いおしゃべりをしていた。 どうやら、ここに来てからの私たちのことを、おばさんたちに聞いていたらしい。
「院長先生、お待たせしました」
「来られると聞いてはいたのですけど、院長先生も王都に来られたのですね」
フランソワちゃんに続けて私も挨拶をした。
「任された仕事はもう良いの? 私は一昨日、こっちに着いたわ。
もうやっぱり歳ね。 昨日ここを訪ねようと思っていたのだけど、一日休んで、今日になっちゃったわ」
「はい、任された仕事の方はそのままで構わないと言われました」
「院長先生は、無理をしないでゆっくりした方が良いと思う」
私は院長先生の健康のレベルが低いことを知っていたので、ちょっと心配になって、そんな風に言ってしまった。
高位の老シスターに、私が物怖じしないで意見を言ったので、おばさんたちは失礼にならないか、ちょっと焦ったみたいだ。 そんなことで院長先生は目くじらを立てたりしないのに。
「それなら良かったわ。 私の体の方は、一日休んだから、もう大丈夫よ」
院長先生が、後の方は私に向かって言ったので、フランソワちゃんが、私が院長先生を見て、心配をしたのだと気付いたようだ。 フランソワちゃんも私が見えることをもちろん知っているから、そういうことにすぐに気付く。
「それで今日は、あなたたち2人の顔を見にきただけじゃなくて、あなたたち2人に私の仕事を手伝ってもらうために来たわ。
領主様には話を通してあるから、私と一緒に行動しても問題はないわ。
まずは私が持って来た服に、2人とも着替えてね」
何の事前の知らせもなく、私たちの知らない所で話が決まっていたらしいことにも面食らったが、それ以上に私たちは院長先生が用意してくれた私たちの服に驚いた。
「院長先生、この服はシスターの服じゃないですか。
私もルーミエもシスターではないのですけど」
「フランソワ、大丈夫よ。
あまり知られていないけど、見習いシスターには2種類あるのよ。 一つは良く知られたシスターの学校を卒業したばかりのシスターね。 もう一つ、上級シスター以上のシスターが任命したシスターというのがあるのよ。
2人とも私が任命したことになっているから、シスターの服を着ても問題ないから、安心してその服に着替えなさい。
着替えたら、すぐに出発するわよ」
見慣れていたシスターの格好だから、すぐに着替えは出来たのだけど、その下に履く靴に迷った。
私たちは、王都との行き帰りは何があっても良いようにと冒険者の履く靴を履いていて、他には領主様のお付きをする可能性があったので、その時用のちょっとだけ華奢な靴しか用意していなかった。 どちらもシスターの格好で履くのは合わないと思ったのだ。
迷った末に、何をさせられるか分からないので、丈夫な冒険者の靴を履くことにした。 仕方ないよね。
着替えて用意が整った私たちは、待っていた院長先生と馬車でどこかに行くことになった。 私たちはシスターとは馬車を使うことはなかったので、シスターというのは長距離の移動ででもない限り馬車などの乗り物には乗らず、全て歩いての移動だと思っていたからちょっと意外だった。
「そうね、院長先生はお歳だものね。 乗り物を使って当然だったわ。
これなら冒険者の靴じゃない方が良かったかしら」
フランソワちゃんに言われて、そうだったと私も思ったけど、それにしても豪華な馬車で私はびっくりした。 領主様の馬車よりも何だか高そうな馬車だ。
フランソワちゃんは馬車で移動することに注意が向いて、馬車自体には興味がないのかも知れないけど、私は乗るのを躊躇ってしまうような馬車だ。
そんな馬車で、どこに連れて行かれるのだろうと思っていたのだけど、拍子抜けしたことに着いたのは王都の孤児院だった。
うん、これなら冒険者の靴で正解だった。
王都の孤児院のシスターたちは、とても丁寧な調子で院長先生に接していた。 私たちはシスターが院長先生と話す時は、領主様と話す時以上じゃないかと思う程丁寧な口調で話をするので、院長先生と話す時は少し緊張して、言葉使いを間違えないようにしようと心掛けている。 王都の孤児院のシスターたちも、やっぱり同じなんだな、と思った。
「7歳以下の神父がまだ見ることが出来ない幼な子たちを連れて来てくださいな。 その子たちを、この見習いシスターのルーミエに見せましょう。
ルーミエは特殊技能を持っていて、幼い子どもでも健康状態を見ることが出来るのです」
私は院長先生に言われたとおりに、連れて来られた小さい子たちを見てみる。 あ、そういう事か。
「院長先生、やっぱりここでも寄生虫に冒されているよ」
「やはり仕方ないわね。 ルーミエ、とりあえず寄生虫がいたら除去してあげて」
私がそれらの作業を進めている間に、院長先生はフランソワちゃんにも、やる事を指示する。
「フランソワはもう少し大きい子たちに、どうすれば病気にならないかを、いつものように教えてあげて。
出来るようだったら、生活魔法などの役に立つ魔法も教えてあげてくれても良いわ」
私は自分のことをしながらフランソワちゃんがどうするかを見ていると、フランソワちゃんは、まずみんなに体を洗わせているようだ。 私もここに来てすぐに気が付いたのだが、この孤児院の子どもたちは薄汚い。 今の私たちの城下村では風呂に入るのが普通になっているから比較の対象にはならないと思うけど、私たちが孤児院にいた時よりも、ここはずっと町中なのに、子どもたちが汚れているのだ。
フランソワちゃんは少しサービスで、暖かい水を魔法で出してあげて、体を洗わせている。 その際に、どこか怪我をしている子を見つけるとヒールで治してあげている。
イクストラクトで寄生虫の排除をしている私もだけど、この孤児院のシスターにガン見されていて、ちょっとやりにくい。
フランソワちゃんは、体を洗わせて着替えさせると、その子たちにドロップウォーターとクリーンの魔法を教え始めた。
魔力があまりない子どもたちでは、ドロップウォーターの魔法を教えられても、やっとコップ半分ほどの水が作れるかどうかだろう。 クリーンも、何をしているか判らないレベルだと思う。
でもどちらも生活魔法だから、練習すれば誰でも使えるようになる。
「今日は体を洗うのにも私が暖かい水を魔法で出しましたけど、普段はそうはいきません。 それは仕方ない。
でも、ドロップウォーターは生活魔法だから、誰でも練習すれば使えるようになります。 そうして練習して、まずは自分で飲む水だけは、井戸の水をそのまま飲むことはしないで、ドロップウォーターで出した水を飲むことにしましょう。
井戸に近い所で練習した方が、楽に水を出せるので、最初はその方が良いでしょう。 練習していれば、段々とたくさんの水が出せるようになりますからね。
それから、これは効果が最初は判らないかも知れませんが、1日に1度自分自身にクリーンの魔法をかけましょう。 これも練習あるのみです。
そうしていると、今よりもお腹が痛くなったりすることが、きっと減りますから、みんな頑張りましょうね」
私はちょっと意外だった。 フランソワちゃんは、きっと堆肥の作り方を教えるところから始めるのだろうなぁ、と思っていたら、それには全く触れなかった。 確かにここは町中で、孤児院の敷地も狭くて、畑らしい畑もない。
うん、確かにフランソワちゃんもいつものようにはいかないだろうな。 でもそんなの関係ないのかも。 フランソワちゃんは誰かに物を教えるのに慣れている、というかそれは大得意だもんね。
「シスターのお姉さん、お姉さんが私たちを治してくれたヒールの魔法は、私たちには出来ないの?」
「えーとね、ヒールの魔法は生活魔法とは違うから、誰でも出来るという訳ではないの。 でもね、ヒールの魔法をかけてもらったことがあって、その時にどんな感じだったかをしっかりと覚えていれば、もしかすると覚えられるかも知れない」
「私、さっきかけてもらった時の感じ、ちゃんと全部覚えているよ」
「それならもしかすると出来るかも知れないよ。
まだどこかに小さな傷とかない? もしあったら、さっき私が別の所をヒールで治した時の感じを思い出して、そこに手をかざしてヒールと唱えて、同じように治ることを想像して」
その子は、必死になってヒールを使おうとしたのだろう。 魔力がほんの少ししか今はないその子は、それだけで疲れ切ってしまって、自分では魔法が成功したのか失敗したのかも良く判らないようだ。
「あ、出来てるよ。 擦り傷治っているよ。 成功だよ、覚えられたねヒール」
「メリッサ、凄い。 本当にシスターのお姉さんと同じに治っている」
どうやらその子はメリッサという名前らしい。 友達にそう言われて、笑顔が弾けた。
「まだ魔力があまりないから、ちょっとした傷を治しただけで疲れ切ってしまったみたいだけど、これは生活魔法もだけど、使っているうちにコツをしっかりと覚えてもっと簡単に使えるようになるし、魔力もだんだん増えて楽に使えるようになるよ。 そうすれば自分の傷にだけじゃなくて、誰かの傷も治せるようになる。
メリッサだったね、もっと慣れてヒールがしっかり使えるようになったら、友だちにも今私がしたのと同じようにして、今度はメリッサが教えてあげると良いよ。
でもまあ、ヒールは生活魔法じゃないから、得意不得意があって、誰でも同じように使えるようになるという訳じゃないから、そこは間違えないでね」
生活魔法の一つであるドロップウォーターとクリーンの魔法はともかくとして、ヒールまで子どもたちに教えて成功させたことに、王都の孤児院のシスターたちは驚いている。
「私たち、シスターの学校でヒールを教わって使えるようになったけど、習得にはとっても苦労したよね。 それをあんなに簡単に教えて、実際に使えるようにするなんて」
「こっちの見習いシスターは、イクストラクトで寄生虫を体内から排除しているわ。
噂には聞いていたけど、本当にイクストラクトで寄生虫の排除なんて出来るのね」
王都の孤児院のシスターたちは、院長先生の前だということも頭から忘れてしまったみたいで、自分たちの間で色々と話を始めてしまっている。
院長先生はそれを少し楽しそうに眺めていたが、ちょっと咳払いをして、彼女たちの注目を集めて静かにさせてから言った。
「今ちょっと話に出たけど、イクストラクトで寄生虫の排除をやり始めたシスター、私が今いる辺境にいるシスターなのだけど、今では『聖女様』と呼ばれているわ。
今日、私が連れて来たこの2人は、私が見習いシスターに任命したけど、元はその『聖女様』の弟子なのよ。
どう、凄いでしょ。
孤児院はここに限らず、私のいた辺境の孤児院でも寄生虫が問題になっていたわ。 いえ孤児院に限らないわね。
でも辺境では、その『聖女様』が中心になって寄生虫の問題に取り組み、ほぼ寄生虫の問題を解決したわ。
どう、あなたたち、あなたたちもそういうことをしたい、出来るようになりたいとは思わない?」




