布作りと糸クモさんの越冬
糸クモさんの糸を原料とした布作りは、まだほんの少しだけど本格化した。
昨年は糸クモさんの飼育自体がまだ試験段階だったから、得られる糸が少ないし、どうやって糸クモさんの糸を使える状態にするかなんかを、アリーからまだ習っているというのが本当のところだった。
今年は昨年から比べれば、飼育している糸クモさんの数もずっと増えて、採れる糸クモさんの糸の量がずっと増えた。 何しろ春に生まれた糸クモさんが脱皮して成長する度に糸が採れるのだから、ある程度糸クモさんの数が増えると、採れる糸の量はドンと増えるのだ。 アリーはまだまだ増やす気でいるようだけど。
昨年も試しに糸クモさんの糸で布を織りはしたのだけど、量も少ないし、織り方も僕らの衣類などに使う布を織った、今までの簡単な織り方だったからか、糸クモさんの糸を使ったからといって、いかにも高級そうという布は出来なかった。
しかし今回は、まだ複雑な織り方は出来ず単なる平織だけだけど、機織り機で織ることになった。
採れる糸の太さの順番で、一番最初に織る布が一番細い糸で織ることになり、神経を使う難しい作業になってしまった。 当然だけど、この一番最初はアリーが受け持った。
織るアリーと、機織り機を作ったジャン、そしてロベルトの小さい機織り機の改良などを経て、苦労の末織られた布は、とても美しい布になった。
織られた布は、とても薄く透き通っている様にも見えるが、少し光を反射してるような光沢もある。 ただし、真っ白という訳ではなくて、糸クモさんの糸は僅かだけど極薄く緑がかっている。
この美しい布は、糸クモさんの数が増えたとはいっても、最初の一番小さい巣から作られた糸で織られたモノだから、そんなに量がない。 何しろアリーが1人で担当しているくらいだからね。
そこで半分づつに分けられて、領主様と、町の孤児院の年寄りシスターに献上することとなった。
領主様には当然だと思うけど、何故あのシスターに、と僕は思ったのだけど、シスターからの指示だから、誰もそれに異議は挟まない。
「さあ、それじゃあ町まで献上に行くわよ。
持っていけば、必ず褒めてもらえると思うから、褒められる権利があるのは、アリー、ジャン、そしてロベルトかな」
今回は行くと聖女様と騒がれるので、あまり町に行きたがらないシスターが、ちょっと積極的で、自分が率いて町に行くつもりのようだ。
まあシスターが一緒に行けば、領主様にも老シスターにも簡単に話が通るだろうから適任でもある。 僕らだと領主様はすぐに会ってくれるだろうけど、老シスターはどうだか判らない。 もしかすると直接には会わずに献上するだけになるかも知れない。 シスターが行けば、どちらも直接手渡すことが出来るだろう。
「シスター、俺も一緒に行くのですか?」
「ロベルトは当然でしょ。
機織り機をジャンとあなたで作ったのだから」
「いえ、機織り機は最初はナリートとジャンで始めて、それに俺は後から加わっただけです」
「でもナリートは途中で2人に任せてしまって、結局アリーと一緒に機織り機の細かい問題を解決したりしたのは、ジャンとあなたの2人でしょ。
機織り機に関しては、あなたたちが頑張ったと言えると思うわ。
だから、褒められに一緒に行くのは当然だわ」
「でも俺、領主様にも、町の孤児院の老シスター様にも、今までちゃんと会ったこともないので」
「あれっ、ロベルトって、そうだったっけ?」
ジャンが、ちょっと意表をつかれたという感じで、少し驚いた声を出した。
「うん、そりゃ領主様はここに来たりしているから、一緒したことはあるけど、俺は名前を名乗ったことも紹介されたこともないから。 ましてや、町の孤児院の老シスター様は、俺は全く会ったことがない」
「あら、そうだったかしら。
それなら尚更良い機会ね。 ロベルト、あなたもしっかりと領主様と老シスター様に顔と名前を覚えてもらうと良いわ。
私は、あなたは覚えてもらえるだけのことをしたと思っているわ。 少なくとも両方から、お礼とお褒めの言葉はもらえると思うわよ」
「えっ、俺なんかがですか。 そうだったら嬉しいなぁ」
横でこの話を聞いていたアリーがシスターの服をちょっと引っ張って、自分に関心を向けさせた。
アリーは孤児となって町に来た時に、シスターに保護される形になったからか、時々シスターにこういった甘えた仕草をすることがある。
「シスター、私はどちらともお会いしたことはあるけど、私もロベルトと同じように、領主様にも老シスターにも、まともに名乗ったことも、紹介されたこともない」
「あら、そうお。
アリーのことは、ロベルトとは違ってお2人とも確実に知っていると思うわよ。
でもそれじゃあ、今回はしっかりと自分で2人に挨拶しなさいね。 もっとちゃんと覚えてもらえる様に。 そしてアリー自身も、自分からしっかりと挨拶できたと自信になるように」
ジャンによると、2人とも領主様との対面、老シスターの対面とも凄く緊張していたみたいだ。 そして領主様からは褒美が出たそうだ。
「素晴らしい布だな。 そしてこの素晴らしい布をもらったこと以上に素晴らしいのは、これからもお前たちの城下村で、糸クモの糸を使った布が織られるということだ。
それを主導したお前たちには何か褒美をやろう。 何が良い?」
ロベルトは領主様にナイフの下賜を願った。 「城で暮らす同じ代の男で、僕だけ領主様から下賜されたナイフを持っていないので」ということだ。
アリーは迷った末、やはりナイフにした。 領主様がそれなら、「フランソワの様なナイフにするか」と聞いたら、「普通のが良い」と言って、ルーミエ、エレナと同じ様なナイフになった。
「ジャン、お前はどうする?」
「僕ももらえるんですか?」
「お前だけやらないと不公平だろう。 だけどお前には前にナイフはくれたからなぁ」
ジャンは考えて、領主館の図書室の本を読む許可をもらった。
「僕はナリートとルーミエみたいに学校には通わなかったので、本を読む機会がありませんでした。
ですから、町に来た時に、本を読ませてもらえたら嬉しいな、と」
「分かった。 いつでもこの館に来て、図書室の蔵書を読んでいいぞ。
儂もあまり読んでないから、面白い本があったら教えてくれ」
シスターはジャンの願いを聞いて、ちょっと考え込んでいたらしい。
老シスターのところでは褒美は出なかったけど、やっぱり凄く褒めてもらえたらしい。
「本当に綺麗な布が出来ましたね。
私はこれからは胸に付けるリボンはこの布を使うことにしましょう」
「院長様、それでは銀のリボンでは無くなってしまいます」
「カトリーヌ、良いのですよ。
銀のリボンと言ったって、白い布に銀糸の縁取りがあるだけのことです。 それよりはこの布の方が、ずっと光輝があると思いませんか。
それにこの地方の最高の布を胸に飾っている方が、私はとても名誉に感じるのです」
この老シスターの行為は、アリー、ジャン、ロベルトの3人は意外で驚いたというだけだが、シスターはとても感激したらしい。
ま、とにかく、3人が領主様と老シスターにしっかりと覚えられたことだけは確かだろう。
布作りは、機織り機で織る様になると、今までの織り方をしていた時よりも、ずっと高品質な物が、短時間で織れる様になった。
つまり、ジャンとロベルトが機織り機を一台、また一台と作って増やしていくと、それだけ布作りの作業効率がどんどんと上がっていくのだ。
かといって、そんなに沢山の糸クモさんの糸を使った布が織れるかというと、決してそうはいかない。
糸クモさんの脱皮の回数が増えて、糸にする巣が大きくなると、それだけ沢山の糸が採れる様になるのだけど、糸にするための作業量は増える。
その上、この年は春先の植え付け後に、大きな野盗騒ぎがあって大変だったけど、それ以降は天候も順調で作物の実りも良い。 つまり、糸クモさん以外の糸の原料の生育もとても順調だったのだ。
僕としては早く綿を原料とした布が欲しいと思うのだが、現実的に今現在の衣服やその他の必要とする布類としては、従来からの馴染みのイラクサからと、大麻からの2種類の麻布を優先する必要があるのだ。
それだって布にしている訳ではなくて、収穫して糸まで加工することが主だ。 とりあえず糸にしておいて、農作物の手入れに労働力をあまり割かれない冬に、その糸を使って布作りをするという順番だ。
機織り機で織る方が効率化されても、とりあえずの優先される仕事の順番は変わらない。
綿も今年はある程度の量の収穫となったが、それ程増えてはいない。
それはもちろん前年に集められた種の量があまり多くないからだ。 多年草だから、増え始めればかなりの速度で増えると思うけど。
今年に関して言えば、こちらはやっと糸作りを試して、少しは織ることが出来るだろうか。
だがそれをするためには綿を打つための専用の建物が必要になるかも知れない。
綿は収穫して、中の種を抜き、殻の屑だとかゴミを取り除いた後、弓のような、というか形だけなら弓そのものの道具で叩く。 そうすると弓の弦に弾かれたり絡み付いたりして、綿が元の塊から解れてフワフワになるのだ。
そうなってやっと、糸にしたり、そのまま利用したり出来る様になる。
だが、ちょっと考えてみてもらえば分かると思うのだが、その作業をすると綿が盛大に巻き上がる事になる。
その状態で風なんて吹けば、一気にどこかに行ってしまう訳で、その作業はほぼ密閉された場所の中でする必要がある。 具体的には明かり取り以外の場所をしっかりと塞いだ建物が必要となる。 その明かり取りもなるべく高い位置に設定して、なおかつここでは貴重な薄い紙で覆って、風が入ったり舞い上がった綿がどこかに行ってしまわないようにする。
こんな建物を作って、そこに鼻と口を布で保護して作業する事になる。 暑い時期にはとても出来ないな。
こんな時には、頭の中にあるガラス、せめて障子が作れたら良いのにと思うのだけど、僕らの技術はまだそこまでとても行かない。
綿の布も欲しいのだけど、綿の糸が出来たらタオルも織りたい。
それに、もうこれ以上は必要ないという広さまで、綿花の畑を広げることが出来たら、その種も増やすために大事に扱う必要はなくなる。 そうしたらその時は不要になった綿花の種を使って、油を採取したい。 綿実油だ。
綿実油は食用にもなる他に、石鹸やら何やら色々に使える。
そう、やりたい事は、まだまだ沢山あるんだよ。 そもそもにおいてもっとちゃんとした城を建てたい。
そう思っているのだけど、今は城作りよりも村作りの方が忙しい。
米の収穫も終わって、麻布となる糸作りもほぼ終わった。 そして糸クモさんが、僕たちの飼育下で最後の脱皮を終え、今年は一番最初に植林された区画に放された。 去年はまだ植林した木が小さかったので、いくら成長の速い木でも流石に無理で、今年が初めてだ。 去年は元々の丘の先の森に放したからだ。
これから放された糸クモさんは、自分で食料を得て、もうすぐに迫っている冬に向けて準備しなければならないのだ。
「ねぇ、ナリート、お願いがあるのだけど」
珍しくアリーが僕に直接、何かお願いがあると話しかけてきた。 今までは何かあっても、自分のパートナーとなったジャンを通して、話を出していたので、直接というのは珍しい。
「え、何? お願いって、みんながいる時じゃなくてというのは、何か個人的になの?」
「個人的にという訳じゃないのだけど、ナリートはここの城主だから、ナリートに話を通しておいてから、みんなにもお願いしようと思って。
ナリートが『無理だ』と言うなら、諦めて、みんなには言わない」
城主、うん、良い響の言葉だな、なんて変なことを考えてはいられない。 アリーはとても真剣な顔をしている。
「あのね、糸クモさんを放した場所に、糸クモさんが越冬するための、小屋を建てたいんだよ。
中に巣を作れる様に棚は作っといてあげたいけど、それ以外のことはしない。
小屋の中で越冬出来るだけで、糸クモさんはより多く春まで生き残れると思うんだよね。
ほら、今年放したところは、やっぱりまだ木が小さいから、風を遮ったりとかが少なくて、糸クモさんたちにとっては、とても辛い越冬になってしまうと思うんだ。
小屋の中であれば、その中に巣を作れば風が遮られるから、ずっと楽に越冬出来るって、私から糸クモさんに、小屋が出来たら話すよ」
春先に、糸クモさんの卵を集めた時、僕はもっと多くの卵が集められるのかと思っていた。 前年に放した糸クモさんの数を考えると、集められた卵の数はかなり予想を下回ったのだ。
もちろん僕たちが指定する産卵場所以外で産卵する糸クモさんもたくさんいるのだろうとは思うのだけど、あれだけ僕らに馴れていたのだから、もっと集まるかと僕は思っていたのだ。
その時には、アリーが別に残念がることも悔しがることも、それに不思議がることもないので、僕はそういうモノなのかと思っていた。
今回のことで、アリーに色々尋ねてみると、糸クモさんは寒さには弱く、かなりの数の糸クモさんが越冬中に死んでしまうとのことだった。 その死亡率を減らせば、より沢山の卵が来春には集められるということらしい。
今年は昨年と比べると、ずっと多くの糸クモさんの主食となる葉を付ける木を植林できたから、アリーとしてはもっとたくさん卵を集めて、糸クモさんの飼育数を増やしたいと言うことだ。
アリーが僕に先に話をしようとしたのは、小屋を作るということはかなり大変な作業だからだ。
何が大変かというと、まずは当然1人で小屋が建てられるわけもなく、労働力としてみんなの力が必要なことだ。
今現在進めている仕事がそれぞれあって、それに計画されていなかった小屋作りという仕事を付け加えて良いものかどうか、その判断がアリーには出来ないので、一応ここのリーダーという形になっている僕に、先に伺いを立てるべきだと考えたのだろう。
もう一つ、もっと大きな問題として、小屋を建てるとなると、壁などは土魔法のレンガで作るにしても、骨格となる柱や梁などにどうしても材木が必要となる。 それはここでは貴重品で、それ用の植林もしているけど、今はこの丘の本体である尾根の森にある木に頼っているだけだ。 その中で、伐採して使用して良いと思われる木は限られているので、用途として許されるかどうかという問題があるのだ。
「僕はさ、アリー。 良いと思うよ。
糸クモさんにとって、植林した場所は、尾根の本体の森よりも風なんかも通りやすいから、冬越えには厳しい場所だと、僕も思うんだ。 だとしたら、今年の春、産卵に集まった糸クモさんより、そのままにしていたら、もっと数が減ってしまうかも知れない。
数が減るということは、糸クモさんが冬を越せないで死んでしまったということだから、その数が増えるのは嫌だし、もっと厳しいとなると全滅もあり得るかも知れない。
そんな事態は僕も避けたいから、糸クモさんが冬を越すための小屋作りは、僕も賛成だよ。
でも実際に作れるかは、みんなに聞いてみないと、僕だけで決められないけど」
飼育している糸クモさんは、要らなくなった巣を糸の原料として提供してくれるだけでなく、田んぼや畑の害虫退治にも大きく貢献してくれている。
それ以上に、毎日の中で普通にいつも接しているからか、なんて言うかみんな情が湧いていて、最優先で小屋は建てることに決まった。
でも糸クモさんて、またの名をデーモンスパイダーというのだけどね。 僕もそっちの名前を思い出すことは、ほとんど無いのだけど。




