水堀を作っていると
糸を作るのに大変なことは、糸となる素材を撚って長い糸にする作業だ。
糸クモさんの糸と、葛の蔓から作る繊維は、丁寧に作業すればそのままでかなり長いけど、他の素材の繊維はそんなに長さはない。
短い繊維を撚って繋ぎ合わせて、長い糸にするのが糸作りだ。
太さは違うけど、やっていることは麦藁や稲藁で作っている縄と同じことだ。
今まではその作業を、全て指先と掌で行っていた。
そこを手回しの糸繰り機で、効率upすることにした。
実際問題として、今取り掛かっているイラクサの繊維による糸作りでは、糸繰り機はそんなに効果がある訳ではなくて、扱いに慣れないから、面倒がって、みんな興味を示さないかなと思っていた。
糸繰り機がその効果をしっかりと発揮するのは、綿花が収穫されてからの事だと僕は思っていた。
綿花は糸の材料としては利用されてなかったから、その利用は一から教えなければならないから、その時に本格的に糸繰り機の利用が始まれば、それで良いや、と僕は思っていた。
ところが思わぬところから、手回し糸繰り機の本格利用が進んだ。
「これ、すごく良いよ。
糸クモさんの糸はとても丈夫だから、もう少し大きくなった糸クモさんの糸を利用する時は糸1本をそのまま利用するようになるのだけど、今のはまだ細過ぎて1本だけだと使える糸にならないから、撚って何本かを纏めて糸にするのだけど、糸クモさんの糸は強過ぎて、撚っているとすぐに指や手が擦れて痛くなってしまうの。
この糸繰り機で撚ると、ずっと楽に撚ることが出来る」
アリーがそう言って、一番に喜んでくれた。
そうだった、僕は自分の知識にないからか、糸クモさんの糸のことをつい忘れていた。 もう糸クモさんの糸作りも、始まっていたのだった。
去年はほんの試しだったから量が少なくて、みんなが面白がってやって、すぐに終わった作業だけど、今年からはある程度本格化したので量が多くなった。 するとすぐに問題が出たようだ。
「アリー、昔はどうしていたの?」
「死んだ父や母、それに一緒に働いていた大人たちは、みんな慣れていて平気だった気がする」
仕事として何年もやっている人は、皮膚が厚くなっていて大丈夫なのかな。
でも、とにかく、アリーが喜んだおかげで、僕が一台だけ作った手回し糸繰り機は、ジャンの手によって何台も作られることになった。
ジャンはどうやら僕よりも手先が器用なようで、僕が作った物の使い勝手の悪いところや、構造的に弱かったところなんかを修正して作り、そのジャンが作ったのがここでのスタンダードになった。
それから機織りも、少しだけ工夫を教えた。
今まで孤児院なんかでしていた機織りは、木枠を作って、それに縦糸を張って織るという形が普通で、それだとごく小さな布しか織ることができない。
さすがにそれだと布として使い勝手が悪すぎるので、年長になると天井から糸を垂らす様な形で、もっと大きな布を織っていた。
ただ、この方法には問題点も多くて、まず第1に一度織り始めると織り終わるまで、その場に織りかけの布が垂れ下がっていることになり、場所を取られる。 第2にそれでも天井の高さまでの布しか織れない。 第3に垂らしている縦糸にある程度一定の張力を加えるために、下に錘になる物を吊るしているのだが、その状態で織らなければならないので、したの方は屈んで、上の方は手を上げたり台を使って織らねばならず、姿勢が辛い。
そこで僕は座って、腰に回した紐で、縦糸を括り付けた棒を引いて、布を織る方法を教えた。
これならば最初に同じ長さの縦糸を、綺麗に巻とって用意すれば、その長さの布を織ることが出来るし、縦糸の張力は自分の腰で引いているので自由になる。 織っていない時には、折りかけの布や糸そして道具をまとめておけるので場所塞ぎにならない。
布を織る効率を考えると、もっときちんとした機織り機を導入したいところだけど、そうするとそれは当然だけど、天井から糸を垂らす以上に場所を取り、専用の工房を作らねばならなくなる。
まあ今でも糸クモさんの糸を作るために、お湯の中に糸クモさんの要らなくなった巣を入れて、熱を加えて糸にしていたりに場所を取っているのだから、そのうちに布作り工房という様な建物はすぐに作らなければならないだろうとは思う。
でもまあ、まだ布作りも始まったばかりで本格化したとは言えなくて、試している状態だから、そこまでの必要がない。
一歩一歩地道にだよな、と思いつつ、何だか進行が、僕らの城というか拠点というか、村作りが最初考えていたよりも、ずっと速く進んでいる様な気がする。 人数が多いから当然か。
女性陣の糸作りと布作りの情熱に引っ張られて、男性陣もそれを手伝っているのだけど、僕は次の野望に乗り出した。 水堀作りである。
この前の件で、ちょっと警戒心が希薄になっていたことを自覚した僕たちは、一番外側の土塁を嵩上げして、堀も深くし、物見台も作ることになった。
とはいえ出来上がっているのは、物見台だけで、他は作業中である。
そこで僕は、もう一つ提案して、その外側の堀を深くするだけでなく、水堀にすることを提案したのだ。
水堀にするといっても、簡単に出来る訳ではない。
ただ水を流し込んでも、水は貯まらずに、結構簡単にこの辺りだと浸透してしまう。
そこで、水堀の底や側面をハーデンの魔法で固めたりという作業が付け足されることになった。
でもそれは今の僕たちにとっては大して大変な作業では無い。
本当に大変なのは、今まで川から引いている水の量では、堀にたっぷりと水は貯まらないのだ。 堀に回ってくる水の量が少なすぎるのだ。
その為、川から水を引いている用水路の拡幅をしなければならなくなった。
拡幅することにはなったのだけど、今現在使っている用水路である。 簡単に一時的に川からの入水を止めて、広げれば良いという風にはいかない。 そんなことをしたら、今その水で育てている稲がダメになってしまう。
そんな訳で、田んぼは稲の成長に合わせて、水を張る時期と、水を枯らす時期があったりする。 それで川からの用水を田んぼが必要としない時を見計らって、作業をすることになった。
それでも、生活に必要な水は絶対必要で、その水は丘の上、つまり最初の城の部分から流れ落ちてくる水で賄わねばならなくなる訳で、用水路が出来るまではそれが普通だったのだけど、結構不満が出た。
それならば、もう1本別に用水路を作れば良かったのではないか、と思うかも知れない。 確かにその案も検討はした。
だけど、2本目の用水路を作るとスライムが増えるのではないかと、反対の声が上がったのだ。
水堀にしようという僕の提案が通ったのは、実はスライム対策の意味があるからだ。
今までは、用水路で引いてきた、一番主には下の田んぼに使う水なのだが、余ったり排水となった水は、土塀の脇から単純に外の原野に流されていた。
最初水を流した辺りは、水分が豊富になったからか、草の生育が良くて、僕らの田畑の為の堆肥作りや敷き藁代わりの草として、近場で楽にたくさん採れるので都合が良いと思っていた。
その草が増えたことによって、一角兎も増えたのだけど、もう僕らは一角兎は問題にしていないので、それも肉の確保に都合が良いと思っていたくらいだ。
ところが、徐々に少しづつ水がいくらか溜まる様な状態を見せてきたら、スライムがそこに発生する様になってしまったのだ。
スライムも、もう僕らにとっては危険という存在ではなくて、罠を設置することで、自動的に経験値が得られる存在ではあるのだけど、スライムの増え方は一角兎の増え方の比ではない。
せっかくの草原が、スライムのための生育場の様な感じになってしまったのだ。
スライムは水の中に入ると、その形を保てずに、溶けて死んでしまうのだけど、それでいて水は絶対に必要で、水のある場所じゃないと生きていけない。
それで川の側や、林の中の水が染み出す様な所に集まっているのだけど、水を適当に流して都合の良い草原になった場所も、そんなスライムにとっての都合の良い条件を満たした場所になってしまったからだろう。
僕らにとっては、スライムが大量に発生する場所が、自分たちの土地のすぐ近くにあるのは、今のところ害が出ていないとはいえ都合が悪い。
その対策として、改めて余剰水と排水を堀に溜めることにしたのだ。
大量の水で、尚且つ水に近づこうとすると、そこに落ちてしまうような構造にすれば、スライムは近づくことが出来なくて、その水を利用して増えることは出来なくなるからだ。
でも今のままの余剰水や排水だけで外側の堀に水を溜めると、たとえ水が染み込まない様にしてあったとしても水量が少な過ぎて、逆にスライムを増やしてしまう結果になってしまう懸念が強かった。
そんな問題点の解決策としても、用水路を拡幅して水量を増やし、堀にしっかりと水を溜める計画が了承されたのだ。
用水路を2本にするのは、工事は簡単だけど、どちらの水路も水の量は少なくなってしまい、スライムを増やしかねないので、本末転倒なのだ。
水を湛えた堀なんて、ちょっと僕の夢見る城に近づいた気がして嬉しいのだけど、誤算だったのは、なかなか用水路を拡幅する工事が進まないことだよな。
田んぼや、天気だけでなく、他にしていることに影響をあまり与えずに工事する日というのは、思っていたよりも条件が厳しくて、なかなか拡幅工事が進まないでいた。
まあ堀と土壁自体もまだ完成していないから、用水路の方を急いでも仕方ないのだけどね。
そんなこんなで、まだまだみんな忙しい日々を送っているある日、物見櫓から笛の音が響いた。
とはいっても、一番警戒度の低い吹き方だ。 きっと予定にない誰かが近づいて来ているだけだろう。
物見櫓から外を交代で見張っている者が、危険度は低いと見ているのだろう。
それでも僕らは、以前に決めた通り、その時にそれぞれがしていた仕事を中断して、一番外側の土塀に設けられた門の前に集まった。
ちょっとだけ頑張って、頑丈に作った門の扉は、ちゃんと閉められている。
それを見た、ウォルフが確認の言葉を掛けた。
「今、外に出ている奴は居ないな?」
まだ僕も全員の顔が分かるくらいの人数しかいないけど、それでも仕事が色々に分かれて行うようになってきているので、全員がどこに居るかは把握していない。 ウォルフも同じなんだろう。
丘の上の最初の城の部分に居住している者のことはさすがに分かるけど、後からの参加の丘下に住居を作ったメンバーだと、個々が今日は何をしているのか分からないんだよなぁ。
「今日は外に出る予定があった者はいないはずです」
誰かが答えた。
「知らない人が3人、道をこっちに向かって歩いて来ます。
馬車や、荷車はないし、荷物もそんなに持っていない。
先頭を歩いているのは神父さんかなぁ」
櫓の上の見張り役が、上からそんな報告をしてきた。
僕は誰が来たのか確かめるために櫓に登ろうかと考えた。 シスターと一緒に僕とルーミエは各村にも行ったりしているから、顔を知っている人の数が多いからだ。
と思ったら、即座にウィリーが櫓を登って行った。 ウィリーも衛士として領主様と色々回ったりもしているから、色んな人をウォルフと共に見知っている。 出遅れた。
「あれれ、本当に神父様だ。 あとの2人は知らない顔だけど」
「神父様って、もしかして俺たちの村の神父様か?」
ウィリーの声にウォルフが確認した。
「ああ、俺たちの居た村の神父様だ」
「神父様がここに来る用事なんてないと思うのだけど?」
シスターがちょっと考える感じで言った。




