24 何もないがあるのよ
「はいはーいっ! 皆様お待ちかねの夜でーす!」
弛緩した空気を掻き回したいのか、キャストとスタッフを工場の正面入口前に集合させた葛西が、テンション高めに声を張った。
誰も待ってないから、と思いながらユリカは空を見上げる。
田舎ならではの星空を期待したが、まだ日が落ちたばかりで光点は疎らだ。
「ちょーっと、いやだいーぶね、出演陣をお待たせしちゃって、割とゴメンネゴメンネ感あるんですけど……あ、但しアイケンは除外で」
「いや監督、それわざわざ言う必要ある?」
アイダの抗議に、薄く笑いが広がった。
「じゃあ、こっからの撮影の予定ね。まずはクロちゃんが案内役で、それにアイケンとユリちゃんがついてく感じの、夜の工場見学。続けて夜の社員寮見学、は……やれるようならやっとく、くらいのノリで。そこからはまぁ、状況を見ながらフレキシブルに対応しときますかね、って方向性なんで」
相変わらずの雑さだが、もう慣らされているのか、誰からも異論は出てこない。
ユリカも、葛西相手には言うだけ無駄だと悟りつつある。
なので、ランタンの調子をチェックしたり、虫除けスプレーを手足に噴射したりと、工場内を探索する準備を黙々と進めておく。
「プゥ! お前は鹿野さんのサポートな! 指示されたことへの答えは全部ハイだ」
「ハイ、了解でしっ! 精一杯アレさせてもらえます!」
「でしとか、もらえますとか、早くも噛み噛みじゃないか」
「ハァァ、スイマセン! 緊張すると、どうしてもこう、スイマセン!」
和久井はいつものように、葛西にコキ使われつつ鹿野にイジられている。
「撮影は俺、照明その他諸々の係にドラさんが付くんで」
「はい……よろしくお願いします」
常盤に声をかけられ、ユリカはやや気の抜けた声で応じた。
これも仕事だ、と言い聞かせようとするが、どうしても心が逆らう。
やらされてる感が払拭できず、ユリカの背中は自然と丸くなる。
溜息を吐きながら歩いていると、ドラの大きな手が肩をポンと叩く。
「やることやれば、それで終わりだから」
「……そうだね」
ドラの言葉は当たり前ではあったが、腹を括るきっかけにはなった。
劇団の方から何を言われても、今後は仕事を選ぶことにしよう。
そんな決意と共に、ユリカは再び工場内へと足を踏み入れた。
工場内は暗く、静かで、黴臭く、生温い。
さっきとは別物の、やけに重たく粘ついた空気を湛えている。
そしてまた、昼には察知できなかった「見られている」感じが生じている。
こちらを値踏みしているような、ねっとりと絡みついてくる気配。
たった数時間での急変ぶりが、ユリカの足取りを委縮したものにする。
いくつも用意されている照明で、撮影するのに十分な光量はある。
しかし、そうした状況を無視する何かが、闇の中に蹲っているようだった。
「正直な話ね、かなりの帰りたさあるんだけど」
アイダが、ユリカの心境を代弁するような弱音を吐く。
彼もまた監視に気付いているのか、落ち着かなく周囲を見回している。
「無理もない、ですね……こんなに闇が濃い場所だったかな、って僕も驚いてます」
皆の弱気を加速させるような言葉が、クロから平然と返ってきた。
ただの靴音も、今は心臓に悪いボリュームで聴こえ、昼間の和久井を笑えない。
もしかして足音が増えているのでは、みたいな不安も無秩序に湧き上がる。
「それで……どういう風に回るんですか」
「この工場なんですが、まだ『場』そのものからの拒否感、拒絶感があります。このままだと……ここに存在する怪異からの接触は、期待薄かも知れません」
ユリカの問いに、クロがいかにもな答えを返す。
当意即妙な発言は見事だが、それはそれとしてどうするのか。
ユリカが方針の説明を待っていると、アイダがさりげなくフォローを入れてくる。
「じゃあいっそ、こっちから会いに行くとか?」
「うん、そうしましょうか。多少なりとも気配を感じる、或いはその残滓がある、そういう場所を回ってみましょう」
するとアイダは、自分で言っておきながら焦った様子を見せる。
「えっ……気配とか、あるの?」
「あります。濃く伝わってくるのはまず、こちらですね」
「マジでかぁああ」
工場内に響くアイダの嘆きに、ユリカも苦笑を漏らしてしまう。
何だかんだ付き合いも長いこの二人、それなりにいいコンビのようだ。
それから、クロの霊感だかヤマ勘だかに従って、ユリカたちは工場内の移動を繰り返した。
しかし、怪現象と呼べるようなことは一つも起こらない。
漠然とした不安感や居心地の悪さはあるが、それ以上が発生しないのだ。
もしかすると、ビデオには何かしら映っている可能性はある。
だがユリカの感覚には、怪異と呼べそうなものの気配が全く引っ掛からない。
相変わらず「見られている」感は続いているのに、それだけで終わっていた。
アイダはちょっとした物音に鋭く反応したり、クロが語る「何かよくないものがそこに!」的な脅し文句に怯えたりしていたが、このままでは――
「ちょっとさ、弱いんじゃねえの? こんなんじゃ使えないよ、このV」
黙ってカメラを回し続けていた常盤が、場の空気を言語化してクロに告げる。
自分でも薄々そう思っていたのか、クロは否定も肯定もせず、溜息混じりに髪を掻き上げた。
今までの『じゃすか』の内容と比べると、この流れはインパクトがなさすぎる。
シリーズを通しで一回見ただけのユリカにもそう思わせるくらい、この探索では何事も起きていない。
「いっぺん本部に撤収して、プラン練り直しませんか。時間、まだありますから」
ドラの提案に反対意見は出ず、一度工場の外に出ることになった。
あからさまな失敗で気が立っているのか、珍しく不機嫌さを丸出しにしたクロは、一人で足早に工場から出て行こうとする。
常盤とドラがそんなクロを追ったが、疲れてしまったユリカは急ぐ気になれない。
なのでアイダと二人、普通に歩いて戻ることにした。
「やっぱり不気味――だけど、慣れてきますね」
「人間の適応能力はスゲーからな。オレくらいになると、暗い場所とか目が慣れすぎて、アイマスクしないと眠くならない」
「へぇ……ん? 何か理屈おかしくないですか」
二人は取り留めのない話をしながら、警戒してゆっくりと移動する。
警戒しているのは怪異や亡霊より、段差に躓くような不慮の事故だ。
「どうなんですかね、今日のクロさんは」
「困ったねぇ……ビックリするくらい、今回イベントないしなぁ。何でもいいから異変があればね、そこを起点に膨らませるんだけど」
「監督が何か仕込んでるかも、って構えてたのに無駄になりました」
「そりゃ最終手段。こういうとこでは、何もしなくても大概一つや二つ、説明不能の現象が起こる……ハズなんだがなぁ。とにかく、この現場はちょっとオカシいぞ」
アイダは徒労感を隠しもせず、首や肩をグルグル回しながら言う。
ユリカとしては、アイダの結論に納得していいのか、イマイチ判別がつかない。
何も起きないと言うが、昼間に訪れた地下室には本能が忌避する危うさがあった。
もしかしてこの状況は、嵐の前の静けさでは。
或いは、大津波を連れてくる引き潮なのかも。
不吉な連想が、ユリカの脳内に浮かんでは消えた。
想像は消えても、想像した事実は消えない。
不安、不穏、不審、不満、不信――
バラエティに富んだマイナス感情が、ユリカの精神状態を尖らせていった。




