戦前演説
ふっと息を吐いて、顔を上げる。
雲が一杯に伸びて白んだ空の下、武装した兵らが布陣についていた。丸太を尖らせた柵の前では兵士が弓をたがえ、中央の槍兵は手に持った槍を真っ直ぐ地面に突き立てている。雲間から覗く橙色の朝陽が、いくつもの鎧、槍先を煌かせ、目を覆いそうなほど眩い。
気温はとりわけ低くないはずだが、白い吐息が出そうなくらい朝の冷気を感じる。戦前の緊迫感によるものか、つるりと汗が滑る。空気は重苦しく、息苦しくなり皮膚がぴりつく。皆が皆、同様の感覚を抱いているようで、険しく緊張した面持ちを、馬上のアリスに向けていた。
アリスは、砂浜を拐う波のように、全兵士たちの前を馬で行き来していた。誰もに目線を向けられるように、との行動だろう。アリスの背後には壮大なオラール軍が見える。数々の頭が群れた蟻のように見え、呑み込まれそうなほど壮観である。しかし、俺の目にも、兵士たちにも、オラール軍は映っていない。それを覆い隠すように目の前を行き来するアリスだけが目に入る。
白馬に跨ったアリスは威風堂々としていた。背筋をぴんと張り、ただ真っ直ぐに、南国の海を想起させるブルーの瞳を向けている。そんな姿は美しく、不思議な魅力を持っていて、どうしてか目が離せない。実はと言うと、このような振る舞いをすることは、事前にユリスに仕込まれている所を見ていたので知っていた。それでもつい目が離せない。そんな俺でこの有様なのだから、兵士らはもっと惹きこまれていることだろう。
馬を踊らせていたアリスは中央で馬を俺たちに向けて翻す。アリスは首を回して、兵士たちの顔を一望し、すぅと息を吸い込んだ。
「今から戦いが始まる!」
元々引き締まっていた空気がさらに、引き締められる。今から始まるのだ、そんな空気に、きゅっと唇を噛む。
「皆に尋たい。これまで、泥に塗れ、激しい雨に揉まれ、苦しみの汗を流してきたのは何のため?」
返事はなく、静寂が辺りを包む。だがそれは、興味のなさや答えを持ち合わせていないということではない。誰もが顔を上げ、強い意志の宿った瞳を向けており、共有された答えをアリスの口から発されるのを待っているのだ。
「それは、生きることが諦めること、そんな理不尽な世の中を否定するため。私が胸を張って王女と言いたいように、誰もが持っている願望を諦めないようにするため」
肯定を示すかのように、槍の柄の先が地面に叩きつけられる。弓兵は足踏みで、地面を揺るがし、辺りが地響きで騒がしくなる。
「じゃあ、理不尽を強いてこようとするオラール家を退けなければ、私たちに未来はない。大軍にどうしても勝てない、だから諦める、そんな理不尽を否定しなけれなならない」
そうだ、と兵士たちが声を上げる。
「だからこそ、今日戦う。私たちが何か悪いことをした? 何か強いられて当然なことをした? いや、していない。何もしていないのに、願うこと、願いを実現しようとする努力すら許されない」
アリスは重い口調でそう言い俯いた。しかし、すぐに顔を上げる。
「今、私たちは、個人の願望が実現する世界を作ろうとしている。そんな世界を壊そうと阻もうと、理不尽を押し付けようとするものは、絶対に許してはならない」
さらに地響きが大きくなる。何度聞いても、青臭く、理想でしかない、そんなふうに思える。だけれども、それが実現されれば、皆が幸せになれば、どれほど良いことか、そう思わされてしまう。
アリスの声が真に迫っているせいだろう。実際に真に迫っているのだ。死に瀕し、生を渇望した中でも、自分が王女であることの苦しみを捨てられなかった少女の言葉である。いくら理想を語ったとしても現実のことなのだ。だからこそ、心に響いてくる。
「再び私は同じことを言う」
そう言って、アリスは馬から降りた。突然の行為に皆の間で動揺が広がる。
アリスは今までのような馬上からではなく、華奢で細い足を地面につけて、兵士一人一人と目線を合わせてまわる。今まで高く見上げていた少女が、小さな、本当に小さな少女として目に映る。
ひとしきり歩き終えたのか、アリスは再び中央に戻り、目一杯肺を膨らませた。
「この理不尽を否定して見せろ!! 私を王女にしてみせろ!!」
大気を揺るがすような肯定の大声が兵士らから上がった。朝の冷気や包んでいた緊迫感などどこへ行ったのか、ただただ熱狂、高揚感で場が支配されている。地面を打ち立てる槍の音、足踏みの音、肯定の叫び声。ドレスコード家軍の士気は最高潮に達していた。
俺も、勝手に体の芯から熱い感情が湧き出てくる。それは、何としてでも勝ちたい、という燃え盛るような闘志だ。
熱狂の空気の中、水を差すように、遠くから、がしゃりがしゃりと鎧の音が響いてきた。見れば、オラール軍が行進してきている。
近くにいたユリスに目を向ける。すると、頷きが返ってきた。
俺はアリスよろしく、思いっきり息を吸い込んだ。
「弓兵、槍兵、配置につけオラール軍を迎え撃つ!」





