てがみ
「大丈夫じゃない」
アリスにハイライトが消えた目を向けられる。
「鞭でグルグル巻きにされたまま、一晩中勉強させられたんだよ。それは大丈夫じゃないよ。私だからじゃなくて生きとし生けるものは全て大丈夫じゃないよ」
「う、うん、それはそうかも」
「かもなの? かもって、もしかして、推定を意味する表現じゃあない? こんな分かりやすく白黒つくことも、この世の中にそうそうないと思うんだけど?」
正論っちゃあ、正論なんだけど……どうしよう。教育のせいなのか、アリスが異常なくらい面倒くさくなっている。それに、何となくユリスの影が重なる。
「クリス様!? 次の仕事ってどういうことだよ!?」
玄関の扉が勢いよく開かれると同時に、ハルの叫び声が聞こえた。
「善い心がけをしても救いはないのか!? 神は存在しないのか!?」
ハルが危ないことを言いながら詰め寄ってきたので、自然に後退りしてしまう。そんな俺とは逆に、アリスはハルの前に出た。
「救いはあるよ。貴方が善い行いをすれば、生きていて欲しいって思われる。それは愛されるってこと」
こっちもこっちで危ないことを言い出したので、少し引いてしまう。ハルも、突如愛を語り出したアリスに戸惑ったのか、開きかけていた口を閉じた。
「神様はいるよ。神様から生きていて欲しいって思われたから、私たちは生を受けた。それは、生きとし生けるものが平等に神様から愛されているってこと」
「お、おお! え、あれ、うん?」
ハルは一瞬顔を輝かせたが、すぐに困惑した表情に変わった。
何かぽいことは言っているけど、あまり繋がらない。多分、自分のことを言っているのだろうけど、それがどう関係しているのかわからない。そんな表情をしている。
かくいう俺も同じ心境だ。どうして急に、アリスは教祖のようになってしまったのだろう。
「一体、何をなされているのですか?」
呆れた声をかけられる。声の聞こえた方を見ると、開いた玄関扉の前でユリスが冷たい目をこちらに向けていた。
事態の説明が極めて困難で言葉をつまらせながら、何とか声を出す。
「ハルに仕事を振ったら泣きつかれて、アリスがそれを宥めようとした……のかなあ」
要領を得ない説明にもかかわらず、ユリスは妙に納得したように頷いた。そして俺に向けていた視線をアリスへと変えた。
「心を掴めましたか?」
「心を掴む……? ハッ!? 私は何を!?」
問われたアリスは、寝落ちから覚めたような反応を見せた。消えていた目のハイライトも戻ったように見える。
何となく、ことの成り行きが読めてきた。
「あのさ、ユリス。もしかして、アリスに宗教的なことを教えた?」
「人の心を掴む術の一つとして教えましたよ。まあ、この国は周辺諸国を併呑して出来上がったため、統一した宗教なんてものありませんから、見解の相違による反発もないでしょうし」
「他にも色々教えた?」
「とにかく知識的なことは叩き込みましたね」
「叩き込んだ?」
「はい」
「いつもみたいに、軽くお教えした、じゃなくて?」
「はい」
兎角、スパルタだったんだろうなあ……。無意識にハルの心を掴みに行ってしまうくらいには。
アリスに憐憫の感情を覚えつつも、ユリスに『よく教えてくれた』と感謝の思いも抱く。そんな複雑な心境にいたり、どう対応すべきか悩んでいると、置いてけぼりにされていたハルが間の抜けた声を出した。
「どうして王女様が、お前から教育を受けているんだ?」
ユリスはハルの質問を露骨に無視し、俺に顔を向けてきた。俺から説明しろ、ということだろう。さっきと変わらず気が重く、ハルから目を逸らして答える。
「実は、領民が参加できる議会を作ろうと思って」
そう言うと、ハルは少し考え込むそぶりをしたのち、「ああ!」と驚きまじりの声を上げた。
「クリス様が士気を下げずに徴税する方法ってこれか!!」
ハルの勘の良さに、優秀さを再度気づかされ、感嘆の思いを抱く。
「議会の力への不信も、王女の存在によって取り払え……があああ!! 俺に議会の仕事をふるつもりか!! この悪魔!!」
ハルの勘の良さに、感嘆の思いを抱く。嘆き悲しむほうで。
「そういうことだから頼んだよ、議員の選出法、採択の制度等々、やることは沢山あるけど頑張って……」
ハルは明らかに落ち込み視線を落としたが、すぐに顔を上げた。
「わかったよ。そん代わり、クリス様は成功のために王女様についてくれ。この方法……」
「兄さん」
ユリスが口を挟み、ハルは慌てて口を閉じた。
続きの言葉は吐かれなかったが、容易に想像できる。
『王女様がしくじったら全て終わりだから』
空気が張り詰めてきて、恐る恐るアリスに目を向ける。そこには、目を閉じふらふらと立つ姿があった。
「立ったまま寝ていますね」
ユリスは、アリスの肩を支えてそう言った。
聞かれていなくてよかった、とホッとしたが、すぐに心配の気持ちに塗り替えられる。
「ユリス、アリスは大丈夫だと思う?」
「身体は大丈夫です。ただの寝不足でしょうし」
ハルは言葉に引っ掛かったのか、ユリスに小声で尋ねた。
「心を掴む方に問題が?」
「呑み込みも悪くはなく、学ぶ能力はあると思います。姿勢にも問題はありません。今も、用事から帰ってくる私を、逃げないどころか、玄関で待っていたくらいですし」
「じゃあ問題はないのか?」
問われたユリスは首を振った。そして「この私ですら上手く言い表せませんが」と前置いて話す。
「王女は真剣に生きていますが、生きることに真剣ではありません。このままでは、心を掴むことが出来ないかもしれません」





