3回目
急げ! 急げ! 急げ!
痛みに耐えながら俺は駆ける。転がるようにして店から出て、ひたすらに走り続ける。町の出口まで来ると、建物の影に隠れると足音を消す。背後からは音も気配はない。追ってきていないことを確認すると、入ったときと同様の手口で外へと出る。逸る気持ちを必死で抑えつけながら、草原を匍匐して進み、元いた林の中へと転がり込んだ。
「どうしたのクリス!?」
「アリス、後で説明する!」
ミストに駆け寄る。眠っているミストを起こし、薬を飲ませる。
「落ち着けクリス、どうしたんだそんなに慌てて!」
「今は急がないと!」
「落ち着いてくれ! 何があった?」
クレアに両肩を抑えられ、荒れ狂った感情が僅かに収まる。代わりにどうしようもない程の惨めな感情が心中に訪れる。
俺の考えがあいつの上をいくなんて絶対に有り得ない。皆んなを頼らないといけない。
「セルジャンに見つかった……」
あった事を手早く話すと、クレアもアリスも顔を青ざめさせた。
「だ、だったら、クリス。どうしてセルジャンはクリスを追ってこないの? 撒けたんじゃないの?」
アリスが震えた声でそう言った時、ミストが咳き込んだ。
「こほっ、こほっ、それはないよ」
「どうして!?」
「クリス君の話が本当なら……そいつは私達の場所がわかっていなかった筈だよ。クリス君が逃げた先を観察して、居場所を突き止めようとしてるんじゃないかなあ……」
ミストは苦しそうに言葉を途切らせているのに、ふわふわとした口調でそう言った後、体を起こして町の方を向いた。
「火の灯りがぶれていない所を見ると、今はまだ……大丈夫そうだね。他の兵にバレたくないなら、町中の建物内ならいざ知らず、外で大きな音がなれば流石に気づかれるだろうから」
悔しさに歯を噛み締めた。自然に涙が出てくる。
必死で抗おうとしていたのに、混乱に陥っていた。ただ逃げなければ、という思いに囚われてしまっていた。どうして俺はこんなに馬鹿なんだ。
重々しく暗い雰囲気が辺りに満ちる。無力感を感じて肩が落ち、力が入らず自然に項垂れた。
「まだ、私だけ、落とし方を提案してないよね?」
ミストは不意にそう言った。
「最後はさ、ただ二人きりで話す時間にしようよ」
「そんな、こんな時にっ!?」
アリスが詰め寄ろうとすると、ミストは手で制した。
「こんな時だからこそだよ」
静かで重い声だった。有無を言わせぬ力があり、全員が呑まれてしまう。
「私に最初を譲ってくれるかい? 起きてるだけでも苦しいんだ」
ミストが言葉を吐いてから、無音の時間が流れた。
アリスとクレアは、互いに頷きあい、林の奥へと立ち去る。草木を踏みしめる小さな音で静寂が破られ、しばらくして音が止み、再び静謐がもたらされた。
差し込んだ月光に霞む夜の林の中、俺は空気に呑まれたまま、ただミストを見続ける。ミストは横たわり、片手を差し出してきた。伸ばされた手を自然に取ると、ミストは俺の手を握ってきた。
「さて、クリス君、何を話そうか」
手を握ってくる力が弱々しい。
「話したいんだけど、何を話していいか、何から話せばいいかわかんないや」
笑い混じりの声は、か細い。
「でも、どうしようもなく話したい。全部話したい」
それでも、意志だけ果てしなく強い事が伝わってくる。
「なんで話したいんだろう? 死ぬ間際になってまで、自分の気持ちがわからないなあ。私にわかんないことなんてなかったのに。ほんと、君のことがどうして好きなんだろう」
ミストは息を吐いて、宙を見つめた。
「君は優柔不断だし、良い男でも決してない。むしろ情けなくてさ、格好良くなんて全然ない。でも、私に、わからないをくれる」
晴れやかで、柔らかな笑顔を浮かべてミストは言う。
「ああ、そうか。だから私は君が好きなんだ」
胸がじんと暖かくなり、目元から冷たい涙がこぼれた。
「君がそんな顔してくれるなら、偶には本心のまま話すのも悪くないね」
ミストはからからと笑う。
「うん、話す事は決まったよ。私たちが逃げるには、どうしてもあの男を倒さなければいけない。だけど、その方法がない。騙されたことに強い恨みを持ってるから、不意をつく事すらできない」
ミストの顔には諦めの色が浮かんでおり、焦燥感に駆られる。
「正直さ、今の状況で無事に帰るなんて、どうしようと不可能だよ」
「今から逃げれば……」
「冷静に私が、ミストが、無理だってわかりきってる。病で弱り切ってるからって訳じゃないんだ」
何か言いたくて口を開くも、喉が詰まり、言葉が出なくなる。
「ふふっ、だからさ、最後に私にわからないをくれない? もし、私を置いていけば、皆んなが救われるかもしれないって、可能性をさ」
ミストは柔かく笑って、目を閉じた。
次回は月曜日20時です。
来週は月、水、金20時です。





