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【書籍化】太っちょ貴族は迷宮でワルツを踊る  作者: 風見鶏
第三章

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太っちょ貴族は逃げ帰る


 ミトロフはブラン・マンジェと連れ立って地下6階へ降りた。”守護者の部屋”は5階の最奥部にあり、道を過ぎればすぐに階段がある。降れば休憩場が設置されており、そこには多くの冒険者たちがいる。


 全身をローブで包むブラン・マンジェの姿は目立つものだ。彼女の存在を知っている者もいる。

 しかしミトロフの姿ばかりを見慣れた冒険者も少なからずいて、彼がいつも連れ立っているカヌレは黒のローブで全身を隠している。

 そのローブの色が変わったのかと思う程度で、注目されることもない。そもそも冒険者はあまり干渉的ではない。


 二人はできるだけ周囲から離れた場所を選んだ。ミトロフはどっかりと腰を落とし、ブラン・マンジェはたおやかに裾をはらって、ちょこんと膝をついた。


「……まずは礼を言う。命を助けられた。また借りができてしまった」


 頭を下げるミトロフに、ブラン・マンジェは首を左右に振った。


「命があってよろしいことでした。あの部屋は今、封鎖されております。しばらく近づかぬほうがいいですよ」

「封鎖というわりには監視も守衛もいなかったが……」

「先ほども言いましたが、人払いの魔法がかかっているのです。術者と関係のないものがいると効果が薄くなるので、意図的に人を置かないようにしていたのですが……ミトロフさんは、なぜあそこに?」

「……歌が、聞こえた」

「歌、ですか?」

「ああ、歌っていただろう?」


 ミトロフは当然のように訊ねるが、ブラン・マンジェはどこか戸惑ったようだった。言外の反応を察することはミトロフの得意とするものである。


「……きみには聞こえないのか?」

「歌というのは、聞いたことがありません」

「…………」


 幻聴か、とミトロフは自分を疑った。だが今でもこびりついているあの音色は、決して夢や幻ではない。たしかに聞こえていたのだ。だが、ブラン・マンジェは聞いたことがないという。


「待ってくれ、きみはこれまでにもあいつと会ったことがあるのか?」

「”あの”魔族は初見です」

「他の魔族はある、と?」


 ブラン・マンジェは肩をすくめて返事とした。言うまでもないことだ、と。


「迷宮には”魔族”が現れるのか。それも、頻繁に?」

「頻繁というほどではありません。ですが、そうですね、いるものですよ、”魔族”くらい」


 くらい。”魔族”くらい?

 聖書で語られる幻想の存在が、屋根裏に潜むネズミのような扱いである。ミトロフは喉の奥で唸り、腕を組んだ。


「あれは、倒せるのか」

「可能です」

「きみは”魔族”を倒しているのか」

「何度か」

「それが君の役目なのか」

「そうとも言えますが、詳細は秘密です」


 ミトロフはブラン・マンジェの腰元に目をやった。今までは気づかなかったのか、そもそも携帯していなかったのか。そこには剣がある。そしてあの炎の刃……。


「きみは強いだろう」

「さあ、どうでしょうか」

「あの力は、魔法剣か、あるいは」


 と、思い出されるのは噂話だ。情報屋を名乗る男が語って聞かせた、水晶蜥蜴を両断したという魔剣使いの話。

 まさか、とミトロフはブラン・マンジェを見る。


「き、きみが魔剣使いか!」


 驚愕と興奮によって、ミトロフの鼻息は荒い。そこには魔剣という伝説に憧れる少年心が含まれている。

 しかしブラン・マンジェは至って冷静に、身を乗り出したミトロフから距離を置いて、すんとした声で「なんですか、それは」と答えた。


「いや、噂があってだな……魔剣使いが迷宮にいると……」

「そんなもの年がら年中ありますよ。数十年以上続いているありきたりなものです」

「えっ」

「……そこまで悲しげな表情をしなくとも」


 魔剣使いはいないし、魔剣もないということか、とミトロフは肩を落とした。いや、でも、そうだよな、誰だって魔剣に憧れるのだ。そりゃひっきりなしに噂もあるだろう。


「ぼくだって本当はわかっていたさ……でも期待してしまうんだ。男だからな」

「……そうですか」


 呆れた声である。


「魔剣は……諦めよう。だが、ぼくの剣は諦められない」


 愛剣を部屋に置いてきてしまった今となっては、こちらの方が重要な問題である。思い入れもあるし、武器がなければ迷宮にも潜れない。


「……少々、お待ちください。討伐に成功すれば、お返しできるかと思います」

「きみがまたあれと戦うのか?」

「その予定です。放置しておくとまずいものですので」

「ぼくも協力しよう」


 とミトロフは背筋を伸ばした。胸を張った宣言は堂々としたものである。戦いを女性に任せ、自分は安全な場で待っているだけというのは、貴族として培った価値観に反するものである。


「手ぶらで戦うおつもりですか?」

「あっ」


 ミトロフの腰には空の鞘だけがある。短剣一本で戦えるわけもなく、ミトロフはいま、無力と言って間違いない。魔物が闊歩する迷宮の中で、武具がないという事実はひどく心細い。


「帰りもお送りいたしましょう」


 ミトロフはブラン・マンジェの提案に甘えるしかなかったのである。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 歌はなんだろうね? 精神力が強化されたことと関係あるのかな
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