太っちょ貴族は子どもと遊ぶ
「おいミトロフ! 食い過ぎ!」
額にたんこぶを作ったコウが机をばしばしと叩いた。
その隣に座っている幼子が、くいすぎぃ、と真似をする。
「ぼくは身体が大きいんだ。食べる量が多いのは当然のことだ」
真面目な表情で言い返し、ミトロフは大皿から肉と野菜の炒め物をお代わりした。
ああー! と叫ぶのは、同じように卓を囲んでいる子どもたちである。
「みとろふがまたおかわりした! ずるい!」
と、顔を包帯で覆った少年が指差す。
「あたしもおかわりする!」
と、首に黒蛇の鱗を浮き上がらせた少女がテーブルに身を乗り出した。
中庭の長机を並べ、そこには子どもたちと、数人の修道女が集まっている。教会の全員で夕食を囲んでいた。
「ちと見ぬ間に、ずいぶんと仲を深めたのう」
グラシエが目を丸くしている。
グラシエとカヌレが食事の支度を手伝っている間に、ミトロフは意図せず子どもたちと交流することになった。
ぼうっと座っていたミトロフを、ベッドを抜け出したコウとカイが棒を片手に襲撃してきたのを返り討ちにしたのだが、子どもたちはそれを遊びと認識したらしい。
見知らぬ上に貴族らしいミトロフの佇まいに怯えたように遠巻きにしていた子どもらも、コウとカイを筆頭にした年長の子たちが食ってかかり、転がり、笑っているのを見て、ミトロフは危険な生き物ではないと理解したようだった。
少女たちのおままごとに律儀に参加し、本を抱えた少女に読んで聞かせ、片手の棒切れで男子たちの剣を打ち払っていたら、いつの間にか夕暮れになって食卓に料理が並んでいたというわけである。
「すまないね、ミトロフくん。うちの子どもたちの相手をするのは大変だったろう」
サフランが申し訳なさそうに言う。
ミトロフは左手で幼子の拳をいなしながら、右手のナプキンで口元を拭いた。
「大変とは、なにがだ?」
「なにって……振り回されるだろう? うちの子たちは元気が溢れていてね」
苦笑するサフランに、ミトロフは首を傾げた。
「別段、ぼくはなにもしていない。誘われた遊びに参加しているだけだ」
ぽーんと、ひと口大に千切られたパンが横から飛んできて、ミトロフの頬にぶつかってテーブルに落ちた。
ミトロフはそれをひょいと摘んで口に入れた。
「……テーブルマナーはよく教えたほうがいいかもしれない」
「てーうるあなー!」
「そうだ、よく分かってるじゃないか。まずはパンとお手玉の違いを学ぶところから始めよう」
ミトロフの物言いに、背後で立って控えていたカヌレがくすくすと口元を押さえた。
「おぬし、子守りが上手いのう……」
「グラシエは苦手か?」
首を傾げたミトロフに、横からコウが顔を寄せ、ひそひそと告げ口をした。
「グラシエってまじこわいんだよ、すぐ怒るんだ。話し方も婆さんみたいだし」
「コウ、聞こえておるぞ。そこまで怒ってほしいならそうしてやってもよいがの?」
笑顔を向けるグラシエの迫力に、思わずミトロフのほうが身を引いてしまう。
しかしコウはそんな表情に慣れてしまったのか、あるいは若さゆえの蛮勇か、へんと鼻で笑うと、グラシエに堂々と言い放った。
「鬼婆」
「––––よきかな。そこを動くでないぞ」
グラシエが席を立つと同時に、コウは椅子を飛び降りている。
途端に始まったのは鬼ごっこであり、舞台は目の前の広い庭だ。子どもたちは楽しいことに目がない。食器やパンを放り出すなり、あっという間に鬼ごっこに参加する。
「にぎやかなことだ」
駆け回る子どもたちとグラシエを眺めながら、ミトロフは鷹揚に頷き、籠に盛られた丸パンをひとつ取った。
薄闇の中で、わいのきゃいのと明るい子どもたちの声が響く。
サフランは席を立ち、テーブルの燭台に火を灯すと、空いた食器をまとめていく。
「ミトロフさん」
と、穏やかに声をかけたのは、グラシエの姉、ラティエである。
並んだ椅子の背に手を渡らせながら、すぐ近くまでやって来ている。
蝋燭の灯火に照らされた細面は白く、陶器のように滑らかな肌をしている。グラシエよりも大人びた雰囲気を纏っているが、まぶたを覆う黒い布が目立つ。
「ラティエ殿、腕に手を」
と、ミトロフは席を立ち、緩く曲げた腕を差し出した。
「では、遠慮なく」
ラティエはそっとミトロフの腕に指をかける。慎ましやかな所作の中にたおやかさがある。
ミトロフはラティエの動きに合わせながら、空いた隣席に導いた。
「そのまま腰を下ろせば椅子がある。先ほど挨拶だけさせていただいたが、妹殿には世話になった」
「こちらこそ挨拶が遅れて失礼しました。妹からはあなたのお話をよく聞いていたんですよ」
椅子の背もたれに寄り掛からず、しゃんと背筋を伸ばした姿は、グラシエとはまた違う趣きの凛とした芯をミトロフに感じさせた。
それでいて透き通るほどに白い肌と、線の細い輪郭も相まって、手を触れることさえ躊躇するガラス細工のような儚さを纏っている。
ミトロフは隣に座り、テーブルに伏せられたグラスをひとつ取ると、水差しから注いだ。
「右手の2時の方向にグラスを置く。肘を伸ばせば届く距離だ」
「ご配慮ありがとうございます。ずいぶんと慣れていらっしゃいますね……?」
言われてようやく、ミトロフは自分の行為が一般的なものでないことに気づいた。
「子どものころに身についた習慣というのは、どうも自然と出てしまうようだ」
ミトロフは苦笑する。そこには昔を懐かしむ気持ちが混在する。
「世話をしてくれていたばあやが目を病んでな。しばらく、こうして手助けをしていたことがある」
「お喜びになられたでしょう」
「どうかな。至らぬところも多かった。かえって気を遣わせてしまっていた気がする」
ミトロフは幼き日の思い出をひとつ拾い上げると、現実に意識を戻した。
「なにかぼくに話が?」
ええ、と、いえを混ぜ合わせた声は、肯定と迷いを選びきれていない様子である。
庭を走る子どもたちの笑い声が響く。ラティエは顔を向け、口元に笑みを浮かべた。瞼を覆う布はあれど、その瞳には子どもらとグラシエが映っている。
「……グラシエは、幼いころからよく私を助けてくれました。ここにお世話になってからも、街に来るたびに様子を見に来てくれて。里の用命で冒険者の真似事をすると聞いたときには、ずいぶんと心配したのです」
「そういえば、グラシエは宿で寝泊まりをしていたようだが」
「子どもたちと、それに私に心配をかけまいとしたのでしょう。あの子が冒険者として迷宮に潜っている間は、ほとんど顔を出しませんでした。迷宮では怪我をすること、命を失うことは珍しくないと聞きます。帰ってくるはずの者が帰ってこない……そうした経験を、あの子たちは知りすぎてしまっていますから」
「それじゃまるで、グラシエは死ぬことを覚悟していたみたいじゃないか……?」
「あの子は生真面目ですから。必ずうまくいくと期待することはできなかったのでしょうね。自分がいなくなっても、子どもたちを傷つけぬようにと、ひとりで宿を取ったのです」
宿の部屋でひとり、姉や里のことを考えながら、迷宮に挑む決意を固めているグラシエの姿を、ミトロフは想像した。
待っている者、帰りたい場所がありながら、地下穴に潜っていく心境とは、どんなものであったろう。
出会ったときには思いもしなかったグラシエの心の内を、今になってミトロフは察する。
明るく、頼もしく、初心者であったミトロフに親切にしてくれたグラシエであっても、そこに恐怖や葛藤がなかった訳がない。
あるいは街の中で孤独に迷宮に挑む恐ろしさゆえに、ミトロフを仲間として求めたのかもしれない。
庭を走り回るグラシエは、手近な子どもを捕まえて抱きしめる。
きゃー、と声をあげる子どもは満面の笑みである。グラシエもまた子どものように透明に笑っている。
「楽しそうだ」
「ええ、本当に。父が早くに亡くなってしまったことで、あの子は弓を取って狩人となりました。獣を狩り、夜盗を追い払い、ついには迷宮にまで。今はこの教会を守るため、また争いごとに……本当は、とても優しい子なのです」
ラティエはミトロフを見る。不思議と今ばかりは、その焦点がくっきりとミトロフの瞳を掴んでいるような気がした。
「あの子は、あなたに大変な借りがあると言っていました。どのような形であれ、この一件が落ち着けば、またあなたと迷宮に行くつもりだと思います」
それは、と。ミトロフは返答に悩む。そんなことはない、とは言えない。
なによりミトロフ自身が、グラシエはまた戻ってきてくれると当然のように思っていた。
カヌレと三人でまた迷宮に挑む。それですべてが元通りになるような気がしていた。
けれどグラシエにとって、迷宮に赴くことは“元通り“ではない。彼女には彼女の人生があり、居場所がある。
そんな当たり前のことが今になってはっきりと分かったようである。
「このような物言いは、私のわがままです。どうか、妹を迷宮に連れて行かないでいただけませんか?」




