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【書籍化】太っちょ貴族は迷宮でワルツを踊る  作者: 風見鶏
第三章

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太っちょ貴族は子どもに絡まれる


「それは本当にグラシエさまでしたか?」


 ミトロフの話を聞いて、カヌレは落ち着いた声で質問した。

 場所はグラシエが定宿としていた宿の薄暗い食堂である。

 ミトロフはグラシエを見失ってすぐにカヌレの宿を訪ねた。あれがグラシエならば再びこの宿に泊まっているという可能性も考えてふたりでやって来たのだが、グラシエがいる気配はない。


 ミトロフは香りの澱んだ渋い赤ワインで唇を湿らせてから口を開いた。


「おそらくはそうだと思う。向こうもぼくに見覚えがあるように思った」

「確認はなされましたか? 会話をしたとか、ちゃんと容貌をご覧になったとか」

「……いや、声は聞いていない。薄暗いし、少し遠いし、フードを被っていた」

「では見間違い、ということも」

「それでもあれはグラシエだった、と思う」


 自信を持って断言するようでいて、ミトロフの口調は段々と弱くなる。あの時は確かに、グラシエの顔に間違いがないと感じた。視線は混じり合い、一瞬ながらも互いに認識をしたように思えた。


 だがカヌレの言うとおり、見間違いという可能性もあるのだ。通りは暗く、相手はフードを被っていた。なにより、グラシエならば逃げるのはおかしい。


「なにか暗い事情に関わっている者がミトロフさまに都合の悪いときを見られ、咄嗟に逃げた、という可能性はありましょう。その方が出てきた扉の中は、確認なされましたか?」

「ああ、した」


 グラシエらしき姿を見失って、ミトロフは来た道を戻った。彼女が出てきた扉に手がかりを求めてみれば、そこは小さな酒場であった。


 昼でありながら夜のように薄暗く、壁に掛かったランタンには満足に火も灯っていなかった。煙草の煙と埃っぽさが鼻につき、床には湿ったおが屑が撒かれていた。

 カウンター席には男がふたり。二卓だけのテーブルには、見るからに柄の悪い男たちが酒瓶を片手に集っている。


 くつろいで酒は飲めそうにないな、とミトロフは眉間に皺を寄せた。

 店の主は亜人であった。トカゲのように滑らかな鱗は目の下が大きく割れている。大きく裂けた口からピンク色の舌をちろちろと覗かせながら、新たな客を見定めるように、縦に割れた瞳孔がミトロフの足先から頭までを観察していた。


「まあ素敵なお客様ね。いらっしゃい、お坊ちゃん。なにがご入用かしらァ?」


 焼け付くように甘ったるい響きが語尾を曖昧にしている。女性的な話し方だが、声は野太い男のように響いた。


「……いま、店を出た客について聞きたい。知り合いかどうか確かめたくて」

「お坊ちゃんが困っているなら助けになりたいのだけどォ、他のお客さまのことについては話せないの」


 トカゲの店主は頭を傾げる。人間とは違った滑らかな動きだ。首を撫でる指には鋭い爪がある。真っ赤なマニキュアが暗闇の中でほとんど黒く見えていた。


「あなたの信条は理解できる。ただ、名前だけでも確認できないだろうか。彼女はグラシエというエルフだと思うのだが」

「せっかくだから何か飲んでいったらァ? お酒とお水しかないけど。うちのお酒は特別に仕入れてるから、あなたみたいな可愛い子にもおすすめなのよォ」


 ミトロフの質問を聞き流し、トカゲの店主は手近な酒瓶を手に取ってラベルを確認する。

 かちちち、かちちち。

 硬質な音が響く。トカゲの鋭い爪が小指から順に酒瓶を弾く音である。


 かちちち、かちちち。

 げ、げっ、と、カウンターにいる客のひとりが肩を揺すって笑った。


「坊主、ここの酒は最高だぜ……最高に、特別でな……一杯、奢ってやるよ、げっ、げ」


 ほとんど額をカウンターに擦りながら、男はミトロフに顔を向けている。

 異様とも言える雰囲気にミトロフは及び腰になっている。


 迷宮にも慣れ、魔物との戦いにも引かない精神を持ちながらも、見知らぬ酒場に踏み込んでいく度胸というものを、ミトロフは未だ得ていない。あまりに未知であり、ミトロフの構築された世界観の外の範疇の規則で動く場所である。剣を提げているから安心できる、という問題でもない。


 また、店主はどうにもミトロフの質問に答えるつもりはないようである。

 ミトロフは逡巡しながらも、謝辞を残して店を出た。


「……という按配でな。手がかりにはなりそうもない」


 なるほど、とカヌレは頷いた。


「推測ですが、内と外を明確に区切る界隈なのでしょう。外様のミトロフさまが急に入っても、なにも答えてはくれないかと」

「だろうな。排他的、という空気をよく理解した」


 手がかりといえばあの場所だけだが、ミトロフが素直に赴いて望む情報を手に入れられるとは思えない。


「人違いであったなら、いい。ぼくが見間違えただけだ。けれどもし、本当にグラシエだったとしたら、なぜ逃げたのだろう」


 ミトロフは背を丸め、肩を落とし、物思いに耽るようにグラスを見つめた。

 カヌレはその姿を前に、おろおろと言葉に悩む。


「もしグラシエさまだったとしても、きっと、なにか事情がおありなのですよ」

「そうだろうか……ぼくの顔を見たくもないとか、そういう可能性もあるだろう」

「そんなはずは……再会のお約束もなされたのでしょう? 耳飾りもありますし」


 エルフ族の女性の風習として、再会を願う相手に耳飾りを託すのだと教えてくれたの他ならぬカヌレである。


「耳飾りを渡したが、今になって再会する気もなくなった、だから顔を合わせたのが気まずかった、ということはないか?」

「それは……」


 可能性としてはあり得る、と答えなかったのはカヌレの優しさである。

 しかし貴族特有の言葉の裏を理解するミトロフの察しの良さが、カヌレの優しさを無為にした。


「––––ブヒッ」


 ミトロフは鼻を鳴らして鼻水をすすると、やけくそだとばかりに赤ワインを一気に飲み干した。


「ぼくはもう一度行く! このままでは夜も眠れない!」

  

 ミトロフを放っておくことはできず、一緒に行くと申し出たカヌレと共に、ミトロフは再び裏通りに入った。

 もう一度、同じ人物を見かければグラシエかどうかを判別できると思っているが、なにしろ広い街である。多くの人が住んでいる。待ち合わせもしていない相手と可能性はひどく低い。ミトロフも分かっている。


 それでも部屋で寝転んで天上の木目に意味を見つけるような無為な時間を過ごすことは、ミトロフにはできなかった。歩いているだけでも気晴らしにはなる。


 街の区画をつなぐ大通りは広く、人も馬車もひっきりなしに行き交っている。左右にはアパートが建ち並び、太陽の傾きによって影の落ちる場所を変えるが、常にどこかは明るい日向がある。

 賑わいの声は絶え間がなく、行き交う人の流れに入れば、人の肩とすれ違うのにも神経を使うほどの密集になる。


 しかし一本、二本と小道を逸れて奥に進むほどに喧騒は遠ざかっていった。深い森に入ったように薄暗く、空気は沈み、道幅は細くなっていく。通り行く者はみな黙り込み、俯き、顔を隠す。誰もが面倒ごとはごめんだと全身で主張している。


 たまに、顔を合わせて何やら話し込んでいる女がいる、男がいる。それは人間であったり、獣人であったり、亜人である。ミトロフとカヌレが通りがかれば、彼らは会話を止め、横目で場違いなふたりを観察する。


 そういう状況で、グラシエについて聞き込みをするほどの蛮勇を、ミトロフは持ち合わせていない。

 結局はあてもなく道を歩き回る。細い道は入り組み、あっちへ繋がったかと思えばこっちに曲がり、ぐるぐると方向感覚が乱れていく。迷宮よりも余程、迷宮らしいなとミトロフは思った。


 交差する道の真ん中で、さて手がかりもないのにどこに進むかと悩んでいると、たたた、と軽い足取りが聞こえた。ミトロフの右側の道から子どもがふたり、駆けてくる。どちらもフードで顔を隠している。


 裏道にも子供はいるのか、いや、人が暮らしているのだ、それも当然か……。


 どうとも構えずにミトロフが一歩下がって道を譲ったとき、すれ違いざまに先頭を行く子どもが「わあ」と叫んで前方を指さした。

 ミトロフは肩を跳ねあげ、反射的に顔を向ける。


 ふたり目の子どもがミトロフに肩を当てようとした。手は俊敏にミトロフの懐を狙う。

 しかしその手を、黒革の手袋が弾いた。裏通りに入ってからミトロフの身の警戒だけに専念していたカヌレが抜かりなく距離を詰めていた。


 あっ、と弱い声。


 カヌレの素早い動きと、魔物としての力が子どもの体勢を崩したらしい。たたらを踏んだかと思うと壁にぶつかり、そのまま転げてしまう。


「コウ!」


 先を行っていた子どもが足を止め、すぐさま駆け寄る。

 ミトロフとカヌレを警戒し、慌てるように肩を貸そうとする。


「いて、いててて! 足! 足首が!」

「だ、大丈夫? ほら、立って!」


 地べたに座り込むふたりを前にようやく、ミトロフはスリに遭いかけたらしい、と気づいた。子どもふたりでたくましいことだ、とつい懐を押さえる。


「カヌレ、助かった」

「いえ。務めですので」


 騎士を辞めたわりに、騎士そのものの言動がたまに顔を出すのがカヌレである。ミトロフの盾になると宣誓した日以来、カヌレは忠実にミトロフを守ってくれている。


「おい、大丈夫か」


 ミトロフが声をかけると、子どもたちは顔をあげた。


「うるせいやい! 太っちょに見下される覚えはないぞ!」


 言い返したのは足を挫いたらしい少年だった。声音は勇ましいが、声変わり前の透る声をしている。


「コウ! あ、あの、ごめんなさい、ぼくたちぶつかりそうになってしまって」


 ふむ、とミトロフは顎肉をつまむ。

 被害に遭っていれば問い詰める気も起きるが、カヌレが未然に防いでくれた以上、ミトロフには怒る理由がない。


 世の倫理として間違ったことを改めるように諭すという選択肢もあろうが、どう言おうと余計なお世話だろう、とミトロフは頷いた。


「そうか。これからは気をつけるといい」


 ミトロフは子どもらを置いて歩き出そうとする。そのとき、


「––––なんだよ、魔物を引き連れてるくせに」


 ミトロフはぴたりと足を止める。さっと振り返ると、コウと呼ばれた少年の前に屈む。


「怒る理由ができてしまった。今の発言は許せないな、取り消してくれるか」

「ああああ! ごめんなさい! コウがごめんなさい! こいつ、あの、本当にバカで!」


 庇うように前に出た子どもは少女のようである。バタバタと手を振り、今の発言をひとりで打ち消そうとしているかのようである。


「バカじゃねえよ! おれ、見たんだぞ! 後ろの黒いやつ! 顔が骨だった!」

「そうだな。骨だ。だが彼女は魔物ではない。間違った発言だ」


 ミトロフは冷静に認め、訂正を要求する。


「あの、ミトロフさま、わたしは気にしておりませんので……」


 カヌレがおずおずと声を挟む。


「いいや、ぼくは気にする。大事な仲間を貶されたら怒る。当然だろう」

「なにが仲間だよ! 金持ちのくせに魔物と仲間なわけないだろ!」

「仲間だ。ついでに金持ちではない」

「嘘つけ! 貧乏人がそんな短剣を持ち歩くかよ!」


 ほう、とミトロフは感嘆した。

 ミトロフの腰には、刺突剣の他に短剣をひとつ提げている。それはカヌレの兄である銀鎧の騎士から譲り受けたものだ。華美な装飾はされていないが、逸品である。

 この少年はそれを見抜く目を持っているらしい。


「ごめんなさい! コウの失礼な言い方を代わりに謝りますので!」

「おい、勝手なことすんなよカイ! おれは謝らねえからな! 魔物だっていうのも事実じゃんか!」

「ああもう! コウは黙っててくんないかな!? いつもいつも事態をややこしくするんだから!」

「お前がいつもヘタレなだけだろ!」


 途端、火がついたのか、ふたりは言い争いを初めてしまった。ミトロフもカヌレも眼中にないという様子である。

 カヌレは何も言わず、それでいて何が起きてもミトロフを庇えるように立っている。


 ミトロフは二人の少年の様子を窺い、どうも演技らしいな、と推測を立てた。ふたりは達者に口喧嘩をしながらも、ミトロフの様子を探っているような気配がする。


 立派なものだ、とミトロフは感心してしまった。

 謝罪はもらっていないが咎める気も萎びて、ミトロフはふたりの作戦に乗ることにした。

 ふう、とため息などついて、わざと視線を外して顔をカヌレに向ける。


「いまだ!」


 同時にふたりの子どもが立ち上がり、駆け出した。


「やーい! この無能っちょ!」


 なんだその独特な罵りは、とミトロフが呆れと共に視線を戻す。

 足を引きずりながらも、コウは顔をこっちに向けたまま走っていく。捨て台詞を受け止めることは不本意だが、ミトロフはそのまま見送って一向に構わなかった。しかしどうにも運というものがあるらしい。


「うるせえな! 眠れねえだろうが!」


 騒ぎに苛立った住人が扉を開けた。前を見ていなかったコウは反応に遅れ、見事にそこに顔を突っ込み、跳ね飛ばされるようにひっくり返ってしまった。


「こ、コウぅぅぅ!?」


 先を行っていたカイが戻ってコウの身体に取り付くが、ゆすっても目を覚ます様子がない。頭をぶつけたらしい。


 ミトロフはカヌレと顔を見合わせる。カヌレはふるふると首を左右に振った。

 仕方ない、と鼻息をひとつこぼして、ミトロフは少年たちに歩み寄った。




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[良い点] ミトロフめちゃくちゃ人間出来てますね 本人も焦ってるだろうに子供に対してすぐに怒らないでなぜ怒るのかしっかり言って聞かせるとか貴族なのに器の大きさが違いますね
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