太っちょ貴族はグニグニする
14階層に薬草が生えているとして。ではどこに、という問題がある。
もしやこの階ばかりは土壌豊かなのかもしれないとも考えたが、来てみれば変わらず茜色の満ちた洞窟のようである。この階のどこか一部にだけ、薬草が生えるような特別な場所があるのだろう。
「やはり金になるのだろうな。薬草の情報はかなり高い……自力で見つけられたらそれに越したことはないんだが」
情報屋に頼らずとも、迷宮の大半の事情はギルドで解決できる。ギルド自体が冒険者から情報を買い上げ、それを精査して別の冒険者に売っているからだ。
ギルドから買った情報を転売する自称情報屋もいるが、そうした輩は報奨金目当ての冒険者に密告され、すぐさま罰せられることになる。
しかし適正価格ではあっても、ギルドからなんでも情報を買っていてはそれだけで破産してしまうし、ギルドが人を派遣して調査してから販売をするまでの間に情報の新鮮さは失われていく。
それゆえに情報屋というのは廃れず求められる職業のひとつである。
どこまで自分だけで探すか、どこから情報を買うか。そうした判断力もまた、冒険者に求められる素養なのだ。
今回、ミトロフは情報を仕入れずに来ている。まずは自分たちでやってみる。それでダメなら多少高くとも買う。そう決めている。
「この階では、蛇型の魔物が出てくるぞ」
「蛇、ですか。ボアとはまた違うのでしょうね」
地上でも蛇を見かけるが、どれも小さなものである。南方を占める森林にはボアと恐れられる巨大な蛇がいるというが、ふたりともに伝聞でしか知識がない。
「トゥチノコと呼ばれる、寸胴の蛇らしいな。奇妙な絵だった」
「名前の響きも不思議です。どこの国の言葉なのでしょうか」
「さて。魔物の命名権は発見者にあるらしいからな。どこぞの異国の人間が発見したのだろうさ」
洞窟の道は緩やかな傾斜になっていく。わずかばかりの上り坂だ。一歩ずつは大したこともないが、続くと身体に負担もかかる。ミトロフは自分の息が弾んでいくのを感じている。
おかしいな、以前よりも体重は落ちたはず……昨日など、節約もかねておかわりを我慢したというのに……身体が重いのが不思議だ……これも迷宮の影響だろうか……。
首を傾げて進む坂の上から、ふと、小さな影が転がってくる。
馬車の車輪のように丸く、それでいて幅は広く、地面に吸い付くように、こちらに向かってくる。
ミトロフは目を細めた。初めて見る物に思考が戸惑うが、そうした経験はすでに幾度とこなしている。なんだあれは、と考えてすぐ、答えに至った。
「カヌレ! トゥチノコだ!」
ミトロフはすぐさま刺突剣を抜いた。腰を据えて待ち構えるが、転がるトゥチノコの勢いが増していくに連れて、頬が引き攣っていく。
カヌレが通路の端に大鞄を下ろし、盾を取り、ミトロフの前に戻ってきて、さて、と構えるころ、トゥチノコはすぐそこに迫っている。
長い坂を下ってきたことで猛烈な速度になっているのは目に見えて明らかだった。
「ミトロフさま、離れてください。止めてみます」
「……大丈夫なのか? 馬車を止めるようなものだぞ」
「今度、馬車も試してみましょう」
軽口で答えてカヌレは足場を確認する。黒革のブーツで地面を叩いて足を固め、前傾姿勢で丸盾を構えた。
ミトロフは少しばかりの心配を残しつつ、壁際に寄る。
ゴロゴロゴロゴロ……音が聞こえたかと思えば、それはあっという間にカヌレの丸盾にぶつかった。
「––––ッ」
水の詰まった袋で思いきり殴りつけたような鈍い音だった。
迷宮の遺物による呪いを宿したカヌレの膂力は人間を越えている。トロルの強靭な一撃すら防いでみせたカヌレは鉄塊のように立ち塞がり、盾をわずかに傾けて衝撃を逃す。
トゥチノコが弾かれて空中に飛び上がり、壁にぶつかった。
ミトロフは抜き身の剣を片手に走り寄る。
床に落ちたとき、トゥチノコの姿はすでに丸ではなくなっていた。たしかに蛇の頭があり、尻尾がある。しかしその胴体は平べったく横に広がった寸胴であった。丸まることで車輪と化し、坂を転がり落ちるようである。
ミトロフが見定めている間に、トゥチノコは頭をミトロフに向けた。
不思議な光景である。トゥチノコの身体がどんどんと短くなっていく。ついには頭と尻尾が直接くっついてしまったように見える。
そこでふと、ギルドで下調べをした資料の内容がミトロフの頭をよぎった。冒険者たちの走り書きがいくつも残っている物だが、そこに「剣角兎と同じ」と書いてあったことを思いだしたのだ。
トゥチノコが跳ねるのと同時に、ミトロフはとっさに横にステップを踏んだ。
真横を暴風が抜けて行った。風の音で重みが分かる。みっちりと詰まった風切りは、ともすれば剣角兎よりも肝を冷やす迫力がある。
ミトロフは足を滑らせながら方向を変える。振り向けば、カヌレがトゥチノコを地面に叩き落としたところだった。
しかしその叩きつけに、トゥチノコは少しも弱った姿を見せない。
跳ねる動きと滑る動きを混ぜた奇妙な動作で離れていく。それは逃げるためでなく、再び先ほどの体当たりをかますために違いなかった。
ミトロフは走って追いかける。どたどたと。
跳ねも転がりもしないトゥチノコは遅い。しかし走るミトロフもまた遅い。
ひいひい言いながら追いかける先で、トゥチノコは転身し、ミトロフに頭を向ける。再びみちみちと身体を縮こまらせていく。
これはいかん、とミトロフはさらに気合を入れて走り込み、刺突剣を突き出した。
同時にトゥチノコは跳ね飛んだ。
ミトロフの右腕に凄まじい衝撃がはしり、剣が弾き飛ばされる。ミトロフは反射的に左側に身をかわした。
突風に髪がなびき、右目は閉じられる。体勢を崩しながらも振り返れば、地面を転がっていく自分の剣があった。トゥチノコが串刺しになっている。
壁に当たって止まったところを、取りに行く。カヌレも合流する。
「……トゥチノコの突進を剣で出迎えた形になったようだ」
「ミトロフさま、さすがです」
「もちろん偶然だ」
ミトロフは右手をぷらぷらと振る。剣をもぎ取られるような衝撃は、とてもミトロフが受け切れるものではない。
「剣角兎のように壁を背にして躱すか?」
「跳ねるのではないかと」
「……そうだな。動きは止まらないか」
黄土猪も剣角兎も、突進をしてくるのは同じだが、壁にぶつかれば動きを止める。しかしこのトゥチノコは、壁にぶつかれば跳ねる。待ち構えるということができない。
串刺し状態のトゥチノコを前に、ふたりの会話は簡易的な作戦会議になりつつある。
「カヌレはどうだ? 防ぐことはできそうか?」
「坂で助走をつけられると、うまくさばくのは難しいかもしれません。受け止めるのに問題はないのですが、やはり、跳ねます」
「跳ねる、か」
見下ろすトゥチノコは、背中から頭までの革が分厚い。身を丸めて転がると背中が、縮んで突進すれば頭がぶつかってくることになる。
「硬い、というよりは、弾力があるんだろうな」
ミトロフはしゃがみ、トゥチノコの頭や背を指で押してみる。
「……ぐにぐにしている。硬いような、柔らかいような……不思議な感覚だ」
「甲殻のように硬ければ割れるでしょうから、その弾力で衝撃を殺しているのでしょう。ミトロフさまの剣が刺さったのはそのためですね。鋭さが対策の鍵、かもしれません」
「攻撃は通ると分かったからな、あとはこいつをどう止めるか、というのが問題か」
グニグニ。
「……ミトロフさま?」
「この感触は、どうにも癖になるな。カヌレも触ってみろ」
「はあ……そう仰るなら」
カヌレはミトロフの横にしゃがみ、同じように指先でトゥチノコの背を押し込んだ。
グニグニ。
グニグニ。
「たしかに……これは不思議な……」
「そうだろう」
グニグニ。
グニグニ。
「どうやってトゥチノコを止めましょうか」
「どうしたものだろうな」
グニグニ。
グニグニ。




