太っちょ貴族は薬草を探している
初めて見たときには惚けるほどの驚きを感じたものであるが、なにごとにも慣れてしまうものである。
ミトロフとカヌレが第三階層に入ると、初めてここに訪れたらしい冒険者パーティが、天井まで視界の通った茜色に大騒ぎをしているのを見かけた。
いつかの自分たちもああだったなと、ちょっとばかし微笑ましく思う。
大昇降機前の関所を通り抜け、また道を進み、ふたりは地下14階を目指していた。
ただ歩くだけでも時間がかかり、道中の魔物を無視してばかりもいられない。休憩も挟みながらになると、帰るころには夜になってしまう。
そろそろ大昇降機を使うべきか、といつも頭の隅で悩みながら、やはりその値段が問題だった。
第三階層に至れば、初心者は卒業とされる。その証としてギルドカードには”羽印”が押され、大昇降機を使用することができるのだ。
ミトロフたちは探索の移動時間を圧縮できる大昇降機を利用することを目指してはいたが、現実はいつも期待通りとはいかない。
階層が深まるごとに、魔物から採集した物の買取価格は上がっていく。それだけ危険と儲けが増えているわけだが、比例して大昇降機の料金も上がるのである。
どこかの段階で金を時間に替える判断をせねばなるまいと分かっていながら、なかなかその踏ん切りがつかないのは、治療費という重荷を背負っているからだった。
「カヌレ、疲れはないか?」
ミトロフは振り返って訊ねる。
「はい。問題ありません」
「使い心地に問題はないか?」
「つつがなく」
カヌレは背に新たな大鞄を背負っていた。帆船にかける帆と同じ素材で織られた背負い鞄である。
丈夫で汚れに強く、大量に荷物が入る。重いという欠点に目を瞑れば、冒険者にとっては最高の素材であった。
探索の時間が長引くにつれて、必要な物資も、持ち帰る素材も増える。カヌレの提案により新調した買い物ではあったが、出費の額よりも利便性が大いに優っており、良い買い物をしたとふたりで頷き合う日々である。
小柄なカヌレが身体の幅よりも広い鞄を背負う姿は、傍目に見るとちぐはぐである。
魔物からの採集品が詰まった帰り道など、ミトロフでは背負うだけで精一杯な重さとなっても、カヌレは軽々と、またいつまでも疲れた様子を見せない。
それは彼女が騎士として訓練してきたからというばかりでなく、迷宮から産出された古代の遺物による呪いを受けているからでもあった。
現代の魔法使いには解明もできない摩訶不思議な魔術により、カヌレは人間としての身体を失い、スケルトンかのような姿に変わってしまったのである。同時に、人間離れした怪力と、食事も眠りも必要としない特性を得ることとなった。
その見た目のために、ギルドで正式に冒険者として登録はできないが、ミトロフのポーターとして、また盾役として、縦横無尽に力を発揮してくれている。
通りゆく12階、13階はすでに慣れたもので、ふたりは危うげなく進んでいく。
ミトロフの怪我と、治療費の損失もあり、一階ごとに丁寧に探索を心がけたため、この階層の魔物への対処もすっかり手慣れることになった。
焦らず、無理せず、それでも少しばかり足を早めて14階を目指すのは、そこにミトロフの求めるものがあると聞いたからである。金策だ。
「本当にあるのでしょうか」
ふとこぼれたようなカヌレの疑念に、ミトロフは頷きを返した。視線は周囲を警戒したまま返事をする。
「ぼくも心配だ。だが資料があり、情報がある。この目で見るまでは信じられないが、14階には––––薬草がある」
「このような地下に植物が生えているというのは、不思議なことに思えます」
「同感だ。しかし、なにしろ迷宮だからな……」
迷宮ならばなにが起きても不思議はない……冒険者はやがてそんな認識を共有する。
迷宮とは簡単に言ってしまえば地下深くの洞穴である。太陽の光が届かない以上、薬草のような植物が育つ環境には思えない。
しかし魔物は生きている。何かを食って活動しているはずだった。彼らがどうやって生きているのかが、ミトロフには不思議でならない。
「この第三階層に夕暮れのような光があるのも、ぼくにはあり得ないようなことに思える」
「たしかに。いつの間にか慣れてしまいましたね」
10階までは暗闇の中、掲げられたランタンを頼りに迷宮に挑んでいた。
11階––––第三階層からは、視界は地上のように見通しが良い。迷宮光苔が壁中に繁茂し、常に茜色に発光しているからである。
「いまさら薬草が群生していようと、驚くほどでもないさ。むしろ喜ばしい。金を稼ぐのには最適だ」
「軟膏にポーションにと、薬草はいくらでも需要があるものですからね」
「施療院は金の代わりに薬草で返済しても良いと言っているくらいだ。ここで山ほど採集して返済を早めよう」
「はい、必ずや」
近づくほどに早足に、それでも警戒は怠らず油断もせず、ふたりは着実に地図を埋めた。
明日こそは、明日こそは、と日をまたぎながら、ついに今日、地下14階への階段を降りたのである。




