太っちょ貴族は答えを知る
探すのは難しくなかった。
なにしろ全身が壮麗な銀の甲冑である。いくらか街人に声を掛ければ、あっちで見たよ、こっちにいたよ、と。従って歩いていけば、昼の市場で屋台を前に立つ騎士を見つけた。
「騎士さま、銀貨は受け取れません!」
「良い。釣りはいらぬ」
「そんな畏れ多い!」
ミトロフは少しばかり笑ってから歩み寄り、横合いから銅貨で支払った。
「おや、きみか。もう傷はいいのか」
「ああ、おかげさまで。あなたが止めてくれなければ体重が軽くなっていたところだ」
「痩せるには運動をするほうがいい。健康にもなる」
そういう話ではないんだが、とミトロフは苦笑した。
「あなたを探していた」
「なにか用があったかな?」
「いや、見送りだ」
騎士が今日、街を離れることをカヌレから聞いていた。ひどい疲れと痛みはまだ残っているが、ひと晩ぐっすりと眠ったことで、歩くくらいはなんとかなった。
騎士はふ、ふ、と笑う。
「見送りもない出立では寂しいからな。ありがたいことだ」
昼の市場は、夜とはまた違った活気がある。買い物をするのは若者や女性が多い。屋台の前に立つ騎士を避けるために道が狭まり、この辺りだけがますます渋滞を起こしていた。
ミトロフは騎士に声をかけて歩き出し、市場から外れた小道のひとつに入った。
立ち止まり、向かい合い、ミトロフは一礼した。
「……感謝する」
「剣を止めた礼は先ほどもらったが」
「いや、そのことではない。あなたは初めから、カヌレを連れ戻そうとは思っていなかったのではないか、と。そう考えた」
「奇妙なことを言う」
「あなたと初めて会ったとき、ぼくは古い契約を盾にその場を凌いだ」
「ああ、契約は遵守されるものだ」
「しかしあなたが本当にカヌレを連れ戻すという目的を持っていたのなら、無視をすれば済む話だった。違約金を払うと言ってもいい。ぼくを叩きのめしたっていい。手段はいくらでもあったのに、あなたはそれを考慮しなかった」
「ほう」
騎士は認めず、否定もせず、ただ頷いた。手応えのない反応だが、ミトロフは気にせず言葉を続けた。
「夜の市場であなたと話したとき、どうにも引っかかる言葉があった」
「なにか言ったかな?」
「覚悟と力がなければ、我儘を貫くことはできない……そしてぼくに、分かるか、と訊いたんだ」
それはミトロフが決闘を挑むという手段を思いつくきっかけになるものだった。
「覚悟と力があれば、我儘を貫いていい––––そう言っているように聞こえた」
「なるほど。言葉とは受け取り方で意味が変わるものらしいな」
ミトロフは騎士を見上げる。表情は見えない。それはカヌレと同じように。だから答えは確認できず、もしかしたら、ミトロフの願望であるのかもしれない。
そうであればいい、そうであってほしい。
そんな思いすら込めて、ミトロフは訊いた。
「あなたはカヌレを連れ戻したくなかった。しかし自らの務めを放棄することもできなかった。だから、誰かに止めてもらいたかった。時間を区切り、考える時間を与え、ぼくをそそのかし、そして、決闘を受けた。あなたは本当は––––カヌレを自由にしたかったんじゃないか?」
わずかな沈黙。
ふ、ふ、ふ。と、騎士は笑った。
「ではきみはこう思うのか? 私はわざと負けた、と?」
「……思う」
「それはまったく、私に失礼だ。そしてきみにも。確かに手加減はしたとも。しかしあの一瞬だけは––––本気だった。私はきみの腕を斬り落とし、きみの剣は私に届いた。驚くべきことだ」
遥か高みにある騎士からの褒め言葉に、ミトロフは場違いながらも背筋が震えるような高揚を感じた。と、同時に、ふと気になった。
「……斬り落とし? ぼくの腕は斬り落とされたのか?」
「––––おっと。口が滑ってしまった」
「待ってくれ、斬り、斬り落とし? 腕が?」
「大丈夫だ。すぐに繋がったよ。あそこの神官は腕がいいな。冒険者の腕を繋げるのには慣れているらしい。ふふふ」
「いや、ふふふじゃなくてだな、腕、ぼくの……」
騎士と自分の左腕を交互に見比べる。不安に駆られて力を込める。痛みはあるが、指は違和感なく動いている。
「あの子に口止めをされてな。衝撃が強いからと。なあに、平気だろう、きみも男だ。腕の一本くらい」
そんなわけあるか、と叫びかけて、ミトロフは肩の力を抜いた。いや、いいんだ、無事に繋がっている……。
なんとか現実を受け入れようとしているミトロフに、騎士は手を差し出した。見れば、短剣を握っている。
「なんだ、これは」
「屋台での食事の礼だ」
「あなたもなんと言うか、律儀だな」
ミトロフは騎士の持つ短剣を見る。ミトロフに武具の鑑定眼はないが、明らかに安物ではない。受け取れるわけがなかった。
断ろうと口を開いたミトロフの機先を制して、騎士は言う。
「––––妹をよろしく頼む」
「……わかった。任せてほしい」
ミトロフは頷き、短剣を受け取った。ずしりと重たいのは、鉄のせいばかりではない。
満足げに頷いてから、では私はそろそろ行こう、と騎士は言う。
結局、ミトロフの質問には答えていない。うまくはぐらかされてしまった。敵わないなと嘆息して、ミトロフは肩に下げていた袋を差し出した。
「これを持っていってくれ」
「餞別かな」
「”アンバール”だ」
騎士は首を傾げる。それはミトロフが負けた時に差し出すはずのものだった。
「金は力だ」
とミトロフは言う。
「我儘を貫くには力がいるんだろう? それをカヌレの父君に渡してくれ。迷宮で冒険者の真似事をしている馬鹿な貴族の子供が、カヌレを雇いたいと。そう話せば、あなたにも都合がいいはずだ。いつかカヌレが戻りたいと言ったとき、帰るべき居場所を残しておいてほしい」
騎士は黙ったまま、しばらくミトロフを見つめる。
やがてふっと息を抜くと、ミトロフから袋を受け取った。
「きみはまったく、平凡な少年だ」
「……なんだ、急に」
「剣の腕は、まあ悪くない。しかし奇貨ではない。頭脳も明晰というわけではないだろう。金も権力も地位もなく、磨かれてもいない原石だ」
「褒めたいのか貶したいのか、どっちなんだ」
「誰にも分かる優れたものはなくとも、きみには”黄金の精神”が宿っているようだ」
黄金の精神––––その言葉を、前にも騎士は口にした。
「何なんだ、”黄金の精神”とは」
「さて、君の言葉を借りるなら”根性”だろうな」
「……騎士というのは、言葉ひとつにも華美な装飾を施さないと気が済まないのか?」
「ふ、ふ、ふ。良いじゃないか、華はあるほうがいい」
騎士は袋を掲げる。
「きみの配慮に感謝し、遠慮なく頂こう。本当なら断るべきだが、これは実に欲しくてね」
「ひとつ訊きたいんだが、”アンバール”とは何なのだ? ”甘い蜜”という隠語しか知らないんだ」
「隠語? まさにその通りだが」
騎士は気負いもなく、あっさりと言った。
「これは迷宮でのみ採掘される”甘い蜜”––––言わば”メープルシロップ”だ」
「……は?」
ミトロフはぽかんと口を開けた。
「その至上の甘さは、ひと舐めするだけで天に梯子をかけるようだと、もっぱらの評判でね。特に王妃がこれに目がない。今や貴婦人たちは”アンバール”を手に入れるために四方八方で大騒ぎというわけさ」
「それは……シロップ、なのか?」
「うむ。見た目は石のようだが、よく熱すれば溶け出すらしい」
「そうか……メープルシロップか」
「ああ。どうした?」
「いや––––いいんだ。ぼくも”甘い蜜”は大好きさ」
ミトロフはゆっくりと深呼吸をした。




