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【書籍化】太っちょ貴族は迷宮でワルツを踊る  作者: 風見鶏
第二章

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太っちょ貴族はいびきをかく



 枝を振っていた。

 遠い昔の記憶を、ミトロフは夢に見ている。


 暴風に荒れた日の翌朝のこと、庭には木々の枝が散乱していた。庭師と手の空いた使用人たちで枝を集めている。

 ミトロフはその中から手頃な枝を見つけて拾った。


 ––––母上、見てください。


 ミトロフは枝を振るう。習い始めたばかりの剣術の型を見せる。


 ––––まあ、ミトロフ、勇ましいことですね。


 母は微笑んだ。微笑んでいた、はずだ。

 夢の中であっても、母の顔をミトロフはもう思い描けない。


 ––––これで母上を守って差し上げます。

 ––––ならば、強くならねばな。守るためには力が必要だぞ。


 そう言って、誰かがミトロフの頭に手を置いた。見上げれば、それは若かりし父である。柔らかな顔でいる。もう長らく、そんな表情を見た覚えはない。


 ––––ミトロフ、お前には剣の才能があると聞いている。しっかり励みなさい。

 ––––はい、父上!


 ああ、この言葉か、とミトロフは笑った。

 だから自分は、剣を振るのか。


 すべてが今に、繋がっているのか。

 遠い思い出の中に置いてきた言葉を、すっかり忘れてしまっていたらしい……。


 ふと、意識は目覚めた。


 目を開けると、そこは病室である。壁にかけられたランタンばかりが明かりで、部屋は深い青に沈んでいる。窓にかかったカーテンが夜風を孕み、ゆったりと揺れていた。窓の外ではとっくに夜が深まり、月には雲が被さっている。


「––––ミトロフさま、お目覚めですか」


 その呼び声に、ミトロフはふっと視線を向けた。

 窓とは反対側にカヌレが控えていた。


「カヌレ、ぼくは」

「兄さまの剣を受け、意識を失われたのです。無茶をなさいました」


 咎めるような口振りであるが、どこか声音は優しい。


「左腕が千切れかかっておりました」


 カヌレは優しく、尋常でないことを言う。


「……冗談か?」

「いえ」

「見てもいいか。ぼくの左腕」

「どうぞ」


 力を込めるのが恐ろしく、ミトロフはそっと頭を起こして左腕を見る。包帯が巻かれ、その上に石膏を塗り固められている。


「……とりあえずは、まだ付いているな」

「神官に依頼し、治癒の魔法で繋げて頂きましたので」

「……それは、随分と金が掛かったろうな」

「致し方ありません。ミトロフさまの腕にはかえられませんので」


 それはそうだ、とミトロフは頷き、枕に頭を沈めた。

 うっすらと、察するものがあった。


「ぼくは、届かなかったか」


 天井を見上げながらミトロフは呟いた。

 カヌレがあまりに冷静である。自分の腕は千切れかけである。ここは病室である。勝ったとは思えなかった。


「すまなかった、カヌレ」


 謝るミトロフの頭上に、カヌレは手を差しかけた。黒革の手袋は拳のように握りしめられている。

 眉間に皺を寄せるミトロフに見えるように、カヌレは手を開いた。指で摘んでいるものがある。それは赤い房のようである。


「兄さまから伝言がございます––––見事、と」

「……なんだって?」


 ミトロフは慌てて身体を起こし、左腕に響いた激痛に悲鳴を上げた。


「ミトロフさま! 魔法は効いていますが、一週間は安静にしているようにとのことです。痛みますか?」


 石膏で固められた左腕の中に、棘だらけの鉄球も練り込んだような痛み。ミトロフは涙目で耐えながら、なんとか右腕だけで上半身を支えた。


「散々な扱いに左腕が苦情を訴えているんだろう……そんなことより、それは? ぼくの剣は届いていたのか?」


 はい、とカヌレは頷いた。


「これは兄さまの剣帯の飾り紐です。ミトロフさまの一刺は、兄さまに届いたのです」


 飾り紐––––おそらくはミトロフの最後の剣もまた、躱されたのだろう。しかし騎士の急激な動きに跳ねた紐を、剣先が斬ったらしい。

 ミトロフは笑う。全身を脱力感が包んでいた。


 騎士に触れたら勝ち––––果たして剣帯の飾り紐は、騎士の一部かどうか?

 怪しいところではあるが、騎士が負けを認めた。ならば、ミトロフもまたこれは勝ちと受け入れて良かろう。


「カヌレ、きみの兄君は、恐ろしく強いな」

「はい。わたしは一度とて勝てたことがありませんでした」

「だが今回は、ぼくたちの勝ちだ」

「––––はい。ミトロフさまの一刺、たしかに見届けました」


 ようやくその声に喜びが混じる。

 ミトロフはカヌレを見る。すっかりフードに隠された下に表情は見えず、それが不便と言えば不便ではあるが、もう慣れたものである。


「カヌレ、これできみは自由だ。好きなことをするといい。できれば一緒に迷宮を探索してくれると、ぼくは助かるが」

「好きにして、よろしいのでしょうか」

「もちろんだ。きみに指図する人間も、家も、もういない」

「……で、あれば」


 と、カヌレは椅子を立った。壁際に立てかけてある丸盾を取って戻ってくると、カヌレはその場に膝をついた。


 月にかかっていた雲が流れる。背後の窓から透き通るほどに鮮やかな光が差し込み、ミトロフの背と、跪いたカヌレを照らした。


「わたしはただのカヌレとして、ミトロフさまの盾となりたい。あなたが何をするのか、どこまで行くのか、それを一番近くで見届けること……それが、今のわたしの望みです」


 ––––お許しいただけますか。


 カヌレは丸盾を両手で捧げ持った。それはさながら騎士の叙任式のようである。騎士の象徴たる剣はなく、捧げるのは盾であるけれど、それがカヌレらしいと、ミトロフは笑う。


 ミトロフは右腕で丸盾を受け取る。本来ならば騎士の肩を叩いて声をかけるが、ミトロフにその丸盾は重すぎた。

 まったく、格好がつかんな……と苦笑しながらも、丸盾を返した。


「––––許す。よく励んでくれ」

「––––はいっ」

「ただし、ぼくらはあくまで仲間だ。対等だからな」

「かしこまりました」


 頷きながらもカヌレは跪いたままで、口調もまた堅苦しい。それが染み付いた個性なのか、カヌレに変える気がないのか、ミトロフには分からない。


 しかし、まあ、いいか。


「きみがいてくれて嬉しい」


 ミトロフは伝えて、もう一度ベッドに横たわった。そのまま水の底に沈むように、深い眠りに落ちた。

 すぐに、ふごご、といびきが鳴った。ミトロフの少しばかり上向きの鼻からは、穏やかな寝息、とは言えない豪快な音が鳴る。


 月にまた雲がかかる。ゆっくりと部屋は暗くなっていく。雲の合間からは柔らかな銀の光がこぼれ落ちている。


 ミトロフのいびきが部屋に響いている。

 その傍らに控えたまま、ひとりの少女がミトロフの寝顔をいつまでも見守っていた。




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― 新着の感想 ―
[気になる点] 骨っ娘篇がなんだか既視感ります ダンまちとビリビリの女の子を救う云々チャンポンしたように感じました 今後このパターン続かないようにお願いします
[一言] いつも楽しく見ていますこれからも頑張ってください
[一言] 二人で勝ち取った日常、未来、どこまでも共に歩んでいってほしい
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