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【書籍化】太っちょ貴族は迷宮でワルツを踊る  作者: 風見鶏
第二章

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太っちょ貴族は依頼内容に悩む


 ミトロフはかすかに眉間に皺を刻み、ふむと頷いた。


「蟻とは……パラポネラでは、ないんだろうな」

「ええ、もちろん。ミトロフさんに依頼したいのは、”ディノポネラ”の討伐です」

「聞いたことがない名だ。11階にはパラポネラしかいないはずだが」

「”表”ではそうでしょうね」


 表、という言い回しが、ミトロフの耳に疑問を残す。


「ミトロフさんは、赤目のトロルを討伐されたとか」

「……よく知っているな」

「お噂はかねがね」

「良い噂だと喜ばしいが」

「もちろん、良い噂ですよ」


 語尾に甘やかな余韻を残した言い方は、甘美なようでいてどこか胡乱だ。


「赤目のトロルと蟻に関係があるのか?」

「いいえ、直接的には。ですが、赤目のトロルがどうやって階を移動していたのか、疑問には思われませんでしたか?」

「……魔物の抜け道がある、という噂だが」

「ええ、その通りです」


 とブラン・マンジェは鷹揚に頷きながら両手を広げた。


「そして、ここがそれです」


 ミトロフが思い出すのは、先ほどの商人ポワソンが口にした単語である。


「”特区”か?」

「あら、その呼び方はご存知なのですね。わたくしたちは”抜け道”とも”裏”とも呼びますが、外の方々はみな”迷宮特区”とお呼びになります」

「……初めて耳にした」

「それはそうでございましょうね。知る必要のない者には知らされぬ……知識も情報もそういうものでしょう?」


 ブラン・マンジェは口元に手を当てる。長い裾のために指も見えない。


「”裏”は、迷宮の”表”とはまた別の生態がございます。そして上に下にと繋がり、魔物たちが移動することも。”表”では封鎖された横道などございましょう? あれはすべて”裏”につながっております」


 なるほど、とミトロフは了解した。上層階の横道がいつまでも封鎖されているのは、ただ未探索という理由ではなかったのだ。

 ギルドが大っぴらにしていない”迷宮の裏”に繋がっているために、そのままにしていたということらしい。ミトロフとグラシエがかつて見つけた横穴も、”裏道”だったということだ。


 ミトロフの理解が及ぶのを待って、ブラン・マンジェは言葉を続けた。


「”裏”には、”表”とは違った魔物が棲みます」

「それがディノポネラというわけか」


 ブラン・マンジェは頷く。


「ディノポネラは、パラポネラの上位種でございます。体格大きく、強力な毒を持ち、顎門は鋭い。わたくしたちのような庶民では太刀打ちできませぬ」

「それをどうして討伐したい? 放っておけばどこぞへ行くんじゃないのか?」

「もちろん、通常の個体でしたらそれで構いません。しかしあれは––––”羽付き”なのです」


 羽付きという言葉には聞き馴染みがある。羽の刻印を得た冒険者のことをそう呼ぶのだ。ミトロフはその羽を得るために11階に降りてきたのだから。

 ブラン・マンジェはミトロフの考えたことに思い当たったように首を振った。


「蟻の”羽付き”というのは、女王個体という意味です。文字通り、身体には羽が生えております」

「……それは、飛ぶのか?」

「いいえ。飛びません。”羽付き”はやがて自らの羽をもぎます。そして巣を作り、たくさんの蟻を生み、女王として君臨するのです」


 ミトロフは昆虫の生態に詳しくはない。一般的な知識を持ち合わせているだけである。蜂や蟻は女王という存在がいる。女王は子を生み、群れを作る。やがて巣は巨大になっていく……あの大きさの蟻が巣を作ったらどうなる?


 鮮明に描かれるのはパラポネラの姿である。腕がまだ痛みを訴えている。ディノポネラとは、あれよりもさらに大きいという。それが群れる様子を想像するだけで悪寒がはしった。


「それは大ごとだろう? ギルドに救援を頼むべきではないのか」

「もちろん、本来はそうすべき事柄ですが、少々の事情がございます。もちろん説明しても構わないのですが、ミトロフさんの貴重な時間を浪費するのは申し訳なく思います」


 遠回しに、詳しいことを教えるつもりはない、という意味である。そうした会話の裏を察することはミトロフも得意だった。


「なぜ、ぼくらに頼む? 相応しい冒険者はいくらでもいると思うが」

「アペリ・ティフが、あなたを良い人だと。あの子は人となりをよく見抜きます」


 嘘ではないが、理由のすべてではない。ミトロフの見立てではそんなところである。しかしこちらを罠にかけるとか、悪巧みに利用するような様子にも思えない。


 ミトロフに地位や金や権力があれば疑心も持つが、現在のミトロフは家を追い出された貴族の三男、そして駆け出しの冒険者でしかない。手間をかけて騙してもなんの旨みもない。ミトロフは客観的に自分の利用価値というものを図っている。


「”羽付き”が、わたくしたちの住処の近くをうろつくために、ひどく困っております。見つかれば襲われますゆえ、逃げるために仕方なく住民が”表”に出ることもあり、それが騒ぎの種になることも懸念しております。そしてもし巣を作られれば、わたくしたちの居場所は無くなってしまいます」


 逃げるために”表”に出るとは、アペリ・ティフのことを指しているようにミトロフには思われた。

 ブラン・マンジェは裾に隠されたままの指を立てる。ローブの生地はシルクのようにしとりと滑らかで、立てられた一本の指の形を浮かび上がらせる。


「”羽付き”ディノポネラの討伐……報酬は、”アンバール”を小袋でひとつ。いかがでしょうか」


 それは得か、損か。受けるべきか、断るべきか。他に狙いがあるのか、ないのか。

 ミトロフは考える。考えて、それでも即決はできない。分からないことばかりである。ブラン・マンジェが持っている情報のほとんどを、ミトロフは持っていない。対抗できるわけがない。


「まったく、難儀な商談だ」

「あら、これは”商談”ではございません。”商談”とは、互いに利益を追求する商人同士で行うものでしょう」

「では何だというんだ、これは」

「ミトロフさんは冒険者、わたくしは困った街人。これはクエストの依頼です」


 鈴を転がすようにブラン・マンジェが笑った。

 クエストという言葉をミトロフは口の中で転がした。クエストか、なるほど。


「答える前にひとつ、いいだろうか」

「なんなりと」

「”アンバール”とは、何なのだ?」


 おや、ご存知ないのですか、とひと言を挟んで、ブラン・マンジェはあっけなく答えた。

 あれは”甘い蜜”なのですよ、と。



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