太っちょ貴族は依頼をされる
アペリ・ティフと”長”が戻ってくるまでの時間で、ミトロフはカヌレに”アンバール”について説明した。といっても、ミトロフにも正体はほとんど分かっていない。
知っている人だけが知っていて、どうやら高価で取引され、そして誰もが欲しがるようなもの……。
「どうしてミトロフさまはお会いになると決めたのですか? あまり……健全なお話ではない気がいたしますが」
健全なお話。
カヌレらしい言い回しに、ミトロフは笑った。胡散臭いというよりは気が楽になるかもしれない。
「どうにも、向こうはぼくに何か”商談”を持ちかけたいらしい」
「どうしてそうお考えに?」
「アペリ・ティフが”アンバール”をぼくに渡したからだ。あのとき、たしかアペリ・ティフは”長”に価値があると言われた、と」
あのときは綺麗な石程度に思っていたが、価値がある、という言葉の意味合いが変わってきている。
「あれはぼくらへの先付けだったのだろう。価値のあるものを先に渡して興味を惹いてから、本題に入る。商人がよく使うやり口だ」
「はあ、なるほど」
カヌレは頷きはしても、ぴんときてはいない声音である。
騎士としての実直さを身につけているカヌレには、そうした手順を挟んだ話運びに回りくどさを感じるのかもしれない。
「ではミトロフさまは商談をなさるおつもりですか?」
「それは話の内容次第だな。そもそも、向こうがぼくに求めるものが想像つかない……」
と、そこまで話したとき、通路の向こうから歩いてくる姿が見えた。アペリ・ティフと、その後ろにもうひとつの影。
ふたりが目の前にやってきて立ち止まるまで、ミトロフもカヌレも黙っていた。
「ありがとう、アティ」
柔らかな声をアペリ・ティフにかけてから、”長”は一歩前に出て、ミトロフに顔を向けた。
「初めまして。ブラン・マンジェと申します。皆には”長”と呼ばれております。あなたがミトロフさんですね。そちらの方は……なんだか、仲良くなれそう」
ブラン・マンジェがころころと笑う先にはカヌレがいる。
「……ぼくに会いたいと聞いたが」
「あら、わたくしのこの姿には言及されなくて良いのですか?」
「結構。見慣れている」
ミトロフの返事に、ブラン・マンジェはまた笑う。
目の前に立つのは小柄な女性のようである。全身を草木染めのローブで包み、顔はフードで隠れている。カヌレとそっくりであった。事情があるのだろうと訊かずともわかる。
「太身に細剣で迷宮に潜るとなれば、冒険に憧れるだけの童かと思っていたのですが、分別はついていらっしゃるようですね」
ミトロフは片眉を上げた。ブラン・マンジェの声音は淑やかに聴き心地が良い。嫌味ですら上品に響く。
「さすが”長”と慕われるだけはあって地下暮らしも長いのだろう。大丈夫だ、ぼくは気にしていない。地上の礼節を大昇降機で運ぶのも手間だしな」
ブラン・マンジェはたおやかに笑い、ミトロフは堂々と立ち、カヌレは微動だにしない。アペリ・ティフだけがそわそわと落ち着きなく、視線をふたりに迷わせている。
「……”長”とミトロフ、けんか……?」
しゅんとした様子でアペリ・ティフが言う。
途端、あああ、とブラン・マンジェが情けない声をあげ、アペリ・ティフの手を握った。
「ごめんね、アティ、心配したよね、これはね、理由があって、けんかしてないからね」
矢継ぎ早に言い訳をするブラン・マンジェに、先程までの大人びた落ち着きはなく、存外に若さの途中にあるらしい、とミトロフは見る。
アペリ・ティフは頭にぺたんと耳を倒したままミトロフを見上げた。
「……ミトロフ、怒っていない?」
「ああ、怒っていない。これは、そうだな、挨拶のひとつなんだ」
「あいさつ……? へん」
「ぼくもそう思う」
嫌味を交わすのは貴族同士の嗜みのひとつである。互いに軽口を交わすことで、腹を割って話すと示し合うのだ。
もちろん嫌味のひとつも言わない社交場もあり、時々によって会話術と言うのは変わる。誰が始めて、どうして今も続いているのかは、おそらく誰も分かっていない。ただ、伝統だからそうしているに過ぎない。
アペリ・ティフの感じ方がおそらくは正しい。しかし、これはこれで便利な面もあり、今のひと言で分かったことも多いのである。
「アティ、わたくしとミトロフさんが話す時間をくれるかしら」
「……わかった」
その様子を見て、カヌレがそっとミトロフに耳打ちをする。
「私も席を外します」
「……ああ」
別に気にしないのだが、と思いつつも、カヌレの毅然とした対応に、ミトロフは頷くしかなかった。
カヌレも貴人の従者として務めていた以上、会話の意味合いをおおよそ理解できる。
ミトロフとブラン・マンジェの今のやりとりは、いわば権力者同士の商談の食前酒のようなものだった。
カヌレは自らを部外者だと判断して、邪魔をしないようにと場を離れたのである。
カヌレとアペリ・ティフが距離を置いてから、ミトロフは改めてブラン・マンジェと向き合う。
「……先ほどは失礼しました。確認したかったものですから」
「構わない。それで、率直に聞きたいのだが、あなたは何を求めている? ぼくは家を追い出された身だ。できることは少ない」
ブラン・マンジェは微笑んだ。ミトロフのそれは、貴族としても、商人としてもあまりに率直な物言いである。
ゆえにブラン・マンジェもまた、直入で本題に至る。
「お願いごとがございます」
ミトロフは目を細めた。”迷宮の人々”を総括している人間が、自分に頼むべきことがあるとは思えなかった。
ブラン・マンジェは身体の前に手を重ね、背筋を伸ばして立っている。凛と表現すべき姿は、さながら社交界の華のようである。
「蟻を一匹、討伐していただきたいのです」
ブラン・マンジェはミトロフにダンスを申し込むような口振りで言った。




