太っちょ貴族は商人を見つける
横穴は細く、蛇行している。ふたりが横に並べば肩が触れてしまいそうなほどだ。暗闇であれば息も詰まる閉塞感だが、迷宮光苔のおかげで視界ははっきりしている。
横幅も縦幅も狭い茜色の空洞の中を進むと、感覚は次第にずれていく。距離感も曖昧になり、自分達がどこまで歩いているのかもわからなくなってくる。
この横道に入ってようやくミトロフの耳にもアペリ・ティフらしき声が聞こえるようになった。この細道で反響して遠く響いているらしい。
男の声も聞こえている。うかうかとはしていられないと足を早める。
そのうちに声が明瞭となってきて、男が怒鳴っているわけではなく、どうにも何かを請願しているようだ、とミトロフは不思議に思う。
やがて細道の先に開けた空間があって、ミトロフとカヌレが足を踏み入れると、すぐにアペリ・ティフは見つかった。
「……なんだ?」
アペリ・ティフに危険があるのではと急いで来てみて、実際に出くわした光景は想像と違っている。
アペリ・ティフの前に、男は膝をついて座り、手を合わせて懇願していたのである。
「あんたらの事情はわかる! でもそこをなんとかして欲しいんだよ」
アペリ・ティフはすでにミトロフたちに気づいていた。以前も匂いでミトロフを見つけたのだから、近づいてくるのはすぐに分かっただろう。
「……ミトロフ」
「やあ、アペリ・ティフ」
状況は分からずとも、ひとまず危険はないらしい。
「ここ、入っちゃだめ……おこられるよ」
「それは分かっている。ただ、アペリ・ティフの声がしてな。何か助けになれるかと思ったんだ」
「なんだ、お前ら? ここは“特区“だぞ」
男はミトロフを睨みながら言った。鋭い目つきに、声も厳しい。しかし男は相変わらずアペリ・ティフに祈るような姿勢を崩しておらず、迫力はまったくなかった。
立ち入り禁止なのは理解した上で入っている。非があるのはこちらだとは分かりながらも、ミトロフはどうにも振る舞いに困る。
「……特区?」
「なんだ、素人か。帰れ帰れ、お前みたいな太っちょのガキには関係ないんだ」
途端に男は興味を無くした顔で、シッシッ、と手で追い払う。
20代も半ばだろう。無精髭の生えた顔と、伸ばしっぱなしで肩に触れるくすんだ金髪にはだらしなさが見える。雰囲気は声音も若々しい。
男はミトロフたちなど見なかったかのように意識を切り替え、再びアペリ・ティフに手を合わせる。
「もう少し! 一袋、いやひとつでもいい! 今すぐにでも欲しいんだ! お得意さんからせっつかれててさ、もう限界なんだよ!」
「……”長”が許さないなら、私はなにもできない、言えない」
「そこをなんとかさ、お嬢ちゃんから口をきいてほしいんだよ。お嬢ちゃんが見つけてるんだろ、“アンバール“を!」
男が口にしたひと言をミトロフは聞き逃せない。
「“アンバール“が何か知っているのか?」
ミトロフが口を挟むと、男は鬱陶しそうに目を細めた。
「なんだよ、お前は知らなくていいことだっての」
と、男は早口で言い捨てた。しかしふとミトロフを上から下まで眺め、おや、と眉をひそめる。
「……いや、待てよ、お前……いやいや、これは失礼しました」
途端に男は笑みを浮かべる。
「そのような姿なもので、私もすぐには気づけず。これまでのご無礼は平にご容赦を……貴方のような御身分の方が、まさか迷宮にいらっしゃるとは思わなかったもので」
男はさっと膝の向きを変える。頭も低く、両手を揉むように擦り合わせ、まるで人を疑うことも知らないような笑みでミトロフを見上げる。
その姿、表情、口振り……通ずるものをミトロフは知っている。幼いころに見慣れたものである。
「商人か」
「ははっ、端くれに腰掛けております、お求めになりたいものがございますれば、何なりとご用意させて頂きますので。ぜひお見知り置きを……」
慇懃なほどの態度は、どうやらミトロフを貴族と見抜いたからであるらしい。
ミトロフからは未だ、貴族としての振る舞いが抜けていない。それゆえに男は、ミトロフを貴族の子息と考えたのだろう。
ミトロフは男の目敏さに感心しながらも、正直に身分を打ち明ける。
「ぼくは確かに貴族だ。だが家を継ぐ立場でもなければ、今は家を追い出された身だ」
「なんだよ早く言えっての! 焦って損したわ!」
男はまたもや急激に態度を変えた。気だるげに立ち上がると、ため息をつきながら膝についた泥を叩き落とす。
その変わり身の早さとあけすけな態度が、かえってよく男の人となりを感じさせ、ミトロフは苦笑した。
「貴方は“アンバール“を求めてここにいるのか」
「……お前、本当に貴族だったのか? “アンバール“を知らない?」
「ああ、知らない」
ミトロフが頷くと、商人はやれやれと首を振った。
「じゃ、お前の家は木端ってところか。そのうち、嫌でも“アンバール“の名前を知るようになるさ。お前の手が届くものじゃなくなってるだろうけどな」
男はミトロフに興味もなさげに、傍に置いていた荷物を拾い上げ、再びアペリ・ティフに向き直った。
「とにかく“アンバール“を売るときは俺にもひと声かけてくれ。他の奴らより金を出す」
「……私に決める権利はない」
わかったよ、と商人は両手を挙げた。
「”長”が全部決めるんだよな。じゃあ、その”長”によろしく伝えてくれ。頼む。俺の名前はポワソン。損はさせねえからさ」
ポワソンはミトロフが見ても見事な一礼をして、細道に戻っていった。
「……知り合い、というほど親しくはなさそうだな」
ミトロフはアペリ・ティフに言う。獣耳をぱたたっ、と小さく震ってから、アペリ・ティフはミトロフに視線を向けた。
「いろんな人間が来る。商人と名乗る人……みんな、“アンバール“を欲しがる」
「きみは“アンバール“がなにか知っているのか?」
アペリ・ティフは首を振った。
「分からない。ただ、”長”は価値があると言う。だから私たちに探すように、と。見つけて、売って、”長”はお金を手に入れる。私たちの暮らしのために」
「なるほど」
ミトロフは困ったように頷いた。
アペリ・ティフでも知らないとなれば、“アンバール“の謎はますます深まってしまう。
迷宮で見つかる宝石のような塊。商人が高値で求めるもの。ポワソンと名乗った先ほどの商人の口振りからすれば、それはまだ限られた人間にしか知られていない。
そして“迷宮の人々“は、その“アンバール“によって生計を立てているようだった。
「ミトロフも、もっと“アンバール“がほしい?」
アペリ・ティフに訊かれ、ミトロフは素直に頷いた。
「欲しいな。良い金になるようだ」
商人は誰よりも利に敏い。彼らが直接迷宮に、それも立ち入り禁止の細道に入ってまで“迷宮の人々“から仕入れようとしているのであれば、よほどの品物なのだろう。ポワソンも高値で買うと言っていた。
迷宮で命懸けで魔物を倒し、わずかな利益を得るよりも、よほど効率も実入りも良いだろう……。
「わかった。”長”に頼んでみる。私がもっと見つける」
簡単にアペリ・ティフが言うものだから、ミトロフの方が戸惑ってしまった。
「先ほどの商人には売れないと言っていなかったか?」
「ミトロフは別。命を助けられた。アペリ・ティフはまだ感謝を返す」
獣人は恩義と情に厚い種族だとは知っているが、アペリ・ティフという少女はそれを加味してもなんと律儀だろう、とミトロフは感嘆した。
「それから……」
とアペリ・ティフは口籠る。
少しばかり視線を下げ、太ももにそっと手を当てて撫でる。そこにはまだ治りきっていない傷跡があるのだろう。
「”長”が、あなたに会いたいと言っている」
「どうしてぼくに?」
”迷宮の人々”の暮らしには興味がある。しかし、その”長”が一介の冒険者に会いたいというのは、好奇心よりも疑念が先に立つ。
「わからない。でも、ミトロフが断るなら、それでいいと言ってる」
アペリ・ティフには事情が知らされていないようだ。そして判断はこちらに委ねられている。
ミトロフはむっつりと黙り込み、頭を捻った。
「カヌレ、きみはどう思う?」
「ミトロフさまのお気に召すままに。何があろうとお守りします」
カヌレは揺らぎのない調子で答えた。先程、パラポネラからカヌレを庇ってから、どうにも調子が変わってしまったらしい。まるで騎士のようにミトロフの後ろに控えている。
なんだかやりづらいな……と思いつつ、ひとまずは決断を先にした。
「分かった。会おう。どうすればいい?」
「……ここで待っていて。あんぜん。”長”を連れてくる」
奥に続く細道に身体を向けたアペリ・ティフに、ミトロフは声をかける。
「”長”というのは、どんな人だ?」
アペリ・ティフは小首をかしげる。
「どんな人……?」
質問を噛み締めて、何かを思い出したのか、急にぶるりと肩を震わせた。尻尾も耳も毛並みがぶわりと逆立ち、ぴったりと身体にくっついている。
「……すごく、頼りになる。……こわいけど」




