太っちょ貴族は小盾を手に入れる
斜向かいのグラン工房に顔を覗かせると、すぐに少年がミトロフに気づいた。
「あ、いらっしゃいませ。以前にも来ていただきましたね」
「ああ、以前は自分にやることがないと追い返されてな。そろそろ見てもらおうかと思ったんだ」
少年は苦笑を返した。ミトロフと同じように、気難しい店主に追い返された客が多いのだろう。
「すぐに呼んできますね、お待ちください」
少年は店の奥に向かう。
ミトロフが壁に掛けられた剣や槍の穂先を眺めている間に、少年はドワーフを連れて戻ってきた。小柄ながらに膨れ上がった筋肉の鎧で丸々とした彼こそが、このグラン工房の主人だった。
「ん」
ひどく不機嫌そうにグランは手を突き出した。求められていることは分かっているので、ミトロフはすぐにレイピアを鞘ごと渡した。
これまで、ミトロフは愛想の良い商人にしか出会ったことがなかった。
貴族を相手に商売をしようという商人は、とにかく人当たりが良い。
貴族をおだて、良い気分にさせ、どんな難題文句を言われても不機嫌な顔は見せない。子どもでしかないミトロフに対しても、彼らは大袈裟なまでに丁寧だった。
防具屋の店主メルンも、このグランも、そんな商人とはまったく違っている。彼らは職人であり、自分の腕に誇りを持っている。だからこそ客であっても畏まることをしないのだ。
その在り方が、ミトロフには新鮮に、そして興味深いものに思える。
グランの傍らに控えた少年が、どこか心配そうに、また申し訳なさそうにミトロフを見ているが、当のミトロフの世間知らずがかえって良い方向に働いていた。
「少しは使い込んだみたいだな」
レイピアの刃を点検し、グランはぼそりと言った。
「覚えているのか? 一度見てもらっただけなのに」
「あぁ? 鉄を忘れるわけねえだろうが。人間のツラよりよっぽど違いがある」
グランは刃を鞘に納め、少年に渡した。
「切先だけ研げ。クロハチアオゴだ」
それだけ言って、グランは店の奥に戻って行ってしまう。
ミトロフはその背中を見送り、剣を抱えた少年と顔を見合わせる。
少年はどこか困ったように眉尻を下げ、ミトロフを見上げている。
「あのう、いかがしましょうか? 僕ではご心配なようでしたら、お返ししますけれど」
「……クロハチアオゴというのは?」
「砥石のことです。荒さごとに色と番手が分かれていて、どこまで刃を鋭くするのかで使い分けるので。黒の八番から初めて、青の五番まで使う、という意味です」
なるほど、とミトロフは頷いた。
「君は研ぎの仕事を任されているのか?」
「はい。お前は鉄を打つより研ぐほうが筋が良いって言われていまして」
少年は頬に照れを見せる。
仕事に関しては一切の妥協を許さないであろうグランが、筋が良いと褒めた?
それはかなり、すごいことなのでは?
ミトロフは唸る。グランが任せたのだ。少年の腕はそれだけ確かだということだろう。
「君に任せたい。よろしく頼む」
「ありがとうございます! ご期待に添えるように頑張りますね!」
少年は腰を折るように頭を下げた。抱えた刺突剣の重みにバランスを崩し、わたた、とたたらを踏んだ。
ミトロフはちょっとだけ心配になったが、夕方には仕上がるというので、その間にギルドへ行くことにした。小盾の使い方を学ぶためである。
老婆がミトロフに渡したのは、シンプルな木製の丸盾だった。表には革が貼られ、縁は鉄で補強されている。裏地にはベルトと持ち手があり、腕を通して装着するようになっている。
左腕で扱う点はガントレットと同じだが、手甲と盾ではやはり違いも大きい。
ギルドでは冒険者のために、武器や防具の使い方や、基礎的な知識を学べる講座を行なっていると、メルン工房の老婆は言っていた。
しかしギルドに来てみても、それがどこで行われているのかは分からない。
地下へと口を開いている迷宮に蓋をするように建っている建物は、すべてが迷宮ギルドの管理下にある。そこには冒険者のための施設が詰め込まれている。
食堂があり、鍛冶屋があり、施療院があり、雑貨屋があり。上階は負傷した冒険者のための入院施設にもなっているという。
冒険者が安全かつ効率的に迷宮を探索するために発展した形のはずだが、明らかに冒険者ではない市民の姿もある。
彼らは何でも屋に近しい冒険者にクエストを依頼したり、暇を持て余して迷宮ギルドを観光に来たり、魔物の素材を買いに来たりする。
ミトロフはギルド内を歩きながら、講習を受けるべき場所を探す。途中で、見覚えのあるギルド職員を見つけた。ミトロフをよく担当してくれる受付嬢である。
彼女もまたミトロフに気づいたようで、愛想の良い笑みを浮かべて近づいてくる。
「ミトロフさん、今日はおやすみですか?」
「名前を覚えているのか」
ミトロフは目を丸くした。冒険者など毎日山のようにいるだろう。ギルドカードがあれば名前も分かるだろうが、今はそうではない。
受付嬢は鼻先にズレ落ちていた丸眼鏡を押し上げ、照れたように笑った。
「ミトロフさんは個性的ですから。赤目のトロルを討伐した新人、ということで、ギルドでも注目されているんですよ」
「そうか。それは期待に応えたいな」
素直に聞けば嬉しい褒め言葉ではある。しかしミトロフは貴族の子息として育っている。他者からの褒め言葉をそのまま受け取るほど素直ではなかった。
さらりと受け流したミトロフの反応に、受付嬢は「あれっ」と肩透かしをくらったような表情を見せた。
冒険者は自らの功績を誇るものだ。とくに、名の知れた魔物を討伐したとなれば、いくらでも吹聴し、酒の肴にする。それは命懸けで迷宮に潜る冒険者にだけ許された特権であり、彼らの矜持にもなっている。
ましてやミトロフは冒険者としてかなり若い。褒め言葉に喜ばぬはずがないと思ったのだが、それは計り違えたらしい、と受付嬢は意識を改める。
「今日も迷宮に?」
「いや。今日は小盾の講習を受けたいんだが、どこで頼めばいいんだろうか」
「講習!」
受付嬢は目を丸くして口を手で覆った。
「……どうした?」
「す、すみません。まさか、講習を受けたいという冒険者の方がいるとは思わなくて」
「冒険者のために講習をしているんだろう? 受講者が少ないということか?」
ミトロフは首を傾げた。
「いえ、はい、もちろん冒険者の方々に向けて、無料で開講しています。ただ、そのう」
と、受付嬢は周囲を見回し、声量を落としてこっそりと続けた。
「冒険者の方というのは、体面を大事にされるといいますか、衆目からの評価に敏感な方が多くて。ギルドの講座を受講するというのは、どうも恥ずかしいことのように考えられているんです」
ミトロフはきょとんとしている。
冒険者が体面を気にするのは分かる。誰もが自分の力や技術を頼りに、命懸けで魔物と戦っている。自信や矜持を抱くのは当然である。自ずと、どちらが上かと競うこともあるだろう。
しかし、ギルドで武器の扱いを学ぶ講座を受けたからと、それで周りから馬鹿にされることになるのは、ミトロフとしては納得ができないものだった。
受付嬢はうーん、と頭を悩ませ、ミトロフに分かりやすく伝えようと言葉を探した。
「例えばですね、冒険者というのは大抵、パーティーを組みます。そこで、ミトロフさんが盾を持って敵の攻撃を防ぐ”タンク”を募集するとしますよね。応募してきた方が、自分は昨日ギルドで盾の使い方の講座を受けてきました、と言うと、これはど素人で頼りのないやつだ、となりませんか?」
「真面目で向上心のある人なのだろうなと思う」
「……ええと」
受付嬢は困ったように眉尻を下げた。助けを求めるように左右に視線をやってから、うう、とうめいて、ずれた眼鏡を押し上げ、こほん、と咳払いをした。
「ミトロフさんは、はい、良いお人なので、そう思うかもしれません。ですが、一般的な冒険者の方は、そうした”初心者”の方を敬遠しがちなんです。募集するときには”羽印”の但し書きをつけることも一般的ですし……あ、”羽印”というのは、地下10階を達成した方のカードにギルドが打刻する認印のことです」
なるほど、とミトロフは頷いた。
ミトロフの家でも新しく使用人を雇い入れることがあった。大抵が若い半人前で、すぐに一人前の仕事ができるようなことはない。貴族家にはそれぞれに特有の規則があったり、爵位によって求められる振る舞いや行事ごとも変わってくる。屋敷内を歩くのであれば、他家に知られては困るような繊細な情報にも触れることになる。
ゆえに、いかに能力があっても、他の家で長く働いた者を雇い入れることは稀だった。そもそもそういう使用人を、家は手放さないものだ。
結果的に、能力があって、まだ何色にも染まっていない白の生地のような人材を引き入れ、その家ごとに時間をかけて教育していくのが一般的である。
冒険者は、そうした育成よりも即戦力として役に立つ人材を求めているようだ、とミトロフは考える。
ギルドの初心者向けのような講座を受講したとなれば、私は初心者ですと大声で喧伝しているようなもの、ということになる。
「ですから、あのう……よくお考えになった方がよろしいかと。そういう状況なので、講座を受講した方というのはどうしても目立つんです」
ギルド職員でありながら、冒険者の目線でミトロフを心配してくれることに、ミトロフはありがたいと感じる。受付嬢が教えてくれなければ、ミトロフは気づきもしなかった事実である。
ミトロフは腕を組み、ふむと顎肉を撫でた。ぷよぷよと揉み、よしわかった、と結論を出した。
「助言、感謝する。しっかり理解した。ぼくは講座を受講する」
「ええっ、ほ、本当ですか?」
「馬鹿にされようが揶揄われようが、言葉で骨は折れない。だが魔物は命を奪う。今のぼくには、冒険者としての矜持よりも技術の方が大事だ」
毅然と答えたミトロフに、受付嬢は「はえ〜」と気の抜けた声をあげた。かと思えば普段は大きな瞳を細めて、「ふふ」とやけに大人びた笑みを見せた。
「ミトロフさんは冒険者として大成なさるかもしれませんね。わかりました、ご案内します」




