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【書籍化】太っちょ貴族は迷宮でワルツを踊る  作者: 風見鶏
第二章

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太っちょ貴族は兎に苦戦する


 一日、休みを置いた。そしてまたミトロフは迷宮に潜る。できるだけ戦闘を避け、地下10階まで真っ直ぐに下る。すぐに小刀兎を見つけた。


 速さ。それが厄介だ。小さいものは、素早い。

 地面を跳ねるように駆ける小刀兎の速さは、ミトロフには対応が難しい。


 目では追える。   

 思考も間に合っている。


 ”昇華”と呼ばれる迷宮の神秘によってミトロフが得た冷徹なまでの平常心は、小刀兎がどう動くのかを理解している。

 だが、身体があまりに重い。


「ぶ、ひっ……!」


 避けるステップがどうしても一歩、遅れをとる。兎のリズムと噛み合わない。

 背を切られ、腕を切られ、すれ違いながらも一刺を報いる。レイピアの切っ先は兎の首根を斬り払った。

 兎を狩ることはできている。だが、ミトロフの身体には傷も増えていく。

 出くわした小刀兎の数だけ、ミトロフの身体には傷が重なっているのが現状である。


「……避ける動きが間に合わん」


 呼吸は穏やかだ。小刀兎には息を吐く間すら惜しむような緊張感はない。

 しかし、すれ違う小刀兎に、ミトロフのレイピアが届かないこともある。

 その度に傷をつけられ、出血し、やがて痛みや引きつる肌のために、動きに支障が出てくる。


 小刀兎とは恐ろしい相手ではない。

 ただ、厄介な相手だ。素早く近づき離れていく小さな魔物は、ミトロフとは相性が悪い。


 ミトロフはレイピアを片手に周囲を警戒する。

 群れは4羽だった。ミトロフはまだ1羽しか倒せていない。しかしすでに最後の1羽が素早く跳ね、カヌレの背後に飛びかかっていた。


 カヌレは身軽に転身し、空中の小刀兎を丸盾で殴り飛ばした。

 呪いによる怪力は、容易く小さな命を奪い取る。小刀兎の剃刀耳が盾にぶつかり、甲高い金属音を響かせながら吹き飛び、壁に打ちつけられた。


「……見事」


 自分が苦戦しながら1羽を倒す間に、カヌレは手負もなく3羽を片付けている。彼女の動きはどんどんと洗練されている。すでに苦労もなく、小刀兎を相手にしている。


「ミトロフさま、お怪我は?」

「いや、大丈夫だ。大したことない」

「軟膏をお出ししましょうか」 

「……気遣いだけもらおう。今回はかすり傷だ」


 ミトロフは左手で右の二の腕を押さえた。出血している。かすり傷というほど浅くはない。

 けれど素直にカヌレの言葉に頷けなかった。


 カヌレが軽々と倒してしまう小刀兎に、こうまで手こずっている自分……腕の傷はそれを象徴しているようで、どうにも見せることがためらわれた。


「よろしいのですか?」

「ああ、いいんだ。さっさと集めて次へ進もう」


 ミトロフは小刀兎から剃刀耳を採集する。そのとき、手もとから注意が抜けていたらしい。鋭い刃に指を切った。

 熱のような痺れと、ずくずくと脈打つ痛み。真っ赤な血が玉のように浮かび、地面に垂れ落ちた。

 舌打ちが漏れそうになる。


 兎ごときに、どうしてぼくは苦戦をしているんだ––––?


 込み上げる言葉には苛立つ色味がついている。

 指先の血の赤さに、記憶は刺激される。


 半月ほど前に、赤目のトロルと戦った。あのとき、自分はどれほど高揚しただろう。

 生と死。命の熱をぶつけ合うような瞬間。冒険者としての生き様を、身体の芯で理解した。


 あのとき、自分は冒険者になったのだと思う。

 なのに、いま、自分は小さな兎と戦い、苦労して、その耳で指を切っている。


 なんとも冴えない時間だ……。

 ぶひい、とため息。それはミトロフも知らずに漏れていた。


 決して華々しい未来を想像していたわけではない。

 家を追い出され、安宿に泊まり、ゴブリンを相手に小銭を稼ぐ日々。必死だったころの日常には、張り詰めるような緊張があった。強敵と戦うことに達成感を得た。


 その反動だろうか。

 兎を狩ること、それをうまくやれないこと。そんな自分が情けない。


「……簡単にやってのけるだろうな」


 つぶやきは知らず漏れていた。

 カヌレは首を傾げる。


「グラシエなら、小刀兎を呆気ないほど手早く狩ってしまうだろうと思ってな」


 ミトロフは少し照れた様子で言う。

 カヌレは声も柔らかに同意した。


「グラシエさまは狩人でしたね」

「ああ。あれほどの弓の腕前だ。狩人としてもさぞ有能だったろう」


 迷宮にやってきて、右も左も不明瞭だったミトロフを助けてくれたグラシエは、元々はエルフの森で狩人を務めていたという。

 親が冒険者だったこともあり、人の社会に繋がりと理解のあったグラシエは、村で起きた止むに止まれぬ事情を解決する手段を求めて迷宮にやってきたのだ。


 迷宮に溢れる魔物との戦いには、狩りとは勝手の違う苦労があったに違いない。それでも何度となくその弓でミトロフを助けてくれた。


 ––––なんじゃ、ミトロフ。こやつが苦手かの? よきかな、わしに任せい。

 グラシエはそう言いながら笑うに違いない、とミトロフは苦笑した。


 彼女は目的を果たし、故郷である村に帰っていった。また戻ってくると約束はしてくれたが、それがいつ叶うかは、ミトロフには与り知れぬことである。


 別れ際、再会の約束を託すように渡されたグラシエの銀のピアスを、ミトロフはいつも懐に入れている。

 元気であればいい、と祈りを向けて、ミトロフは採集した小刀兎の剃刀耳をまとめた。


 そのときである。

 だれか、と助けを呼ぶ声が聞こえた。


 ミトロフは顔を上げる。カヌレもまた身構えている。

 その声は通路に反響したためにくぐもっていたが、遠くはないはずだ。どこかに姿が見えるかと目を凝らしても、通路は薄暗く、見通しは悪い。

 冒険者のために壁に灯りが管理されてはいるが、それは夜の篝火のようでしかなく、昼の明るさは望めるわけもなかった。


「この先だろう。行ってみよう」

「ご注意を」

「わかっている」


 ミトロフはレイピアの柄に右手をかけたまま、慎重に通路を進む。カヌレもまた盾を手にしている。異変があればすぐに飛び出せるように、という気構えだ。


 ミトロフもカヌレも、迷宮に潜って日が浅い。暗黙の了解や、熟達した冒険者が当たり前と知りうることの多くを、まだ身に付けていない。


 それでも、迷宮の中ではどんなことも起こりうることは知っている。冒険者は決して聖人君子ではない。街に善人と悪人が混ざり合うように、迷宮の中とて例外ではないのだ。


 武器を持った悪人が、己の利益のために他の冒険者を襲う。

 そんな話はいくらでも耳にする。


 助けを求める声が、お人よしの獲物を集める誘蛾灯でないと判断することはできない。油断する方が悪い、という理屈がまかり通る場所が迷宮である。


 通路の突き当たりは行き止まりになっていて、左右に道がのびている。

 曲がり角まで来て、ミトロフはおそるおそる、まず右手の通路に顔をのぞかせた。


 瞬間、ランタンの灯りに反射した光の筋が見えた。咄嗟に頭を下げた。


 ヒュ、と空気を斬った音は軽い。ミトロフの後ろ髪を数本切り裂きながら、小刀兎が通り過ぎた。

 ミトロフは床を見ている。


 思考は冷静だった。

 背後で金属音が鳴る。カヌレが盾で打ち落としたのだろう。ならば背後を振り向く必要はない。警戒すべきは前だ。


 迷宮に潜り、魔物を討ち倒した者にだけ、”昇華”と呼ばれる現象が起きる。

 魔物の生命力が体内に流入するためだとも、迷宮に対応するために起きる魔力的な進化だとも言われている。しかし実態の多くは解明されていない。


 ミトロフに起きた”昇華”は、精神力の強化、あるいは安定化と言えた。

 かつてのミトロフであれば慌てふためき平常心を失うような状況になったとき、精神を揺らがぬ強固なものに補強してくれる。


 だからこそ出会い頭に危険を躱した今でもミトロフは慌てていない。状況を冷静に把握している。顔を上げて敵を認めながら、レイピアを抜いた。


 通路に少女がひとり、座り込んでいた。怪我をしている。すぐには動けまい。手には棒切れ。あれで兎を牽制している。

 少女の前には兎が二羽。一羽は小さく、一羽は大きい。


 小さな一羽がこちらに駆けてくる。脚を縮めて力を蓄え、跳ねた。

 ミトロフはすでに動いていた。兎の動きをすっかり見ることができていれば、予測が立つ。兎より先に動いてしまえば、己に速さが足りずとも帳尻は合う。


「カヌレ! 任せる!」

「––––はい」


 ミトロフは身体を低くしたまま左前に避ける。

 すれ違う小刀兎の剃刀の刃が、ミトロフの右のこめかみを舐めた。一筋、血の線が空中に引かれる。


 肉体の重さゆえに、ミトロフの動き出しはとろい。”昇華”による思考の平常さは、簡潔さと速度を生んでいる。しかし身体が追いつかない。思考と身体の間に生まれるズレがひどくもどかしい。


 少女の前にいる兎は、他の小刀兎よりも二回りは大きい。顔はすでにミトロフを向いている。

 ミトロフは事前に、ギルドで10階の情報を収集している。あれが剣角兎と呼ばれる上位種であることを知っている。


 耳はピンと上に立っている。重なり合った耳はさながら一本の剣が頭に生えているようでもある。剣角兎は頭を下げ、ミトロフに切先を向けた。後ろ足が地面を噛み、その太ももに厚い筋肉が盛り上がる。

 ミトロフは、ギルドで受付嬢に言われた言葉をふと思い出している。


 ––––小刀兎に慣れたとしても、剣角兎は甘くみないでくださいね。あれは、

 ぱん、と。剣角兎の足場が爆ぜた。

 ––––砲撃です。


「……っ!?」


 背筋が凍るような悪寒。それは赤目のトロルと命懸けで戦った時に身体に染み付いた記憶だった。その瞬間ばかりは、冷静な思考が肉体に指示を出すよりも尚早く、本能的に避けていた。


 地面に転がるように飛ぶ。

 視界は剣角兎を見ている。


 それはもはや灰色の丸い影––––まさに砲弾にしか見えない。小刀兎とは比較できない速さで飛んだ剣角兎は、ミトロフの左腕をかすめた。


 弾かれるような衝撃に、左腕が跳ね上がる。体勢を崩しながらミトロフは地面に転がり、それでもすぐさま起き上がって剣を構えたのは、冒険者としての習性が染みつきつつある証だった。


「は?」


 振り返って、ミトロフは呆けた声を出した。

 目を丸くして、眉を顰め、ゆっくりと二重顎を撫でる。


 壁に、剣角兎が突き刺さっていた。じたばたともがいている。恐ろしい速度と、鋭利な耳は、まさに壁に撃ち込まれた砲弾になった。止まってしまえば、身動きはできない。


「……なるほど。こうして対処するわけ、か」


 ミトロフの腑に落ちる。

 よくよく観察すれば、この辺りの壁は平らではなく、歪に凸凹としている。同じように壁が変形しているのを、ミトロフは前にも見たことがあった。


 黄土猪だ。

 あれらも猛烈に突進を繰り返す魔物だ。どう対処するか。壁を背にして構え、避ける。そうすれば彼らは壁に牙を打ち込む。

 それと同じだ。

 ミトロフは壁に宙吊りになった剣角兎の元へいき、レイピアで首を切った。


 角となった剣は、石造の壁に半ばまで突き刺さっている。鋭さも、跳ね飛ぶ勢いも、恐ろしいと言うほか無い。

 周囲に気を巡らせる。音はない。ミトロフはレイピアを鞘に戻し、少女の元へ向かった。


 すでにカヌレが、少女からやや離れた場所で立っている。あたりを警戒するのと同時に、自らの相貌を見られないためにそうしているのだ。


 カヌレは呪いによって見た目がスケルトンになってしまっている。迷宮でその姿を見た相手がどう思うかを、彼女は冷静に理解している。離れている距離の間に引かれた境界線に、ミトロフはカヌレの悲しみを見た気がした。


 少女は壁に背を預け、脚を投げ出している。ミトロフが近づくと、怯えたように身体を小さくした。その頭にはぺたんと伏せられた獣耳が生えている。




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― 新着の感想 ―
[気になる点] やっぱり よきかな の使い方が微妙におかしい気が… [一言] 角ある的にはディアボロ戦法!
[良い点] テンポ良く、また、ミトロフらしく、楽しめたこと^_^ [一言] 再開してくれて、ありがとー!!^_^
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