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【書籍化】太っちょ貴族は迷宮でワルツを踊る  作者: 風見鶏
第一章

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36/112

太っちょ貴族は再び強敵と出遭う


 瓦礫が滝のように降り落ちた。

 その異常に反応できたものは少なかった。

 天井は"狼々ノ風"とトロルのほとんど真上に崩れ落ち、すぐさまに砂塵が視界を埋めた。


「ミケル! 無事か!」


 ミトロフは目鼻を腕で庇いながら叫んだ。息すら出来かねる土埃のあとに、ようやく視界が晴れていく。

 ミケルたちがいた場所には、土と石の山がある。


 そこに一際、大きな影。

 見て、すぐに分かる。その影はミトロフを見ている。


 ––––あの、トロルである。


 ミトロフと戦い、右腕を差し貫かれたトロルが、そこにいる。


 しかし異様なのはその風体である。

 身体中に傷を負い、その血は止まっていない。顔には斜めに爪痕が刻まれ、片目を失っているようである。真っ赤に染めた口を開き、歯を剥き出しにしている。


 トロルは左腕に、また別の腕を持っていた。緋色の毛皮の太い腕である。


「……あれは、まさか"緋熊"の腕か?」


 グラシエが信じられないと呟いた。


「あやつ––––喰ったのじゃ、"守護者"を」


 トロルは見せつけるように"緋熊"の腕にかぶりつくと、肉の一片を食いちぎった。咀嚼し、そして咆哮した。


 空気が震える。背中が痺れる。ミトロフは耐え難い震えに襲われた。生き物として、恐怖した。あれは、あれこそが、魔物だと。


 逃げたい、と思った。今すぐ逃げよう。あんなものと戦えるわけがない。

 しかしミトロフは見てしまった。


 瓦礫の中に半ば身体を埋めた姿が見えた。ミケルである。黒いローブの少女を庇っている。

 あの一瞬で、彼は仲間を助けようとしたのだ。そして彼らはいま、戦える状況にない。


 自分たちが逃げれば、どうなるのか。

 分かりきっている。


 だから、逃げてはいけない。


 なぜだろう。とミトロフは思う。逃げないなんて、合理的な判断ではない。貴族として正しくない。


 恐ろしい。それでも、戦わねばと思っている。

 ミトロフは震える息を鼻から吐き出した。


 ぶ、ひいいいい。


 身体中に湧いて出た怯えも恐怖も、全てを追い払おうとした。


 無理だった。

 怖い。身体が固い。逃げ出したい。漏らしてしまいそうだ。


 それでも、剣を手放すわけにはいかない。


「グラシエ」と名前を呼ぶ。「ぼくは、戦う。きみは逃げろ」

「水臭いことを言うでないわ、ミトロフよ。われらはパーティーじゃろう。戦うならば共に、じゃぞ」


 その顔は揺るぎもなく笑顔だった。ミトロフも笑う。


「わかった。カヌレ、君は」


 と最後まで言う前に、カヌレは首を振った。


「わたしのことも仲間だと思ってくださるなら、ここにいることを許してください」

「……なら、頼んでもいいか。ぼくらがアレの気を引いてるうちに、ミケルたちを助け出してくれ」

「分かりました。力仕事ならこの身が役に立ちます」


 ふたりが残ると言ってくれたことに、ミトロフは猛烈な喜びを感じた。嬉しい、と思った。ぼくは孤独ではない。仲間がいる。そして今から、友達を助けに行く。


 こんなにも恵まれた環境があるだろうか。

 ふとそんな考えが過ぎった。


 自分という存在に、意味がある。戦う理由がある。生きる理由がある。


 だったら、なにも恐れることはない。


 ––––騎士道とは、死ぬことと見つけたり。


「いや、もちろん死ぬつもりはないが、死ぬ気で行こう」


 ミトロフはトロルと睨み合う。ゆっくりと近づいていく。

 トロルは瓦礫の上に立ち、一歩、前に進んだ。ざ、と土が崩れる。


 足場が悪い。あそこには入れない、とミトロフは考える。


 幼いころに剣を学んだ師は、貴族らしくないことまでミトロフに教えた。彼は元々冒険者であり、その技術は実践剣技に基づいていた。


 彼はよく、戦いの場のことを語った。戦いやすい場所、戦いにくい場所。自分の得意な場に相手を引き込むことが戦いの前提にある、と。


 あの瓦礫の山は、ミトロフが戦いにくく、トロルには適している。

 だから攻め込むことはできず、ミトロフは平地でトロルを待つ。


 だが、瓦礫場にはミケルたちがいる。トロルがそちらに目を向けたら、飛び込むしかない。

 じりじりと睨み合い、息すら細くなるような緊張がミトロフを包んでいる。


 背後ではグラシエが矢を構え、カヌレがミケルたちを助ける機会を見計らっている。

 なにかのきっかけで、場は動くだろうと分かっていた。一度動き出せば、止まることはできない。


 そのきっかけは、瓦礫の中から生まれた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 素晴らしく面白かったです。簡潔で丁寧で血湧き肉躍る冒険譚。こんな小説が読みたかった!出来れば続編が読みたいです。こんなに素敵なキャラは得難いし、もっともっと活躍させて欲しいです。
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