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【書籍化】太っちょ貴族は迷宮でワルツを踊る  作者: 風見鶏
第一章

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太っちょ貴族はトロルと戦う


 6階の探索は比較的に順調だった。

 生息しているのは、二足歩行の猫顔の獣人と、寸胴の蛇である。


 猫獣人は発達した前腕と鋭い爪で素早く切りかかってくる。俊敏な動きは厄介ではあるが、ミトロフからすれば黄土猪よりも御し易い。素早い相手にはミトロフの決闘剣技は相性が良い。


 寸胴の蛇は地や壁を這って近づいてくる。ぎゅっと身を縮めたかと思うと、砲弾のように飛びかかってくる。見つけ次第、グラシエが射落とすこともあれば、ミトロフがガントレットで弾き落とすこともあった。


 寸胴蛇の砲弾を、一度、ミトロフは腹に受けた。胃を叩かれるような手痛い衝撃だったが、ミトロフのあまりに分厚い脂肪のために、寸胴蛇が跳ね返されることになった。


 対処法に慣れてしまえば、6階は比較的、探索のしやすい場所だと言える。しかし猫獣人も寸胴蛇も、剥ぎ取って価値のある部位がなく、収穫という点では5階のほうが実り多い場所のようだった。


「やはり青鹿はおらぬな」


 グラシエがぼそりと呟いた。考えが思わずこぼれたようである。平坦な声ではあったが、その声音に焦りや不安といった色味が混ざっていることを、ミトロフは感じる。


 6階の探索は順調である。しかし青鹿の痕跡もなければ、トロルの姿も見えない。求めるものが見つからない以上、探索として順調であっても、心は疲弊していく。


 その異変が起きたのは、カヌレがふたりの様子を心配して、休憩を提案したときだった。


「何かが暴れておるようじゃな」


 耳のよいグラシエが初めに気づいた。その先導で道を曲がり、近づいてようやく、ミトロフもその音を聞いた。


 たしかに固いものが壁にぶつかる音がしている。迷宮で聞こえるその音は、ほぼ確実に誰かが何かと戦う音だ。しかし不思議なのは、6階にはそこまで大きな音を立てる魔物がいないことだった。


 どうしたのかと通路を進めば、その姿が見える。戦っているのは"狼々ノ風"だった。

 大剣を構えたミケルがミトロフに気づいた。


「ミトロフ! 離れてろ! トロルの"行進マーチ"だッ!」


 その言葉に反応もできず、ミトロフは目を丸くするばかりだった。


 通路に横穴が空いている。そこからトロルが身を乗り出しているところだ。それだけではない。通路には3体のトロルがミケルたちと争い、すでに力尽きたトロルも見える。


 この場所だけで10体近いトロルの姿があるのだ。


「助けますか?」


 カヌレが冷静な声でミトロフに訊ねた。それはここを離れるか、あの戦いに参加するかを決めろということである。

 もちろん、ミトロフは迷わない。


「––––行く。カヌレはここに残ってくれ。グラシエ、いいか?」

「もちろんじゃ。見捨てるなどエルフの矜持を汚すだけじゃわい」


 グラシエは矢筒から三本の矢を抜いた。一本を口に咥え、一本を右手の小指と薬指で握り、最後の一本を番えて弦を引いた。

 ミトロフは細剣を抜き放ち、駆け出した。


 どむ、どむ、どむ、と腹肉を揺らしながら、それでも素早く駆ける。

 後ろから矢が追い抜いた。一、二、三。


 連射は横穴から姿を見せたトロルの首と頭に正確に刺さった。

 悲鳴。しかし刺さりは浅い。


 トロルの肌は分厚く、脂肪に守られている。致命傷には至らない。しかしこちらの存在を知らせるには充分だった。


 トロルは刺さった矢をまとめて握って抜き、地面に叩きつけた。喉奥から掠れた咆哮をあげ、走り寄るミトロフに睨みをつけた。


「おい! 逃げろって言ってんだろブタ!」


 とミケルが叫んだ。


「助け合うのが冒険者だって言っただろうチビ!」


 とミトロフは叫び返した。

 トロルはその手に欠けた石斧を握っている。切れ味など期待できるわけもない石の塊だが、ぶつかればそれだけでミトロフは死ぬだろう。


 急激に燃え上がるように身体が熱くなる。柄を強く握った。トロルが石斧を振り上げ、振り下ろす。その動きを見切れないわけがない。


 ミトロフはステップを刻み、石斧を避けた。砕かれた床の破片がビシビシとミトロフの足に飛んだ。気にしない。その懐に入り込み、トロルの膝に刺突を入れた。すぐに抜き戻し、膝裏を斬り払う。


 悲鳴。


 ミトロフが飛び退いた場所にトロルが崩れ落ちる。右脚の腱を断てば巨体は支えられない。膝を突けば頭が下がる。そこにはもう、手が届く。


 ミトロフは迷いなく再び飛び込み、膝を落として腰だめに剣を寄せた。そして全身で伸び上がるように一点に刺す。下から突き上げ狙うのは、トロルの顎の下である。


 レイピアは狙い違わず貫通し、トロルの脳を打った。


 すぐさまに剣を抜き、身体を回転させるようにステップを踏んでその場を離れる。振り払われた切先から一筋の血が、ミトロフの身体を包むように弧を描いた。


 悲鳴もなく、呆気もなく。トロルは倒れ、動かない。


「––––よし」


 あのトロルと戦ってから、幾度となく思い描いた動きである。それが現実にできたことに頷き、すぐに次へと移る。


「やるじゃんか、後輩!」


 ミケルが揶揄うように言った。自らも戦いながら、ミトロフにも目を配っていたらしい。

 その余裕は今の自分にはなく、さすが先輩と見習うしかない。口に出すのは癪に思えて、ミトロフは黙っていたが。


 ミケルたちは三体のトロルを同時に相手にしながら、危うげもない。彼らは四人のパーティーであり、それぞれに役職が定まっている。確実に、安全に、トロルに対処していた。


 これなら大丈夫か、と息をつく間もなく、横穴からトロルが顔を覗かせた。その瞬間、その右目に矢が突き立った。厚い脂肪もない眼球を的確に狙った一矢は、トロルを間違いなく射止めていた。どすん、と崩れ落ちる。


 ミトロフは振り返った。

 矢を放ったままの姿勢で、グラシエが「にっ」と笑ってみせた。


 ミトロフがトロルと戦う方法を何度も想定したように、グラシエも思うところがあったのだろう。獣を狩るのではなく、魔物を討つ。狩人から冒険者へ変革した意識の差が、卓越した弓術に磨きを掛けたようである。


 ミトロフたちが助太刀をする必要もなく、"狼々ノ風"はトロルたちを一体ずつ仕留め、ついに最後の一体となった。さあ、これで一息つける––––ふっと、緊張の糸が緩んだ瞬間だった。


 どん、と。


 天井が弾けた。



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