表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】太っちょ貴族は迷宮でワルツを踊る  作者: 風見鶏
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/112

太っちょ貴族は風呂で世間話をする


 なぜ人は風呂に通うのだろう、とミトロフは顎肉を揉んだ。


 ギルドでグラシエと食事をして解散してから、真っ直ぐにやってきたのは公衆浴場である。何を考えるでもなく、足は自然とここに向かっていた。もはや無意識である。ここで湯に浸かり、ミルクエールを一杯、ぐっと飲み干すことがミトロフの習慣になっていた。


 いつもの大きな丸湯の縁に腰掛け、絶え間なく蒸気が立ち昇るのを眺めている。


 毎日のようにここに通うようになれば、自ずと顔馴染みというのが分かってくる。ミトロフは迷宮の探索次第で来る時間も変わるのだが、町人たちは仕事終わりだとか、出勤する前だとか、おおよそ決まった習慣があるようで、いつも同じ時間にいる彼らの姿を、不定期にやってくるミトロフが見つけている。


 太陽が同じ時間にのぼり、月が同じ時間に沈み、それを休みなく繰り返すように、彼らもまたいつもそこにいるように思える。


 風呂を楽しむために来ているのか、習慣を守るために来ているのか。人間というのは不思議だな、などと考えたりする。そして自分もまたその一員であることに気づき、「ブッヒッヒ」と小さく笑ってみたりする。


「あれ、あんた、迷宮で会ったよな? なに笑ってんだ?」


 急に声をかけられた。ざぶん、と飛沫を跳ねながら隣に入ったのは、トロル討伐を依頼されたという大剣の少年冒険者だった。


「"狼々ノ風"の……」

「お、よく覚えてんなあ。おれ、一応リーダーやってんだ。ミケル」


 へへ、とミケルは少しばかり誇らしげに笑う。どこか控えめな調子が残る笑い方に、ミトロフはミケルの人間性を感じた。能天気に自慢できることばかりではない苦労や失敗を抱えて、それでも前に進んでいる人間が浮かべる笑みだった。


「……パーティーのリーダーか。それは、大変だろうな」

「なにマジになってんだよ! そりゃ色々あるけどさあ、面白いじゃん、迷宮」


 ケラケラと今度は明るく笑う。ばしゃばしゃと湯を肩に掛け、前髪をぐいと後ろに撫でつけた。


「ていうか、アンタも名前教えろよ」

「悪い。ぼくはミトロフ。パーティー名はまだない」

「結成したばっかってことか」

「ああ。まだひと月もたっていないな」

「駆け出しじゃん! じゃ、おれ先輩な」


 歯を見せて笑いながら、ミケルは自分を指差した。


「なんか困ったこととか、分からねえことがあったらおれに訊けよ。できる限りなんかしてやっから!」


 ミトロフはちょっとばかし目を丸くした。


「……なぜだ?」

「はあ?」

「ぼくを助けても、君にはあまり益がないと思うが……」


 貴族とはそういうものである。自分に益がないことに労力は注がない。助けて得にならない相手は助けない。助けた相手がいつか助けてくれるなどと、そういう甘い理屈は通らない。

 ミケルは呆れたようにミトロフを見返した。


「なんだよ益って。いらねえよ。困ってたら助け合うのが冒険者だろ。おれ、先輩。お前、後輩。だったらおれが多めに助ける。そういうもんじゃん」

「……そういうものか?」


 ふと、初めてグラシエと出会った日のことを思い出した。彼女もまた、見ず知らずのミトロフの命を救ってくれた。益はなく、見返りも求めず。


「そうか、そういうものか」


 と、ミトロフは納得する。

 貴族として生きてきたミトロフにとっては信じがたいが、冒険者とはそういう理屈で生きるものらしかった。

 助け合う。


「良い言葉だな」


 ブヒ、と笑ってしまう。

 ミケルは口を引きつらせてミトロフを見ている。


「……お前って、変わってんな」

「そうでもない。冒険者になったばかりでな。いま、色々と学んでいる」

「冒険者のくせに真面目かよ、うちのヨルカみたいなこと言ってるし……」


 まあいいけど、と呟いて、ミケルはバシャリと顔をお湯で洗った。


「トロル捜索でしばらく上にいるし、どっかで会ったらよろしくな」

「……トロルの手がかりは、なにかあったのか?」

「んや。誰かが討伐したって話もないし、下に戻ったんじゃねえかなあ。魔物だけが使う横穴ってやつに隠れてる可能性もあるから、しばらくは探すけど。たぶん見つからねえよ」


 そうか、見つからないか。

 ミトロフは顎肉をさする。


 姿を隠してしまったのは、怪我を癒すためだろうか。本当に下に戻ったのだろうか。魔物の考えることを推測しようとしても難しい。


 自分のいた場所に戻っていてほしい、という思いがある。姿が見えないままということに不安を感じてもいる。他人に討たれてほしくない気持ちを抱えている。


 ぐっと首を下げ、湯面を見つめる。


 トロルの姿が思い出される。背筋が凍るほどの恐怖、その巨体。死への予感と、生への実感。恐ろしかった。けれど、あれほど、あの瞬間ほど、燃えるように自分が生きていると思えたことは––––


「そうだ、5階に行ったなら知ってるだろ、青鹿がいなくなってんの」


 とミケルが言った。

 ミトロフは、ふっと意識を握り直し、ミケルに顔を向ける。


「ああ、ギルドでも話を聞いたよ」

「あれもトロルのせいじゃねえかって話があるな」

「……どういうことだ?」

「トロルがなんで上がってきてたかってことだよ。トロル捜索を受けたついでに調べたんだけどさ、あ、おれじゃなくてヨルカがな? んで、青鹿の数が減ってる時期に合わせて、トロルの目撃情報がちょくちょくあったんだよ」


 ほう、とミトロフは頷く。


「戦闘になったとか、襲われたとかじゃなく、姿だけ見かけたってんで、ギルドもそこまで重要視してなかったみたいだけど。実際に目撃したってやつに話を聞きにいったらさ、どうも変な話でさ。トロルが青鹿を抱えてたって言うんだよ」

「––––それは、興味深いな」

「だろ? トロルってのは普通、8階あたりをうろちょろしてんだよ。それが何だって5階まできて青鹿を狩ってるのかってことでさ。8階も見てみたけど、トロルどもはいつも通りって感じだし。何が起きてんだか」


 何が起きているのか。それを理解している誰かはいるのだろうか。

 分かるのは、青鹿が姿を消した原因に、あのトロルが関わっているということだった。あの一体、あるいはもっと。


「青鹿はもう絶滅したんだろうか」

「さあ、どうだろうな。迷宮ってよくわかんねえし。前にキラービーが大繁殖したことがあってさ、そんときに"火の魔女"が全滅させたって話だけど、今はもうキラービー、いるもんな。いつの間にか戻ってんだよな、数が」

「……そのときは、どのくらいの期間が空いたか分かるか」

「いや、詳しくは知らねえけど。半年くらいは見なかった気がすんな」


 半年。あるいはもっと長い。

 間に合うだろうか、グラシエは。


 ううむ、とミトロフは黙り込んだ。


「おい、どうした。ミトロフ? ミートー? ローフ––––?」


 ––––トロルってのは普通、8階あたりをうろちょろしてんだよ。

 その言葉が頭に残っていた。

 8階。8階か。


「……遠いな」


 ブフゥ、と大きくため息をついた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ミトロフって、ミートローフ!??塊状の挽肉を加熱調理した料理!?? 衝撃すぎてうっかりコメントしてしまいました。 本当は、きりのいいところまで読んだら(と言いながら面白くてなかなか切り…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ