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【書籍化】太っちょ貴族は迷宮でワルツを踊る  作者: 風見鶏
第一章

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太っちょ貴族は迷宮でお茶を飲む


 ミトロフは周囲を警戒しながらも、先頭を歩くグラシエの様子を見ていた。


 普段と変わらないようでいて、少し違う。通路の分かれ道や、広い通りに出ると、ふと辺りを見回す。それは何かを探しているようにも見える。


 グラシエの目的が5階層だということを知らなければ、ミトロフも気づかなかったかもしれないほど、些細な動き。

 だが間違いなく、グラシエはここで探し求めているのだ。故郷の聖樹の病を治すための薬……あるいはそれに必要なものを。


 何度か他の冒険者たちが戦っている姿を見た。猪を相手に、それぞれのパーティーで戦略が違うようだ。ドワーフの戦士などは大楯を構え、真っ向から猪を受け止めている。


 休憩のための小部屋に向かう途中でもう一度、黄土猪と出会った。グラシエが弓を射掛け、それは狙い澄ました通りに眼孔を打ち抜き、一矢で仕留めた。


「黄土猪の相手は難しいな」


 と腕を組みながら、ミトロフは言った。

 安息地である小部屋の中で、3人は腰を下ろしている。


「この短時間で二頭は、良い戦果じゃぞ? 誰も怪我もしておらぬしな」

「だが、それはグラシエに頼り切った戦法だろう。僕は何もしていない」

「パーティーである以上、役割分担ということで良いのではないか? ミトロフの不得手をわれが補う、それだけのことじゃろう」

「そうか……そういうものか?」


 と、ミトロフはカヌレに訊ねた。

 カヌレは携帯コンロで温めていたケトルを手にしたまま、ふと首をかしげた。


「わたしがどうと言える立場でもないですが……ええと、そうですね、包丁には種類があります」

「うん? うむ」

「果物のための包丁では、硬い野菜は切れません。ですが硬い野菜のための包丁では、果物を繊細に切れません。ですから、ええと、調理するものに合わせて道具もまた変えるべきですから、野菜を切れないからと言って悩むものではないかな、と思います」

「そうか、僕は果物包丁だったか。たしかに」


 とミトロフは頷いた。


「ああ! いえ! そのような、頼りないとかではなくて!」

「いいんだ、分かってるよ。ためになる話だった」


 たしかにと腑に落ちる話だった。

 ミトロフの学んだ剣技は貴族としての決闘が主軸となっている。つまり対人剣であり、狩りをするものではない。


 人とはまったく脆弱なもので、どこを切ろうと刺そうとすぐに行動不能になる。

 ゆえに素早く動き、軽く切り、刺す。それで良い。

 しかし黄土猪とまでなれば、軽さは全く通用しない。カボチャに果物包丁で挑むようなものだ。相性が悪い。


「しばらくグラシエを頼りにさせてもらうよ」


 と、ミトロフは頭を下げた。


「なんじゃ、今さら。そんなことを気にするな。これまではわれの方がミトロフを頼りにしてきたでな、助け合いじゃ」


 と、グラシエは笑った。


「わたしも、荷運びと料理しかできませんが……」


 おずおずと差し出されたカップには紅茶が入っている。ふわりと気を鎮める柔らかい花のような香りが漂う。


「こんなものまで用意してきたのか」


 とグラシエが感嘆しながらカップを受け取った。


「ギルドの売店で売ってありました。冒険者の方が休息中に好んで飲む茶だそうです」


 ミトロフも受け取り、匂いを嗅ぐ。

 貴族に欠かせないのが茶会である。昼は紅茶、夜は酒。それらは楽しむものというより外交手段でもある。幼いころからの教育にも欠かせないために、ミトロフもまた紅茶には詳しい。


 香りだけで茶葉の銘柄が分かった。貴族家では使用人などが飲むような安物である。

 しかし味を確かめれば、美味い。


「……淹れ方がいいな。甘味もちょうどいい」

「ありがとうございます。蜂蜜の小瓶もあったので、買っておきました」

「カヌレ、君はもしかして……」


 と、言いかける。


 紅茶に蜂蜜を入れるのは、茶会で貴婦人に好まれる飲み方だ。だが、ただ入れれば良いというものではない。


 蜂蜜にも種類があり、味わいはすべて違う。苦味があるもの、あっさりとしたもの、溶けにくく甘すぎるもの。

 どの紅茶に、どの蜂蜜を合わせるのか。そのために抽出の仕方まで変えることもある。


 それらは貴族としての造詣であり、ときに自慢げに語るべき知識なのだ。

 この紅茶はミトロフが飲んでも満足するほど出来が良い。それを淹れられるカヌレは、いったい何者なのか、と考えて。


「いや、何でもない。美味しい紅茶だ。小腹が空いたんだが、なにか食べるものはあるか?」

「はい! 軽食をご用意しますね!」


 テキパキと動くカヌレは楽しそうだ。表情は分からずとも、身体の動きには感情がしっかりと出ている。

 迷宮に潜る人間には、それぞれに事情がある。グラシエにも、ミトロフにも、カヌレにも。


 相手が自ら語るなら喜んで耳を傾けるが、そうしないのであれば、こちらから訊きだすのは野暮というものだとミトロフは思った。


 どんな立場で、なにをしていたとしても、今ここにいるカヌレだけを見て判断すべきだ。ミトロフが"貴族の無能な三男坊"という肩書きを捨てたように。


 すべてを失って迷宮に来たが、代わりに自由とアイデンティティを手に入れた。ここではミトロフはただのミトロフであり、自分の行いこそがその人を形作る。単純明快なその構造が心地良いのだ。


 カヌレはサンドウィッチを作った。


 ミトロフは大口でかじる。中には塩漬け肉のミンチと、パプリカの酢漬け、オリーブのスライスが入っていた。肉の強い塩気を酢が和らげてくれる。オリーブの香りとパプリカの歯応えが楽しい。


 ミトロフの胃袋にはあまりに物足りないが、美味い食事はそれだけで心を癒してくれる。これでもうしばらく、迷宮を探索できそうだ。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 落ち着いた文章がいい感じ。主人公はのっぺりしていてちょっぴり情感に欠けますが…… まぁ捨てられうらぶれた人間は感情も低下するのかなと同意できなくもない [気になる点] 細かくてすみませんが…
[良い点] 素朴な語り口の中で漫然と生きてきた主人公の少しずつ心の変化が丁寧に描写されていて好き [一言] こういう素朴な男主人公の独白読んでると楽がしたい方のジローが恋しくなる……
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