太っちょ貴族は同業者と話す
4階層の攻略は順調に進んだ。コボルドはたしかに強力な魔物だが、ミトロフとグラシエもまた、魔物とどう戦うかという点で経験を積み、対策を練っている。
食事休憩の間に、いくつかの打ち合わせをして、互いの感じた不安や、改善点などを話し合うことで、連携がよりうまくいくようになった。
待ち望んでいる「昇華」はまだ訪れていないものの、コボルドやファングを相手にしても不安もない、という状況になり、3人は5階層へと降りる階段を目指した。
通路を進みながら、ミトロフは昨夜の会話を思い出している。グラシエのことだ。
聖樹の病を治す薬のために、5階層を目指していると言っていた。いよいよ彼女の目標の階層に入るということであり、このままいけばそう遠くないうちに彼女の目標は達成されるだろう。
そうなれば……あれ?
と、ミトロフは目を丸くした。
グラシエは薬を求めて迷宮にきている。もしそれを手に入れたなら、彼女が迷宮に潜る理由はもうない。なら、このパーティーは解散ということになるのではないか。
それは至極当たり前のことのように思えた。
ミトロフはなぜか、この新しい日常がまだまだ先まで続いていく気がしていた。
もっと魔物と戦いたい。もっと地下まで進みたい。迷宮と悪戦苦闘しながら、生きているという実感を手にしていたい。
自分の考えと、グラシエの考えは違う。立場も目標も、迷宮に求めることも。だからこそ、その違いが決定的になったときには、違う道を行くしかないのだ。
気づいてしまったことで、ミトロフはぽっかりと空いた穴を覗き込むような空虚感に襲われていた。だから、通路の先にいた冒険者パーティーに気づいたのは、ミトロフが最後だった。
5階層への階段につながる小部屋の前に、4人ばかしの男女がいる。
「よう、あんたら、ちょっといいか」
声をかけてきたのは、茶髪の少年だった。革鎧を身につけ、背には大剣を背負っている。歳はミトロフと同じころだろうが、ミトロフが一歩下がってしまうくらいには、冒険者としての風格がある。
「はて、なにかあったかの」
と、グラシエが対応する。一見して朗らかな様子だが、ミトロフは彼女がいくらか警戒している様子なのを見てとった。
迷宮内では冒険者同士の争いはご法度だと、ギルドが法を定めている。剣を抜いて争うようなことになれば、両者ともにギルドから追放される。
しかし迷宮内にギルドの見張りがいるわけでもない。冒険者には荒くれも多い。警戒してしすぎることはないのだ。
相手もそれは分かっているようである。
両手をあげ、敵対するつもりはないとアピールしながら、一定の距離からは近づかないでいる。
「おれたちは"狼々ノ風"っていうもんだ。この階層で"はぐれトロル"が目撃されたって話を聞いてないか? その捜索と討伐を請け負ってるんだ」
「おお、そうであったか。それは頼もしいのう」
と、グラシエは頷く。ミトロフは、少しばかし複雑な心境で目の前のパーティーを眺めた。そのトロルを発見し、戦い、逃してしまったのが自分たちなのだと、言うに言えない気恥ずかしさがある。それはミトロフが初めて感じる感情だった。見栄、あるいは矜持。言葉はいくつかあるが、正確に表現するのは難しい。
ミトロフは、熟達した冒険者に見える大剣を背負った少年に、負けたくないと思っている自分に気づいた。
少年の後ろに、3人のパーティー仲間がいる。
身の丈ほどもある盾を背負ったドワーフ、灰色のローブにメイスを抱えている女性、あとの一人は小柄な身を緋色のローブで隠し、身長よりも長い杖を抱えている。
「あんたら、ここまでの道でトロルかその痕跡を見なかったか?」
「いや、ひと通り巡ったとは思うが、なにもなかったの」
「だろぉ?」
と、急に少年が声音を高めた。
「ぶっ壊れた穴はあるから、トロルがいたってのは事実なんだろうけどさ。いねえんだよな。あの横穴から地下に逃げてったんじゃねえかと思うんだけどさ。逃げたって証拠もないし、ギルドになんて報告すりゃいいのか悩んでるんだよ」
少年は頭の後ろで手を組み、ちぇっ、と舌打ちした。
「おれたちが遭遇してたらなあ、逃さなかったのに」
と、ひとこと。
ミトロフは胸のうちに湧き上がる感情を持て余した。
グラシエは目の端でミトロフの様子を窺うと、何事もない様子で少年に話しかけた。
「さて、そろそろ良いかの。今日は5階層まで降りたくてな」
「お、悪りぃ。5階層は初めてか? 守護者の"緋熊"には気をつけろよ。戦わなくても下には行けんだから、無理すんな」
それはミトロフたちを気遣った言葉であるのに間違いなかった。それでも自分たちの力を低く見積もられているような気がして、ミトロフは良い気がしない。
けれど同時に、この少年たちにはそれだけの力があるのだろうと分かってもいた。"昇華"には人を大きく変化させる神秘があり、彼らがそれを何度、経験したのか。少なくとも一度きりの自分たちよりは多く、差は開いている。




