太っちょ貴族は希望を知る
食事とは、そんなに単純なものではない、と思った。
「……グラシエ、食事とは楽しいものだ。身体に必要だから食う、必要なものが満ちるなら、なんでも良い。それではあまりにさもしい」
「う、うむ。おぬしの言うことも分かるがの。しかし、これはどうしようもないことじゃろうて。調理器具などがあればまた話は別じゃろうが」
「あの、あります」
おずおずと、カヌレが手をあげている。
ふたりはカヌレを見やり、首をかしげた。
「……カヌレ、おぬし、迷宮に調理器具を持ってきたのか?」
「……カヌレ、君は料理ができるのか?」
同時に重なった質問に、カヌレは首を左右にふり、あたふたと順番に答えを返した。
「えと、あの、はい、グラシエさん。持ってきました。役に立つかと思って。はい、ミトロフさん。料理はできます。その、一流とはとても言えませんが」
「素晴らしいじゃないか! 君が料理人だったとは!」
ミトロフはフゴフゴと鼻息を荒くした。
「ああ、いえ、そんなに期待なさらないでください! 決してお店を開けるとか、そんな腕前ではないのです!」
「なにを! 構わないさ! この味気ない干からびた食材を少しでも美味しく食べられるなら! なんとか頼めるか!」
「は、はい」
ミトロフの熱量に押し切られる形でカヌレは頷いた。
自分の荷から、小さなトランクを取り出した。開くと、中には手入れの行き届いた調理器具が詰まっている。それだけでなく、小型のコンロまで収まっていた。
「ほう、これは初めて見るのう……」
グラシエが目を丸くした。
「行商人がよく使っている器具なんです。休憩のたびに火を起こすのも大変ですから。冒険者の方は使われないんですか?」
「はて、父からはよく冒険者の話を聞いたが、こうした調理器具などは知らなんだ。時代の変わり目のせいじゃろうかの。ミトロフはどうじゃ?」
「僕も知らないな。しかし、これがあればどこでも厨房になるということだろう? 素晴らしい製品だ。誰が考えついたんだろう」
「そこまでは、わたしも分からないです」とカヌレは苦笑した。「ですが、有名な錬金術師の方だと思いますよ」
カヌレは慣れた動きでコンロを組み立て、そこに小さな鍋を乗せて火をかけた。
小型の包丁で干し肉を裂き、それを炒める。そこに水を加えて煮ながら、黒パンをちぎりながら入れていく。鍋の中でパンはほろほろと崩れ、粥のようにどろりと溶けていく。
箱からおろし金を出すと、カヌレはチーズをぼろぼろと削って細かい粉にしながら粥に混ぜた。それから小瓶に入った調味料を振り込んで、くつくつと煮立たせてから、食器に取り分けた。
「なんじゃ、よく手慣れておるのう!」
グラシエが感心した声で食器を受け取った。
カヌレは返事代わりに、少し困った風に頷いた。
「ただ、すみません。わたし、味見ができないので……味の調子が悪かったら教えていただけますか? 調整しますから」
「匂いは素晴らしい! これはなんという料理なんだろう!?」
ミトロフはフゴフゴと匂い立つ湯気を吸い込みながら言う。
「な、名前ですか? 黒麦パンのリゾット、でしょうか」
「携帯食、なんて味気もにおいもない料理よりずっと良い!」
ミトロフは貴族のマナーとしての儀礼的な祈りを唱えてから、匙ですくったリゾットを食べた。
「––––うまい!!」
思わず叫んだ。
煮崩れたパンは柔らかく、まさに粥である。溶けたチーズの濃厚な風味と、焼かれて香ばしい肉の旨みが混ざり合い、疲れた身体に染み渡るような味わいだった。
「これは良い味じゃな。少し塩辛いが、動かした身体にちょうどよい」
と、グラシエも頷いた。
「塩が強かったでしょうか?」
「干し肉のせいじゃろう。冒険者はとかく汗をかいて塩を失うでな。行商や旅人用の干し肉より強く塩をすり込んでおるのじゃよ」
「なるほど……それは知りませんでした。勉強になります」
頷くカヌレの様子に、グラシエはほう、と感心した。
いつも自信なく、一歩も二歩も引いた態度を見せるカヌレであるが、料理となるとその遠慮がなくなっている。それだけ、カヌレは真剣に料理に向き合ってきたのだろう。
「うまい。これならいくらでも食える!」
ミトロフは早々に、自分に取り分けられた粥を食べきってしまった。名残惜しげに空き皿を見つめている。
カヌレはくすくすと控えめな笑みをこぼした。
「そう仰っていただけると嬉しいですね。作り甲斐があります」
「毎日きみの料理が食べたいよ。宿の食事はひどいんだ」
「ひゃっ」
とカヌレが驚くものだから、ミトロフは何事かと思った。
グラシエはミトロフの膝をペシっと叩いた。
「それは庶民の中で結婚を申し込む常套句じゃぞ」
「……なんだって? それは、すまなかった。僕は市井の常識が足りてないところがある。許してほしい」
「い、いえ。わたしもすみません、その、驚いたものですから」
二人してぺこぺこと頭を下げる姿を隣に、グラシエは苦笑しながら粥をすすった。
突然に出会ったカヌレという少女は、どうしてか呪いを受けてスケルトンの姿となってしまっている。ともに迷宮に潜ることに不安がなかったと言えば嘘になる。
しかしこうして実際に共にしてみれば、なんだ、悪くないではないか。
なにより、粥はたしかに美味かった。




