太っちょ貴族は絶望を知る
グラシエとミトロフがコボルドの相手をしている間に、ファングが背後から忍び寄ったのだ。
ふたりが気づいたときには、カヌレは丸盾を両手にしていた。
ぐっと腰を落とした後で、盾でファングを弾き飛ばした。ファングは恐ろしい速度で壁に叩きつけられて絶命した。
文字通り、魔物のような怪力を、カヌレは身に宿していたのだ。
「……ポーターにするのは、もったいないんじゃないか?」
ぽつりとミトロフが呟く。グラシエは無言で頷いた。
カヌレは慌てて頭をさげ、勝手に戦闘に参加してファングを倒してしまったことを詫びた。
ミトロフとグラシエは気にせず、むしろカヌレを心配する必要が減ったことを喜ぶとした。戦えない存在を守る、という意識がどこかにあれば、それは戦いの中で邪魔になるものだ。
カヌレが自衛できる力を持っているということは、ありがたいことだった。
3人は地図を見ながら、地下4階を巡っていく。
すでに探索された場所である以上、前回のように運よく遺物を見つけるということはない。自分たちがどこにいるかを確認しながら、遭遇した魔物を倒していくのは、日銭稼ぎと同時に、自分たちの経験値を稼いでいる。
トロルと出会って感じた力の差。
それを解消するのは、経験を積むことと、冒険者だけに許された存在の強化「昇華」を起こすことである。
ミトロフは、昇華による精神力の向上がなければ、間違いなく死んでいたと思っている。それほど恩恵のあるものなのだ。
地下に潜るほどに魔物は強くなっていく。その強さに合わせて自分たちも成長しなければ、死は容易く訪れるだろう。
地下に続く階段の場所を知っているからと、真っ直ぐにそこに向かったところで、戦える力がないのであれば下に降りることはできないのだ。
しばらく探索をしてから、3人は見つけた小部屋で休息を入れることにした。
そこは先達たちが手を入れて休息所に仕立て上げた部屋であり、中には他の冒険者たちも数組、腰を下ろしていた。
3人は空いた場所に布を敷き、腰をおろした。
迷宮の中ではいつ襲われるとも分からず、気を抜くことは難しい。こうした安全の確保された小部屋があるだけで、救われるような気持ちになる。
ミトロフはブフゥと腹の底から息を吐いて、べったり腰をおろした。
「まったく、迷宮探索っていうのは大変な仕事なんだな。体の芯まで疲れる」
「このまま果てなく地下に潜っていくのかとおもうと、気が滅入ってしまうのう」
グラシエも腰を下ろし、ブーツの紐を解き、黒いタイツに包まれた細い脚を引き抜いた。すらりとした脚を折りたたみ、ぐっと背を伸ばす。
「ミトロフ、靴を緩めておくほうがよいぞ。休めるときにはしっかり休むのが肝要じゃ」
「狩人の教えには従おう」
ミトロフも見習ってブーツを脱ぐ。
「たしかに、すごく解放された気分だ」
「そうじゃろう。ほれ、カヌレも腰をおろせ。疲れたじゃろう」
「い、いえ。わたしは何もしておりませんし」
と、カヌレは立ったまま首を振る。
「そうして立たれたままではこっちが気になるわ。のう、ミトロフ」
「え、ああ、そうか。そういうものだよな」
「なんじゃ、カヌレを使用人とでも思っておったのか」
グラシエは呆れたように眉をひそめた。
「ポーターっていう立場をどう扱うべきか分からなくてさ。つい昔の癖が出たんだ。常にそばに誰かがいるから、いちいち気にしなくなるんだよ」
貴族の生活には従者が欠かせない。いつでもそばに誰かがおり、必要があれば彼らに言いつける。
彼らの目を気にして、などと言っていては、貴族は何もできなくなってしまう。貴族にとって従者とは家具のようなものなのだ。
「ポーターをどう扱うかは、パーティーの方針次第じゃがの。ミトロフ、われはカヌレを使用人のように扱う気はない。おぬしはどうじゃ?」
「……僕もそうする気はない。もう貴族じゃないし、カヌレは使用人じゃない。悪かったよ、カヌレ」
ミトロフはカヌレに向かって頭を下げる。
「と、とんでもない! わたしは従者でも構いませんし」
「そう言うな。僕のためにも休んでくれ。ほら」
ミトロフが勧める以上、カヌレも断り辛いようで、おずおずと布に腰を下ろした。黒い外套の裾は長く、ふわりと広がった。
「さ、これで良い。ここらで食事を済ませておこう」
「食事! 僕は腹ペコだよ」
「わたしもだ。と言っても、迷宮での食事で贅沢は言えぬが」
二人の会話から察したカヌレは、てきぱきとふたりの荷物を渡した。
ミトロフはさっそく、今朝ギルドで買い求めた携帯食の詰め合わせを取り出す。木の皮をなめして織り込んだ小箱の中には、乾燥肉とチーズ、干葡萄、黒麦のパンが入っている。
ミトロフはしょんぼりと眉をさげ、黒麦パンを手に取った。
「……これが、食事か」
「これでもマシな方じゃろう」
「あの安宿のほうがまだ良いな……これは、食べるほうが気が滅入らないか?」
ミトロフはごく真剣にグラシエを見た。
「食事ができるだけで良いではないか。食事なぞ身体への活力を得るための行為じゃろう」
ガーン、と後頭部を殴られたような衝撃があった。ミトロフは絶望した。




