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【書籍化】太っちょ貴族は迷宮でワルツを踊る  作者: 風見鶏
第一章

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太っちょ貴族は新しい仲間を得る


 グラシエが寝床にしている宿の場所は訊いていた。しかし訪問する用事もなかったし、ミトロフとしても気軽に遊びに行くというわけにはいくまいと思っていた。よほどの事情でもなければ、自分から赴くことはなかっただろう。


 しかし今ばかりは、よほど、と言える事情だった。


 銀の鹿角亭と呼ばれるその宿は、名前のわりには古びて陰気くさい宿だった。一階は受付と食堂になっていて、夜には酒場も兼ねているらしい。薄暗い中に酒を飲んでいる人の背中が見えたが、楽しげな談笑は聞こえない。


 受付に座ったままこくりこくりと舟を漕いでいた老婆に、グラシエを呼んでもらう。


 階段から降りてきたグラシエは、当然だがゆったりとした私服を着ていた。迷宮では結んでいる髪の毛もゆるく流され、毛先でひとつにまとめている。

 迷宮では勇ましさの際立つ狩人である。宿屋ではひとりの美しい少女としての印象が強く、ミトロフは見惚れた自分を誤魔化すのに努力が必要になった。


「どうした、ミトロフ。なにかあったかの」

「実はポーター志望だって人がいてな。僕だけでは判断できないから連れてきたんだ」

「はて。われらのパーティーに入りたいと?」


 首を傾げると、細く白い首筋がランタンの明かりに照らされた。ほつれ髪が繊細な影を写している。深く青い瞳がミトロフの背後に立っている黒外套の小柄な姿をとらえた。


「はじめまして、わたし、カヌレといいます。こちらのミトロフさんに命を助けていただいて。それが縁でお願いいたしました」

「……ふむ。まあ良い、あちらで詳しく聞こう」


 勝手知ったるグラシエの先導で、三人は食堂の一角でテーブルを囲んだ。

 ミトロフは先程の出会いについて説明する。と言っても、詳しい事情は聞かずにここに来たために、ミトロフが話せることはあまりない。


 だがミトロフの説明だけで、グラシエは察するものがあったようだ。


「……おぬし、烙印の仔か」

「はい」


 と、カヌレはうなずき、周囲の視線を探った。誰もこちらに注目していないことを確認してから、わずかにフードをあげた。そこには紛れもない頭蓋骨があり、眼窩には空洞だけがある。


「……遺物による呪いは種々様々と話には聞くが、難儀よな」

「命があっただけでも運は良かったと思います」


 二人の会話を聞きながら、ミトロフはぶひぃ、と鼻息をついた。

 迷宮からは数多の産出物がある。しかしときとして、前時代から残る呪いや、魔法の影響を残した遺物が見つかる。その影響を身体に受けた存在を、烙印の仔と呼ぶのである。


 御伽噺の中では、呪いを受けたことで人外に等しい能力を発揮することもあるが、たいていの者は死んだり、身体の何かを失うことになる。魔法の爆弾のように暴発することがほとんどだからだ。

 そうした現実の中で、姿だけがスケルトンとなっているカヌレの状況は特殊であるようだ。


「では迷宮に潜るために、ポーターになりたいのじゃな?」

「はい。迷宮のどこかに呪いを解く手がかりがあるのでは、と思って。こんな姿では冒険者の認可はおりないでしょうから……」

「ポーターに関してはギルドの審査はなく、パーティーの裁量に任されておるからの。良い着眼点かもしれぬな」


 ふうむ、とグラシエは腕を組んだ。


「ポーターがいれば、たしかにありがたい。じゃが、われらの収入では、人を雇うという余裕がないのが実情じゃ。まだ地下4階に至ったばかりでしかない」

「お給金はお気持ち程度でけっこうです。この姿になってから、飲むことも食べることも必要なくなったので」


 平然とカヌレは言う。ミトロフにとっては衝撃的な告白だった。


「食べることが必要ないだって!? 人生の楽しみを失ったも同然じゃないか!」

「ふあっ!?」


 ミトロフの大声に、カヌレは肩を跳ね上げた。


「……失礼した。つい興奮してしまった」

「どれだけ食うことに情熱を向けておるんじゃ」

「そう褒めないでくれ。最近は節約生活だからな、感情が昂ってしまった」

「これは呆れておるだけじゃ」


 ともかく、とグラシエはカヌレを見る。


「おぬしは迷宮に潜り、姿を取り戻す手がかりを探せる。われらはポーターを得ることで安全と収穫を増す。悪くない取引かもしれぬな。ミトロフ、お主はどうじゃ」

「僕も同意だ。パーティーに加わってくれる人なんて、探そうと思ってすぐに見つかるものでもないだろうし。良い機会だと思う」

「では決定じゃな。明日の朝、二つ鐘のころにまたここに来てくれるか」


 グラシエが言うが、カヌレは黙ったままでいる。


「どうかしたかの?」

「あっ、いえ。まさかこんなにあっさりと受け入れてもらえると思っていなかったので……おふたりは、烙印の仔への忌避感とか、あの、ないのでしょうか。わたし、見た目もこんなですし……」


「そういえば、魔物だって言われて追いかけられてたな」

「雑踏の中でぶつかられたときに、フードがずれてしまって。顔を見られたんです。でも、あれが普通の反応かと思います」


 カヌレは、しゅんと頭を垂れた。


「たしかに街で暮らすものにはそういう偏見もあろうな。遺物について知らねば、呪いと魔物の違いを正しく理解できんじゃろう」


 と、グラシエは頷いた。


「われは狩人として生活しておったが、冒険者としての常識を聞かされて育った。烙印の仔だからと騒ぐ理由もない。おぬしがわれらを陥れようと目論むよほど悪辣な人間だというなら、話は別じゃが?」

「とんでもないです!」


 カヌレはぶんぶんと両手を振った。その動作は感情をそのまま表現したようで、幼さすら感じさせた。

 グラシエは自分で言っておきながら、なんともありえない仮説だなと苦笑した。


「わかっておる。ミトロフ、おぬしは最初からカヌレの見た目にも気にした様子も無かったのう?」

「見た目はたしかに奇抜だが、トロルやファングのほうが怖いしな」

「たしかにの。トロルに比べれば、なにを恐れることもあるまい」


 ふたりは顔を見合わせ頷き合った。

 カヌレの骸骨頭を見て、魔物だ何だと騒ぐのは市民くらいのものだ。冒険者にとって重要なのは、どれくらい危険かである。トロルに比べれば、カヌレはただの少女と変わりない。


 二人の平然とした様子に、カヌレはぐっと喉を詰まらせ、黒の革手袋で胸を押さえた。厚い布地の下には、冷たく硬い骨の感触がある。それは自分がもはや人間ではなく、魔物に成り果ててしまったのだという思いを抱かせてきた。

 人に忌避されるのも、魔物だと叫ばれ追われることにも、すでに慣れきってしまっていた。


 こうして出会ったばかりのふたりに平然と受け入れられたことで、カヌレは戸惑いと同時に、なにかがぐっと込み上げてくるのを感じていた。苦しみや悲しみではなく、温かくて喜ばしいのに、どうしてか泣きたくなる不思議な感情だった。


「––––ありがとう、ございます。わたし、精一杯がんばります」


 カヌレはテーブルに額が着くほど深々と頭を下げた。



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