太っちょ貴族はお宝を発見する
「なにがあんなに面白かったんだろう」
「わからぬ。われらはちとおかしかったんじゃ」
二人して首を捻りながらも、気を取り直して話し合う。
「トロルがいたっていうのは、たぶん、異常事態だよね?」
「そうじゃの。コボルドが迷い込むのとはわけが違う。あれは危険じゃ。おまけに手負にしてしもうた」
グラシエが悩ましげに肩の上の髪の毛を払った。どこか苛立たしげな所作に見える。
「傷を負わせたぶん、次に戦う人は楽になるんじゃないの?」
「獣は手負いがいちばん恐ろしい。追い詰められれば、退くという決断はできぬ。己の命を懸けて全力でこちらを殺しにくる」
「……アレが全力で迫ってきたら、恐ろしいな」
思い出すだけで背筋に冷たい汗が流れる。
「地下4階層にはわれらのように初心者も多かろう。大ごとにならねば良いが……」
「こういう時って、普通はどうするんだろう。珍しいとはいえ、強い魔物が浅いところに来ることが前にもなかったわけじゃないだろう?」
「うむ。見かけた実力のあるものが倒すのが慣習とは聞いた。ギルドの方でもクエストとして、浅い階層の見回りを定期的に依頼することもあるらしい」
「じゃあ、僕らもギルドに報告しておいたほうがいいのか」
「トロルの討伐依頼がクエストとして貼り出され、誰かがそれを受領するじゃろうな」
ミトロフは少し悩んで、「悔しいな」と言った。
「僕が勝てない相手が、誰かに倒されるっていうのは、悔しい」
「ふふ……ミトロフも立派な狩人じゃの。気持ちはわかる。しかし相手は魔物じゃ。今は堪えようぞ。トロルとの因縁よりも命のほうが重要じゃ」
うむう、とミトロフは二重顎の脂肪に首を埋め、仕方ないと自分に言い聞かせた。
悔しいが、勝てる自信はない。負ければ死ぬ。分かっていることだ。
もやもやと踏ん切りのつけられないミトロフの感情を見てとったグラシエは、空気を変えるために別の話題を提供した。
「この横穴はどこに繋がっておるのかのう。地図にはないが……」
浅い階層ではすでに抜けのない地図が完成されている。ギルドで安く売られているため、初心者はとくに、それを買い集めて迷宮に潜るものだ。
グラシエは荷物から引っ張り出した地図と見比べながら、トロルが飛び出してきた横穴を覗いた。
「……少し進んでみようよ」
「危険を感じたらすぐに引き返すぞ、良いな?」
「もちろんだ」
ふたりはそれぞれ、荷物からランタンを取り出し、灯を入れた。
瓦礫を踏み越えて、通路の横穴に入っていく。
壁にはいっさいランタンがない。ギルドの管理から外れているという証だ。
空気は湿気ており、流れのない重みを感じさせた。
夜目の効くグラシエが先頭に立ち、狩人として培った感覚を澄ませてじりじりと進んでいく。
急襲に備えて、ミトロフはすでに剣を抜いている。
地下4階層ではあるが、トロルという規格外が飛び出してきたのだ。どんな魔物がいるかも分からない。
5分はかかっていないだろう。通路の途中で突然、横穴が空いている。
2人はおずおずと首を伸ばして横穴を覗く。ランタンを掲げて見ても、その先は暗闇が広がっている。道は緩やかに下り坂となっているようだ。
「この先は下に繋がっているようだ。降りるか?」
とグラシエが顔を向ける。
訊ねてはいるが、その眉はハの字に下がっている。進みたくはない、という感情が分かりやすく表現されている。
ミトロフもその眉毛に賛成である。
「……隠し通路から地下に進むっていうのは、ちょっと怖いな」
「……いちど、戻るか」
「そうしよう。誰も知らない道に進むっていうのは、もっと勇気のある人に譲ることにする」
穴から視線を戻す。通路はまだまっすぐに続いている。そちらは横穴よりは安全そうである。
2人は顔を見合わせて頷き合うと、そちらの方へ向かって歩き出した。
ほどなく道は行き止まりとなった。
突き当たりの壁の足元に小さな箱が置いてある。
そろそろと近づき、2人して箱を見下ろした。
「箱だ」
「箱じゃな」
「迷宮に箱?」
「これは、もしかすると」
と黙り込むグラシエ。
箱はひどく古びた木製であり、片腕で抱えられるほどの大きさであった。
「どうみても人工物なんだけど……誰かが置いたってことなのか?」
ミトロフは周囲を見渡す。明かりもなく、湿気とどんよりと停滞した空気のにおいがする。
数年……あるいはそれ以上もの長い時間、誰かが出入りしたとは思えない。
「遺物、かもしれぬ」
とグラシエが呟いた。
「魔剣のこと?」
「遺物としてもっとも有名なのがそうじゃな。ただ他にも遺物は種々様々にあるという。父もひとつ、遺物を持っておった」
古代の奇跡を宿した魔剣は、現代の技術では生み出すことができないと言われている。迷宮の深層で発見されることがあり、それは古の冒険者が使用した遺物であると推測されていた。しかし遺物とされるのは剣だけでなく、防具から呪物、食器まで幅広い。
そうしたことをグラシエが説明すると、ミトロフは「へえ!」と感心した目で箱を見直す。
ただの古臭く怪しい箱が、急に宝の箱に見えてきた。
「そういえば、迷宮の品を集めている貴族がいるって聞いたことがあるな。遺物を収集してるってことだったのか」
「好事家は多いと聞くな。どんな些細なものであれ、迷宮での遺物は価値があるというでな……」
ふたりはゆっくりと箱を見下ろした。
もしかすると、という思いがある。
この中には、大金にも等しいものが入っているのかもしれない。
「……開けて、みようか」
「……確かめてみるかの」
同時にしゃがみ、ミトロフが箱の蓋に手を伸ばした。正面の金具は錆び付いていたが、力を込めるとバキリと割れるようにして開いた。ぐっと力を込めて蓋を上げる。
と。
「本……?」
赤い絹張りの型にぴたりと嵌め込まれているそれは、黒地に銀の刺繍で飾りが施された本である。
「見るからに高そう、ではあるけど……本か」
「価値はありそうじゃが……本か」
剣であるとか、装飾品であれば、だいたいの価値は推測できるものである。しかしそれが本となると、ミトロフにもグラシエにも判別が難しい。
表紙は深く吸い込まれそうなほど黒く染色された皮張りというだけで、題字はおろか文字のひとつもない。
ミトロフは手を伸ばして表紙をめくろうとしたが、直前でぎゅっと手首を握られた、グラシエが止めたのである。
「これ! 遺物に臆せず触れるバカがおるか!」
「だめなのか?」
「古代には強力な魔術師が多くいたとされておる。遺物にはそやつらが施した魔術や呪いが残っておることもあるのじゃ。迂闊に触れて呪われでもしたら、それをなんとか出来る魔術師は今世にはおらんぞ」
「……おそろしいな!? そういうことは先に言ってくれたまえ!」
「だから止めたじゃろうが!」
グラシエが呆れた目をしている。
ミトロフはまったく、時に自分よりも常識に疎いことがあるようだ。
遺物に触れないというのは冒険者として当たり前……と考えて、ミトロフが貴族であったことを、グラシエは痛感した。
本来ならば、ミトロフは迷宮に潜ることなどあり得ない人生だったのだ。冒険者としての常識が、貴族に必要とされるわけがない。
そんな些細なことに身分や生まれの差を感じて、グラシエはほんの少しだけ、複雑な思いを抱いた。
「……とにかく、遺物はギルドの鑑定士に頼むのが良かろう。ほれ、箱ならば触れても良いはずじゃ」
グラシエは蓋を閉じると、両手で持ち上げた。
それで今日の探索を終え、ふたりは帰路についた。ギルドのカウンターでトロルに出会ったことや、破壊された壁の奥で地下へとつながる横穴と、箱に入った本を見つけたことを報告する。遺物である本のほうは、ギルドで鑑定を依頼して預ける形となった。
ミトロフとグラシエにとっては、トロルと命懸けで戦ったことや、遺物を見つけたことの方が重大なのだが、ギルドの受付嬢は地下へと繋がる道について興奮した様子を見せた。
「それはきっと"もぐら道"ですね! 魔物が使う隠し道なんですが、4階層にもあったとは! 新しいルートが構築されるかもしれません!」
ズレた丸眼鏡をくい、と上げながら、小柄な受付嬢が言う。
「……それは、まあ、めでたいけど。僕らには見返りがあるのか?」
ミトロフは大した興味もなく訊ねた。見ず知らずの他人の益になったところで、自分に得がなければ喜ぶ意味もない。
「ええとですね、”もぐら道”の発見には規定の報酬があります。それにもし地下階へのルートが構築された場合、通行手形が無料で贈呈されますね」
「それは良きかな。思わぬ実入りとなった」
「トロルに感謝だね」
ふたりは笑みを交わした。トロルと相対した緊張はまだ身体の芯に残っている。それを洗い流すには、少し無理をしてでも笑い話にしてしまうのがよいものだ。
「ギルドでも調査員を派遣しますので、報酬については後日、またご報告させていただきますね」
「トロルはどうなるんだろう?」
「ギルドからの依頼という形で、クエストを発行することになります。迷宮に入る方々に注意喚起するように今から情報を共有いたしますが……おふたりとも、気をつけてくださいね」
心配げな受付嬢の言葉に、ふたりは首を傾げる。
「魔物というのは、自分に傷をつけた相手をよく憶えて忘れないそうです。執念深く追いかけてくる個体も稀にいるんです」




