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【書籍化】太っちょ貴族は迷宮でワルツを踊る  作者: 風見鶏
第三章

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太っちょ貴族は挑む



 グラン工房とメルン工房を頼って、雷対策の道具が完成したのは、すでに宵も過ぎたころだった。  


 迷宮内の通路をこそこそと歩きながら、ミトロフは手に持った道具を作るのに掛かった費用を暗算している。本体を頼んだグラン工房よりも、加工を頼んだメルン工房での出費の方が大きかった。


 技術料はもちろんだが、素材に大半の銀貨を吸われたのである。メルン工房の倉庫で埃をかぶっていた素材は、滅多に出番はないが貴重なもので、奇しくもミトロフが求める要素をピッタリと満たしていた。

 メルンもまた、この素材以外にはありえないと太鼓判を押すために、予算を大きく上回るのを飲み込んだのだ。


 ”錬金術師”の本に記された道具が、果たして本当に効果があるのか、ミトロフには確信がない。

 もしかするとまったくの役立たずになる可能性すらある。それでも、他に活路はないような気がしている。これは崖の縁に掛けた指だった。もし駄目なら落ちるしかない。


 通路を歩く魔物たちを慎重に避け、時に回り道をしながら進む。目的地はもちろん”守護者”の部屋だった。

 ひとりで勝つ––––とは、ミトロフも言わない。


 ブラン・マンジェが”魔族”と呼んだあの山羊頭の老婆は、明らかに強敵だった。


 もちろん夢想はする。ここ数日、ベッドの中でも、風呂の中でも、食事をしながらですら、あの強敵を鮮やかに、軽やかに倒す自分の姿を何度思い描いただろう。


 自分には力があると、信じたい。これまでにも強敵を倒してきた。生き残ってきた。だから、今度もそうできる……。命の瀬戸際の中で、新しい力に目覚めるのではないか?


 ”昇華”


 その言葉がミトロフの心を掴んで離さない。

 かつて、ミトロフは初めてこの迷宮に訪れ、強敵だったコボルドを倒した。そこで”昇華”を得て以来、自分の力の底が一気に引き上げられるような経験をしていない。


 迷宮で起こり得る奇跡。”昇華”さえ起これば、自分はもっと強くなれる。今回こそ、今回こそ……と期待しても、今までその片鱗すら見えなかった。


 もしかすると、と思う。命の危機に晒されることで目覚める本能ではないか、と考えている。もしそうだったら、今回こそが”昇華”……より強い自分になるための機会ではないだろうか。


 それは願望なのだと、ミトロフは分かっている。富籤の割符を握りしめ、これは当たるに違いないと根拠もなく信じるのと同じだ。


 ”昇華”に期待して戦うということはしないと、自分に言い聞かせる。欲は出さない。自分はただ剣を取り戻したいのだと。


 大切なものを置いて、ミトロフは”逃げて”しまった。

 ラティエの言葉がミトロフの脳裏から離れないでいる。


 ––––彼が逃げ出さないとどうして言い切れるの……。


 手にした道具で雷を避けながら、剣を取り戻して、引き返す。

 それくらいなら、今の自分ならできるはずだ。いくつもの戦いをこなしている。経験はある。”昇華”などなくとも、自分は成長した。


 階段を過ぎていく。

 時に短剣と道具とガントレットを駆使して魔物をいなし、先行する冒険者パーティーの後ろを歩きながらようやく五階まで降りて、守護者の部屋の広場までやってくると、予想外の姿が駆け寄ってきた。


「アペリ・ティフ? どうしてここに」


 小柄な体躯に、頭には獣耳。獣人の少女は迷宮で秘密裏に暮らしている”迷宮の人々”の一員だった。ミトロフとブラン・マンジェを引き合わせてくれたのは彼女だった。


 アペリ・ティフはミトロフの顔と”守護者”の部屋とを交互に見る。


「ミトロフ……助けてほしい」

「助け? なにがあった?」


 アペリ・ティフの眉尻は下がり、手は胸の前に重ねられている。不安と恐怖を耐える様子には、ただごとではないと分かる。


「”長”が、中に。でも、”長”は元気じゃない」

「待ってくれ、ブラン・マンジェがもう中に入っているのか?」


 アペリ・ティフは頷いた。

 前回、ここに立ち入ったミトロフの危機を助けてくれたのはブラン・マンジェだった。しかし、彼女がなぜ、あの”魔族”と戦うのか、その理由までは分からないままだった。


 アペリ・ティフの後をついて、ひとりの男が歩み寄ってきた。前にも顔を見たことがある。ブラン・マンジェから”アンバール”と呼ばれる貴重なシロップの塊を買い求めていた商人であった。


「……ポワソン、と言ったか?」

「おう、前にも会ったな。何の用か知らねえけど、”長”は取り込み中だとさ」


 ポワソンは肩をすくめた。アペリ・ティフの切羽詰まった様子と比べれば、あまりに軽薄に見える。


「どうしてここに?」

「どうしてって、商売だよ。”アンバール”が欲しいってとにかくせっつかれててね。なんとかしてもらおうって思ってくりゃ、”長”はお仕事だって言うし。じゃあ終わるまでお待ちしてますってここに来てみりゃ、どうも怪しい雲行きだ。こりゃ代替わりかもしれねえなあ」


 と首をかくポワソンには、すっかり事情を悟っているような余裕が見えた。


「”長”の仕事? この中で”魔族”と戦うことがブラン・マンジェの仕事だと言うのか?」

「あん? ”魔族”は知ってるくせに、”ブラン・マンジェ”については知らねえのか。”裏道”には入れるくせにアンバールのことも知らなかったし、変なやつだな」

「教えてくれ。彼女はなんの仕事をしている?」

「わーった、わーった。そうマジな顔で近づくなよ」


 ポワソンは両手を上げた。


「”迷宮の人々”ってのは、社会の厄介者なわけ。それが迷宮に住むのをギルドは黙認してる。代わりに”裏道”の整備だとか、”アンバール”やらの貴重な資源の調達だとかの危険な仕事を任せるわけだ。で、どうもやけに強力な魔物––––”魔族”ってやつがいるらしいと気づいたギルドは、その討伐も任せてるんだよ。ギルドにとっちゃ冒険者は資源だ。危険なやつにぶつけるなら、まあ、な、分かるだろ?」


 ポワソンは途中でミトロフの横に立つアペリ・ティフに気づき、物言いに配慮を加えた。


「”ブラン・マンジェ”ってのは、代々の”長”の名前でな。”魔族”やら”赤目”なんかを見つけてはさっさと始末する仕事を任されてたんだよ。でもまあ、”先代”は有能だったが、”今代”の評判はイマイチってとこだな」

「”長”はイマイチじゃない! 何も知らない人間が侮辱するな!」


 牙を剥いてアペリ・ティフが語気を鋭くした。

 ポワソンは「悪かったよ」と3歩ばかり後ろに下がった。


「”長”は、”長”はいつもひとりで戦ってる。男たちが”下”に連れて行かれたから、ひとりでいっぱい戦って、疲れて、怪我もしてる! 今も戦ってる! 冒険者のために!」


 アペリ・ティフは声を荒げ、ミトロフの袖を掴んだ。


「ミトロフ、”長”を助けてほしい。わたしじゃ、役に立てない……」


 しゅんと頭を下げたアペリ・ティフを前に、ミトロフはぐっと息を詰めた。女性に助けてほしいと頼まれて断ることは、貴族の紳士としてできない。

 ミトロフは頷き、アペリ・ティフの肩に手を置いた。


「分かった。任せておけ。ブラン・マンジェを連れて帰る」

「……ほんとう?」

「本当だ」


 ミトロフを見返すアペリ・ティフの顔は、母を見失った幼子のようだった。彼女の恐怖とは、ブラン・マンジェが戻ってこないことだ。自分の全てを受け入れ、愛し、守ってくれる存在を失うこと––––その気持ちが、ミトロフには分かる。グラシエを失うことを恐れるラティエの気持ちも。


「今から行ってこよう。アペリ・ティフはここで待っていてくれ。なに、すぐに戻るからな」


 ミトロフは”守護者”の部屋に向かって歩き出す。


「あれだね、見栄を張るってのも大変だね」


 横目で見れば、ポワソンがいる。


「断っても別に誰も責めやしないよ」


 と彼は言った。ミトロフは言い返そうと顔を向け、ポワソンの表情が茶化すものではないと気づく。


「冒険者ってのは命を賭ける。賭ける相手と時は、慎重に選ばなきゃならない。だろ? 可哀想な女の子に頼まれて”魔族”に挑む––––良い話だ。でもお前さ、死ぬ覚悟はできてんのか? 勇ましい奴から死んでいくのが迷宮だぞ」


 ミトロフは足を止めた。目の前にある扉を見上げる。この向こうに行けば、死ぬのだろうか。

 死ぬ? 死ぬとは、なんだろう。


 実感がなかった。ミトロフはまだ死んだことがない。実感が湧いたときにはきっと、死んでいる。なら、そうか、実感があるわけもないか。


「逃げてもいいのだろうか」

「逃げてもいいね」

「逃げるべきだろうか」

「生き残りたきゃな」

「そうか」


 ミトロフは頷き、腰元の鞄を探った。

 取り出したものをポワソンに突き出した。


「お前、これ」

「大事にとっていた最後の”アンバール”だ。これをやる。代わりに頼みを聞いてくれ」

「……一緒に中に入れってんなら、断るぞ」

「一緒に来られても迷惑だ」


 ミトロフは代わりの頼みを言った。ポワソンは肩を竦め、頷いた。差し出した”アンバール”を受け取らず、踵を返した。


「持って行かないのか」

「これでも商売には矜持を持ってる。契約達成の証にもらうさ」


 ミトロフは目を見開き、それから笑った。


「なんだ、良い商人じゃないか」

「そうだろ。剣は持てないけどな」


 目線を交わして、ミトロフとポワソンは同時に背を向けた。ポワソンは通路に、ミトロフは部屋に向かって駆け出した。



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