太っちょ貴族は道具を求める
「ああ?」
と、武器の一切を取り扱うグラン工房の店主、ドワーフのグラン・ゴルトは、徒弟の少年ジャックを見返した。
眉間をぐっと寄せて見返す眼光は鋭く、不機嫌に睨みつけているようにしか見えないが、それはグランの癖だった。年中、光り輝くほどに燃え盛る炉を見据えているために、視力が落ちている。
それを知っているジャックも、グランの視線や返答に怯えることも無くなった。気難しい面はたしかに多いが、グランという鍛治師を尊敬している。
とはいえ、彼が接客に向いていないことは明白で、剣を打ちたくて弟子入りしたはずなのに、いつからか鉄の扱いよりも先に、客の扱いの全般を任されるようになってしまった。
信頼されることは嬉しいが、時折、客の変わった要望をグランに伝えなければならない時もあり、そんな時には、ジャックの気持ちもいくらか滅入る。
鉄を扱うドワーフは、人間が想像するよりもずっと矜持を持っている。自分が納得しない仕事なら絶対にしない。時間と費用がどれだけ掛かり、待ちかねた他の客から炉にくべる木炭の束ほどの苦情が来ようと、一顧だにせず一本の短剣に専念し続けることもある。
ジャックはおずおずと、もう一度、客から要望されたものを伝えた。
「ああ?」
返事は同じだった。ジャックは眉尻を下げて泣きそうになった。
それもこれも、あの客のせいなのである。滑らかな肌に、艶やかな髪、そしてふくよかな身体。衣服は町民と同じでも、生まれ育ちはどう見ても金持ちだ。常連客の中では新しい顔で、冒険者としては珍しく刺突剣を使っている。
金持ちの若者が道楽で迷宮に潜っているのかと思っていたが、定期的に研ぎや手入れに持ってくる剣は、その度に使い込まれているのがわかる。そういう”使われる剣”を整える仕事が、ジャックは好きだった。
それがどうしたことだろう。今日は剣もなく、話を聞いてもよく分からない道具をこしらえてほしいと言う。それがどうしても必要なのだと。
グランは絶対に断ると分かっていながらも、押しの強さに負けてこうして話だけはすることになってしまった。
「そういうのはうちじゃやってないと言ったんですが、すみません」
真っ直ぐに目を見返してくるグランの眼光に、ジャックは言い訳を返した。
「武器じゃないですし、頼まれたって作れないですよね」
ははは、と笑ってみたが、グランはちっとも笑わなかった。
「作れねえものはねえ」
「あ、はい。そうですよね。そうでした」
「んなもんで、何をするってんだ」
おや、とジャックは首を傾げた。興味を惹かれるものがあったのだろうか。
ジャックは先ほどそこで面白い冗談を聞いたのだというふうに、半笑いで言葉を伝えた。
「それがなんでも、雷を捕まえるんだとか」
「––––へえ?」
グランは眉を上げた。彼がわずかでも感心した表情を見せるのは数ヶ月ぶりのことだった。
「雷か。そいつは良いな」
グランが口に出して何かを褒めるのは、数年ぶりのことだった。
雷という言葉に惹かれたのだ。今まで思い出しもしなかったというのに、熾火に息を吹きかけたときのように急激に記憶が込み上げた。
グランが住んでいた里には、シャーマンと呼ばれる老婆がいた。ドワーフではなく、エルフでもなく、人間でもなく、獣人でもない……それでいて、グランが子どもの時にはすでに老婆で、青年となって里を出る時にもまだ、老婆のままだった。
里の外れのボロ屋に住み、獣の血と薬草を使って、病の治療から天候の占いなどを任されていた老婆は、不気味さと畏れを抱かれながらも、里の者たちに頼りにされていた。
年に一度、村では祭りがあった。そこで婚姻と葬式が執り行われ、いつも老婆が精霊の話をした。
巨大な篝火を背に座ったシャーマンは、地面に着くほど腰が曲がり、前歯は抜け落ちている。左の瞼は閉じ、右目だけが理知的な光でグランたちを見渡している。シャーマンは里の中の誰よりも賢く、難しい決断を下すときに、村長は必ずシャーマンの意見を頼った。
その日––––グランの姉の婚姻式だ––––シャーマンは、雷について語った。
自分がなぜこれほどに強い力を得ることができたのか……それは自分が”雷に祝福されたからだ”と。雷に打たれ、生き残った者には”サンダー・バード”の祝福が刻まれるという。それは巨大な鷲の姿をしていて、稲光と雷鳴の精霊である。
老婆はかつて雷に打たれ、眩いほどの光の中で鷲の姿を見た。鷲は老婆の肩にとまり、左目を突いた。そして飛び立った。
目が覚めると、老婆の左目は視力を失っていたが、代わりに光に溢れた未来へとつながる世界を見られるようになった––––。
歯がないために不明瞭で、喉でかすれた聞き取りづらい高音。しかし朗々と語る声と、背負った火にゆらめく老婆の黒い影。遠い山間に雷鳴が響いていた。まるで自分は世界の神秘の一端を聞かされているのではないかと、胸を打つ不可思議な感覚。
その日からしばらく、嵐がくるたびに丘に出かけたものだった。雷に打たれようとしたのだ。父に殴られてもやめなかった。結局、雷の祝福はグランには縁がなかった。
グランは思い出から意識を戻すと、手入れをしていた鍛治道具の上に布を被せ、立ち上がる。
「雷か。そいつは良いな」
小さく繰り返すと、店の表に向かう。
「え、う、受けるんですか!」
戸惑いと驚愕でジャックは悲鳴のような声を出した。どう見たって酔狂である。生真面目なほどの頑固さを持つグランが、どうして興味を抱いたのか、ジャックにはさっぱり分からなかった。
φ
メルンという名前を、本人は気に入っていない。唇を弾くように発音する”メ”には慎ましやかさというものがない。メルンは自分の性格とはまるで正反対だと思っている。
”メルン工房”という名前は、元々は祖母が名付けたものだ。メルンが生まれた歳にこの店を開業し、孫の可愛さ余ってその名前をつけた。自分の名前がついた店がある以上、メルンが跡を継ぐのは生まれた時からの定めだったと言えるだろう。
幸い、メルンには才能があった。控えめで辛抱強く、忍耐と沈黙を美徳と心得ていると自負しているメルンは、押しが強くわがままな冒険者を相手に、苦労を重ねながら防具を作って生きてきた。
メルンの人生には迷宮が深く関わっている。迷宮とは富と名声の埋まった金鉱だった。食うに困った農夫や、貧しい家族、一攫千金を夢見た若者がそこら中から集まり、迷宮に挑み、そして多くが死んでいった。メルンが作った防具を手に、死んでいった。
メルンは負けず嫌いだった。
だから防具をさらに作る。より良い革を、より洗練された型紙を、針と糸にすら質を求め、寝る間も惜しんで作り、修復し、そしてまた作る。この仕事は冒険者の命と、未来を守る仕事だと信じていた。
冒険者というのは馬鹿ばかりだ。だが、迷宮の中で何かを掴み、学ぶ人間もいる。
メルンは、人生を選ぶという考えがなかった。生まれたときから生きていく方法が用意されていた。周りを見ても同じだった。肉屋の息子は肉をさばき、帽子屋の娘は帽子作りを学ぶ。人生とはそういうものだった。道から外れるためには冒険者として穴に潜るしかなかった。
いつしか時代は変わった。
若く美しく花も恥じらう少女だったメルンも、見識と分別を弁えた老婦人となった。
冒険者も昔ほど荒くれてはいない。命を賭けてひとりで突っ込むような馬鹿はめっきりいなくなった。集団で、安全と効率を優先し、ただ金を稼ぐ仕事として、迷宮に行って、帰ってくる。
メルンの防具は評判がいい。糸にまでこだわった品質の良さに、冒険者は気に入ったと買っていく。手入れのために防具が戻ってくると、傷は少なく、オイルが塗られた跡もないことがある。
良いことだ、とメルンは思う。
傷も怪我も負わないで探索がうまくいく。それが一番だ。
けれど、もし誰の目もはばからず、主と精霊が見逃してくれるのであれば––––張り合いのないことだ、とため息をつく。
命を燃やして挑む冒険者はすっかり少なくなってしまった。
傷だらけになりながら戻ってきた山のような防具を前に、沸き立つ満足感と、燃え上がるような熱情を針に込める遠い日の思い出を、メルンはどこか恋しく思う。
「馬鹿なことさね。嫌な歳の拾い方をしちまった」
メルンは鼻を鳴らして針を置き、縫い合わせた革の具合を指で確かめる。作業台の傍には革鎧の一式が組み上がりつつある。良い仕事だ。けれど。
「––––ああ、退屈だ」
ぼそりと漏れた本音に、メルンはどっと疲れを感じた。
これこそが老いだろうか、と。老眼鏡を外して目頭をつまんだ。もう若くはない。そんな当たり前のことが実感として身体に纏わりついていた。
今日は店を閉めて休もうかね……と、ため息をついたとき。
店の扉が開き、ここ最近になって馴染みつつある声が聞こえた。物おじしない態度。どう見たって貴族の坊ちゃんのくせに、どうしてか迷宮に潜っている少年である。
少年はメルンを見つけると、手に持った奇妙な道具を指差しながら、ああだこうだと注文をつける。
「ええい、うるさいねあんたは! 何をしようってんだいっ!」
またわけの分からない依頼が来たね、ああ、なんて疲れるんだろう! 少しはゆっくりさせてほしいもんだ!
メルンは少年が何が求めているのか、その要望を聞き出していく。
「はあ? なに? 雷を捕まえたい? あんた、気は確かかい? 迷宮で? 雷を使う魔物? それなら都合の良い素材があるよ」
まったく、若さってのはこういうもんなのかね。やりたいという気持ちだけで、どう現実にするかなんて考えちゃいない。自分の身の丈以上のことをしようとするから、いつも強敵と出くわすんだ。この前のガントレットの修復なんかはちょっとした仕事になっちまったよ、あのときはしばらくぶりに特製の硬化剤を調合して––––。
メルンの背筋はいつの間にかしゃんと伸びている。口調は荒っぽく、それでいてどこか、熱がこもっている。




