075 蔡紋
「好みのタイプ?」
楓ちゃんからの思いもかけぬ問いかけに、ついついオウム返しに聞き返してしまった。
かなり前に下宿先で聞かれたことはあったけど、あまり縁がなかった質問だけに反応に困ってしまう。
それは、お昼休みでのこと。
いつもの四人で囲った席で、一足先に昼食が終わって一息ついてる俺に楓ちゃんが真剣な表情で尋ねてきた。
予想外な質問に言葉が続かずに見返していると、楓ちゃんは真っ直ぐ視線を合わせたまま重々しく頷いた。
「うん。さくらちゃんのタイプって、どんな感じなのかなって」
「それは私も興味あるかな」
同感とばかりに桔梗さんも頷く。
「実はね、さっきの休み時間、さくらのタイプって想像しにくいねって、みんなで話してたんだ」
その茜の言葉を聞いて、あぁ、だからさっきの休み時間にチラチラこっちを見てたのかと、その時に感じた疑問が氷解した。
それはそれとして、好みのタイプか……タイプねぇ。
好みと言うには、ちょっと違うんだけど、いわゆる理想像というものは持っている。
男ならこうあるべき、女の子ならこうだっていう、我ながら古くさい固定概念的なものだ。
「正直、あんまり真剣に考えたことなかったなぁ」
と答えると、三人は一斉に拍子抜けした。
俺のタイプを聞くのに、そんな気負わなくてもいいだろうに。
「そこをあえて言えば、どんなのがタイプなわけなのさ?」
なおも食い下がる茜の視線に晒されながら、もう一度考えてみる。
「強いて言えば……」
「強いて言えば?」
三人がずいっと前のめりに顔を近づけてくる。
その顔は皆一様に真剣そのものだった。
なんなんだ一体……。
熱さえ帯びた眼差しの圧力を感じながら、次の言葉をなんとか絞り出す。
「守ってくれる人。かな」
「守ってくれる?」
「そう。例えば腕力が強い弱いとか言うことじゃなくて、気概って言うのかな。自分と大切な人を守ろうって信念を貫ける人がいいかな」
三人は困惑の表情でお互いに顔を見合わせた。
「どうかした?」
「い、いや。うん。その気持ちはわかるよ。ちょっと答えが予想外だっただけで」
茜が慌てて取り繕う。
なんで慌てるんだろう。そう考えて、ある可能性に思い当たる。
「ひょっとして……答えに何か賭けてた?」
その可能性を口にすると、そうだと言わんばかりに、みんなの視線がそらされた。
「いやぁまぁその……ねぇ?」
桔梗さんは、気まずそうに茜に話を振る。
「そんなことは、なくもないっていうかー」
茜は愛想笑いで楓ちゃんに視線を向けた。
「だ、だからやめようって言ったのに!」
「そもそも楓が持ち出した話じゃない」
「桔梗もノリノリだったクセに」
「そっそんなこと! 茜が賭けようって言い出さなければ……」
目の前で微笑ましくも醜い争いが繰り広げられようとしている。
「あ~いいから。別に怒ったりしてないから」
キャイキャイと言い合う三人を、ため息とともにとめる。
「そ、そぉ? でも、さ、賭けてたわけじゃないんだ。みんなで予想してただけで」
「ふぅん。ちなみに、どんな予想だったの?」
「えっとね……」
その時、不意に騒がしかった教室が静まりかえった。
ピリピリとした緊張が走る。
何事かと見回してみると、みんなが、あるひとりの人物に注目していた。
それも、警戒しているというよりは、なにかあったらすぐに待避できるよう身構えている。
それもそのはず。
一年の超危険人物に指定されている張本人がウチのクラスに踏み込んできたのだ。
これでナニか起こらないわけがないと誰もが思っただろう。
蔡紋兼人。
入学式から、このひと月余りで、すでに二回も停学処分をくらった逸話を持つ問題児。
いわゆる厄介事の代名詞が、縁もゆかりもないA組に突如乱入してきたとあれば、まず間違いなく穏やかな理由でないと思っても仕方のないことだった。
俺と昼食の席を囲んでいる茜、楓ちゃん、桔梗さんも食事の手を止めて注目していた。
その蔡紋は、俺と視線が合うと真っ直ぐに近づいてくる。
「ちょっと! ナミキになんの用!?」
明美が蔡紋の前……じゃなくて、後ろから詰問口調で呼び止める。
これで眞由美の後ろに隠れてなければ、まぁカッコイイところなんだろうけど。
「っるせぇな。おめぇにゃ関係ねぇだろ」
「で、ですよね~。ナミキ、あとよろしく~」
足を止めた蔡紋が振り返ってひと睨みすると、明美は愛想笑いで席についた。
なにをしたいんだあいつは……。
責任を果たしたとばかりに親指を立てている明美を一瞥して、迫る蔡紋へ向き直る。
その蔡紋は、ほんの二歩ばかりの距離をおいて立ち止まった。
「…………」
「………………」
無言で反応を待っていると、蔡紋も同じく無言で立ちつくす。
しかしそれは、俺の反応を見ていると言うより、内心の葛藤を御しえないでいるからのように見えた。
「……この前はありがと。いろいろと助かった」
周囲が固唾を飲んで見守る中、やたらと高まった周囲の緊張をほぐそうと、フレンドリーな対応で声をかけてみた。
なにしに来たのかはわからなかったけど、いきなり喧嘩を売られたりはしない確信はあった。
蔡紋はしばらく黙っていたが、沈黙の空気に負けたのか、ややぶっきらぼうに『あ、あぁ』と頷き、しばし黙り込んだのちに再び口を開いた。
「これ、あん時の写真……トールさんが渡しておいてくれって」
若草色の洋封筒を机に差し出す蔡紋。
「そーいえば写真撮ってもらったっけ」
トールが記念に写真を撮りたいとか言って、使い捨てカメラを買ってまで撮ったやつか。
その写真の現像が出来上がってきたんだろう。
顔に似合わぬパステルカラーの封筒を手に取る。
封はしていなかったので、開いて中にある写真を覗き込むと、確かにあの時撮ったものだった。
「おまえ……一体なんなんだ?」
写真に指を伸ばしたところで。そんな抽象的なことを呆れ気味に聞かれる。
「なにって?」
蔡紋を見上げた拍子にクラスのみんなが視界に入る。
一応は穏便な会話のせいか、一触即発な事態ではないと見たクラスの緊張が幾分和らいでいくのがわかった。
再度視線を蔡紋に戻すと、困ったような、または疲れているような微妙な表情をしていた。
顔には出さないで内心だけでほくそ笑む。
まぁ、蔡紋の心中を思えば、この反応も無理はない。
俺のセーラー服姿を始めて見たからだろう。
初めての邂逅は男ものの学制服姿だった。
その時、俺のことを『女みたいな奴』だと思ったらしい。
なら、一応は男だと認識してたってことになる。
それがちょっとだけ嬉しかったりもした。
だから先日、街で会った時に俺だと気が付かなかったのも頷ける話ではあると思う。
あの時は自分でも変身していたと思うくらい普段の俺とはかけ離れていたしね。
そう。蔡紋と二回目に出会ったのはトールとデートしてた時だった。
服装と化粧で我ながら別人だと思ってただけに、以前少しやりあった男ものの学生服姿の俺と同一人物だと理解するのに時間がかかるのは当然なように思える。
その辺りの話は、二年C組の江藤直美さんたちを助けた後のこと。
メグたちには何にもなかったって説明したけど、実は人数を集めて戻って来た相手に掴まってしまった。
江藤さんが警察官を連れてきた時には、場所を変えるために移動したので鉢合わせしなかっただけで、しっかりとトラブルに巻き込まれていた。
でも相手が八人程度なら、トールがいればなんとかなると思ってた。
しかし、連れていかれた先に、十数人がたむろしていたのを見た時には、流石に考えを改めざるえなかった。
いくらなんでも人数が多すぎる。
トールが馬鹿みたいに強いといっても、よもや二十対二の圧倒的戦力差の前に無事では済まなかっただろう。
俺は俺で、借り物の服やブランド物のバッグを持って立ち回るのは絶対に避けたかった。
そこに救世主として突如現れたのが蔡紋だった。
後から聞いた話では、蔡紋はトールが弟分みたいに目をかけてる後輩なんだとか。
そんな意外な関係が明らかになって、世間の狭さを実感したっけ。
街中で偶然トールを見かけて、揉め事に巻き込まれてそうだったので見物するつもりでつけていたと言ってた。
最初は俺と同じく、トールひとりでも大丈夫だろうと思ってたらしい。
それが、相手の人数が増えて手に余りそうなので加勢しようと姿を現したってことだった。
その時は、ひとり加わったところで事態が好転するとは思えなかった。
けど、結果としては蔡紋が加わって、因縁付けと言うか問答してるうちにトールの名前が明らかになった途端、相手方から詫びを入れてきた。
なんでもトールが作ってたチームのネームバリューは解散した今もなお大きく、その元リーダーとコトを構える気はないという話だった。
そのお陰で、なにごともなく開放された。
結果的に何もなかったので、メグたちには話さなかったんだけどね。
その時、お礼の言葉を伝えて蔡紋と少し話しをしたんだけど、目の前の化けてる人物が、前に学校で揉めた相手だとうまく認識できてなさそうだと感じてたんだが、やはり気のせいじゃなかったか。
それから、すぐに蔡紋は、再び問題を起こして二回目の停学処分が下されていた。
その停学がようやく明けてから、今頃になって確かめに来たのか、と内心で納得する。
「自己紹介は、これで三度目だけど……一年A組、波綺さくらです。よろしく」
そう言って手を差し出す。
最初は学校の廊下で揉めたあと。
二回目は街で助けてもらったとき。
そして今、都合三回目の自己紹介をした。
手を払われるのかと思いきや、意外にも軽く握り返してきた。
「いや、こっちこそ……トールさんの彼女とは露知らず……」
キュピーン!
そんな効果音が聞こえそうな勢いで、正面に座っている楓ちゃんの瞳が光った。
……ような気がした。
「いや、いやいやいや。彼女じゃないから」
まずは誤解を解いておこう。なによりも俺自身のために。
ここで否定しないものなら楓ちゃんたちから質問の嵐が巻き起こるのが目に見えている。
「あれ? でも……デートしてたンだろ?」
キュピピィーーン!!
楓ちゃんに加えて茜や桔梗さんの瞳も輝きだした。
……ような気がした。
マズイ。ヤバイ。
この展開はハナハだヨロシくない。
前略、神様。
一体俺がなにをしたって言うんですか。
別に望んだデートじゃない。
断れるものなら断固として拒否したかったイベントが、こうも裏目裏目に出ると、あなたを恨みたくもなるってもんでしょう。
「いやいやいや。確かにデートしたけど……」
と、話したところで教室がどよめいた。
被害は間違いなく急速に拡大しつつある。
「だから、したくてデートしたんじゃないんだって。ちょっと前に妹を助けてもらって、そのお礼というか、そんな感じで」
もう誰に対してなのか不明瞭なまま、とにかく無用の誤解を解くべく説明する。
「ねぇねぇ、どこ行ったの? トールさんってどんな人?」
そんな言い訳をあっさりとスルーして、瞳を興味で輝かせた楓ちゃんが身を乗り出した。
「場所は隣町の商店街。トールは中学ん時の友人。そして、わけを話すと簡単なようで複雑なんだけど、トールは友だちだけど彼氏じゃない。オーケー?」
落ち着いて誤解であることを、ひとつひとつ噛み含めるように説明する。
つまらなさそうな楓ちゃんらのことは取りあえず置いといて、訝しげな表情の蔡紋に向き直った。
ははぁん。
混乱気味な蔡紋の様子から、どうせトールから誤解を招くような話を聞いたんだろうと目星をつける。
「ま、まぁ、姐さんがそう言うなら、俺はそれでもいいんだけど……」
「姐さん言うなっ」
即座に裏拳で胸元にツッこんだ。
なんなんだ、その呼び名は!
トールが兄貴分で、その彼女(だと勘違いしてる)だから“姐さん”なんだろうか。
しかしだ。なぜにそんな渡世仁義な世界観的呼び名をここで持ち出すのか。
……時代劇マニアだったりすのか? ひょっとして。
「わ、悪りぃ。でも……参ったな」
蔡紋は困った風に眉をしかめると、頭をガシガシと掻いた。
それにしても、見事なまでに蔡紋の態度が軟化していることに正直驚きを禁じ得ない。
と、難しい言い回しをするくらいに驚いている。
ツッコミ入れても、文句言わないどころか謝ってきたぞ?
歳がいっこ上だと話したせいか?
それとも、トールが彼女だとうそぶいたためか。
その理由がどちらにしろ、こっちとしてはすごく助かるから良しとしよう。
「参ったって、なにが?」
「いや。あの……トールさんが……いや、トールさんに……あぁ、もー。なんツったらいいのか、つまり……」
「つまり?」
なにが言いたいのか、なにを言い出すのか皆目見当がつかないまま続きを促す。
早く言え。でないと楓ちゃんら三人が発する視線の圧力が今にも決壊して雪崩れ込んできそうなんだから。
「姐さんが……いや、その……あんたが困ってたら、自分に代わって力になってやってくれって、そう頼まれてて……そしたら、当のあんたは噂とか……イジメとか? ジッサイにいろいろ困ってるみたいだから……でも、彼女じゃないなら俺が出る幕もないのかなっつーか……」
ぐぅぅ……きゅるる。
その時、しどろもどろな蔡紋のお腹が盛大に鳴った。
バツが悪そうに視線をそらす蔡紋。
一瞬だけ茜たちが笑いをこらえてる姿を睨んだが、俺と視線を交えると恥じ入るように頬がほんのりと赤くなった。
へぇ。第一印象は激しく悪かったけど、態度がこうも変われば、こいつはこいつで可愛いな。
「ひょっとして、お昼まだなの?」
「い、いや。昼飯は朝にもう食った」
笑いながら聞くと、威嚇するかのように周囲に視線を向けながら答える。
「なら、お昼は学食とか?」
「……いや、その、今月は金欠で」
そう言えばトールに、探してたジーンズがようやく買えたけど、おかげで金がないとか話してたっけ。
「ふぅん……それなら先日のお礼もあるし」
確か部活で余ってた食材が……と、頭の中で献立を考えながら蔡紋の腕を取る。
「おぃっ!?」
「ちょっと来て。あ、楓ちゃん、ちょっと部室に行って来るね」
ことの成り行きを見守っていた楓ちゃんにそう告げて、蔡紋を教室の外へ連れ出す。
そして、呆気に取られて静まりかえった教室をあとにした。




