大切なことなので二度と言わない
前回からの続きです。
(今回もゴドランのターン)
「概ねこんなところですな」
「かなわないわね」
溜まっている仕事の説明を受けてため息をつくアストリアス領主をゴドランは慰めた。
「大丈夫。これ以外の大多数はさしあたって下で進められる雑事なので、行政官どもに差し戻して検討させている」
「……かなわないっていうのは貴方よ、ゴドラン」
「はて?」
ヨーグルトのおかわりを器によそっているゴドランに、女主人はベリーを入れてもおいしいと勧めた。
「ゴドラン、貴方、ここへ来て数日でしょう? それで、うちの行政府が抱えている仕事を丸ごと把握して仕切れちゃうってどういうことなの?」
ゴドランはベリーと南方のフルーツの入ったヨーグルトを味わいながら「ここの行政官は有能で協力的だから」と応えた。
「たいしたものだと思う。皆、オルウェイで働くことに誇りと喜びを持ち、領主殿を敬愛している」
「ありがとう。本当に私は皆に助けられているわ」
柔らかい笑顔で満足そうに頷く彼女に、ゴドランは「だが」と告げた。
「それは危うさでもあるぞ。領主殿」
「えっ?」
ゴドランは口元を拭い、髭を触ってヨーグルトがついていないことを確認してから、真面目な顔で彼女を見つめた。
「貴女は信頼されすぎている」
領主殿のお墨付きというだけで、風来坊に過ぎない異国出の俺にここまで何もかも明かして頼るのは危険なことだ、とゴドランは説いた。
「貴女は保護者と崇拝者に囲まれすぎている。崇拝は盲信に陥りやすく、貴女の意思がすべてになりすぎる」
「周囲から"はい"と言う答えしか返って来ない支配者になっているということね」
「そのとおり」
ゴドランは池のある庭を振り返った。
「そして貴女は世界を見ているが、実際に離れた土地に住む者達のことを知らないし、それらの者達は貴女がいかなる人かを知らない」
「自分が世界をすべて把握できているとは思っていないし、世界が箱庭や、自分の思い通りになる物語だとも思っていないわ」
「貴女がどれほど気をつけても足らぬ。貴女は善良すぎるのだ」
改めて庭から彼女の方に視線を戻したゴドランの眼光の鋭さに、女領主はつい視線をそらし口籠った。
「……そ、そんなことはないわよ」
彼女としては、自身はかなりあくどいこともしてきたと思っているし、残酷な判断も下してきたという覚えもある。そうでなければ侵略国家の遠征軍の支援などできないし、たった10年かそこらで大経済圏の覇者になどのし上がれない。
ただ、前世からの憧れの人であるゴドランに自分がどれほど悪い奴かを説明する気にはなれず、彼女はただもじもじと下を向いた。
ゴドランはそんな彼女を見て、困ったものだという顔をした。
「貴女はより良いもの、利のあるものを提供すれば、人はそちらになびき、世の中はより良くなると思っているだろう」
意外な話をされて、世界の最前線を引き上げ続けている女領主はきょとんとした。
「そして、オルウェイ……特に貴女の周りには、その思想に賛同する者、もっとはっきり言えば、貴女の夢に絡め取られたものばかりが集まっている」
これは非常に危ういことだとゴドランは警告した。
「世の中には、進歩や良きものなどにはまったく意義を見いだせぬ者や、古くから続いてきたものを守り続けようとする者、自分より前に進む者を見ると足を引っ張りたがる者がいて、彼らがオルウェイに向ける敵意と悪意には道理が通らないということを、貴女はもっと知っておくべきだ」
貴女を知らぬ者はあなたを侮る。
貴女の業績を知った者は貴女の才覚を妬む。
貴女の叡智を知った者はその異才におののき、貴女に会ったものは……貴女に執着する。
「オルウェイ太守の妻として表に出ることのなかった頃はまだしも、女の身でアストリアスの領主となった今は貴女は自分の虚像に向けられる人々の勝手な思い込みをすべて引き受けざるを得ない」
「ご忠告ありがとうございます。しかし……」
「そんなことはわかっているとは言うな」
ゴドランは、神妙に彼の話を聞こうと口をつぐんだ女の美しい黒い眼を覗き込んだ。
「貴女は内と外の像が違いすぎる」
ハッとした彼女に、ゴドランはしっかりと言い聞かせた。
「自分が周囲にどのように見られているかを再検証しろ。いいか」
ゴドランはあらゆる礼儀を無視して、栄えあるアトーラ帝国のアストリアス領主の鼻先に指を突きつけた。
「お前は美人で魅力的だ」
「うえっ!?」
「自分に力があると思っている男はお前を所有したいと望む」
「ええっ?」
「もっと下世話に言うなら、組み伏せてさえしまえば、すべてを手に入れられると夢想する」
「うぅ……」
「それをお前は己の虚像に踊らされた愚か者の発想だと思っているだろう」
「……え?」
「それは間違いだぞ」
ゴドランは眉をぎゅっと寄せた。
「実際に自分に会って、日頃の自分を晒せば、噂は噂であり、評判など当てにならぬと気づき、こんな平凡なつまらない女だったかと落胆して、執着するにはあたらないという判断を下す。あるいは、稀代の悪女だなどという話は嘘だと思い直してもらえる。どこかでそう高を括っているだろう。……それは違うぞ」
ゴドランは気圧されている彼女の目をじっと見つめたあと、その強い視線をかなりあからさまに彼女の首筋から胸元、腰、下腹部へと移した。
彼女はそのあまりにも無礼であけすけな男の視線におののき、長椅子の上で身を引いて、羽織っている薄衣をかき寄せたが、それは単に彼女の身体の曲線をあらわにする結果に終わった。
ゴドランは苦笑ではない、征服者の不敵な笑みを浮かべた。
「いつまでも生意気な小娘気分で、大人を謀れていると思っていると、ひどい目にあうぞ」
「肝に……銘じます」
「自覚しておけ。お前は魅力的だ。外見ではない。お前の本質が人を魅了し狂わせる」
真面目な顔でそこまで言ってから、ゴドランはもう一度、彼女を上から下まで眺めた。
「ふむ。訂正する。外見もなかなかいい」
「ゴドラン様!」
ついにクッションを抱えて、身を引けるだけ引いた彼女の前で、ゴドランは楽しげに大笑いした。
「少しは反省しろ。一方的に信頼した相手を善人だと思い込むな。信頼は必要と実績に応じて与えろ。己の善意で他人を測るな」
「このような内輪の席でも毒に気を配るようなマネをしろと?」
「さっきのアレに気付く頭があるなら、日頃から心がけておけ」
「いわれのない疑いをかけたことで相手の心証を損なう可能性は考えないのですか」
「国政の中枢にズケズケ入り込んで、己の部下を掌握したよく知らぬ男を排除しようとしないマヌケだとお前を侮っているぞ、と突きつけてやるよりは、形ばかりでもお義理に警戒して見せてやる方が敬意を払っているだろう」
「南の王国の流儀には同意しかねます」
「毒蛇の巣ではそれが当たり前だ。なじめぬなどと言っていては毒蛇の巣に手を突っ込めんぞ」
ゴドランは愉快そうに、蜜の入っていたガラスの器を取り上げ、日に透かして眺めた。
「なぜそれだけに用心したのか参考までに教えていただいても?」
「蜂蜜は味が濃い。産地によって風味が大きく違うので異質な香りを誤魔化しやすい。そして先日の晩餐で貴女はこれが俺の好物だとエリオスから聞かされている」
「好物ではないのですね」
「支配階級で長生きする気なら、あれば必ず手を出す好物など作るな」
「好きになることは止められません」
ゴドランは片側だけ目を少し細めて眉を上げるなんとも皮肉そうな、あきらめの混ざった表情を浮かべた。
「できてしまったら気取らせるな」
「私の"好き"は隠せません」
「ならば、一番大切なものは何かを決めておけ。己の命か、矜持か、国か、この土地か、民という無貌の集団か……それともただ一人の人か。そのためには、それ以外の好きを二の次にできるものが決まっていれば、物事は簡単になる」
「貴方は……何が大切なのですか?」
恐る恐る尋ねてきた相手から目を逸らし、ゴドランはそらぞらしく思案顔で腕を組んだ。
「さて、俺は背負ったものすべてを失ってきた何も持たぬ気ままな身の上だからな。……貴女が褒めてくれた口髭でも大事にしておくとするか」
あからさまに人をからかう口調でそう言うと、彼は腹立たしいほど粋に片目をつぶって見せ、ニヤリと悪党の笑い方をした。
「〜〜〜っ!!」
よほど腹を立てたのか、真っ赤になって声も出ない有様のアストリアス領主を笑い飛ばしてから、ゴドランは「すまん、すまん。冗談の度が過ぎた」と謝った。
クッションを両手で抱えたまま、必死に何かを言い返そうと口をパクパクさせていた領主殿の視線が、ふとゴドランから外れた。
ゴドランは現れた人物の姿を見て呆れた。
「エリオス、お前、なんて格好をしているんだ」
「ゴドラン……なんでここにいるんだ?」
数日ぶりに見た英雄殿は、ゴドラン基準では裸も同然な姿だった。
エリオス、やっと出てきたけれどこんな有様。
ここから巻き返せるのか!?
嫁の愛は盤石だが、読者の評判は大丈夫か???
(作者は頭を抱えている)




