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青い鷹は翼を休めたい  作者: 雲丹屋


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魔女の庭

前回からの続きです。

 身だしなみを整えたゴドランは、女主人が待つという食事の席に案内された。


 裏手の小さな石段から庭園に降りて小道を歩く。広い領主館の最奥にあるこの庭園は、迎賓館や行政府にある中庭とは趣が違う。シンメトリーな幾何学的意匠は見当たらず、草木が無造作に配置されている。この城塞都市の成り立ちを考えれば、これらはすべて意図して植えられたものなのは自明だが、規則性はない。

 枝葉を刈り込んで形を整えてある木もあれば、山からそのまま持ってきたような木もある。庭園の主はどこか特定の土地の様子を現したいわけではないのだろう。植生は不自然で地方も地形も無視して集められている印象だ。ゴドランは詳しくはないが、それぞれ離れた土地で見た草木が並んで生えていると戸惑う。


 変なところだ。


 ゴドランは小石が敷かれた小道をザクザクと歩いた。なぜか小道の曲がり角に邪魔っけにはみ出している傾いた木の大枝をくぐって、顔を上げると、池のある庭園の全景が目の前に広がった。


 それはどこか、以前迷い込んだ精霊の棲家を思わせる光景だった。

 庭園はそれほど広くはないが、低い土盛や大岩の組み合わせで、実際の庭の広さよりも奥行きを感じさせる造りになっている。まるで、この世ではないどこかの世界の風景を小さな庭にぎゅっと閉じ込めたようだ。


 滝まであるのか。


 池の奥の黒っぽい岩から清水が流れ落ちている。乾燥した土地であるシャージャバルでは滝は聖なるものだが、この庭のそれはオルウェイの大水道を通って来た水だろう。造り物の滝は、まるで深山の霊水のようにサラサラと流れ落ちて、池に注いでいる。おかげで日差しが明るい日中なのにもかかわらず、ここはひんやりと涼しかった。

 贅沢な話だ。ただの酔狂でここまではするまい。


 領主館にこの量の水の蓄えがあるのは、火攻めや籠城でも役に立つな。


 思わずそう考えてから、ゴドランは、そもそもこの領主館が攻められるような事態にならないように、何重にも手が打たれているここの施政を思い出して苦笑した。

 その昔、己が戦場で一番力を発揮すると評価されたのを思い出す。

 なるほど、自分など一軍の将を果たすのがせいぜいというところなのだろう。どうしても発想が戦になるあたりが人間が狭い。国主、領主ともなれば、世界を己の庭のように展望できる広さが必要なのだろうに。


 ゴドランは池の端を歩きながら、この庭の主のことを考えた。

 うら若い女領主。

 ゴドランよりも10歳は下だろう。最初に出会ったときは、生意気な小娘という雰囲気があったくらいだ。

 アトーラで生まれ育ち、そことオルウェイぐらいしか知らぬはずなのに、その手に世界を握る女主人。

 彼女が己の屋敷の最奥に、自分のために造った憩いの場が、アトーラの風景ではないというのは意外だった。この現実には存在しない場所が彼女の原風景だというのだろうか。


 オルウェイの魔女は異界に棲まうものであったか。


 ゴドランは己の思いつきをバカバカしいと笑った。

 彼女は、会って話をすれば普通にかわいらしい女性だ。ユーモアをかいし、少しからかえば頬を染める。

 だが、彼女が周囲にもたらす影響は圧倒的だ。今や"オルウェイの"という言葉が表す意味にはオルウェイ側が意図的に広めようとした「美しい」「高品質の」というイメージだけではなく、斬新、奇抜、トンデモナイというニュアンスが含まれる。

 オルウェイに来て、行政府で数日過ごしてわかったのは、オルウェイの新しさはその物や形ではなく、発想と方法の革新だ。これをもたらしたのが、ただ一人の女というのは、にわかには信じがたいほどである。


 魔物、精霊の妖術の類いでないというならば、一体何をどうしたらこんなことになったのか教えてもらいたいものだ。


 ゴドランは、池のほとりにある小さな庵を前に立ち止まった。これまでオルウェイで見てきた建築物と比べると、粗末で取るに足りない小屋だ。石と日干し煉瓦の国で育ったゴドランの目にはとても風変わりに見える。アトーラ様式でも、ゴドランがこれまで見てきた他の地方の様式でもなさそうなその簡素な小屋は、草と木と土でできていた。


 不思議なところだ。


 滝の微かな水音がずっと聞こえているのに静謐さを感じた。

 ゴドランは教えられていた通りに、小道に沿って小屋の外側をぐるりと回り込んだ。




 食事の席は、池を臨む広い張り出し縁に用意されていた。

 卓の奥に置かれている籐の長椅子は、座面が低く、アトーラ風の臥式の晩餐用のものよりは一回り小さいが、それでもたっぷりとした広さのものだった。大きな背もたれから肘掛けまでが優美な曲線を描いて一体となった形は実に"オルウェイ的"だ。


 アストリアスの領主は、そこにゆったりと身を横たえていた。


 沢山置かれている色鮮やかなクッションに、半ば埋もれるようにして背もたれに身をあずけている彼女を見て、ゴドランはハッとした。

 彼女は、ドレープの多い白い長布を飾り紐とピンで留めるアトーラ風の装いの上から、霞のような薄布を羽織っていた。薄衣は彼女の素肌を覆い、日差しと人目から緩やかに彼女を守っている。その喉元と手首には細かい細工を施された幅の広い金の装身具が着けられていて、明るい日差しにキラキラと輝いていたが、ゴドランが思わず目を細めかけたのは、そんな飾り物のためではなかった。

 彼は内心の動揺を一欠片も表情に出すまいと精神力を総動員して、穏やかな外交用の笑顔を維持した。


 アストリアスの女領主は、このたった数日で、ゴドランが知っていた彼女とはまるで別人の雰囲気になっていた。これまで彼女は、絶大な権力を握るオルウェイの女主人でありながら、時が止まった蕾のように、どこか少女のような無邪気な快活さと頑なな清廉さを身にまとっていた。だが、今の彼女は鮮やかに花開き、蠱惑的な物憂げさまで湛えて、女としての幸福に光り輝いていた。


 ゴドランは目を伏せて、こんな私的な場にも関わらず、王国で王族の女性にする類の礼をとった。


「奥様におかれましてはご機嫌麗しく恐悦至極に存じます」

「嫌ですわ。そのように堅苦しいあいさつを。どうぞ顔をお上げになって、おかけくださいませ」


 促す彼女の声はやや掠れていたが、ゴドランは素知らぬ顔で彼女の向かいに座った。


「遅い朝食になってごめんなさい」

「いえ、自分も明け方に寝て、すっかり寝過ごしたので」

「簡単なものしかご用意できていないのですけれど、お好きに取り分けて召し上がって」


 卓上に並んでいるのは、アトーラ風のパンと珍しい果物。薄切りにされた塩漬けの脛肉や茹でた腸詰め。果菜の酢漬け。チーズ。そして生の野菜という実にオルウェイ基準の"簡単な"メニューだ。腸詰めの載った銅の皿はよく見ると二重底で、中に湯が張ってあり温かく保たれている。腸詰めの色や形が違うのは、作り方にばらつきがあるのではなく、味が違うものを盛り合わせているからだろう。

 ゴドランは、モコモコと盛り上がった円形のパンの一片を千切り取ると、黒と緑の粒が透けて見える白っぽい腸詰めをつまんだ。

 これは美味かったやつだ。ここの料理人は香草や香辛料を見栄ではなく味のために普段使いする。

 ガブリとかじると温かい肉汁があふれ香草の香りが鼻に抜ける。歯で噛み切ったときに肉汁が飛んだりこぼれたりしないようにパンで挟むというのは、行政府の仕事メシで教えてもらった方法だが、肉汁を吸ったパンも美味いという、いかにも効率大好きな連中が思いつきそうな行儀の悪い最高の食べ方だ。堅パンでも美味いが、オルウェイのこのパンは香ばしいのに柔らかいので相性がいい。特に領主館で出るパンは上質の麦の粉だけを使っているのか製法がいいのか、他所のものよりもずば抜けて美味いので大変味わい深い。

 塩漬けの脛肉の薄切りは美しい鮮紅色で、遠征の保存食の塩漬け肉とは完全に別物だ。こちらの皿に添えられている黒いパンは、少し堅めに焼いたものを薄切りにしてあり、ライ麦の酸味に加えて、柑橘と胡椒の味がする。薄切り肉に柑橘を絞ったり胡椒をまぶすのではなく、パン生地に練り込むなどということを考えついた奴は悪魔に魂を売ったのかもしれない。当たり前のように緑色のオリーブオイルが小皿で添えてあるあたり、食べる側の魂も取りに来ている気がする。

 腹が減っていたわけでもないのについ勢いで二切れ平らげたゴドランは、リムスの果汁水をグラスに注いで一息入れた。いい歳をした男がこういう場でがっつくのはみっともない。


 卓の向かいでは、女主人が微笑ましいものを見るようにこちらを見ていた。ゴドランは酸っぱい果汁水にやや眉をしかめ、「大変美味しい」と料理を褒めた。

 彼女は笑いながら、小ぶりの木製の椀に焼押麦とナッツと乾果を取り分け、もったりとした乳のようなものをかけた。


「それは?」

「牛の乳から作ったヨーグルトよ。よろしければお試しになる?」

「いただこう」


 ゴドランは彼女と同じように木製の小椀に諸々をよそってみた。


「ここ数日、行政府に通ってそこの者達から学んだことがある」

「なんですの?」

「貴女は隠れて美味しいものを食べているから、ご相伴に預かれる機会があったら逃してはならない」

「まあ、いやだ。そんなふうに言われてるの?」

「冗談ですよ。だが実際、ここの食事は美味しい。うっかりすると肥え太って動けなくなりそうだ」

「太った黒龍なんて想像できないわ。でもだとすると、これは控えたほうがいいかしら」


 彼女はクスクスと笑いながら、ガラスの器に入った金色の蜜を自分の椀に垂らした。甘い香りの芳醇な黄金がとろりと落ちて長く糸を引く。


「いただこう」


 ゴドランは自分の椀と彼女の椀を交換した。思わず動きを止めて瞬きをした彼女の手から蜜の器を取り上げる。


「貴女もいかがかな?」


 そう来たか、とちょっと子供っぽい顔でむくれてみせた彼女は「いただきますわ」と答え、ゴドランが入れようとした量を見てから「たっぷり」と付け加えた。

 ゴドランは笑みを浮かべ、わざとらしい態度で、うやうやしく目礼した。


「では領主殿には、これからしっかりと仕事をしていただく報酬の前払いを」


 返事を待つことなく甘い蜜が椀に落ちる。アストリアスの領主の甘い休暇は終わった。


「ご用件伺いますわ。急ぎの案件でしたわね。食事をしながらでもよろしい?」

「もちろん。領主殿の流儀で」

「貴方と一緒にいるときは、仕事をしながら食事をする羽目になることが多いわね」


 いつもこんなことをしているわけではないのだと言い訳がましく言う彼女に匙を渡して、ゴドランは概要から手短に説明を始めた。


エリオスの登場間に合わなかった……。

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― 新着の感想 ―
奥様が幸せそうで何より。何よりなんですけど〜それを見せつけられるゴドランの心中を思うとねぇ。 「一角獣の赤い糸」ではこれより更にイチャイチャしながら一緒にゴハン食べてたんだろうと脳内補完しておきます。…
朝食にヨーグルトを掛けたミューズリ。いいですよね。 小石が敷かれた小道をザクザク歩くところで、それって本当に通り道?とびくびくしていたら、本命は池泉回遊式庭園でしたか。しかも借景なし(というか借景に…
胃袋を鷲掴みにされました。私が。 昼ご飯、食べたんだけどなー。 奥様ナイス日本庭園とか、日本庭園がゴドランにはそう見えるのかとか、戦場で一番力を発揮する=主の器ではないという自己分析とか、薄布が隠し…
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