黒龍は眠りたい
ep.50 目と目で通じ合う……その後のゴドランさんの話です。相変わらずかわいそうです。
「いい加減にしろ!」
ゴドランが怒鳴る羽目になったのは、よく晴れて青空が爽やかな昼中だった。
§§§
ゴドランという男は、生粋の支配階級だ。シャージャバルという今はなき小国の第一王子として生まれた彼は、王位を継ぐ者として育てられ、シャージャバルが征服されて、南の王国の属国化されたあとも、その地の公領主として実質的統治者を務めた。
その後、アトーラとの戦で味方に裏切られ捕虜となったものの、戦争奴隷にはならず、彼はそのまま遠征軍の将として隊の指揮を執った。
つまり、彼はその生涯を中間管理職として過ごしてきたのである。
そういうわけで、オルウェイの行政府に席を用意されて日も浅いのに、ゴドランは部下になったばかりの行政官達から切実な陳情を受ける羽目になっていた。
「お願いします。どうかゴドラン特別顧問殿から一言……」
「なぜ、俺に頼る」
何とかしてくれそうな感じがする。
あの規格外と渡り合えそうな強者感があるけれど、まだ人の道理が通る。
領主殿の信頼が厚そうだったから多分いける。
慣れてるとみた!
お前が連れ帰ったんだから責任取れ。
ゴドランを囲んでいる執務室行政官部下一同は、喉元まで出た本音をぐっと飲み込んだ。
「我々、行政官は領主館の奥には立ち入れません」
アストリアス領主はプライベートをほとんど仕事に捧げてはいるが、その分、プライベートは大事にする人なのだそうだ。
「急用ならば、家の者に取り次ぎを頼めばよいではないか。イリューシオといったか……あやつならお主らの味方になってくれるだろう」
「イリューシオは領主殿第一です」
「絶対に気が立っているであろうあの男に、この件で話を持っていける勇者は、奥働きの行政官なんてやっていません」
「そんな案件を俺に回すな」
「特別顧問殿は領主殿の私的な客人扱いで奥の客間にお泊りと伺っております」
「ここ二日はろくに帰れておらんがな」
ゴドランは、特別顧問という本来なら名誉職のような役職についた自分に、これ幸いと仕事を持ち込んでくる奴らをジロリと見た。
§§§
この数日、ここの行政官が"相談"と称してゴドラン相手にやっていることは、へたな捕虜への尋問よりもたちが悪かった。
現地で実情を見てきた指揮官階級に質問し放題という状況は貴重なため、着任早々、外交、交易など各部門の者が切れ間なく押しかけて来ては、西方諸国の事情などを根掘り葉掘り聞き出しにかかったのだ。
ここでの自分の立場をつかみかねていたゴドランは、一通り真面目に応対した。そして真面目に行政職をやらせると、彼は恐ろしく有能だった。
特別顧問殿は回答が簡潔で的確なので大変ありがたい。無駄なことを言わず、こちらの要望と時間の余裕に応じて、話の要点をかいつまんでくれる。しかも時間に余裕がある時に、より詳細に知りたいと言えば、かなり深い考察付きで関連情報が出てくる。聞いたことじゃなくて知りたかったことの答えが出てくるのはなんなんだ……。
ゴドランが、ものすごく便利な相談役であるという噂は、本人の知らぬうちに野火のごとく行政府に広がった。
オルウェイ式の単位系と暦が頭に入っていて、かつ従来の南の王国式の暦法にも通じており、天文学は天部院のアトラスのお墨付きだとバレてからは、専門外の測量の話まで持ち込まれた。オルウェイでは知的上位階級にあたる行政官とはいえ、天部院の天才達の提唱する概念を実業に落とし込むのには細かい苦労があったからだ。なにせ天部院の者は呼吸するように高度な概念を専門用語で語り、噛み砕くということを知らない。
その点、ゴドランは相手に合わせて必要な情報を補足しながら物事を説明するのが非常に巧みだった。彼はシャージャバルという小国の出身で、南の王国内でも異民族扱いであったし、一角隊という寄せ集めの外国人部隊を率いていたので、習慣や常識という基礎知識や知能レベルが異なる人の間で、客観的事実をベースに話をするのに慣れていたのだ。
中央の天部院から行政府に送られてきた資料の補足説明程度は、ゴドランにとってはなんということはなかった。エリオスとアトラスの勉強会の"通訳"に比べれば、この程度、一般人同士の書簡の読解に過ぎないではないか! というわけだ。
現場の担当者達にとってはこの特別顧問は神からの授かりものも同然だった。
日頃、領主から報告における主観と客観の切り分けと、コンテクストという概念を指導されていた行政官達は、そのお手本を目にして、なるほど、これがあの領主殿が熱望して迎える男かと納得した。
そして二日目ともなると、ゴドランのところに押しかけていた面々は、彼の価値は西方諸国の事情や難解な専門文書の解説どころではないことに気付いた。
アストリアス領の行政官は、アトーラのユスティリアヌス家付きだった者がそのまま現領主の輿入れについてきたのが中核で、残りは才覚で採用された者たちである。つまり、これまでアトーラ内に新設されたアストリアス領の政務は、属州統治というものがよくわかっていないメンバーが試行錯誤で行っていたのである。アトーラ自体が若い成り上がり国家であるために、中央からの指示もざっくりしたものだったので、政治的課題は山盛りだった。
オルウェイ市周辺だけではなく、アトーラ南方を広く含むアストリアス領は、地続きの領地以外にも、水源や採掘場といった飛び地や、航路でつながる港湾都市を多く抱えており、拡大を続ける植民都市とともに、その管理はアトーラはもちろん世界でも前例のない規模だった。
オルウェイの政府の中心にいたダンダリウスは中央官僚といえる身分で元老院議員に近い男だったが、彼にしても属州運営などしたことはない。現在、ダンダリウスがオルウェイを留守にしているのも、山積した難題の解決のために直接アトーラに出向く羽目になったからなのである。留守中の引き継ぎはされているとはいえ、差配の要であるダンダリウスがいない状態で、アストリアス行政府は四苦八苦していた。
そこに現れたのがゴドランだった。
斜陽とはいえ歴史ある大国である南の王国の複雑な法体系の下で、属州を統治していた実績のあるゴドランは、アストリアス行政府が持たないノウハウの塊だった。
「なぜ、もっと早く……再建初期にはオルウェイにいらしたんでしょう」
恨みがましくそうこぼした行政官に、ゴドランは現領主の差配だと答えた。
「俺が一番俺らしくいられるのは遠征軍だから、あちらを任せると言われた」
遠征軍の戦況分析もやってきた古参は、そう言われるとぐうのねも出なかった。公式発表の戦功では出てこない分も合わせて、黒龍将軍の功績が並々ならぬものであるのを、彼らはよく知っていたからだ。
「でも、せめて遠征終了時に軍とともに帰還していただけていたら……」
「なんだ。西海の果てで鷹を死なせてきたほうがよかったのか」
そうだったら俺はオルウェイをあの人ごと獲りに来ているぞ……とまでは口に出さず、ゴドランは苦笑に近い加減でニヤリと笑った。
「ううむ。これは無駄な苦労をしてしまったかな」
「い、いえいえ、そんな!」
「我ら皆、領主殿のためにも鷹の帰還あることを心より望んでおりましたゆえ」
「誠にありがとうございます」
え、この人、英雄エリオスに助けられて生き延びた側じゃなくて、この人いなかったら、英雄エリオスが死んでたの? と目を白黒させながら、行政官達は口々に礼を言った。
こうして行政府で尊敬と信頼を瞬く間に勝ち取った結果、ゴドランの待遇は……悪化した。
これはオルウェイではよく起こることなのだが、優秀な人材は最適な働かせ方が判明するまで、ありとあらゆる仕事に引きずり回されるのである。結果としてゴドランは食事の時にも、雑談のふりをした相談や情報収集につきあわされた。幸い、というか不幸なことに、というべきか、本人はそれを苦に思わない男だった。長い遠征とエリオスとの放浪で、この元王子様は雑な生活に慣れきっていたのだ。
南の王国の王宮の間取りを木切れを置いて説明していたゴドランは、一口噛じったばかりの自分の手元の軽食に、ふと目を落とした。それは麦の粉を練った皮で具材を包んで蒸したものを焼いた焼饅頭だった。噛じった部分から、刻んだ根菜類と肉やキノコを煮詰めた具がのぞいて、肉汁が滲んでいる。
「どうかなさいましたか」
「いや……もし、食事のことで配慮してもらっているなら、気を使わなくていいぞ」
「えっ!? はい、申し訳ございません! 特別顧問殿にはちゃんとした食事を提供するように手配します!」
「いや、そうではなくだな。昼の軽食だ夜食だと、ずいぶん手の込んだものを、こまめに毎回違う種類で差し入れてもらっているが、無理に上質なものを用意しなくとも、堅パンでも何でも、もっと諸君らが日頃食べている普通のもので十分なのだが」
その場にいた行政官達は、顔を見合わせてから一斉に謝罪した。
このところゴドランに出されていたのは、業務が極限まで忙しいときに、仕事をしながらでも食べられる"仕事メシ"であり、普段は皆、専用の食事室でもっと食事らしい食事を食べていたのだ。
「本日の夕には本館の食事室にご案内します」
「帰らせてもらえる方がありがたい」
そういえば、この人はオルウェイ最高の食事が出る領主館に滞在しているのだったと気付いた一同は、改めて一斉に謝罪した。
そして、その夜は行政府本館の食事室で特別顧問の歓迎会がささやかながら内々で開かれた。
§§§
そんなこんなですっかり職員一同と打ち解けた(?)ゴドランに、彼らが目下最大の問題を持ち込んだのは当然だった。
「お願いします。これ以上、領主殿のお出ましがないと決裁が致命的に滞ります」
「ご夫君が奇跡的にお戻りになって、ご一緒に過ごされたい時期であることは百も承知の上です。無粋とは思いますがそこをなんとか」
視察や急病などで領主が不在時の対応に関しては、日頃から取り決めがなされていたらしい。しかし、今回は急だったために、やりかけで引き継ぎがしにくい案件や、対応方法が不明な緊急案件があるうえに、領主館にものすごく使いが出しにくいのだ、と行政官達は切々と窮状を訴えた。部下が上司の新婚の床に業務報告書を持ち込んで決裁を迫るなんて、とてもできたものではない。しかも、ここで働くもの全員が、敬愛する領主がどれほどその夫を深く愛していて、その不在に心を痛めながらも健気に平静を装っていたかを知っていた。
「鷹帰還の噂はすでにオルウェイ全市域に広まっています。公の披露目をどうするかだけでも早急に決めなければなりません」
「不正確な流言飛語を野放しにすると治安にかかわります」
「市内に関しては、オラクル市長が責任を取って……ごほん…責任をもって管理しております。ただし、アトーラ及び諸外国への対応が遅れるのはよろしくないかと」
とにかく、ダンダリウス不在というタイミングが致命的だったらしい。プランは作れるが方針と決定権が不明確なために、動けないと職員一同は嘆いた。
「青い鷹の帰還祝いで半端なことをしてしくじったらと考えると、それだけで脂汗が出て気が遠くなります」
「大げさな」
「貴方は領主様がどれほど常軌を逸しているかご存じないから!」
「う……うむ」
"常軌を逸している"という表現の最近の用法についてアトーラ語を理解し損ねているかな? とゴドランが内心で首をひねっている間にも、陳情だか恨み節だかわからない説得は続いた。
「わかった。俺が請け負ってやろう」
「ありがとうございます!!」
ただし、とゴドランは周囲の行政官達をジロリと睨んだ。
「お前らが領主に判断を丸投げしようとしている緊急案件とやらを一式並べてみせろ。要領を得ない話を持ってきやがった奴はケツを蹴り上げてやる」
ゴドランを便利な知恵袋か親切な賢者のように思っていた者達は、彼が"黒龍"と呼ばれる理由を思い知る羽目になった。
§§§
苛烈なダメ出しと選抜の末、優先度を振り分けられて4分の1になった案件の一覧を持って、ゴドランは翌未明に、領主館に戻った。
「おかえりなさいませ」
「今日は昼過ぎに出仕する」
「すぐにお休みになられますか」
「領主殿はもう起きていらっしゃるか」
「いいえ」
「お目通りを願いたい。お目覚めになられたら、行政のことで内々にご相談したいことがあると俺が言っていたとお伝えしてくれ。彼女の支度が整うまでに俺も少し仮眠を取らせてもらうとしよう」
「では、朝食の席をご用意いたします」
「うむ。失礼のない時間で起こしてくれ」
ゴドランが起こされたのは、日がすっかり高くなってからだった。
長くなったので以下次号!
(すみません。冒頭のシーンまで行けなかった)
いよいよバカップル状態の奥様とエリオス登場なるか!?




