花嫁の織布1
遠征軍時代のお話です。
小さな集落だった。
丘の上に建っている家々は、石造りと言ったらアトーラの石工が一緒にするなと激怒しそうな素朴な造りで、整形していない大小の石を積み上げただけだった。屋根は乾燥させた植物らしきもので葺いてあり、開口部には板戸や織物ではなく、元の動物の大きさが当てられそうな皮が下がっている。
「これは、宿営地にはならんなぁ」
ルーカスは丘の手前で馬を降りながら苦笑した。同じく下馬した彼の同行者も頷いた。
「この丘の東側の草地か、川一つ手前に、いつも通り自前で設営した方が良いだろう」
アトーラの軍が移動の都度、組み上げる宿営の方がよほど整然として立派であり、おそらく兵たちにとっては居心地も良さそうだった。
「東側は牧草地じゃないのか。止めておこうぜ」
「ああ、そういえば何かいるな。ヤギや牛ではないな。毛長牛かもしれん」
ヨーはこの地方に来て見かけるようになった家畜だ。このあたりはアトーラと家畜も作物も違う。ここの麦は雑草みたいな穂でさほど穫れず、農業は家畜の放牧が中心だ。
「相変わらず目がいい奴だ。この夕暮れ時によく見分けるもんだ」
鷹と渾名される男は「これでも物見上がりだ」と何でもないように応えた。
「見えはするが俺は気が利かん。一緒に来てもらってよかった」
「この程度のことで持ち上げんなよ。調子に乗るぞ」
ルーカスは満更でもなさそうな顔でニヤリと笑った。
「今回は揉め事禁止なんだろう? 慎重に行こうぜ」
集落脇の放牧地を軍の宿営地にして荒らした挙句、家畜が兵達の胃袋に収まると、この後のホルヘ領主との会談に差し支える。
遠征中の軍の目的はアトーラの領土拡大ではあるが、手当たり次第に戦争をふっかけて征服すればよいというものでもない。その地域の勢力図を見定めて、今のところ友好的にしていた方が良いところとは協定を結ぶこともある。
この先に城塞があるホルヘもそのような国の一つで、事前に使者をやり取りした結果、トップの秘密会談で和平協定を結ぶ手筈だった。
城塞を大軍で取り囲んで、軍装で派手に乗り込むなどという真似をすると、相手の神経を逆なでするのは確実なので、今回、彼らは軍団を置いて出てきていた。できるだけ目立たないように、この地方の服を調達までして会談に臨むのに、つまらない揉め事でご破算にはしたくない。
「馬はここまでにしよう」
服装はなんとかそれらしくしたが、軍馬と馬具は誤魔化しようがなかった。アトーラ軍の中でも異質なぐらい、遠征軍の騎馬隊の装備は特殊で、お忍びには目立ちすぎる。
ここからは二人で歩いていくと言って、彼らは随伴していた部下に馬を託して後続の隊に戻らせた。
「軍から抜け出してこうしてフラフラ自由に歩くのは久しぶりじゃないか」
「お前は時々、抜け出して遊びに行っているだろう」
「はっはっは。今度、お前も一緒にどうだ。皆が花街に繰り出すときでも、お前一人しかめっ面して留守番を決め込んでいるだろう」
「俺が行くとシラケるらしいからな」
「はっ! おモテになる色男様は言うことが違うねぇ」
自身もかなりの美丈夫で、部下や同僚からは「一人で全部の女にモテようとするのはヤメロ」と怒られている男は、カラカラと笑った。
遠征前から付き合いのある二人は、部下の耳がないのをいいことに、互いに気安い無駄口をききながら夕暮れ時の丘を登っていった。
「なんだか賑やかだな」
「騒乱ではなさそうだが、ただの炊事の灯りと煙ではないな」
「祭りか?」
日が落ちた薄暗がりにずんぐりと黒く建ち並んでいる家々の間から、不似合いに明るい篝火の灯りが見える。風に乗って聞こえてくるのは、陽気な調子の音楽のようだ。
「俺達の歓迎会かな」
「だとしたら、秘密会談は失敗だ」
「そりゃそうだ」
二人は、人が集まっているらしい集落の中心に向かった。
§§§
「孫の婚姻の祝いなんですじゃ」
老人はまばらになった歯を見せて笑った。
「どうぞ一緒に祝ってくだされ、旅のお方」
祝い事に余所者が混ざっていいものかと尋ねると、旅人は吉兆なので是非と言う。
集落の中央にある他より一回り大きな家の前には鉄の台座が置かれており、篝火はそこで焚かれていた。その周囲の家にも、普段はないであろう灯籠が掲げられている。振る舞い酒が出ているのだろう。村人は皆集まって騒いでおり、太鼓や葦笛の演奏もほろ酔いの者達が代わる代わる好きにやっている様子だった。
宴の主役である若い男は、大きな家の前に置かれた主賓席に座って篝火に頬を紅潮させていた。こういう儀礼の場での正装なのだろう。色鮮やかな織物を左肩に掛け、裸の胸に石のビーズの首飾りを幾重にも垂らしている。
「見事な織物だな」
「そうだろう! 旅のお方。良いところに目を止めなすった。あれは花嫁が織ったのだよ」
このあたりの娘達は、年頃になると将来夫になる人のために結婚式用の布を織るのだという。
「想い人のためのただ一枚だ。うらやましかろう。ワシも持っておるぞ」
顔をくしゃりとさせた老人は、今は亡き妻がいかにいい女で、自分に惚れていたかを延々と話し始めた。さすがに見かねたのか、そのうち家人が呼びにきて、他の客への挨拶があるからと連れられていった。
「すごいジジイだな」
「どうやらここの集落の長のようだ」
老人の孫というのが、今夜の主役の花婿の方なのか花嫁の方なのかはわからなかったが、どちらにせよあの花婿は将来的にはここの集落をまとめる地位を継ぐはずの男なのだろう。眼尻に炭を、鼻筋に白い顔料を引いた顔は精悍で、焔を見つめる眼差しは鋭い。
篝火の前に座る花婿の緊張した面持ちには、強い覚悟が浮かんでいた。
「ガチガチだなぁ。これから嫁さん貰うってぇのに可哀想に」
「言ってやるな。無理もなかろう」
いつの間にか振る舞い酒の酒杯を勝手に貰ってきて一杯やっていたルーカスは、おかわりを注ぎに来た若い娘の腰を抱いた。
「君はもう布を織り終わってる?」
「ルーカス、よせ。怯えてるじゃないか」
頭一つ以上背の高い、筋骨逞しい美丈夫に迫られて、若い村娘は赤面せずに青ざめていた。彼女の震える手から小ぶりの酒壺を取り上げると、ルーカスは女が全然安心できない顔でニンマリと笑った。
「ゴメンよ。おわびに余興を披露しようじゃないか」
ルーカスは「俺が戻るまで誰もこいつを飲むんじゃねえぞ」と言って酒壺を預けると、篝火の方へ悠々と歩み寄った。
「皆々様に申し上げ候。今宵、めでたき席にお招きいただいた御礼に、一差し舞わせていただきましょう」
よく通る声で呼ばわれば、何事かと一瞬静まった者たちも、すぐにやんやと喝采した。
「さてと……」
ルーカスは篝火から、くべられたばかりの手頃な大きさの薪を2本引っ張り出した。端が燃えているのにも構わず、それを両手に持って座の中央に出る。そして何事が始まるのかと見守っていた周囲の楽器持ち達に「いっちょ賑やかなのを頼むぜ」と声をかけた。
「ハッ!」
夜気を払うような一声とともに、彼は火のついた薪を両手に持ったまま、大きく腕を振って踊りだした。慌てて演奏を始めた奏者の音楽にのって、披露されるその舞は激しくダイナミックで、舞踏と言うよりは焔の精霊の武闘のようだった。力強い腕が回す燃えさしの薪の先の炎が消えた後の輝きが、赤い光の輪になって闇の中に浮かぶ。
それは、ルーカスが得意として、隊の宴会でもたまに披露している奇妙な舞だった。
「……目立ちたがりやめ」
酒壺を渡されたまま苦笑していた連れの呟きを知らぬまま、ルーカスの演舞はさらに激しさを増し、クライマックスを迎えた。
笛や太鼓が大音声で鳴らされ、曲がピークとなったその瞬間。
ルーカスは両手の薪を篝火の向こう側にいた自分の連れの両脇に投げつけ、その連れ自身は手に持っていた酒壺を自分の背後にいた男に叩きつけた。
酒壺が割れる音と、背後の男が振り上げていた家畜屠殺用の大槌が落ちる音が響いた。槌を取り落とした男は昏倒し、その両脇にいた男達は、火傷を負った手首を押さえて呻きながら、剣を取り落とした。
黙りこくった人々のただ中で、篝火の燃える音だけがした。
「うちの大事な大将の背後を突こうたぁ、太てぇ奴だ」
「貴様ら、この村の者ではないな。ホルヘ城塞の兵か」
ルーカスの”大事な大将”は、不意に襲われたとは思えない冷静さで、襲撃者の剣を拾うと、片方をルーカスに投げた。
灯籠で照らされていた家々の物陰から、村の者とは少し様子の違う男達がゾロゾロと現れた。
「いまさら気づいても遅い。ノコノコと単身で誘い出された己の間抜けさを恥じるが良い」
「誰が単身だ。ちゃんと俺がついてきているだろう。この非常識英雄を野放図に一人歩きなんてさせるものか」
「ルーカス……挑発にのるな」
「いや、コイツら田舎者すぎてアトーラの青い鷹の恐ろしさを知らなさすぎるから、ちゃんと言っておかないと。いいか、お前ら。その手の罠にコイツをはめようとするのはヤラレ役の定番行動だぞ。どうせこいつ初っ端から全部見えてる」
「……ルーカス」
意味不明だが嘲られているのであろうことは伝わるやりとりに、ホルヘ城塞の兵達は痺れを切らして、二人に襲いかかった。
オルウェイ領主にしてアトーラ遠征軍軍団長の無敗の英雄エリオス・ユステリアヌスと、その大隊長にして戦友である"戦神の寵児"ルーカスは、同時に剣を構えた。
大ピンチ!(敵が)
主人公が強すぎると危機が引きにならないのは困ったものです。……解決編は次回!




