現と幻の狭間4
オルウェイ太守の凱旋パレードは万全の態勢で華やかに行った。
なんといってもオルウェイの再建に着手した当時から、この事あるを予測してすべての開発スケジュールを組んでいたのだ。抜かりはない。
たとえ市街地本体が開発途中だろうが、水道がぜんぜん引けていなかろうが関係ない。港の整備ができていないからなんだ。湾に突き出る桟橋群?ガレー船と商船のドック?北海まで航海可能な大型軍艦の造船所?そんなものはまだ仮設でも建築途中でも構わない。オルウェイ艦隊の出番まであと3年は猶予がある。
私は厳格な優先順位で工期を定め、今、この時にだけ必要な凱旋パレードのための大通りを、城壁正門外正面に整備した。将来的には、世界各地から集まる物品を商う公共空間になる予定の土地だ。もう一等地となる敷地の区割りと出店権は資金提供者に割り振り済み。凱旋通りが凱旋パレードに使われるのはこの一度きりである。そこまで割り切って、全部をこのハレの日に投資した。
だって、オルウェイが己の主を迎えるのは、ただこの時だけだから。
宣伝、広告、民意高揚、サクラにステマ、組織動員なんでもやった。オルウェイ市民だけではなく、周辺諸都市や領内の農村からも人をかき集めた。式典参加のためのパックツアーだの公共シャトル馬車だの、我ながらちょっとどうかと思う手段までヤケクソで盛り込んだので、お祭り騒ぎはそれはもう大変に賑やかで、こんな田舎の未完成な小都市としては破格に盛り上がった。
群衆管理の担当は、事前の入念な教育だけではなく、先にアトーラで執り行われた凱旋式典に”応援”人員として参加させることで実地訓練もさせた精鋭だ。花綱飾り付きの行列管理用ポールなんてほぼオーパーツまで用意させた私は文化史の破壊者だが、後悔はない。
すべてはノートラブルで大群衆の歓呼の中のパレードを成功させるためだ。
当日の天気?
ちゃんと神殿にお供えを捧げて祈祷も頼んだし、風読みのプロの予想も参考に日程は組んだ。
結果は快晴!
ちょっと時代設定とこの地域の文化基準を無視したレベルの盛大な飾り付けを施された大通りを、このオルウェイの太守である英雄エリオスの率いる軍は、定刻通りに行進し、群衆の万歳の歓声に迎えられた。
「オー・ラ・アトール!」
「オー・ラ・オルウェイ!」
通りには各隊の軍旗と同じ意匠の、色とりどりのフラッグのポールがずらりと並ぶ。その間を隊ごとのシンボルカラーを身に着けた軍団が整然と行進する様は壮観だ。高い空に、この日のために作らせた大きな太鼓と銅鑼の音が響く。”鳴り物入り”って慣用句、もう今日から使っていいんじゃないだろうか。
「オー・ラ・アトール・ユステリアヌス!」
「ラ・エリオース!!」
軍団長エリオスの登場で一際歓声が高くなる。若き英雄は凱旋式用の2頭立ての2輪戦車に乗って、悠然と群衆に手を降っている。
……本当はこの日のために作った派手な式典戦車があったのだが、執政官用の4頭立て4輪をただの太守のエリオスが使うのは政治的によろしくないと、ダンおじさまのストップがかかった。
2頭立てに甘んじた分、装飾はオルウェイ流全開で行かせてもらった。
戦車の両脇を飾る翼状の装飾は、鍛冶屋と彫金職人を何度も泣かせて技術のブレイクスルーを強要した芸術品だ。陽光を浴びてキラキラ輝く2輪馬車を御す英雄のマントは蒼天の如き”鷹の青”。こちらも納得のいくまで染料を追求した渾身の発色。
「(がんばって良かった)」
パレードを最高のポジションで見るために用意させたテラスにある日除け幕付きの隠し貴賓席で、私はお抱え芸術家達と一緒にペンを握りしめて隊列を凝視していた。
感涙などしない。涙で目が曇ったらこの光景が見られないからだ。記録映像の技術がない以上、目に焼き付けるしかない。あと、お前らしっかり描け!私は観るのに専念する!!
エリオスは……それなりに距離があるので顔立ちの詳細はわからなかったが、ちゃんとカッコよかった。
良かった! 筋肉ゴリラじゃない!!
失礼な話だが、遠方から近づいてきた彼を見た第一印象がそれだった。
軍団長の房飾りのついた兜を被った彼の髪や顔立ちの詳細は見えなかったが、体型はわかった。
背はアトーラ軍人の平均よりやや高め。これは知っていた数値通り。
思ったよりがっしりしていて筋肉質なので、俗に言う細マッチョほどすらっとはしていない。それはそうだろう。彼はオフィスビルのフィットネスに通うエグゼクティブではなく、遠征軍の総司令だ。
少し人種が違うからだろうか、体型のバランスが典型的アトーラ人とも、オルウェイに多い南方系や東方系とも微妙に違う。前世世界観でいうところのゲルマン系という感じかもしれない。肌も日に焼けてはいるがベースが白い気がする。これは立像は白大理石だな。
全体に大きいが"むくつけき大男"だの"むっちりマッチョ"という印象は全くない。バランスがいいからなのか? 前世で見た絵画や彫刻にあるような見事な英雄体型だ。教本の頭身見本図のようでびっくりする。
あれならマントの丈をもう少し出しても良かった。儀礼用の脛当ては上部の装飾をもう少し足した方が様になるか。思ったより膝下が長いぞ。
ちょっとその感想は長い遠征から帰ってきた夫を迎える妻としてどうなんだ? という良心の声を視界の邪魔にならない脇に置いておいて、私はがっつりとパレードを堪能した。
§§§
結局、パレードの後の式典でも、私は目立たない端っこの席を用意してもらって、そこからこっそりとエリオスを眺めていた。
兜を脱いだ彼の容貌は小説の挿絵やメディアミックスで描かれていたキャラクターイラストほど美麗ではなかった。”絶世の美男子”というキラキラした浮ついた感じはない。端正で精悍な真面目そうな顔。
私は実を言うと少しホッとした。
小説の挿絵でもコミックやアニメでも、主役の『エリオス』の顔はその時の流行りの絵柄に沿ったクセのないイケメン顔だった。あえて悪く言うなら、金髪碧眼の美形描いときゃわかるだろ、みたいな顔だったのだ。
式典会場で中央に座す本物の英雄は、なるほどクセやアクは薄いが、ずっと人間味のある顔をしていた。
髪は絵画的黄金というよりは、普通に北方人種のブロンドだ。このあたりでは珍しいが、弓兵の"魔眼"のミケルのように色素が薄い特殊な色味というわけではない。
髪型もアトーラ男性のベーシックな短髪。女性向けコミックや少女マンガのヒーローのように前髪が目元にロマンチックに被るなんてことはない。パレードでは、長髪の将軍もいたから、この無難なこざっぱりした髪型は軍規ではなくて単に本人の好みなのだろう。報告書の文体通りの個性だと思う。
彫りは深い、すっきりした鼻梁のシャープな顔立ち。アゴは細くはない。軍の糧食は硬くて噛み応え抜群だ。お洒落カフェでランチをとるような顔ではないのは当然だろう。奥歯を食いしばって生きてきた、意志の強そうなアゴだ。
喉仏もよくわかる男性的な骨格の輪郭。それでも悪徳悪役のように四角くエラが張っているわけではないし頬骨が目立つというほどでもない。
二段アゴやシャクレアゴ、ケツワレアゴでなくて良かった。そんな暑苦しい濃い『エリオス』は嫌だ。
彼の風貌で何より印象的なのは、”青い鷹”と称される由縁の目だ。爛と燃えるようにしっかりと周囲を見据えていて鋭いのに、ふとした拍子にどこか不安げな思慮深いナイーブさを垣間見せて一瞬揺れる澄んだ深い青。
それがあまりにも魅力的でついずっと見つめてしまっていたら、ふいに彼が会場の隅にいる私の方を見た。一瞬目が合った気がして大いに焦った。が、すぐに視線を外され、その後は何事もなく式典は終わった。
当たり前だ。私は式典では何の役も果たさず、目立たないようにしていた。アトーラの政治も式典も男性主導の場なのだ。女の居場所はない。祭儀のために待機している巫女達の端にこっそり居た私が太守夫人だなどと気付くものは(余程の顔見知り以外には)いないだろう。
そして、彼は私を知らない。
壇上の彼は、人を引きつける魅力と存在感に溢れ、若々しく、栄光を受けるのに相応しい風格があった。
私に不似合いな私の英雄。
私は一人静かに満足した。
§§§
「さあ! みんな。ここまで事故もなく無事に進行お疲れ様。ここからは観衆だけではなく主賓の軍団員にもお酒が入るから気を引き締めて。アトーラ出張組の話では、遠征部隊は底なしに呑んで無茶をするそうよ」
必要ならぶん殴っても、縛り上げて投獄してもいい。後遺症の残るような重症者と死者を出さなければ問題ないからアホな酔っ払いは遠慮なく制圧せよ。ここは野っ原ではなく法治都市だと知らしめよ! と私は警備隊に盛大にハッパをかけた。
「窃盗、狼藉、器物破損。迷惑な犯罪者は官民、身分の貴賤問わず素早くしょっぴいて。酔いが覚めたら保釈金か明日の片付けの労働で支払わせます。大事な収入源だと思って丁寧に収穫しなさい。……とはいえ冤罪はよしなさいよ」
「他所から来ている民間人には、気持ちよく祭で飲み食いして気が大きくなったところで、オルウェイ土産を買って帰ってもらうことが大事だから、むしりすぎないように! 彼らと彼らの帰宅先の人々がこの先のオルウェイの潜在顧客よ!! 心しておもてなししてちょうだい」
陣中見舞いを配りながら警備、出店、接待などの各部署を激励して回る。
みんな人手が足りない中、不慣れな仕事でもよくやってくれている。他所から借りた応援人員も差し入れの菓子や軽食を渡すとニヤッと笑って「頑張るぜ」なんて言ってくれる。
アトーラのお父様が手配してくれた部隊は、いつもオルウェイ出張を楽しみにしてくれている顔馴染みだ。
甘めの二枚目の部隊長は結婚前の私の護衛もやってくれていた人である。
「任せてくださいよ。俺たちゃ執政官の就任式典だって仕切ってますからね。祭事の警備は万事心得てますって」
「ありがとう。頼もしいわ」
「だから現場は俺らに任せて、お嬢様はそろそろ戻っていいですよ」
「そうね。あともう2,3カ所回ったら……」
言い訳をしながら、そそくさと立ち去ろうとしたところで、ダンおじさまに見つかった。
「あとは私が見回る。貴女はご夫君のところに戻りなさい」
「……はい」
こんなところでなにをしているのかと咎めるダンおじさまの視線に、私は大人しく折れた。
§§§
喧騒から離れて一息つき、私はやっと多少冷静になった。
今回、太守邸代わりにしている迎賓館は、今ある中では一番造りの立派な石造りの建物だ。階段を上がった先、奥の間に向かう廊下は月の光で斜めに切り取られている。ガラスも木戸もない馬蹄形の開口部の窓から入ってきているのは、月光だけではないようだ。祭の微かなさんざめきと共に、フェスの花の香りがする。
ここの庭園にあるのは白い花だったろうか。赤い花だったろうか。
小さな星のような五弁花が無数に咲く木のことを思いながらゆっくりと歩く。
ここが物語の世界ではないかと気づいたときから、いつか会う日を待ちわびて、聞いてみたいことをいくつも考えて……そして相手が自分をどう思っているのか、対面することで思い知らされるのを避けたかった相手が、この先にいる。
通路の突き当たりの部屋に明かりはなかった。




