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青い鷹は翼を休めたい  作者: 雲丹屋


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現と幻の狭間2

 エリオス軍の西征は順調だった。


 兵站資金の捻出には苦労したが、私の屁理屈とお父様の政治力とダンおじさまの交渉力で、ほとんどをアトーラの国庫から引っ張り出した。

 簡単に言うと、軍勢の兵士も部隊長もアトーラ軍の人員なので国で養え、でなきゃ帰還後に全員オルウェイの軍にするぞと元老院を脅したのだ。

 もちろん、恫喝と受け取られないように表現方法は十分に配慮した。そしてエリオス直下の部隊や、オルウェイが後から派遣した部隊については、国に取られては困るので、人件費相当の費用を頭割相当で負担するように見えるプランを用意した。

 全部奢れと言われると渋る相手でも、頭割りでと言われると納得してくれたりするものだ。

 ……実は後にオルウェイから派遣した衛生兵や工兵といった特殊部隊は糧食などの普通の兵士用の費用に加えて、特殊な装備や消耗品などが必要なのだが、そこはひっくるめて諸経費として計算した。これは特に元老院には解説しなかったが、別に詐欺ではない。会計などという特殊な学術技能が必要な問題の細部は、元老院議会の議員全員で審議する内容ではないからだ。


 私は元老院議員の皆さんが把握しやすいように、先例に沿ったプランを用意した。何か始める場合、新規よりも先例の拡大解釈の方が元老院では受けが良いというのは、ダンおじさまのアドバイスである。

 さすが文官の最高峰は、してきた苦労と持っているノウハウが違う。


 ダンおじさま監修のもとに私が提案したのは、これまでの戦いで得た賠償金を西征の遠征費用に充てる、というプランだ。

 実は、東征直後にエリオスが始めて指揮を執った南征の戦費は、東征の総司令だったお父様の裁量で、東の公王国からぶんどった収入で賄ったらしい。だから、賠償金から次の西征費用を出しても同じだ……という理屈である。

 他の一般税収と他国からの賠償金を切り離して語ると、軍が稼いだものだし……という意識が働くのか、軍の費用として認められやすかった。

 それでも国費を使うと聞くと文句を言う年寄りはいるらしいので、西征でぶんどった分は全額をこの賠償金プールである"戦勝基金"に戻すという案にした。

 つまり、最初こそ原資から引き出すが、もし西方諸国で連勝すれば、この"戦勝基金"は増えるばかりだとアピールしたのだ。


「そして、西征を率いているのは"不敗"の英雄です」


 オルウェイから元老院議会に派遣したダンおじさまが壇上でそういった時に、基金が減ることを心配している顔をした議員はほぼいなかったそうだ。


 それでも懐疑的な態度をとる老議員には、オルウェイ固有軍の人件費はエリオスの東征時の報奨から出すと説明した。

 もともとエリオスは、先の東征での賠償金のうち、分割払いされるものの十分の一を毎年受け取る権利を持っていた。これはオルウェイで使う場合、輸送費が発生するので、お父様にお願いして、他の褒賞と合わせてアトーラで管理していただいていた。穀物などの物納分については、売りさばくにも何かと苦労があったので、これを充てるのはこちらにとって都合が良かった。

 元老院議員の中には、この分配が多すぎると不満に思っていた者もいたそうなので、ちょうどいいガス抜きにもなったと思う。


 西征に必要な費用は丸ごと基金から捻出、賠償金は全額基金へ。そこからエリオスに支払われる報奨金の中から、オルウェイ所属軍人の給金は支払う。資金の管理、補給物資の輸送、その他雑務全般はオルウェイおよびユステリアヌス家が請け負う。

 そのあたりをこちらに都合のよい程度に明確かつ、読む気がなくなるほど長々しく、事細かく書いた契約書の文言は、この時代としては破格な代物だった。「甲」と「乙」の訳にアトーラの文字のどれをあてるかまでかなり熟考した労作だ。我ながらいいできだったと思う。なにしろ、全文を読み上げたとき、ダンおじさまでさえ「もう一度……いや、文字で読ませてくれ」とギブアップし、元老院議会では老人の半数が居眠りしたという素晴らしい公文書である。


 一見、オルウェイの負担が多いように錯覚するこのプランだが、実は港湾および通商門の使用料などの既得権益と国庫の腹が痛まない金に関して、オルウェイの免責・優遇特権が条項に含まれている。

 進軍と物資の輸送のための街道整備や防衛拠点建設用と称して、石材の採掘権などまで含まれているのは御愛嬌。実際にうちの工兵部隊は西方でかなり仕事をしたので問題ない。オルウェイの城塞都市建設の資材調達でおおいに役に立ったのはあくまで副次効果なのだ。

 西域用に統一規格で大量に用意することでコストを削減した物資の余剰分を、一部オルウェイに払い下げたのも、買い取り価格は適正だったのでやはり問題はない。

「よく次から次にそんなことを思いつきますね」と、計算のイロハから教え込んで育てた我が家自慢の主任会計士エクセルには呆れられたが、アヤツも数学的小細工の達人なので、気にしない。

 議案が通り、使い放題の大きなお財布を手に入れてハイタッチした仲だ。奴も悪党(こっち)側である。


 それでも莫大な投資が必要だった都市建設は、オルウェイ債だの借款だのという新語をアトーラの言語体系に追加して乗り切った。

 夫が不在で途方に暮れている可哀想な若い妻という立場はおおいに利用させてもらった。今、必要な金が足りなくて困っている風を装うと、同情的に取引を呑んでもらえる。逆にこちらの足元を見てあまりにもなめた真似をしてきた相手には、ダンおじさまやお父様から()()注意をしてもらった。なるほど、交渉というのは下に見られたままだと良くないので、必要な時に強く出られるだけの実績かバックは必要なのだとよくわかった。

 ……教材になってくださった相手の方は、"美人局"という概念を学習なさった気がするが、それも人生経験だろう。



 §§§



 こうして、かき集めた資本と頼りになる仲間に支えられて、精一杯、駆け抜けた日々も、城壁の完成とイスファール戦の終結で一区切りを迎えた。


「あら、カササギ。早いわね。もう帰ってきたの」

「アトーラまでの往復なら散歩みたいなもんです」

「さすがね。それでお父様からの回答は?」

「へい。書簡はこちらです。それから、ご指示の通り外秘扱いの口頭で、"南の蛇がフェスの花が咲く頃には穴から出てきそうだ"とお伝えしたところ、"駆除係を呼び戻す"と仰せでした」

「呼び戻す?」

「鷹の旦那への命令書もいただいてきたので、そういうこっちゃないですかね」

「まあ」

「次の船で向かいます。私信や差し入れがあれば中袋1つまでなら、一緒にお届けしますよ」

「待ちなさい。あなたの読みが当たりか確認する必要があるし、当たりならなおさら対応の時間がいるわ。少なくともまずこの書簡ぐらいは読ま……ヤダもう! 本当に帰還命令を出す気なの!? お父様もなんでそう即断即決で行動が早いのかしら」

「血筋じゃないですかね?」


 書簡と地図を机に広げた私の顔を見ながらしみじみとそういったカササギに、私は報酬を渡して、船は10日で用意するからまずはゆっくり休めと命じた。



 §§§



 西征からの凱旋式はアトーラで行われた。

 エリオスが率いているけれど、オルウェイ軍ではなくアトーラ正規軍、ということになっているので当然そうなる。


 私はオルウェイに留まった。

 理由は色々あった。身内には南方情勢が不穏だからと説明した。もう少し親しくない相手には、自分は名のみの妻なので公式のハレの場ででしゃばった真似はしたくないなどと適当な理由を答えておいた。

 実際のところ、どの理由も私にとって真実ではあったが、一番口に出せなかったのは、"恐れ"だったと思う。


 エリオスの凱旋は、原作の西征編の最後にあったエピソードで、口絵のイラストが好きだったから、よく覚えている。

 色とりどりの各軍の旗がたなびき、鮮やかなマントを身に着けた将達が群衆の歓呼を受けながら、花吹雪が舞う中、凱旋パレードをするのだ。

 この繊維産業も染織も縫製も未発達な世界で、あのシーンを再現するためには、染料や針を作るところから始めないといけなかったのだが、私はやり遂げた。

 エリオスが凱旋するのは、私の知る限りこの機会が最初で最後だからだ。

 私は私の英雄をなんとしてでも華やかに晴れやかに迎えてあげたかった。生涯、真の意味での"帰還"をすることができないという運命を描かれていた英雄『エリオス』。報われることのない戦乱の続く修羅の道を歩む孤独な彼に、最高に鮮やかな誉れの思い出を作ってあげたかった。

 血なまぐさい戦場で、何のために戦わねばならないのかと苦悩する姿は物語の中の虚構かもしれないけれど、彼の経歴を考えればあながちないことでもなかろうと頷ける。

 そんな彼に、あなたはこの国のために、この人々のために戦って、称えられることをしているのだと実感してもらいたかった。

 もちろん、私の中にある前世的な記憶にある倫理観に照らし合わせれば、覇権国家の征服戦争の前線指揮官なんて、ただの征服者で戦争犯罪人なのだが、コンプライアンスというのは時代背景と不可分である。一歩踏み込めば神話や伝説の迷信が山程信じられていて、各国が日々あちらこちらで絶賛戦争中の古代社会で、死と暴力を無視した平和主義など無意味だ。そのあたりの感覚は私も今世で完全にアップデート済みである。


 だから私は英雄を否定しない。


 我が英雄『エリオス』が成したことを、歴史上の栄光の記録にすること。彼を暴虐な征服者ではなく、力で混沌と悪政を吹き払って、繁栄をもたらしたものにすること。英雄を英雄たらしめること。それが私の使命だ。

 私が英雄としての道を強いた人に、惨めな思いはさせたくない。彼がアトーラを忘れて去る、その最後の一瞬まで彼には栄光の輝きを放って誇り高くあって欲しい。


 そんなある意味子供っぽい英雄崇拝を、非常に現実的な金と権力でゴリゴリ形にしてきた自分の所業を振り返って、私は今さらのように怖気づいていた。


 どうしようもなく現実的でリアルな自分の身の回りのこの実在に、英雄『エリオス』という幻想の存在が只人の姿で現れたとき、私はそれを受け入れることができるだろうか。

 実写映画化の主演俳優解釈違いは、映画を観に行かないか、観に行ったあげく、やっぱりあれはない! と友達と一瞬に発散すればそれで済む。

 だがこの世界は現実で、彼は私の生涯の伴侶なのだ。


「(夫の解釈違いというのは新鮮な概念かもしれない)」


 オルウェイの城壁の物見から、遥かな東山嶺から続く山系の遠い峰々を眺めながら、エーベ川の流れをなぞるようにゆっくりと指を動かす。

 いいカーブだ。今度ここからスケッチしよう。……そして、あの辺りに農業用の資材の船着き場と水路の取水口を作ろう。


 現実的な雑務で現実逃避をしていた私の視界に、想定外のものが現れた。


 ユステリア街道を堂々とやってくるそれはアトーラから派遣されてきた部隊だった。

 なびく旗は深紅。旗印は一角の獣。


 私がここはやはり物語世界なのかと実感し、それでいて物語と致命的に異なる展開ですら起こり得ると知ることになった人物が、今また原作の展開を無視して、私のもとにやってきたのだった。

エリオスどころかゴドラン登場にすらたどり着けなかった……。

奥様の「好きに使っちゃいましょう」資金の額が実はとんでもなかったという話を書いていたら文字数がこんなことに。悪妻の名は伊達じゃない。(たぶん出回った悪評と悪さのスケールが違うけど)

パックスアトーラのために西域の植民都市再開発事業とかまでやるから総工費がわけわからん額になるんだよ。そして今回はしょった話も当然ある。

公認会計士エクセルくんは端数の繰り上げ、切り捨ての数字マジックがえぐい奴です。


中盤で登場したカササギさんは、子飼いの伝令さん。遠征中のエリオスにオルウェイからの書簡を届け続けた凄い人。(「書簡3」参照)

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― 新着の感想 ―
カササギ、何気に好きです。
 丁寧で、筋道の通った奥様の心理描写……? いや、論理的な思考経路? ありがとうございました。あ、悪だくみの部分はね、もうそれは、奥様の趣味なので、活き活きとしてるな、と楽しく読みました。端数マジック…
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