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青い鷹は翼を休めたい  作者: 雲丹屋


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現と幻の狭間1

前回の予告?そこにたどり着く前に文字数が……。

というわけで奥様回です。

「白」本編の副音声としてもお楽しみいただけます?


 静謐な石造りの広間で、祭礼服を着た男の簡単な宣誓に父親が同意して、書面にサインを入れる。

 それが私の結婚式だった。


 本当に物語の主役の妻なんていう良い役に自分があてられるなどということが起こるのが信じられなくて、私は顔だけは神妙にしながらも内心おおいに浮ついていた。

 それに日頃入らせてもらえない祭祀場の構造や祭礼服の意匠はもとより、手続き全般すべてが物珍しくて、興味深かった。それどころじゃない、というか当事者だから日本の結婚式だって花嫁がそんなことはできないのは承知の上で、私はメモを取りたくて仕方がなかった。

 写真! ……は無理なのはわかっているけれどせめてスケッチブック!!

 その厳つい承認印の細工を確認させて欲しい! ああ、目に望遠機能があればいいのに。オペラグラス作っとけば良かった。作っていても持ち込み禁止だわ……などと益体もないことを思いつつ静かに座っているうちに式は終わった。

 "お父さんへの手紙"だの"初めての共同作業"だの"友人の芸"だのといった賑やかしの余興はないため簡潔だ。

 契約書で所有者を変更するあたりは家畜の売買手続きと同じだなとか、重い印が仰々しく押される音が、裁判所や競りの鎚の音のようだとか、不謹慎なことを考えたのを覚えている。


「すまぬな。お前の婚姻なら夜がなくなるほど盛大に祝ってやりたかったのだが」

「かまいませんわ、お父様。主催となるべき夫側の親族がおらず、夫自身も遠征中なのですもの」

「そのような男にお前を嫁がせねばならぬのが口惜しい」

「そのような男だなどと……エリオス殿は不敗の英雄ですのよ」

「"英雄"などという評判には何の信用もない。勝ちさえすれば愚将でもそう呼ばれる」

「お父様の策を実現するだけの実力がある男で、お父様が認めた将であるのならそれで十分です」


 私を嫁がせて名を与えるということは、嫌いなのに昇進させざるを得ないほど有能か、見込んで取り立てるほど有能かのどちらかなのでしょう? と言ったら渋い顔をされた。


「戦はできるが愚かな男だ。知恵は回るが学はない。お前に相応しくはない」

「小賢しくて愚かな味方は敵より始末が悪いと、愚者を身近に置かないお父様が、戦場で側近にしていた方なら、その事実以上は不要です」


 学べば身につく知識は、学べる資質と使える知恵があるかに比べたら重視に値しない。


「むしろそういう方なら私が嫁ぐ意味もあると言うものです」

「厄介な娘だ」

「お父様の娘ですもの」


 このときの父の顔は、写真やスケッチブックがなくても、私は忘れないだろう。



 §§§



 結婚式後も、夫と顔を合わせないままの日々は過ぎていった。それは私にとってつらいことでも淋しいことでもなかった。

 私は実のところ『エリオス』という存在に対面するのは怖かった。

 これまで普通に父母のもとで生まれて育ってきた今の自分の実在が、エリオスというキャラクターが登場するフィクションに組み込まれ、この世界全部の存在が紙面の幻想に落とし込まれてしまう気がしたのだ。


 確かに自分にはこの世界ではない異質な世界の記憶が存在するし、その中で『エリオス』という主人公が活躍する物語を読んでいた。だが、今の自分の存在は圧倒的にこの世界に根付いている。あの本格戦記物だがいささか通俗的な小説などよりも、遥かに精緻でリアルな現実が私の前には広がっている。これが単なるフィクションの裏設定だとは思いたくなかった。


 現実と物語に対する私の逡巡を嘲笑うように『エリオス』は物語の筋立て通りに南征で勝利し続けた。

 父の下で書記官の手伝いをしながら戦場からの報告書をまとめ、夜に父と両軍の動きの分析などを論じていると、明らかに次の展開が物語にあったように進むのが予測できて怖いほどだった。

 そして、軍の指揮官としては当世最高峰であろう父のリアル解説で見る娯楽活劇戦記のご都合戦闘はあまりにも面白かった。父の薫陶のお陰ですっかりこの分野に詳しくなっていた私は、戦場にいないがゆえの広い視野で多方面からの情報を精査できた。何手も先を読んで打つ手を考える父の話を聞きながら、原作での先の展開をあてはめていくと、確かにそれは綺麗な勝ち筋になるのだ。

 私はそれを成立させる魅力に抗えなかった。

 私は原作のストーリー通りの状況に持って行くにはどうしたら良いのか熟考し、そのための支援策をそれとなく提案し始めてしまった。方策に確証が持てないときは父に尋ねてみさえしたのだ。


「そこで軍を分けるのは定石ではない。それではこちら側が勝ちきれない」

「指揮を執るのが"不敗の英雄"でも?」

「その二つ名の通らぬ敵にとってはただの寡兵の軍だ」

「……ならば名が通っていればどうでしょう」


 "原作"の中では、敵の一般兵が「わあああ、"不敗"の鷹だああ!」と悲鳴を上げて逃げ、戦列が崩れる描写があった。あの状態になれば勝ちだ。

 常識的に考えれば、情報伝達手段が乏しいこの世界では、異国の初めて接敵する将の噂がそこまで下級兵士に浸透して影響力を持つことは極めて稀である。だが、やりようによっては実現可能だろうし、稀であるがゆえの()()も見込まれる。


「敵軍に"不敗"の名が浸透していれば、青い鷹の旗印を見ただけで相手は、あるいは? と敗北を想像します」

「逆に奮い立つ輩もいるぞ」

「突出と及び腰の混在で足並みが乱れた軍は弱くなります」

「戰場に一度も出たことがないくせにわかったような口をきく」

「お父様に教えていただきました」

「その程度の推測だけでは足りぬ。もしその策でいくのなら少なくとも他にいくつか同時に手は打っておく必要がある。よいか、まず……」


 我が父は悪辣と味方に評されるほどの戦略家で、すぐに動かせる子飼いの良い部下も外交上の伝手も十分に持っていた。

 そして、父は私に甘かった。


『エリオス』の"不敗"の伝説は敵味方を問わず広く知られるところとなり、彼は無敵の英雄として南征を終え、原作通りにオルウェイの太守となった。



 §§§



 私は拠点防衛用の兵士や補給物資の輜重と一緒に、悪路を何日もかけてオルウェイに向かった。

 肝心の"夫"は既に次の遠征に出ていて、そのことに私は多少ホッとしていた。

 父という今世の現実の象徴と共にいるときは、いっそ物語のほうがこの世界に従属する派生存在だと思えたものなのだが、実家を離れて見知らぬ土地へ向かう間に、私はいささか弱気になっていた。

 小説で"西海の真珠"、"豊かなるオルウェイ"と称えられた空々しく美しい街で、爽やかな金髪碧眼の美男子と対面したら、私の現実は幻想になってしまう。そんな不安がこの時の私にはまだ少しあった。



 そんな私の不安を笑い飛ばすかのように、やっと到着したオルウェイは見事な焼け野原だった。

 夫がどうとかフィクションが何だとか、もはやどうでもいいレベルで、現実的極まりない問題が山積していた。いや、太守である夫が遠征でこの場にいないというのは、むしろ最大の問題だと言えた。

 統治と資金である。


 統治に関しては、代官の派遣を要請すればやってもらえるだろう。私は何もしなくても良い代わりに何もできない。十中八九、実家に戻ることになる。

 その場合は、補佐官として派遣されているダンおじさまが代官にスライド任命されて別のお目付け役が中央から来るのが無難な落としどころだろう。ダンおじさまは私に寛容だから頼めば多少のお願いは聞いてもらえるだろうが、別の監査役が入る状況になれば大がかりなことは無理だ。


 資金は、試算が必要だがまず間違いなく足らない。

 ここから3年の防衛・治安維持費は父から兵を出してもらえるがそこまでだ。エリオスの太守任命と西征の命がどういう順序と条件で出されたかにもよるが、もし太守の遠征という扱いだと戦費はオルウェイ持ちになる。この有様のオルウェイが払える金額ではない。

 これまでの戦果からの報奨金はあるが、金融という仕組み自体が未発達なこの世界では資産運用にも限度がある。小規模な試行は始めているものの、制度を創始する猶予がなくては、投資効果が出る前に元資をすり減らす羽目になるだろう。

 もちろん支配地域を初手から税で干からびさせるわけにはいかない。やったとしてもその場しのぎにしかならない。それではダメだ。

 お父様はエリオスを遠征から戻す気がない。もしもこれまでどおり原作に沿って彼の戦記が続くのならば、彼が失踪するまで(あるいはしてからも)オルウェイは遠征費用を負担し続ける必要がある。

 私は渡された目録の条項を再確認した。やはりオルウェイの再建と支配地域の統治のための人員とある程度の資金は確約されているが、派兵や遠征軍の兵站に関する記載がない。


 私はエリオスのことを語る父の顔を思い出した。


 これは意図的に条項が省かれていると見て間違いない。これを見て中央がなんとかしてくれるからだろうと楽観してはならない。なにもしないと、西征の軍は早晩、補給が先細りになり、行く先々で野盗のように略奪を重ねないと成り立たない軍となるだろう。この世界の戦争としてはよくあることだが、そのように食い荒らしながら征服した地域では遺恨が残るし、その後の統治や収入につながらない。投資して継続的に収入を得られる領地として発展させ、自国の経済規模を拡大させてこその征服だ。お父様は賢い方だが、世界征服の経験はないし、植民地支配やグローバル経済の概念も希薄だ。人類史が浅くて情報インフラが未発達な古代社会でそのような知見を得ることは極めて難しい。私という存在がこの世界に対してイレギュラーなのだ。

 おそらくお父様は西征を成功させる絵図を描いていない。アトーラ拡大の野心はあるにしても、あれでなかなか堅実な人だ。今回のエリオスの軍で西方諸国を完全に征服するほど性急な領土拡大は狙っていないだろう。ダンおじさまはお父様の腹心と言っても良い。ダンおじさまにオルウェイの統治権を渡した場合、お父様の目論見通りにことは進むとみて間違いない。


 仮設の本陣の天幕を出て、日差しの照りつける焼け残りの廃墟に立ち尽くした私は、この世界の現実が『エリオス』という虚構の英雄を消し去ろうとしているのを感じた。小説の挿絵の小綺麗なオルウェイが、私の足元で消し炭になっているように、このまま世界に従えば、私の内なる記憶も土塊の間に埋もれていくのだ。

 ほつれた髪が顔にかかって苛つく。私は髪留めを外した。


 風が吹いた。


 顔を上げた先には青い青い西海が広がっていた。


『エリオス』が虚構だろうがなんだろうが、この海の先には私の夫となった"人"がいる。彼は字が下手で、生真面目で簡潔過ぎる報告書を書く実直な人だ。それでいてわずかなヒントやサポートを上手く拾って、想像以上の戦果を上げてくれる天才。

 原作の『エリオス』とは少し雰囲気が違う、完全無欠でもスマートでもないがそれでも稀有な才能の人。

 会ったことはない。それでも私が守るべき家族となった相手だ。


 失ってなるものか。


 西から吹く風に髪をなびかせながら、私は足元の黒い燃えかすを踏みにじった。

 灰塵と化したのなら、思いのままに築き直せば良い。"豊かなるオルウェイ"がこの有様とは許しがたいではないか。オルウェイは父から私に"やってみせよ"と与えられた地だ。代官にやらせたければ、最初から私を送り出したりはしない。放り出して帰れば、喜ばれるが見限られるだろう。

 それに、父は自分が与えた課題を思ったとおりに回答するだけの相手には満足しない人だ。あの人はきっと私がオルウェイを普通に復興させるだけではよしとしないだろう。

 ならば!

 お父様が一番厳しい条件に置いた……だが、もっとも私にとって重要で近しい伴侶という唯一の役を与えた人の命運ごと、オルウェイの伝説を私が興してみせようではないか。


 晴れ渡った高い空を、遠すぎて鷹かどうかはわからない鳥が飛んで行く。


 私は我が夫となった人への責任を強く感じた。現実は過酷だ。だが『エリオス』が勝つシナリオなら私は知っている。あとはそれをどう実現するかだ。完走すればあの人は生きながらえて、アトーラの英雄という軛から解放される。……私という存在があの人に必要以上に負わせてしまった"’不敗の英雄"の幻想から。

 そう。私はどんな手段を用いても、あの人を幻と現の狭間の犠牲者にはしない。

 たとえこの世界のあり方を根本から変えてしまうことになっても。


 私は英雄エリオスの"悪妻"となることを決意した。

奥様のエリオス観を描くために土台から再確認……したらこんな文字数になったので、会うところまではまだもう少しかかります。(反省)


先日、こちらの本編の「白い結婚……」は、行間を埋めるのが楽しい"余白"の短編だというような考察を玲 枌九郎様(この人の考察やエッセイ好きなんですよ)からいただきました。

確かに行間がいくらでも書けますね。作者が一番楽しんでいるかもしれませんw


たぶん、多くの読者様が想像している"推し活"とは、ちょっとこの奥様の発想は違うかもしれませんが、彼女のような思考の人がフィクションへの転生というファンタジーな状況を一体どのように受け止めているのかを掘って埋めたらこうなりました。

……ここから普通の男女の恋愛まで何マイル?(涙)

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― 新着の感想 ―
奥様、なんて男前なんでしょう! これを読んだらエリオスは感極まって惚れ直す…と思いかけましたが、エリオスは野生の勘?で感じとっていて、想いは伝わっているようにも思いました。 そう思ったら、英雄サイドで…
偉大なる父の庇護と前世の記憶が齎すちいさな不安が織りなした卵から孵化した漆黒の烏が西海の真珠を睥睨する。 ただ青い鷹の征途を支えるために。 神話の時代の最後の輝きを絶やさぬために。 投稿感謝です^^…
>お父様は賢い方だが、世界征服の経験はない 有る人のほうが圧倒的に少ないやろwと笑っていましたが、ちょっと待って奥様、エリオスのことめっちゃ好きじゃん。 思っていたより遥かに、原作のエリオスじゃなくて…
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