度し難し
なんだかんだで続きです
一日が長い……
領主邸に戻ると口髭の生えた鬼がいた。
「こんな夜更けにノコノコ帰ってくるとはいい身分だな、貴様」
腕組みして仁王立ちでこちらを睨みつけてくるゴドランに、エリオスは「すまん」と小さく謝った。
「まったく。何を考えておるのだ。非常識にもほどがある」
「そう言われても……」
明かりの消えた領主邸の回廊を声をひそめて歩く。
「あれ?寝室は向こうでは?」
「ふん。貴様など薪小屋の隅に蹴り込んでおくから寝室の用意は要らんと断っておいてやった」
「おい」
「それとも地下室か氷室の方がいいか。頭を冷やせ、バカモンが」
「冷静になる必要があるのはそっちだろう。なぜそんなに腹を立てているんだ」
ゴドランは持っていた明かりをエリオスに手渡すと、にこやかに彼の両肩をポンポンと叩き……一気に胸ぐらを締め上げた。
「俺が何に腹を立てているかそんなに聞きたいのなら聞かせてやろう」
「いや……別に言わなくてもいい……」
「聞け」
「はい」
ゴドランの声は低く抑えられていたが、殺気が籠もってドスが利いていた。
「貴様はあの怪異だらけの島で散々暴れて、真の王だかなんだか知らんが、祭り上げられて玉座なんかに座ってたよな」
「え、そこから?」
「やかましい。黙れ。あのとき、辛気臭い顔で硬い石の椅子に座っていた貴様は俺に言ったよな」
『ここが俺が帰る場所であっていたのだろうか』
あのときゴドランはエリオスに、好きにしろと言った。帰る場所なんてのは、実は特定の建物でも土地でもなくて、自分の魂がここだと思うところだからと。
「……覚えている」
「あの島に巣食っていた"古き神"を名乗る怪異は、お前こそが神を継ぐ正統後継者で、この世を統べる王だと言っていた」
だから、この島の真の王となり、ここから新たなる神として世界を制覇せよと。
「とんだ詐欺師の手管だ」とゴドランは吐き捨てた。
「お前を担ぎ上げて、自分の権力欲を満たそうって腹の魑魅魍魎どもだ。ろくなもんじゃない。お前もそう思ったから、あの島を出たのだろう」
「いや、俺は……」
エリオスはあのときゴドランと、ついでのようにした会話のことを思った。エリオスにとっては、そちらがむしろ決定的だった。
§§§
「帰る場所などで悩むな。結局、俺やお前のようにマトモな親族のいない軍人の帰る場所なんて軍営か予定集合地点がせいぜいなんだ」
「もはや軍属ですらないがな……とはいえ、流民の俺はともかく、ゴドランは故郷も親族もあるだろう」
「故国を征服した王国と、俺を敵に売った異母弟達のことか?」
「すまん」
「生まれた土地も血のつながりも、それが心の拠り所でなければ何の意味もない」
「と言われても俺にはよくわからない」
「血統を重視するなら、お前は記憶こそないがこの島の王族の末裔なのだろう。だったら別にここを故郷とみなしていい。それを誇りにして己の拠り所にできるならな」
「己が何者かの問いの答えを得られたのは俺にとって大きい」
「ならば、お前はここを己の居場所にするがいい。俺は帰る」
「帰る?どこにだ」
「東だ。ここは俺の場所じゃない。かと言って王国に行く気は起きんし、アトーラに興味はないし……そうだな、オルウェイがいい。俺はあそこで死にかけたところを拾ってもらったからな。故郷と言っても間違っちゃいまい」
「それは間違っていないか?」
「いいんだよ。あそこの女太守は美人だし」
「それは俺の妻だ」
「ここで王になるお前には、適当に新しい妻ぐらい用意されるから気にするな」
「しかし彼女は」
「お前が帰らんなら、俺が貰う」
あの時のゴドランの目をエリオスは忘れられない。あれはずっと自分を補佐してくれた頼りになる戦友ではなく、最初に戦場で見た恐るべき男の目だった。
「お、俺が唯一自分から望んだ報奨なんだぞ」
「10年放置して何言っていやがる」
「まだ10年は……いや、最初に会ってからはもうそれくらいは……?」
「度し難し。俺は帰る」
「待て!待ってくれ!!彼女は俺のだ」
「腰抜けのマヌケめ。さっさとその似合わん玉座から腰を上げろ」
かなり本気で蹴り飛ばされた脛はあざができて翌日まで痛んだ。
ゴドランは当たり前のように、自分が島の王の座を抜け出すのに力を貸し、その後のオルウェイへの困難な帰還の間中、もうその話題は自分から口にしなかった。だからあれが彼の本音だったのか、自分を叱咤するための方便だったのかエリオスにはわからなかったが、あれで己の中にくすぶっていた本音に気付かされたのは確かだ。
§§§
「俺は自分にとって一番大切なものを確認したかったんだ」
というか、島の神官連中が詐欺師臭いだなんて、お前、あのときは言わなかっただろうとエリオスが問いただすと、ゴドランは、これから王をやろうって奴に猜疑心を植え付けるようなマネはしないと、しゃあしゃあと言ってのけた。エリオスが気にしなければ素知らぬ顔で自分だけ抜ける気だったらしい。薄情にもほどがある。
「それで、俺に散々迷惑をかけて、何年も面倒見させて、ここまで帰ってきたあげく、大切だと思ってたものが勘違いだったとでも思ったか」
「そんなことは思っていない!」
「では、帰還した早々、酒場通りで大喧嘩の挙げ句、娼館に繰り出して深夜まで帰らん男が何を考えていたのか教えていただけないかな?このクソバカ野郎。お前はここの領主であるあの人の体面というものを考えたことがあるのか」
「ちょっと待ってくれ。かなり誤解が」
「やかましい。さしずめ一度抱いたら満足して興味が失せたとかそういう類だろう。貴様がそこまでのカスだとは思っておらんかったぞ、エリオス」
「見下げ果てたわ」と吐き捨てたゴドランの口調には、一欠片の温情も冗談の雰囲気も含まれていなかった。
こうなるとこの男は洒落にならない。
「ゴドラン、聞いてくれ。娼館云々はお前の誤解だ。帰りが遅くなったのは別の理由がある」
「あぁん?」
ゴドランは極めてガラの悪い目つきでエリオスを睨めつけた。エリオスは恥を忍んで事情を打ち明ける腹をくくった。
「そもそも俺はまだあの人を抱いていない」
ゴドランは無言でエリオスを力いっぱいぶん殴った。
昨夜何があったのかは次回……
ついに「白」本編のあとがき回収。
この調子だと一体いつ島編を書けるか分からないので、ネタバレも恐れず投下(笑)
こんなコメディ回で明かしていいのかw




